第30話 異元



 まさに奇妙としか形容しようがない出来事だった。


 莫大なエネルギーを得て、拡大した裂け目の中に引き込まれた5人と1機。


 抗いようのないエネルギーの奔流の中で誰もが自身の消滅を覚悟していたが、奇跡的に誰一人として欠ける事無く、裂け目の向こう側に辿り着く。



「何がどうなってるんだよこれは。カルマ、今分かっている事を報告してくれ」


『周辺要塞都市との通信途絶。 I.H.S.の社内通信網とも連絡が付きません。


 さらに申し上げれば、衛星や偵察ドローンとのデータリンクも途切れています。


 そのため、ここが一体どこであるのか私にも一切分からない状況です』


「そうか……」



 不幸中の幸いか、付近に敵がいなかったことにほっとしながら、雪兎は膝の上に乗っかったカルマの頭を撫でつつメインモニターに目をやる。画面一面に広がるのは、地平の先まで銀色の何かに覆われた大地と、よく分からない半透明の膜に塞がれた空だけ。


 雪兎らが乗り込んだ機体を除けば、他に色の要素がない完全なるモノクロの世界。



「ここは一体どこなんだ?」


「ふざけんな!なんで原因のテメーが分からねぇんだボケ!」


「落ち着け、今さら騒いでも状況が改善する訳ではあるまい」



 面倒事に巻き込まれて荒れるロンをクラウスはどうにか宥めて場を収めると、一人考え込んでしまった雪兎に対して再び問いを投げかける。



「真継、本当にこの現象に心当たりは無いのか?」


「はい、僕もこんな状況に陥るのは初めてです。 こんな事がありえるなんて……」


「まるでジャパニーズサブカルチャー暗黒期に大量生産された異世界なんちゃらって奴みたいだな! まぁそんなもんが現実にあるんならもっと都合の良いバラ色の世界に送ってほしかったぜ。マンオブスティールもびっくりのスーパーパワーとハーレムも付けてな!」


『君のような無知蒙昧な輩がハーレムに投げ込まれても爪弾きにされるのがオチじゃないのか。 だいたいマネキンで無い以上、女側にも選ぶ権利はあるだろう』


「うるせえ! 夢見るくらい俺の自由だろうが! 大体テメーはどうなんだよ! まともに顔すら出せない変質者が!」



 ジェスターの辛辣な煽りに大人気なく過剰反応し、ロンは中指と青筋を立てながらキレまくる。


 非常事態に陥っているにも関わらず、元の世界と変わらぬ諍いを続ける二人。


 そんな二人のどうでも良いやりとりを横目にしつつ、クラウスは己の白髭を撫でながらブレイジングブルを立ち上がらせると、隊の先頭に陣取って皆に声をかけた。



「とにかくこのまま突っ立っていても埒があかん。ひとまず身を隠せる場所を探すぞ。 補給の目処が立たない以上、無駄に奴等と殺り合う訳にはいかん」


『お待ち下さい、付近に小型の生体反応を複数確認しました。 真っ直ぐこちらに向かって来ています』


「何だと!?」



 カルマの報告を聞いた瞬間、隊のメンバー全員に緊張が走った。 殺すべきか逃げるべきか、その判断を仰ぐように皆一斉にクラウスの言葉を待つ。


 だが、不審な生体反応の主が大地の丸みの向こうから姿を現すと、皆の緊張が一気に抜ける。



「何だ犬かよビビらせやがって。だがこんな所に犬っころがいるなんて驚きだな」


「いいや、ただの犬じゃない。 あれは軍用のサイバネドッグです」



 ひとまずの不安を払拭され余裕げに笑うロンとは対照的に、雪兎は現れた半分機械の犬の群れをジッと見つめる。


 自分に関わりのない所で踊らされ続けてきた事から生じた警戒心が、都合良く現れた犬達への敵意を強くかき立て、雪兎の心を頑なにする。


 最も、たかが個人の感想など気にする者などおらず、クラウスは犬達がまるで誘導するように時折背後を振り返りながら走り始めたのを見ると、雪兎の心象などお構いなく指示を飛ばした。



「追うぞ、あれの保守を行っている人間に会えるかもしれん」


「他に手がかりが無い以上、選択の余地は無いということですか」


「そういう事だ。 まぁ何もせずこのまま朽ち果てるよりマシだろう」



 犬達を怯えさせないよう静かに、かつ見失わないよう素早く、5体の人造の獣達が疾駆していく。


 まるで月面のように漂白された、どこまでも続く不毛の大地を。



『害獣どころか、虫一匹まともに探知出来ないとは。


 見た目の清潔感はともかく、ここは随分と過酷な環境のようですね』


「ホントにこんな所で人が生きてんのかよ、さっきの転移に偶然巻き込まれただけじゃないのか?」



 移動の暇潰しがてら、周囲の環境情報を収集しながら呟いたカルマの言葉を聞きつけ、ロンは疑い深く犬達の後頭部を睨む。 すると、犬達はその敵意を感じ取ったのか定かでは無いが、突然その足を止め、後ろを振り返りながらお座りの体勢に入った。



「ああくそ! いきなり止まるんじゃねぇよ!」



 とっさに犬達の頭上を飛び越え、その先の地面に着地しようと足を伸ばすクラウドライダー。 だが、突き出された足は無情にも地面をあっさりすり抜け、哀れクラウドライダーはロンの間抜けな悲鳴だけを残して地面の中へ文字通り消えていった。


