第5話 灼熱



 闇の中に真白い光と赤黒い焔が踊る。


 規則的な円を描く動きを続ける赤と、不規則で直線的な動きを繰り返す白。


 それらが衝突する都度に大気がざわめき、地が揺れる。



『馬鹿正直に真正面から拳が来ます。 上手く捌いて下さい』


「言われなくとも分かってる!」



 カルマの警告が響いた瞬間にコックピット目掛けて拳が放たれ、それをドラグリヲの盾のように堅牢で分厚い腕が受け流す。 しかしそれでも紅蓮自身の肉体に宿った熱量は凄まじいもので、きちんと防いだにも関わらず雪兎の肌の表面に汗が浮く。



「こいつはきついな、気を抜いたらそのまま焼き殺されそうな勢いだ」


『気持ちで何とかなるんなら少しくらい我慢して下さい』


「やかましい! 空調を強くするくらい気が利いたことが出来ないのか!」



 カルマの何気ない軽口により、ただでさえ神経質になっていた雪兎は不快さと怒りを露にすると、それをそのまま紅蓮へぶつける。


 大きく弧を描いた白銀の尻尾が鞭のようにしなって紅蓮の全身を打ち据え、手足の鋭利な爪が打撃の間隙を縫って突き出される。 不規則かつ高速で叩き込まれる攻撃の数々は繰り出されるだけで大気を掻き回し、幾度も風が泣き叫ぶ音を響かせた。



 だが、派手な立ち回りとは裏腹に紅蓮には依然として傷一つ無い。



「一体どうなってやがる、タフってレベルじゃあない! まるで鉄の塊でもぶん殴ってるみたいだ!」


『ただタフなだけではありません。 奴は被弾直前に最小限の動きで貴方の攻撃を受け流し、ダメージを微小なものに抑え続けています。 敵ながら何とも素晴らしい腕前です。 もし奴が人間であったなら首領が喜んで登用したことでしょう』


「褒めてる場合かアホ!」



 嵐のように荒れ狂う乱打を何とかしのぎつつ、雪兎は暢気に敵に賛辞を贈るカルマを怒鳴りつける。 最初の攻勢はどこへやら、何時の間にか攻守が逆転し雪兎は劣勢に立たされていた。


 手刀、正拳、掌底、貫手と多種多様な攻めと紅蓮自身が発する高熱の連携はドラグリヲの堅い防御を徐々に抉じ開け、装甲だけでなく基幹フレームや内部機器にも衝撃を奔らせるようになる。


 無論、内部に居る雪兎の身体も例外ではない。



『コックピット内気温40度突破。 ユーザー平気ですか?』


「平気にみえるなら人体の仕組みを一から勉強し直した方が良い。


 大丈夫な訳ないだろう! このままじゃ蒸し焼きにされて殺されるぞ!」


『冗談ですよ、貴方が苦しい思いをしていることは私も重々承知しています。


 しかしこのまま殴り合ってもこちらが不利になる一方です』


「だったらどうするんだ?」


『決まっています。 まともにやって勝てないなら知恵を絞るだけですよ』



 雪兎の問いにカルマが答えた瞬間、ドラグリヲの尻尾の先端に装備されたテイルバインダーが紅蓮の死角より射出され、その太い両腕を雁字搦めに縛り上げた。


 だが縛られた当人にとってはこれも児戯に過ぎないようで、軽く腕を広げようとしただけでワイヤー部位が断裂を開始する。



『急いで! 早く奴の頭を!』


「あぁ!」



 これを逃せば次は無い。 雪兎はそう悟るや否やドラグリヲを躍動させ、紅蓮の頭をしっかりと掴ませた。 一切防御の類をさせず確実に殺しきる為に。



「頼むから死んでくれよ!」



 紅蓮がテイルバインダーを引き千切るのとほぼ同じタイミングで雪兎がトリガーを引き絞ると、ドラグリヲの腕部と口内に格納された砲撃機構の砲門が一斉に開き、爆風と黒煙が紅蓮の頭蓋を渦を巻くように包み込んだ。


