第6話 慙愧

 光が旧都の地底を隅々まで照らし包み込んでいた。


 遺跡と化した地下企業街跡地、分厚い岩盤に守られた地下水脈、そして世界崩壊以前に製造され、今尚稼動し続けている高純度グロウチウム鋼製発電機構など。


 現在の旧都に生きる全ての人々を支えるもの全てが、雪兎によって放たれた光の奔流によって少なからずとも被害を受ける。


 だが、それは放った本人である雪兎自身も同じこと。


 勢い余って最低限身体を動かすのに必要なエネルギーさえ注ぎ込んでしまったのか、既に瞼を開くことさえ難儀するほどに衰弱していた。


 しかし心に宿った意思は未だ衰えず、ただ一つ気掛かりなことを確認させる為だけに突き動かす。



「奴はまだ生きているのか?」



 真っ先に反応できるはずのカルマは何故か一向に口を開かず、自分で確認しようにも激痛と疲労感で全く身体が動かない。 ならばと雪兎は独り静かに耳を澄ます。


 放棄された地下空間にいるのだから何事も無ければ何も聞こえるはずが無いと、眠る前のように深く呼吸をしながら気配を探る。



 すると程なくして雪兎の表情が落胆に変わった。



「これだけ身体を張っても駄目なのか……」



 重々しくしっかりとした足音が静かに近づいて来るのを認識した途端、雪兎の心は諦めと馬鹿らしさに支配され、力無く身体を投げ出す。



「人事は尽くした……それでも駄目なら運命だったんだろうさ……」



 そう呟くと同時にドラグリヲの胸部を覆う装甲が抉じ開けたようなけたたましい音が響き、雪兎はコックピットから無理矢理引き摺り出された。


 堅く熱いものが自分の身体を余さず包み込んでいるのを感じ取り、雪兎は小さく呻くと固く牙を噛み締める。



「くっ!」



 今度こそ確実に殺されると、雪兎は内心怯えながら握り潰される瞬間を待った。


 ――が、十秒、一分と時が過ぎても意識が途絶えるどころか、身体を押し潰される痛みさえ感じない。



「何故だ? 何故一思いに殺さない!?」



 安堵と怒りと困惑が入り混じった複雑な感情を抱いた雪兎は無理矢理目を見開くと、紅蓮の顔をゆっくりと見上げる。


 そこにあったのは、一見すると凄まじい憤怒に駆られているようにしか思えない紅蓮の強面の頭。 だが紅玉のように赤い瞳の中には既に殺意は無く、紅蓮は何か面白いものを見るような目付きで雪兎の様子を窺っていた。



「何のつもりだこの野郎、用が無いならその汚い手を離しやがれ!」



 遊ばれているようで腹が立ったのか、雪兎は紅蓮の太く大きな指に顎の乗せると体力の限界を越えて八つ当たりのように齧り付く。 効きはしないと最初から分かってはいるがやられっぱなしでいるのはどうしても我慢出来ず、体内に入り込んだ怪物の力で生え変わった強靭な牙を乱暴に突き立て続け、遂には表層部分の甲殻を突き破った。



「どうだ思い知ったかクソ野郎!」



 ようやく一矢報いたと、雪兎は噛み付いたまま意地悪な笑みを浮かべる。


 しかし喜びも束の間、甲殻の下に存在していた肉をも同時に突き破っていたのが災いし、熱湯よりも熱い血潮が次々と雪兎の口から腹の中へと注ぎ込まれた。



「あ゛あっ!?」



 思わぬ失態に恥じる暇も無く、熱さのあまり無様に悶絶する雪兎。 堪らず上体を逸らして血の奔流から逃れるも身体の中に入り込んだ血液は冷めるどころかますます熱くなっていく。



「くっ、こんなアホなことで死んじまったら笑い話にもならないぜ……」


『大丈夫です。 私が何とかしますから』


「カルマか? 今どこにいる!?」


『ユーザーの身体の中です。 でもそんなことどうだっていいでしょう?


