第33話 背水



 人類が反応や処理の類を行える規模を優に越え、襲い来る光と酸と打撃の雨を捌きながら、ドラグリヲは敵影で真っ暗になった戦場を飛ぶ。町の脅威になりかねないめぼしい害獣の肉体を通りすがりに引き裂き、臓物をバラ巻きながら上から下へ、右から左へ、奥から手前と蹂躙に蹂躙を重ね、地面が害獣自身の肉塊や骨片で埋まるほどの殺戮を休む暇もなく繰り返す。


 しかしそれでも害獣共の進撃は止まらない。何しろ数が桁違いに多く、殺しても殺しても湧き出た害獣が隊列をカバーし、即座に進軍を再開するのである。



『覚悟していたとはいえ、キリがないですね』


「知ったことか! 死ね! 一匹余さず死にやがれ!!!」



 爆炎が地を這う害獣を焼き、細氷が天を舞う害獣を凍らせ、粉微塵にする。呻き声一つ上げる暇さえ与えられず即死していく様は、並みの軍隊相手だったならば間違い無く戦線の瓦解を促すほど理不尽なものであるが、害獣共は何の躊躇もなくひたすらに肉片を踏み越え、病的なまでに執拗に標的である町を目指す。 さながら督戦隊に突き付けられた銃口に怯える戦列歩兵のように。



「何なんだ、これだけの犠牲を出してでも殺す価値があるとでもいうのかよ!」


『いいえ、そんな深い理由はないでしょう。 例えばユーザーだって自室に目障りな虫が入り込んだら殺すでしょう? それと同じ感覚で殺しに来ていると思われます』


「何千何万死傷者を出してまで駆除する必要がある虫なんざ聞いたことないね!」



 ドラグリヲを一刻も早く撃ち落とさんと吹き荒ぶ生体腐食弾の嵐の中、フォース・メンブレンの減衰を可能な限り抑えるべく四肢から尻尾まで総動員して切り払い続ける雪兎。 目も手も思考も目まぐるしく動く中で少しでも己を鼓舞すべく無理して声を張り、カルマとのやりとりを続ける。



 どこから何がどれほど来るかと矢継ぎ早に対話を続ける二人だが、雪兎が身も凍るような殺気を感じて会話を切り上げた刹那、ドラグリヲが僅か数秒前まで飛行していた空域を、ドリアード自身が延ばした蔓が部下であるはずの害獣を容赦無く巻き込みながら引き裂き、地を割った。



「ご愁傷様! あの世で泣きながら労基所にでも駆け込むんだな!」



 背に冷や汗が伝うのを感じながらも、雪兎は負けじと軽口を叩きながらドリアードとの命の賭けたチェイスに挑む。 群れる害獣共の攻撃とは桁違いの力から、一撃喰らったら終わりだと考えながらも、自分以外には決して担えない重荷だと覚悟すると思い切り牙を噛み締めて突撃を敢行していった。



 頭数、物資、士気とあらゆる面で苦境に立たされる戦況の中、救いといえば、味方の陣営と変形した地形が奇跡的に噛み合い、億越えの軍勢との闘争をかろうじて可能としていたことだけ。 高度な機動力と火力を併せ持ち、数々の特殊兵装を用いることで大規模殺戮を可能としたドラグリヲを筆頭に、重装浮遊戦車に匹敵する装甲と、唯一の出入口を護るに適したシールド発生器を搭載したブレイジングブル。ドラグリヲが見落とした小型害獣を一撃で粉砕する弾幕を展開出来るマサクゥル。そして町を収めたクレーター全域をカバー出来る陣を張り、新たな侵入口を形成しようとする害獣を片っ端から検知、捕縛、抹殺する蚕魂と、戦場に並ぶすべての機体が各々の持ち味を生かし、風前の灯火となった町の命数を無理矢理に延ばしていた。