 下手をすれば骨を砕きかねない程の重い衝撃がドラグリヲの腕を伝い、断続的にコックピットに迸る。



「なぁカルマ、これで仕留められなかったらどうする?」


『ご自身の腕だけを信じて頑張って下さい』


「やれると思ってるのか? だとしたらどうしようもないポンコツだよお前は」



 一方的に攻撃を加えているとはとても思えないような心持ちで零距離射撃を続ける雪兎。 やがて弾倉内の砲弾を全て撃ち尽くし断続的に伝わっていた衝撃が止むと、すかさず距離を取ろうとドラグリヲに紅蓮の腹を蹴らせる。


 通常の害獣相手なら間違い無く始末出来ている。 だが相手は並みの害獣では無いという事実が取らせた行動だったが、濛々と立ち昇る煙の中から伸びた両腕がそれを妨げた。



「ちっ! 」


『やはりこの程度では殺せませんでしたか……』



 逃げるはずが逆に煙の中へ引き摺り込まれ、望まぬご対面をさせられる二人。


 揺れ動く煙の奥には三桁近い数の砲弾を叩き込まれた紅蓮の姿が見え隠れする。


 流石に無傷では済まなかったのか、頭部に配された王冠の如き角がへし折れてはいるものの、他に目立った外傷は無い。



 そう“一切無い”のである。



「このイカれた化け物め!」



 殴っても撃っても切り裂いても死なない驚異の怪物を目の前に、雪兎は半分ヤケクソになりながら叫ぶ。 現在のドラグリヲで捻出出来る最大火力を叩き込んでこのザマならば、一体どうやれば殺せるのだと。 勿論それに対して答える者など居らず、代わりに紅蓮の凄まじい咆哮と握撃がドラグリヲを襲う。



「くっ……」


『何をやってるんですか!? 怯んでいる暇なんてありませんよ!』


「そりゃ僕だって分かってるって!」



 カルマに急かされつつも雪兎は何とかこの場を切り抜けようと出力を限界まで上げるが、首元に食い込んだ紅蓮の太い指は分厚い装甲に守られているはずの基幹フレームをがっちりと掴み、逃走を許さない。


 そして、雪兎が何よりも恐れた瞬間がついに訪れる。


 鱗の隙間から時折焔を吹き出して輝く紅蓮の右腕。 それは低く、ゆっくりと構えられたかと思うと、一瞬の間をおいて凄まじい勢いで解き放たれた。



「――ッ!」



 腰、腕、拳の捻りと鱗の隙間から吹き出した焔の推進力を乗せて撃ち出された右ストレートが直撃した瞬間、ドラグリヲは人間の目では視認不可能な勢いで吹き飛ばされ、先ほどガードメカを両断した分厚い隔壁を破壊する程の衝撃で叩き付けられた。



『ユーザー!?』



 機体自体にも深刻なダメージを受けているが、それをも後回しにしてカルマはコックピット内に姿を現すと、身体が不自然な方向へ折れ曲がっていた主人の容態を急いで確認する。



『ひどい……、筋肉も骨格も臓器も全部滅茶苦茶です。


 もし元の身体のままであったなら間違いなく飛び散って死んでいたでしょう』


「結果的に命を救われたと? 僕を殺そうとしたあの化け物に……」



 目や口端から多量の血を零し、悲痛な呻き声を上げながらも、雪兎は左腕そのものと化した化け物を憎らしげに睨み付けた。



「腹が立つな畜生……」



 敵に命を救われたことを恥じ、己の無力さを嘆くかのように牙を噛み締める雪兎。


 そんな彼の心情も理解出来ぬまま、カルマは無神経に切り出す。



『ユーザー、残念ですがこれ以上の戦闘は許可出来ません。 奴が我々を侮っているうちに早く離脱しましょう。 最早足止めなんて出来ません。ましては勝つなんて絶対に無理です』



