第7話 帰還

 


 ――続いてのニュースです。 本日未明旧都に出現した二体の神話級害獣。


 通称“ツガイ”は現在旧都庁上空を引き続き飛行しており、住民は一刻も早い駆除を要請しています。 しかしこれに対し、先ほどアイアンハートセキュリティ社旧都支部は今後一切ツガイに対する攻撃命令を下すつもりはないと声明を発表。


 住民の声を受け入れない姿勢に、地元からの反発が強く懸念されます。



「ふん、何が策だよ偉そうに抜かしやがって。


 ただ奴らのやり方に甘えているだけじゃないか」



 ラジオから流れてくる無愛想なアナウンサーの言葉を聞き、雪兎は呆れたように肩を竦めると、それの電源を落としつつ乱暴にシートに身を横たえた。


 せめてもの退屈しのぎにとメインモニター越しに外界の風景を見るも、映り込むのは荒涼とした砂漠だけ。 その中に、雪兎らを乗せたアーマメントビーストの足音が静々と響き渡る。



『鰐淵翁の言う事を信じましょう。 あの方は堅気でも善人でもありませんが、愚鈍でもないことだけは確かなのですから』


「それは僕だって分かっちゃいるさ。 だがな、人様を勝手に踊り子扱いしようなんて顰蹙買っても文句言えないだろう?」



 カルマの言葉に対し、雪兎は軽く眦をヒクつかせながら答える。


 大勢の人が死んだり不幸に遭ったりしない限り、誰が得をしようと関係無いというスタンスを持ってはいるものの、人間卒業の原因となった狸ジジィに対する苛立ちは流石に隠し切れないのか、雪兎の表情は終始険しい。



『まぁまぁそう怒らずに。 不平不満を口にしたところで貴方の身体が元に戻ることなんて無いんですから』


「人事だと思って軽く言いやがって……」



 カルマのあまりにも無神経な言い草にイラッとしたのか、雪兎は膝の上に乗っかったチビっ子の両頬をおもむろに摘むと、思い切り揉みしだいた。


 人の子のそれと全く変わらない柔らかさと熱を持ったカルマの擬似スキンが、雪兎の手にほのかな温かみをもたらす。



「で、お前はさっきから一体何をやってるんだよ」


『何をって見れば分かるでしょう? 身体検査ですよ。中身の検査は大方終わりましたが、ガワの検査はまだ終わっていないのです。ほらもっと大きくアーンして下さい、アーンって』


「あぁー……」



 頬を揉まれていることを気にもせず淡々と作業を続けるカルマの言葉に従い、雪兎は面倒くさげに大きく口を開ける。 すると幾筋もの銀糸がまるで生きているかのような挙動で雪兎の口の中に入り込み、隅々までチェックを開始した。



『ふむふむ、強度や形状は変わっても本数自体は変わっていないのですね。


 あっ、でも良かったですね。 何でかは知らないですけど親知らずが抜けてますよ。


 歯医者代が浮いて得したじゃないですか』


「人間やめさせられたリターンがそれって、本当に得したと言えんのか?」



 明らかに損得の帳尻が合わないにも関わらず何の気後れも無く言ってのけるカルマに対し、雪兎は頬を軽く引っ張ってやることで不満を露にする。


 だがレーダーに映り込んだ大型熱源を視認すると、雪兎は一旦おふざけを切り上げてカルマにコンソールの操作を任せた。


 その数秒後、旧都とは比較にならない程に巨大で、壮麗な雰囲気を纏った要塞都市が鬼灯色の光を背負って二人を迎える。



 要塞都市“社”


 機能を失った東京に代わって首都機能を引き継いだ巨大要塞都市であり、列島各地に点在する軍事拠点を統括する、極東における人類最後の要石。


 その警備は旧都の非ではなく、多くのアーマメントビーストや戦車、そして哨戒機が常に監視の目を光らせている。


 しかし、あらゆる機械を我が物の様に扱えるカルマの手にかかれば、これほどの厳重な警備をさえも容易く抜くことが可能となる。



「頼んだぞカルマ、首領に会う前に赤の他人に見つかって騒がれるなんてゴメンだからな」


『勿論です、全部私に任せてください』



 雪兎の指示に従ってカルマは自身から伸ばした銀糸をコンソールと接続すると、搭載された無線通信機を利用して都市内ネットワークに侵入し、あっという間に仕事を終えた。



『警備システムハッキング完了、今なら問題無く抜けられます』



 この程度のセキュリティを抜けることなど容易いことだとばかりに無い胸を張るカルマ。 それに従ったかのように、猫神を姿を模したブリキ人形はハイテクからローテクまで様々な防衛手段が施された陣地に正面から飛び込むと、そのまま音も無く駆け抜けて行った。



 巡回中の兵士にすら気付かれず、影から影へと跳ぶ姿はまさに疾風そのもの。



「ここまで防御を固めてもあっさり抜けられるもんなのか?」


『まさか。 私とこの機体のスペックが噛み合ったからこそ可能だったのです。


 仮にドラグリヲで同じ動きをした場合、周囲の建築物が根こそぎ吹っ飛んでたちまち追われる羽目になったことでしょう』



 無事ばれる事無く陣地を抜け出たことを確認し、ほっと溜め息をつきながら呟かれた雪兎の問いに、カルマはコンソールから銀糸を抜きながら淡々と答える。


 最早彼らの前に立ち塞がる障害は無く、異形の影は居住区の空を自由に舞う。



「さて帰り着いたのはいいものの、首領に何と説明すればいいのやら……。


 化け物に噛まれたら化け物になりました、なんて笑い話にもならねぇよ」


『心配無用、恐らく首領は既にこの事態を把握していると思われます。


 ただ念の為、報告には私一人で向かいます。 首領は兎も角として、別の社員に目撃されてはその場で射殺される可能性がありますから』


「……ちょっと待て、何でババァが既に事態を知っているんだ」


『鰐淵翁が首領に何も報告していない訳が無いじゃないですか?


