第31話 辺獄
白鯨の体内に張り巡らされた通路の中を、隊の代表者たるクラウスと何故か指名された雪兎が白衣の男達に先導されて歩いていく。
カラスのレリーフに彫像に落書きと、壁中に施された不気味な装飾が動くもの全てを呪うかのように視線をばらまいているが、クラウスと雪兎は対して気にせず、男達に案内されるがまま、交信室と称される小さな部屋へと通される。
案内された部屋の壁にかけられていたのは、カラスのレリーフが彫られた非常に古い木製の通信機。それ以外には、何の家具も機械も配置されていない。
「警戒されているんでしょうか? 顔を見せるつもりも無いなんて」
「違うな、奴がそんな弱気なことを考えるはずがない」
「奴? まさか神様と面識があるとでも?」
「まさか、ただ頻繁に神のお告げとほざくロクデナシとは腐れ縁でな」
訝しげに室内を見渡しながら問う雪兎に対し、クラウスは何事もなく返しながら胸を張って通信機の前に立つ。 すると、ほとんど間を置かないうちに着信を告げるベルがけたたましく鳴り響き、クラウスはすかさず受話器を手に取った。
「俺だカルト野郎」
「無事で何よりだよクラウス、やはり君を頼って正解だった」
「……アルフレドさん?」
受話器から漏れた声から、連絡を送ってきた相手が元の世界にいるはずのアルフレドであることを悟り、雪兎は横から話を聞こうとクラウスの側まで歩み寄るが、クラウスは大して気にも止めずに受話器の向こう側の人間に食ってかかる。
「ふざけるなよアルフレド、テメェ俺をまた面倒に巻き込みやがったな。
大体な、仕事の内容を偽るなと何度言えば分かる!」
「人命救助の為に異空間に行ってくれと言われてまともに付き合う奴がこの世にいるかい?
だから直接出向いてもらった。 この事態を身をもって理解して頂けるようにね」
「あぁそうかい、ありがたすぎて反吐が出るな」
トラブルを一方的に押し付けたにも関わらず、どこか恩着せがましいアルフレドの言い方に、クラウスは単刀直入にイヤミを述べる。 しかしそれ以上文句を言ってアルフレドの機嫌を損なうのは無益だと判断すると、クラウスは真面目な口調に切り替えて問うた。
「まぁいい、お前には聞きたいことは山ほどあるが、これだけはハッキリさせておきたい。
ここが一体何処なのか、そして俺達に一体何をやらせたいのかだ」
これ以上伏せ続ける理由も無いだろうと、クラウスが声のトーンを低くして迫ると、アルフレドは一瞬の間をおいた後、今までのふざけた雰囲気を一変させて語り始めた。
「“リンボ”その空間の存在を知る者達はそう呼称している。 成り立ちや我々が住む世界との関係はまだ分からないが、今分かっていることといえば、一部の高等害獣共は我々の居住空間とリンボを結ぶ手段を知っていること。 そして神話級害獣がそこに潜んでいることくらいだ」
「何だと!?」
アルフレドの宣告に、クラウスの表情が大きく歪む。
すべての害獣の等級のうち、最も強く、最も常識から逸脱した化け物共。
世界中の大陸から人類を追放した、天変地異に匹敵する生ける災厄。
それがこの空間で何不自由なく悠々と生きていると、アルフレドは感慨もなく語った。
「なるほど、ついこの間N.U.S.A.を襲った奴等もそこを抜けてきた訳か。 だが何故もっと積極的な侵攻を行ってこない?」
「本業の学者連中さえ分からないことを、門外漢の俺が知るはずもない。 まぁ何にしろ、折角与えられた好機は遠慮無く利用させて貰おうじゃないか。
そんな訳で俺が君等にお願いしたいのは、数年前何故か都合良くその町に漂着した科学者連中が纏めたリンボについての調査レポートの回収と、彼らの安全な帰還の援助だ。 差し迫った脅威を大多数の凡人に分からせるには、信頼出来る証言と十分な検証データがどうしてもかかせないからな」
