第13章 湖のひみつ

 理真りまの申し出を野川のがわは快諾してくれた。丸柴まるしば刑事の覆面パトでかつての秘密基地があった場所に案内してもらう。車には女子生徒の水木みずきも同乗した。「私もついていっていいですか?」と頬を染めて頼まれ、理真が了承したのだ。その水木は、後部座席に野川と一緒に理真を挟んで座っている。道中、野川がハンドルを握る丸柴刑事のナビをしている間、水木は理真に質問を浴びせることしきりだった。ただ単に理真と話をしたいからついてきただけだ。かわいいではないか。

 学校を出ること数十分、覆面パトは海岸沿いの道路に到着した。


「この辺りです」車を降りた野川は、ぐるりを見回して、「昔はここも海の上だったんですけれど、土砂が盛られて道路になっちゃいました。洞窟の入り口も完全に埋まってますね。最後に見たときよりもさらに工事が進んじゃってますから、もうどこだったのか、だいたいの場所も分かりません。すみません」

「ううん、いいのよ」


 理真は頭を下げる野川に笑顔で言って、同じように周囲を見回す。確かに周囲はきれいに整備された道路で、子供が遊ぶのに危険な岩場や洞窟があったとしても、もうその痕跡も見られない。道路の先には、海岸にせり立った岩場が見える。海面からの高さは、目測で二十メートルに届くだろうか。この辺りが危険な岩場だったころの唯一の名残なのだろう。その岩場の突端までは、陸側から斜面を登ることで行き着けるようだ。岩場の表面は深い樹木で覆われ、そこに至る道を目視することは出来ないが。


「随分高い岩場が残されてるのね」


 理真がその岩場を眺めた。


「あれは、『地獄岩』ですよ」


 ついてきた女子生徒の水木が口にした。


「じごくいわ?」


 理真が振り向いて聞き返す。

「はい」と水木は理真のそばに歩いてきた。理真に近づきたいからではない。まあ、それもあるだろうが、波が護岸ブロックに当たって砕け散る音が大きく、水木の小さな声では聞き取りにくいと彼女が判断したためだろう。


「地獄の岩で『地獄岩』高校生のお兄ちゃんから聞いたことがあるんです。運動部が練習でたまに行くそうですよ。あの岩場の先端まで、急な坂道をダッシュするんですって。それがあんまりきついので、そんな名前が付いたそうです。もちろん正式な名前じゃなくって、お兄ちゃんの通ってる高校だけの通称ですけれど」

「お兄さんの通ってる高校って?」


 理真が訊くと、水木は地元高校の名前を口にする。その高校は、かつて麻矢子まやこ薩摩さつまが通っていたのと同じ高校だった。

 理真が考え込むような顔をしていると、そこらを歩いていた野川が戻ってきて、


「すみません、ちょっと歩いてみたんですけれど、やっぱり洞窟の正確な場所はもう分かりませんね」

「ええ、いいのよ。ありがとう」


 理真が礼を述べると、野川は頭を掻いて、


「いえ、僕もちょっとその洞窟には心残りがあったもので。ああ、他愛もないことですよ。洞窟に行かなくなってしばらくしてから、僕、そこにプラモデルをひとつ置き忘れてたことを思い出して。結構気に入ってたものだから、回収に行ったんですけれど、その頃にはもう工事が進んで出入り口が埋まっていて」

「結局、プラモデルは洞窟の中に残されたまま?」

「はい。急に行かなくなっちゃったものですから。でも、星野ほしのも同じだったと思いますよ」

「同じって、星野くんも、洞窟にプラモデルを置きっぱなしに?」

「はい。でも、星野はそんな拘ってなかったみたいですけれど。僕が、プラモだけでも回収に行こうって言っても、行かない、の一点張りでしたから。僕にも行くなって念を押してましたね」