 何も知らないなんてずれた事を考えているのは、貴方だけです』


「だからいつも一言多いんだよお前は!」



 馬鹿にしたような言い草に腹を立て、雪兎はカルマの頬を思い切り抓り上げる。 しかし当のカルマは頬の柔軟性を大幅に引き上げることで難無く対応すると、ニヤニヤと意味ありげな笑みを浮かべながら言葉を続ける。



『それに、貴方には真っ先に逢わなければならない方がいるはずでしょう?


 だから遠慮なくさっさと顔を合わせに行って下さい。


 お邪魔虫はさっさと消えますので』



 そうカルマが語り終わった瞬間、雪兎が抓った部分だけが綺麗に千切れ、残りの部分が元通りカルマの頬の中へ戻る。 そして雪兎の指に残ったものはよく分からない装置へと進化を遂げ、不気味な回転を開始した。



「なんだこりゃ一体」


『超小型の推進装置です。 まぁ分かりやすく説明すればロケットエンジンですね』


「は? 待てよおいお前まさか……」


『それではまた明日会いましょう、ユーザー』



 途端に顔を青く染める雪兎とは対照的に不気味なまでにニッコリと微笑みかけながら手を振るカルマ。 その瞬間、コックピットを覆っていた装甲が展開し、雪兎の身体は文字通り空を舞った。 常人ならば背骨をグシャグシャにへし折られるような挙動で急加減速を繰り返し、居住区の端から中央付近にある自宅へ一直線。


 さらにカルマからのハッキングを受けていたのか、勝手にロックが解除されていた玄関に飛び込むとそのまま壁を破って寝室に突っ込んだ挙句、床が抜けんばかりの勢いで顔面からベッドへと叩き付けられた。



叩きつけられた先が布団だったとはいえ痛いことに変わりはなく、鼻づらを赤くした雪兎はゆっくりと顔を上げると、忌々しげに牙を噛みしめる。



「あ……あのポンコツ覚えてろよ……」



 ただ玄関先に置いていけばいいだけにも関わらずワザワザこんな非常識なやり方をしたカルマに対する呆れと怒りが、布団に顔面を突っ込ませた雪兎の頭を温める。 しかしそれも束の間、リビングの方から扉が開く音がしたことを認識すると、雪兎は途端に狼狽して身を隠そうと画策し始めた。



「ちょっと待ってくれよ、帰りは2.3日後って言っておいたじゃないか!」



 仕事の最中にも見せなかったような情けない慌てぶりを露呈し、今すぐ寝室から逃げようとするが、ベッドから降りた拍子に間抜けにも派手にすっ転ぶ雪兎。


 再び顔面から床に突っ込み、鼻っ柱を強かに打ちつける。



「いててて……」



 痛みに悶えつつも何とか体勢を立て直そうと雪兎は膝を付いて顔を上げる。


 だがその瞬間、雪兎は酸欠に陥った金魚の如くパクパクと口を開閉しながら凍りついた。


 雪兎の視線の先に立っていたのは、寄生されて自決しようとした際に走馬灯として見た人物。 雪兎が私生活では誰よりも信頼し、そして誰よりも大切に思っている想い人だった。



 腰まで伸びた濡れ羽色と、宵時の空のように深い色合いをした瞳が印象的な乙女。


 優美で可憐、それでいて凛とした雰囲気を醸し出す彼女の存在は、雪兎を一気にパニック状態へと追い落とす。



「哀華さん? 一体何故ここに!? あぁこの格好はですね別に大したことなんて無いんですよ? 本当ですよ本当ですって! 決してあの化け物共に乗っ取られた訳では無くてですね」



 しどろもどろになりながらも、何とか筋が通った説明をしようと試みるもあまりに急な話でまともな言い訳が捻り出せず、苦笑いを浮かべる始末。


 そんな雪兎に対し、名を呼ばれた乙女は静かに腰を下ろして雪兎と目線を合わせると、慈しむかのように優しく微笑んだ。



「おかえりなさい、雪兎」


「……驚かないのですか?」


「だって、それほど変わっていないじゃない。 おばあ様があまりに脅かすように念を押して言うものだから、てっきりカフカの毒虫みたいに原型が無くなっているものだと思っていたの。 でもそうじゃなくて安心したわ」


「いや僕が言いたいのは別にそういうことじゃなくですね……」



 怖くないのかと、見てくれこそ人とあまり変わらないが中身がすっかり変わってしまった自分が怖くないのかと、雪兎は哀華に対し不安混じりに問いかける。


 すると哀華は雪兎の異形と化した左手を優しく握り、白銀の髪に顔を寄せながら言い聞かせた。



「大丈夫よ、貴方がどんなに変わってしまっても私は変わらず貴方を支えてあげるから。 今までと同じように」



 男と女、白と黒、朝焼けのような明るい赤と宵の空のような深い蒼。


 あらゆる要素が相対する存在が紡ぎ出す優しい言葉。



 それを聞いて雪兎はようやく帰ってきたという実感を抱くと、引き攣らせていた表情を和らげ、はにかむように笑った。

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