 そのコントの様な光景を見て、一同はそこに光学式偽装スクリーンによって形成された偽りの地形が存在する事を知る。



「へっ、無様だね」


「煽るなよミシカ、アイツはコケにされると根に持つタイプだぞ。


 ……っておいロン黙ってないで応答しろ! 無事か!?」


「この程度でくたばっちまうほどデリケートに育っちゃいねぇが、今はそんなことどうだっていいんだ。 どうやら馬鹿正直に追随して来て正解だったみたいだぜ!」



 先ほどまでの苛立った態度が嘘のように、上機嫌で弾んだ声を上げるロン。


 それを聞き、続いて雪兎が率先してスクリーンの中に飛び込んでいく。


 万が一に備え、フォース・メンブレンを薄く展開したままスクリーンを通過するドラグリヲ。 しかし通過後雪兎はすぐに展開していたそれを解除し、崖に爪を食い込ませて機体を停止させる。



『ユーザーこれは……』


「あぁ、どうやら僕達は孤独じゃなかったようだね」



 眼下に広がる光景を眺めながら、口々に驚きを露わにする二人。


 数基もの巨大スクリーンによって大がかりに隠匿されていたのは、深く巨大なクレーターを利用して建造された町と、外殻の半分以上を解体され、基幹フレームを剥き出しにされた白鯨型アーマメントビーストの残骸だった。



 無惨な死骸を晒すそれは廃棄されて長い年月が経過しているようで、既に兵器としての役割こそ期待出来ないものの、機体外に引き出されたグロウチウム反応炉は残骸の周囲に広がる町へ問題なく電力を供給し、人々の営みを支え続けている。



『まさかこれだけの人々が生きていたとは……』


「まだ安心するなよ、立場が一緒だろうと相手の出方が分からない以上気は抜けん」


「何、撃ってきたら皆殺しにしてやればそれで済む」



 身軽な二人によって安全が確認されるやいなや、外で様子を伺っていた残り3機が町外れの広場に降下し、雪兎とロンもそれに合流する。


 勿論、その様子が町で生きる人々に目撃されないわけがなく、町の中心から次々と野次馬が押し寄せてきた。 長い異界での生活で身体が弱っているのか、集まった民衆の誰もが顔色が悪く、吐き出される声もか細い。



「来た、本当に救助に来てくれたんだ……」


「こんな立派な兵器を送ってくださるなんて……」


「おからす様のお告げ通りだ……我々は助かるんだ……」


「おからす様だと? 何だよそりゃ。 勝手に宗教のダシに使われちゃたまらねぇな」


「そう言うなよロン、こんな環境だからこそ大衆には縋るものが必要なのさ」



 5機を取り囲み、何度もお辞儀を繰り返しながら、誰かも分からぬ相手への賛辞を送り続ける人々。


 その不気味過ぎる様を見てロンは思わず正直な感想を呟くも、クラウスはそれをやんわりと否定しながら拡声機能を起動し、一同の代表として堂々と民衆に語りかけた。



「部外者である我々を温かく迎え入れてくれて感謝している。 積もる話はあるだろうが、まずはこの町の代表者と話がしたい! 誰か代表者とコンタクト出来る者はいるか?」



 快活で明瞭としたクラウスの声が何度も民衆の頭上に投げかけられるが、その言葉に応答を示す住人はいない。 しかし、クラウスの声は確かに代表者のもとへ届いたようで、残骸と化したアーマメントビーストの内部から送られた通信が、5人を町の中心へ誘う。



「へっ、ツラはともかく声すら聞かせないとは随分不躾な対応じゃないか」


「それでも行くしかあるまいさ。 今の我々には致命的に情報が不足している」


『本当に望み通りのものが得られるとよいですがね』



 民衆の熱い視線に晒されながら、大通りの真ん中を堂々と歩いていくブレイジングブルとマサクゥル。


 そしてその頭上をクラウドライダーと蚕魂が軽やかに跳躍し、一足先に町の様子を確認しながら導いていく。



『さてユーザー、私達も参りましょう。 いつまでも彼らにかまけている場合ではありませんよ』


「別に遊んでいるわけじゃないんだがな……」



 5機の中でも一番ルックスが良かったせいか足元に多くの人々が集ってしまい、思い切った行動の取れないドラグリヲ。 危ないから退いてくださいと何度も勧告する雪兎の甘いやり方に業を煮やしたのか、カルマの視線はやたら冷たい。



 民衆とカルマの相反する視線を受け、雪兎は思わず苦笑いを浮かべた。



 ――その時だった。



「ッ!!!?」



 今まで浴びせられていた二つの視線とは全くベクトルの異なる気配を察し、雪兎は反射的に空を見上げた。 無論、見上げたところで何かが見えるはずも無く、正体不明の膜が塞がれた空が視界に入るのみ。



『ユーザーいかがしました?』


「いや……、大丈夫だ何でもない」



 雪兎の態度の変化に気付き、カルマは心配そうに問いかけるも、雪兎は何事も無しに返す。


 レーダーに不審な反応は無く、突き刺さるような敵意も感じない。 ならば気のせいだったに違いないと考え直しながら、雪兎は小さく首を振る。



 付近に敵の存在が無い以上、無用な混乱は不要だと、雪兎は不安を胸の中に押し込むと、仲間の背中をゆっくりと追った。



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