「ミシカ、頼むから俺の背中には当てないでくれよ。 どうせ死ぬならワイフに看取られながら穏やかに死にたい」


「バーカ! アタシはそこまでノーコンじゃないさ!」



 展開されたエネルギーシールドを介してとめどなく放たれ続ける光と粒子と波動の奔流が、無謀にも狭い侵入口に這い寄ってくる害獣共をまとめて焼き払う。 これにはたまらないと一部の知性の兆しを持った個体が慌てて逃げ出すも、敢えて開放されていたルートを狙い張り巡らされていた蚕魂の陣に引っかかり、たちまちサイコロステーキ状に加工されて無惨な骸を晒す羽目に陥る。



「数や力で敵わないのなら遠慮無くメタを張るに限る。 さてロン、町の中はどうなっている? 充電は滞り無く進んでいるか?」


「あぁ今のトコは順調だ、なにしろわざわざやっこさんから燃料を頂いたんだからなあ。 もし奴に感情とやらがあったのなら、さぞかし顔真っ赤にして逆ギレしていただろうさ」



 焦燥気味なクラウスの問いかけに、クラウドライダーを駆って住人の移送作業を行っていたロンは大袈裟に敵の間抜けさを嘲笑う。 その視線の先ではフル稼働するグロウチウム反応炉が、町を覆うフォース・メンブレンから吸収したエネルギーを変換し、凄まじい勢いで門への給電を行っている。



「このまま何事も無ければもうすぐ帰れるだろうさ。 ただ、これ以上不安を煽るような事があれば流石にヤバいだろう」


「表は我々が責任を持って対処する。 だからお前は引き続き鼓舞に努めてくれ」


「分かってる分かってる、どいつもこいつも馬鹿に変質者に口下手揃い。 耳ざわりの良いスポークスマンをやれるのは俺しかいねぇって話だろ? いやぁ頼りになる男は苦労するなぁ」



 機体の外で不安げに身体を震わす女子供にジョークを投げかけ、武器を持たせた野郎連中にはFワードの混じった檄を飛ばしつつ、ロンは終始深刻なクラウスを笑う。 局地戦に向かない機体故に雑用を押しつけられた訳だが、それでもロンは不平一つ言わず、己に課せられた仕事を粛々と済ませていった。 身動きがとれない傷病者や女子供を次々と輸送車に運び入れ、最重要帰還対象である研究者達の次にすぐ送り返せるよう準備を整える。



「これで俺の仕事は最後っと。 後は労働者連中の頑張り次第か……」


『随分楽観的だな。 君は本気で何のアクシデントも無く帰れると思っているのか?』



 重要任務を成し遂げ、軽く一息ついたロンの耳に飛び込んでくるジェスターの嘲り。それにロンは一瞬憤るも、すぐさま気持ちを切り替えてイヤミを返す。



「まぁな、俺は訳の分からない理屈で不安がるテメェと違って前向きなんだよ」


『不安ではない。私は事実を指摘しているに過ぎない。 我ら人類を余さず大陸から放逐した化け物がこの程度であるはずがないからだ。 現にその脅威を私は今この目で見ている』


「ああ? そりゃ一体どういうことか説明しろ!」



 あまりに思わせぶり且つ情報不足な言葉にロンは声を荒げるが、その返答代わりと言わんばかりの勢いで蚕魂が逃げ込んできたのに続き、マサクゥルを無理矢理抱きかかえたブレイジングブルが町の中に逃げ帰って来た。



「おいおっさん! 持ち場を離れて何をやってるんだ!?」


「説明している暇は無い! 何としてでも門と反応炉を守れ!」



 ロンの問いをクラウスは空を指さす仕草と怒号で遮り、それで察しろと言わんばかりに口を噤む。 それにつられてロンはフォース・メンブレンを通して見える乳白色の空を見た瞬間絶句した。そこに張り巡らされていたのは、ドリアードの肉体自身から伸びた、長く強靱な枝。 一身にヘイトを稼いで逃げ回るドラグリヲを何とか仕留めようと、通常の植物では決してあり得ない速度で繁茂し、空一面を覆い隠していくそれは、地平線の向こう側まで届くほど広大な範囲に影を落とすと、ヤケクソのように誰彼構わず大規模な制圧攻撃を開始した。 金属よりも頑丈な樹木の杭がスコールのように強く、激しく、容赦無く撃ち降ろされ、ドリアード自身が排出した害獣、ドラグリヲが残した軌跡、そして糸の結界やフォース・メンブレンに守られた町めがけて一斉に降り注ぐ。