 今はただ、貴方の中にある熱さだけに身を委ねて下さい。


 無理に動かれたって作業の邪魔になるだけです』


「……っ」



 人様の体内に勝手に上がり込んだ挙句乱暴な物言いをするカルマに反感を抱き、雪兎は一瞬頭に血を昇らせるも、現状自分では手の出しようがないことを悟ると渋々ながらも大人しく引き下がる。



『理解が早く幸いです。もしもどこか痛いときには右手を上げてください』


「そこからじゃ見えねぇし上げたってやめないだろ」



 最早突っ込むことにも命が終わる瞬間に怯えるのも疲れたのか、雪兎は紅蓮の手の中で全身の力を抜いて項垂れる。 何をする気なのかは知らないがどうせ碌でもないことなのだろうと高を括り、今に訪れるであろう災難に備えた。


 痛みか吐き気か昏倒かと、うんざりしたような表情でカルマの作業完了を告げる声を待つ雪兎。


 だが、カルマの言葉が届くよりも先に雪兎の感覚が伝えたのは凶兆では無く吉報であった。 今まで感じたことが無いほどに全身に力が漲り、感覚が鋭く冴え渡っていく。



「これは……?」


『貴方の体内に入り込んだ害獣のDNAを整合化し、統合するよう調整しました。


 これによりユーザーの身体機能と拡張性は大きく向上したと思われます』


「人の身体を好き勝手にしておいてそれは無いんじゃないか? 大体自分からやって おいて何で断定出来ないんだよ」


『申し訳ありません。 何しろこちらとしても初めてのことでしたので』


「ふざけんな! さっきからいい加減なことばっか言いやがって!」



 流石にむかっ腹が立ったのか、雪兎は咄嗟に紅蓮の拘束を力尽くで考え無しに引き剥がすと、間抜けにもそのまま10m下の地面に頭から落下し、突き刺さる。


 常人ではただでは済まない事柄だが雪兎は大した痛みも感じなかったのか難無く地面から頭を引き抜くと、そのまま服についた埃をはたき落とした。



「いてて……、まぁ頑丈になったってのは嘘じゃないらしいな」



 既にカルマによる人体改造の効果が出始めていることを理解し、雪兎は口の中に入り込んだ砂を忌々しげに吐き捨てると己の両手をまじまじと見つめる。


 傷だらけの右手に、無傷だが贋作たる左手。


 互いに相反する存在であることに間違いは無いはずだが、それらが送り出してくる感覚信号に差異は無く、僅かながらも雪兎に安堵感を抱かせる。


 しかしそれも束の間、頭の上から笑いを含んだような唸り声が聞こえたの認識した瞬間、雪兎は血相を変えて紅蓮目掛けて飛び掛かった。


 見てくれは人のものと同じくも、実際には遥かに強靭に進化した左腕が弾丸の如き勢いで突き出されるが、それは軽く身を動かした紅蓮の鼻先を掠めて虚しく空を切る。



「っ……!」



 思わず舌打ちをする雪兎を嘲笑うかのように、口端を吊り上げながら唸り声を洩らす紅蓮。


 まるで人の様に立ち振る舞うその怪物は、これ見よがしに腕を組んだまま翼をはためかせると、そのまま地上に通じる穴の中へ一目散に飛び込んでいく。



「しまった! 待ちやがれ!!」



 絶対に地上には出すまいと思っていた矢先に逃げられ、雪兎は思わず激昂すると限界まで下半身に力を漲らせて跳躍した。


 ただの垂直ジャンプで数十m以上の高度に達するだけでも既に人間としては異常な挙動であるが、縦穴の壁をガンガン蹴って紅蓮の背中に追い縋っていく姿は最早人間のものではない。