「他人事だからと簡単にヌかすなよ。 大体ここからどうやって帰れと?」
アルフレドの態度は一貫して無責任な言い草に、クラウスの焦燥感と危機感を遠慮無く露わにしながらキツい口調で詰問するが、それでも尚アルフレドの展望は至極楽観的だった。
「心配するな、彼らの尽力のおかげで現行人類の技術レベルでも理論上は帰ることは可能だろうという結論が既に出ている」
「ほぉ、ならば何故さっさと帰還させなかった」
「それを可能とするエネルギーを捻出する事がどうしても出来なかったんだよ。
何しろ、現在列島で稼働している発電施設全てを使っても賄い切れないほどのエネルギーが必要になる。 そこに残されていた機材と人員だけでは到底無理な話だった。 だが今ならそれが出来るんだ。 君のそばにいる坊やの力を借りることでね」
「この坊主が一体何だってんだ? あのクソババァのお気に入りになれるだけの腕はあるようだが、所詮はただのパイロットだろう?」
アルフレドの言っていることを全く信用できず、自然とクラウスの雪兎を見る目が険しくなり、それに伴って雪兎の心にも緊張が生まれる。
最も、アルフレドもその反応を予期していたのか、軽い口調の中にも僅かな真剣味が混じる。
「疑わずともすぐに分かるさ。 まぁ何にしろ残された時間はそう長くは無い。
皆殺しにされたくなければ黙ってその町の連中と、そこの坊やを信じろ。
文句なら君が帰ってきた時にいくらでも聞いてやるさ」
「……その言葉、覚えておけよ」
「勿論だとも。 では俺はこれから御祈りの時間なので失礼させて貰う。
勇猛なる戦士と無垢なる小羊達に神の御加護があらんことを」
クラウスの恨み節を聞き流したアルフレドが祈りの言葉を捧げた瞬間、今まで安定していた通信が途絶え、交信室は一瞬静寂に包まれる。
来たときと何一つとして変わらぬはずだが、一転して重く淀んだように感じる部屋の雰囲気。 その中でクラウスは突然雪兎に詰め寄ると、苦々しく顔を歪めながら口を開いた。
「まさかお前が奴と顔見知りだったとは知らなかったぜ。 おい坊主、奴の言っていたことは事実なんだろうな? お前に縋れば、皆無事に帰れるんだろうな!?」
「脱出手段を考案した方の話を聞かなければ断言出来ませんが、善処はします」
「ああそうかい、その言葉忘れるなよ。 万が一犠牲が出た時は全てお前の責任だからな!」
胸ぐらを掴まれても動じずに応対する雪兎を見て思わず苛立ったのか、クラウスは雪兎を突き放すと一足先に部屋を出ていく。 八つ当たりとばかりに乱暴に閉じられた扉は衝撃の余りに破壊され、骸を勢い良く床にばら撒くも、雪兎はそれにも動じずにアルフレドの事を考えていた。
「最初からこのつもりだったのか。 僕をここに放り込む為にあんな嘘を……」
足元に散らばった破片を一つずつ丁寧に踏み砕きつつ、雪兎は表情を曇らせた。 自分に近い存在でありながら真実を打ち明けてくれなかった事実は、アルフレドも鰐淵翁と変わらぬ相手ではないのかという猜疑心を生むには十分だった。 そして自ずと、新たな懸念が湧いて出てくる。
「哀華さん、頼むから無事でいてくれ」
本当に彼女の安全が保証されているのか気が気でなくなり、無意識に普段以上に瞬きを繰り返しながら外に足を踏み出す。
……がその瞬間、白鯨の内部をけたたましい足音を立てて何者かが走り回っていることに気付き、雪兎は一時思考を中断した。
窓を割り、エレベーターシャフトを抜け、天井裏をバタバタと走り回る二つの足音。それらは雪兎が現在いる階にまで到達すると、遠慮無く天井を破って廊下に降り、雪兎のもとへ真っ先に迫ってくる。
その片割が曲がり角から姿を現すと、雪兎は拍子抜けしたように肩を落とした。