 常軌を逸した速度と質量を合わせ持つそれは、フォース・メンブレンの熱でさえ燃え尽きることなくバリアを貫通してクレーター内に着弾する。 さらにそれらはただ砲弾の役割を担うに留まらず、着弾後に次々と一本の木へ変異すると、内部から町を切り崩すべく瞬く間に生長を開始した。 無軌道に巨大化し、何もかもを押し潰していく脅威的な姿は、脱出に希望を賭けていた住人達を恐怖の底に叩き込んでいく。



「ええいクソ雑草共め、的が見えないだろうが!」



 せっかくの乱戦を邪魔されてドタマに来たのか、ミシカは傍若無人に繁茂する青葉のドームを焼き払い、人語とは思えぬ唸りを上げながらマサクゥルを走らせる。 4つの光迅が踊り狂うように宙を掻き分け、次々と炭化した幹を地面に落とす。 しかしそれでも、町の中に入り込んだ樹木の侵蝕は止まらず、住人達の絶望を煽るようにクレーターの端から町を呑み込んでいった。



「チクショウ! 後少しだってのに!」



 あまりの敵の凄まじさに、今まで強がりで本心を隠していたロンでさえ、らしくもなく弱音を吐きながら表情を歪める。 最早それは抵抗の体を為しておらず、分散して処理に当たっていたはずの四機はいつしか門と反応炉が存在する広場まで押し戻され、一歩も退けない状況へと追い込まれた。既にクレーターの開口部は完全にドリアードの根によって封鎖され、外へ逃げ出すことも叶わない。



「人事は尽くした。 それで駄目なら最初から駄目な運命だったんだろう」



 装甲の隙間を縫って機体内に侵入を試る蔦や葛を片っ端から引き裂き、滅茶苦茶にばらまきながらクラウスは人知れず呟く。そしてついに覚悟を決めたのか、クラウスは自慢の髭を投げ上げながら姿勢を正すと、静かに皆へ告げる。



「皆分かっているな? 仮に無事開通したとしても我々が門をくぐるのは最後だ」


「その瞬間までご丁寧に門が残っていればの話だがな」



 遊びのように戦いに勤しむミシカを除いて誰もが生存を諦め、ただ任務の達成を優先し、機体をボロボロにされながらも異常生長を続ける木々の伐採を続行する。クレーター内は生存者全員の心境を象徴するように暗黒に包まれ、後は終局を待つのみとなったかのように見えた。



 だがその時、暗黒に包まれたクレーター内に突如として聞き慣れない咆哮が遠雷のように轟き、同時に放たれた数え切れない数のホーミングレーザーが枝葉を難なく焼き払い、クレーター内に侵入していた樹木を残さず伐採し終えてしまった。



「何だ今のレーザーは!?」


「撃った! あの馬鹿デカい鯨がぶっ放して雑草を焼き払ったよ!」



 ミシカの喜々とした報告に対し、信じられないとばかりにクラウスは町の中心で横たわる白鯨に目を向け、再び驚愕する。


 動いている。腹を裂かれ、心臓部たる反応炉を引き擦り出された白鯨が起動している。 流石に浮遊装置の類は動いていないようだが、ハリネズミのように備えられた誘導光線砲は異物を検知した免疫細胞の如く活発に蠢き、人類に仇為すものをことごとく討ち果たしていく。



「あり得ん、あれに回せるほどのエネルギーの余裕など無いはずだ」



 宗教染みた都合の良い奇跡など起こる訳が無いとクラウスは落ち着いて周囲を見渡すと、ある一団が目に止まる。 それは数分前まで門の周囲で慌ただしく作業を行っていた名も無きエンジニア達。 彼らが成し遂げたぞと言わんばかりに歓声を上げながら輸送車に飛び乗っていく姿を見てクラウスは全てを察すると、嬉しさと呆れが入り混じったような複雑な表情を浮かべた。