 シートに力無く寄り掛かった雪兎を何とか引き起こし、逃亡を示唆するカルマ。


 だが雪兎は勝手なことをしようとするカルマに対し、否定の意味を込めて軽く首を振って見せると、弱々しくもしっかりとした口調で言い放つ。



「逃げるだと? 笑わせるなよカルマ。 まだだ、まだ終わっちゃいねぇ……。


 奴か僕が死ぬまで、この戦いは終わらないんだ……」


『馬鹿なことを言わないで下さい! 冗談で無く殺されますよ!』


「ならみすみす見逃せと? 奴らが人を食い散らすのを黙って見ていろというのか? 悪いがそんなことはお断りだ。 もう惨めな思いは二度としたくないんだよ」



 朦朧とする雪兎の脳裏に過ぎったのは、かつて従事した数々の仕事の中で救助が間に合わず喰い殺されていった力無き人々の姿。 もし自分がここを抜かれれば同じ惨事が繰り返されると、強い責任感が雪兎に逃亡を許さなかった。



「何としてでも奴を止める、この命に換えてでも……」


『無茶です! 第一この機体だってもう動くかも分からないんですよ!


 仮に動いたとしても壊れかけのガラクタで一体何をするつもりですか!?』



 自殺行為としか受け取れない愚行を強行せんとする雪兎を止めるべく、カルマは甚大な被害を受けたドラグリヲを引き合いに出す。 武器どころか最低限動くのに必要な部位さえも大破した悲惨な状況で戦いを続けるなどあり得ないと。


 だが、カルマは気が付いていなかった。 自分達を収めたコックピットの内部が徐々に変容していたことに。



「動けなくてもいい……、一撃でもデカいのを撃てればそれでいいんだ……!」



 己の何を捧げても、何としてでも奴を殺す。


 そんな雪兎の執念に応えるかの如く、一部のグロウチウムがカルマの支配から離れて勝手に大量の端子へと変貌を遂げると、雪兎の肉体と融合し溢れ出たエネルギーを機体に伝え始め、機能停止に陥っていたドラグリヲに再び立ち上がらせるだけの力を授ける。



『ドラグリヲが私の制御から逃れている!? ユーザー、貴方は一体何を!?』


「何もしちゃいない……、ただコイツが僕の考えに賛同しただけだ……」


『ありえない! 私以外のAIが存在しないドラグリヲが自律行動なんて!』



 半身といっても過言ではない存在の反逆に狼狽し、カルマは何とか制御を取り戻そうと画策するが、ドラグリヲはその命令を拒絶し咆哮を上げた。


 再び目覚めた鋼の龍は、感情の昂ぶりに応じて莫大なエネルギーを供給するようになった雪兎の求めだけに応じて満身創痍の身体を動かし、眼前の紅き龍を見据える。



「お前だって憎いよなぁ、腹立たしいよなぁ、あの化け物がよぉ……」



 カルマとは違って素直に言う事を聞いてくれたドラグリヲに語りかけながら、雪兎は紅蓮に対する敵意を無意識のうちに強めていく。


 それに呼応して青天井に増大していくエネルギーの激流は、自ら意志を持つように動き始めると、ある一点に向かって収束し始めた。


 唯一残されたドラグリヲの主砲。 口腔内に設置された火砲の中へと。



「見せてやろう、人の往生際の悪さって奴をな」



 雪兎がそう呟くのと同時にドラグリヲは顎を大きく開けて、砲口を開く。


 目標をただ一つ。 偉そうに腕を組み、その様子を黙って眺めていた紅蓮だけ。


 まるで物見遊山でも楽しむようなその舐め切った態度を見せる敵に対し、雪兎は決定的な殺意を向けると、激情を露にしながら咆えた。



「人を侮ったことを地獄で後悔しろ!」



 刹那、ドラグリヲの口内から凄まじいエネルギーの奔流が迸り、眼前に存在していた全ての物体を巻き込み、削り、磨り潰していく。



 目を潰し、耳を潰し、感覚を潰すほどの光と音と衝撃を放つ熱量の嵐。



 それは雪兎が辛うじて保っていた意識をも容赦無く纏めて吹き飛ばし、無意識の闇の中へ誘っていった。


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