『凄いです! 確かに常人以上の身のこなしは出来ると踏んでいましたが、まさかここまで派手に立ち回れるとは思っても見ませんでした!』


「さっきから耳元でうるせぇぞ!」



 自分で勝手にやったことを棚に上げて手放しに驚くカルマを怒鳴りつけつつ、雪兎はついに紅蓮の元まで後1蹴り分という所まで迫る。



 ――がその決死の努力も虚しく、紅蓮は雪兎の眼前で思い切り加速してみせると星空の元へと悠々と飛び立っていった。


 距離を離す直前、わざわざ雪兎の方へ振り返りサムズアップをしてみせる余裕ぶりで。



「畜生!」



 完全に弄ばれたと歯噛みして表情を歪ませる雪兎だが、 すぐさま別の対策が必要になると大穴の淵から身を乗り出して考え直す。



『どうします?』


「取り合えずジジィの所に戻る! 報告することもあるが聞きたいことだって山ほどあるからな!」


「その必要は無いぞ、坊や」



 今後の方針をカルマに伝え終えた瞬間、聞き覚えのあるしわがれ声が鼓膜を揺らし雪兎を声が聞こえた方角へ向き直させる。


 刹那、見えない何かが雪兎の身体を捕らえ、空中に突如現れた暗黒空間の中へと無造作に放り込んだ。



「なっ……何じゃこりゃあ!?」


『ステルススキン搭載型のアーマメントビースト。


 旧都でこんな高級兵器を使い倒せるのは一人しか居ないです』



 せまっ苦しい密室に閉じ込められ、八つ当たりのように周囲の壁を殴る雪兎の傍に姿を現したカルマが静かに呟く。


 すると座席を取り囲むように設置されたモニターが一斉に点灯し、今まさに雪兎が接触しようとしていた老人の姿がそこに映し出された。



「おいクソジジィ! てめぇ一体何のつもりだ!?」


「これ以上お前を人目に晒す訳にもいかんのでな。 悪いが拘束されてもらった」


「何を言ってるんだ!? そんな悠長な事を言っている場合じゃないだろう!」


「仕事熱心なのは真に結構なことだ。 だがな坊主、お前には今の自分がどんな姿をしているのかも分からんのか。 その姿を馬鹿共にでも見られでもしてみろ。


 人間に化けた害獣が市井に混じっていると騒ぎ出して収拾が付かなくなるぞ」



 老人が苦々しい表情を浮かべながら告げると、すぐ脇にあったサブモニターが現在の雪兎を姿をありありと映し出し、映った本人を黙らせる。


 乗っ取られかけた直後に比べればマシにはなったものの、顔に僅かながらも張り付いた白銀の鱗や人間の物とはかけ離れた形状へと変化した頑強な爪など、素人でも一目で分かるような異形の証は、憤りに燃える雪兎の心に冷や水を掛けて一気に沈静化させた。



「分かったならそれでいい。 安心しろ、策はきちんと練ってある。


 だからお前さんはさっさと家に帰るんだ」



 先ほどまでの厳しめの口調とは打って変わり、穏やかな口調で語る老人。


 彼は言いたかったこと全てを話し終えると、今度はカルマに向けて言葉を紡ぎ始める。



「すまんな嬢ちゃん、後で首領によろしくと伝えておいてくれ」


『えぇ勿論です、鰐淵翁もどうかお元気で』


「そう今生の別れのようなことを言ってくれるな。 またすぐに会えるさ」



 縁起でもないことを無意識に言い出すカルマを咎めつつ、鰐淵と名を呼ばれた老人は眦を緩めると、ボディランゲージで機動兵器に出立するよう命じる。


 雪兎らをコックピットに乗せたバステト型アーマメントビースト。


 それは本物の獣の如く咆哮を上げ、しなやかなボディを躍動させると荒野の果てを目指して疾走する。


 誰の助けにもなれず、ただ去るしかない悔しさを心に滲ませた雪兎の思案の邪魔をせぬよう、その鋼の獣は素早くも静かに駆け続けた。

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