「全くおせっかいの馬鹿共め、我々など置いてさっさと逃げればよいものを」



 口では軽く罵りながらも心の中では深い感謝を示しながら、クラウスは面持ち穏やかに力強く号令を下す。



「よし、間もなく門が開く! 各ドライバーは全力でアクセルを踏め! 家に帰れるぞ!」



 クラウスの声が通信機を通して全ての生存者に届いた瞬間、門の内部に不可思議な捻れとエネルギーの奔流が生じ、その奥に見慣れた赤土の荒野が伺える。ここにいる皆が本来存在するべき次元の風景が。



「行け! 突っ込め!」



 誰かがそう叫ぶよりも早く、門の前に並べられていた輸送車は一斉に門の中へとなだれ込み、次々とこの忌むべき次元より消えていく。



「やった! やったぞ! 俺達の完全なる勝利だ!」


「ああそうだ、我々は勝った。 そしてこれ以上ここに留まる理由もない」



 先ほどまでの死んだような表情が嘘のようにロンは膝を叩いて喜び、クラウスはほっとしたように肩の力を抜きながら、未だ戦い続けている雪兎に通信を入れる。



「ご苦労だったな坊主。 さっさと帰るぞ、早く戻ってこい」



 これ以上命を危険に晒す必要はないと、クラウスは雪兎に撤退を促す信号を発し、速急に降りてくるよう命じる。 だが、それに対して雪兎が示したのはやんわりとした拒否の姿勢だった。 ドラグリヲに先んじて空から落ちてきたのは、人肌程度の温度に調節されたトリモチ状のフォース・メンブレン。 それが4機を抱き込み拘束すると、ドラグリヲはそれを門の中へ投げ入れようと抱え上げる。



「おい坊主! 一体何のつもりだ!?」


「残念ですがやらなければならない仕事があります。 こればかりは誰にも頼れない。 なにせ誰かが死ぬような事になれば全て僕の責任になってしまいますから」



 ドラグリヲを追ってきたドリアードの蔓がホーミングレーザーの嵐に巻き込まれて千切れ飛び、機会が来たことを横目で確認すると、雪兎は微笑みながらドラグリヲに投擲の姿勢を取らせた。



「心配せずとも帰還の目処は立っています。 また後ほどお会いましょう、必ず」



 そう述べるが早いが雪兎は返事を待たず4機を門の向こうへと投げ入れると、害獣の侵入を予防するべく門を破壊して自ら退路を断った。 その瞬間、標的をことごとく逃がした事で烈火の如く激怒したドリアードの咆哮が雪兎の身体を震わせる。



『先ほど仰っていたことは事実ですか?』


「あぁ僕には分かる。 ここで奴を殺さなければ、逆上してこちら側の次元に入り込んでくるのが。 だったら奴が通る予定の裂け目を奪って帰れば良いだけの話だ」



 クレーターの底から外を見上げる雪兎の視界に映るのは、天球の半分を自ら伸ばした枝葉で覆い尽くし、醜く膨張したドリアードの姿。 岩場に張り付いた海洋生物の触手の如く数え切れないほどの蔦を伸ばしたそれは、クレーターに身を潜めたドラグリヲが襲い掛かってくるのを今か今かと手ぐすね引いて待ち構えていた。



「それに、ここなら誰も迷惑を被ることも無く存分に戦える。あんな化け物を相手にして誰も犠牲になる必要なんて無い! だから殺してやるぞ! 皆のために!」



 主を見送った後も、未だホーミングレーザーを照射し続ける白鯨のサポートを受け、雪兎はドラグリヲをクレーターの外へと這い上がらせると、猛然とドラグリヲをドリアードが待ち受ける方角に向けて走らせ始める。



 一旦は収めた炎の衣と氷の刃を再び身に纏い、死の臭いが充満した荒野を駆けるドラグリヲ。 その鋼の龍は一際高い咆哮を上げると、散らばった害獣共の臓物を踏み躙り、血潮を浴びながら吶喊していった。

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