『ユーザー助けて! あの変な人から助けてください!』
「落ち着けよカルマ、大体変な人って何だよ? ただの変質者相手なら適当に追い返せばいいだけの話だろ?」
はしたなく大股で走ってきたカルマを抱え上げ、雪兎は目線を合わせながら問いただすも、カルマは雪兎の腕をすり抜けて背後に回り込み、何とかしてくれとばかりに強引に雪兎の背中を押しに押す。
「何なんだよまったく……」
突然矢面に立たされ、雪兎は面倒くさげに頭を掻きながらも、忍ばせていたククリナイフの柄を握り、曲がり角に睨みをきかせる。
その直後、無秩序に長くボサボサになった金髪を振り乱し、カルマを執拗に追跡していた何者かが姿を晒す。 それは、拘束衣をイメージさせるデザインのパワードスーツに身を包んだ“マサクゥル”のパイロット、ミシカだった。
全身にバーコード状の刻印を打たれ、機体との効率的な接続の為にグロウチウム製コネクタを首に付けられた、パンクな雰囲気の元気娘。
彼女はカルマを、続いて雪兎の姿を認識すると、凶悪な笑みを浮かべながら一直線に駆けてくる。
「お前何やったんだよ、まさか余計な事を言っていないだろうな」
『知りませんよ! 本当にただ目が合っただけなんですって!』
主人に何もかも押し付けて嵐が過ぎ去るのを待つ算段のカルマに促され、大した心の準備も出来ぬまま、雪兎はミシカとの対面を余儀なくされた。対するミシカは、雪兎が引くそぶりを見せないことを察すると、雪兎の真正面で急ブレーキをかけ、威嚇するようにワザと床を踏み砕いて見せながら停止する。
「……お前、あの子と一緒に龍に乗っていた奴だな?」
「そうだけど、カルマに何か用なのかい? それとも彼女が君に迷惑でもかけたのかい?
納得できる理由を話してくれないと、僕はここを退く事は出来ない」
まるでメンチを切るように顔を睨み続けるミシカに対して、雪兎はただ冷静に物怖じせず、辛抱強く問う。するとミシカはその鋭い瞳をカルマに向けると、恥ずかしげもなくにこやかに口を開いた。
「その子かわいいな! だっこさせてくれ!」
「……だっこ?」
素行が荒く凶暴そうな見た目には、実に似つかわしくない子供っぽい要求。 何を画策しているのかと雪兎は一瞬考えるも、一切敵意を感じさせないあけすけな態度と、彼女の瞳に宿った確かな意志の気配が、雪兎のミシカに対する見方を一変させた。 彼女は殺戮に飢えた戦闘マシンなどでは無く、ハスキー犬のように外見と中身が伴わないだけなのだと。
「ほらっ、5分だけですよミシカさん」
「本当にいいのか!? サンキュー!」
『……ハアアア!? 何をやっているんです!?』
守られるどころかあっさり引き渡されたことに憤慨し、カルマは遠慮無く不満を爆発させるも、雪兎はただただニコニコと微笑み続けるばかり。
「何ごとも社会勉強だぞカルマ。 円滑な関係を構築する為にも接待ってのは時々必要になるのさ」
『うるさいばーかばーかハゲろ!!!』
子供のように顔を綻ばせたミシカに頬摺りされながら、どこかへと連れ去られていくカルマ。 まるで断末魔のようにミシカの身体越しに罵声を浴びせてくるその姿がおかしかったのか、雪兎は無意識のうちに頬を緩ませると、自らに課せられた仕事を果たすべく改めて町の中心に向けて歩き始めた。
望まなくして帰還の鍵となってしまった左手の皮膚の下で何かが蠢いていることを感じ、形容し難い不安に襲われながらも、雪兎は自分を奮い立たせるように拳を握る。
「必ず、必ず皆で生きて還ってやる」
自分が弱音を吐いては示しがつかないと、ネガティブな気持ちを無理矢理胸の底に沈めながら、雪兎は呟いた。
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