「そうなの……」


 理真は改めて周囲を見回して、ひと際そびえ立った岩場で視線を止めた。『地獄岩』と呼ばれる高い岩場で。


「あ」同じように地獄岩を見ていた野川が声を発した。

「何? どうかした?」


 理真が訊くと、野川は、


「UFOです」

「え?」

「あ、いえ、今、思い出したんです。星野が、あの地獄岩でUFOを見たって言ってたことがあったなって」

「それって、いつのこと?」


 理真は体を野川に向けた。


「え、えーっとですね……そうだ、夏祭りの夜です。最終日でしたね。僕は最終日は家族と出掛ける用事があって祭りには行けなくって、僕が帰ってきた時間と、星野が祭りから帰ってきた時間がちょうど合って、家の前でちょっと話をしたんです。僕たち近所ですから。で、星野が、祭りの帰りにUFOを見たって言うんですよ」

「そのUFOについて、星野くんは何て言ってた?」

「ええとですね、気付いたときには地獄岩のてっぺん辺りにUFOが飛んでいて、光ったり消えたりしながら、水平線に向かって飛んでいったそうです。これは誰にも秘密だけど、親友のお前にだけは話すって言われて」

「そのUFOについて、星野くんはそれから何か言ってた?」

「いえ、その夜に一度聞いたきりで、それからあいつがその話をすることはなかったですね。あの夜は、あんなに興奮して話してたのに。だから、僕も今の今まで忘れてたんだと思います」

「そのとき、星野くんはひとりだった?」

「はい。あ、でも、もしかしたら有井ありいさんと一緒だったのかも」

「有井さんと? どうして?」

「家に帰る途中、車からひとりで歩いている有井さんを見かけましたから。歩いていた方向からいって、有井さんも祭りからの帰り道だったんじゃないかと思うんです。だから、その途中で星野と会ったら、星野の家まで一緒に帰るだろうなって」

「野川くん、ここの夏祭りが開かれる日取りって、七月下旬だよね」

「はい、そうです」

「それじゃあさ、時系列はこういうことにならない? 祭りの夜に星野くんがUFOを目撃した。で、その翌日か数日後に、星野くんが野川くんに『秘密基地に行くのはやめよう』と言ってきた。どう?」

「えーと……ええ、うろ覚えですけれど、そうかもしれません」

「……ねえ、野川くん、星野くんが、秘密基地のことを有井さんに話した可能性は、あると思う?」

「有井さんにですか? ああ、そうですね、それはあるかも知れません。学校でも言いましたけど、同年代の子供の中でも、星野は最後まで有井さんと一緒にいたほうだったし。秘密基地が危ないから行くなって言われたのも、もしかしたら親じゃなくて有井さんからだったのかも。親よりも有井さんの言うことのほうをよく聞くようなやつでしたから。これも学校で言いましたけれど、あいつが親に秘密基地のことを喋るとは思えませんから」

「でも、星野くんは『秘密基地に行くな』という注意は、ご両親から言われたと、そう野川くんには言ったのよね」

「はい、そうです。有井さんに注意されたんだったら、僕にもそう言うと思うんですよ」

 理真は考え込むような表情になって少しの間黙ると、

「二人とも、ありがとう。もう帰りましょう」


 野川と水木に笑顔を向けた。



 私たちは海岸沿いの道路をあとにした。野川と水木を家まで送るため、二人の住所をカーナビにセットして覆面パトは町中を走る。


「あ、丸姉まるねえ、止めて」


 路肩に止めた車から理真は降りると、一軒の店舗に入っていった。本屋だった。程なくして出てきた理真は、


「はい、私からプレゼント。協力してくれたお礼」


 と、野川と水木に一冊ずつ本を差し出した。安堂理真デビュー作『月光ドレス』だった。ハードカバーの折り返しにサインを入れてある。二人は礼を言って本を受け取った。特に水木は泣き出さんばかりに感激していた。自宅に送り届けると、水木は理真との写真撮影も頼み込む。シャッターを押すのは私の役。画面の中で理真は水木の肩を抱いて、ことさら自分のほうに引き寄せ、水木は顔を真っ赤にして理真に寄り添い、写真に収まっていた。



「理真の年下キラーっぷりは健在だな」

「私だって、まだまだいけるんだからね」


 野川と水木を送り届けたあと、コンビニの駐車場で休憩を取っている最中、私は理真のことを囃したが、当の年下キラーは涼しい顔でコーヒーをすすっていた。高校時代、理真は男女問わずモテていたことを思い出す。私たちの会話を笑いながら聞いていた丸柴刑事は、


「理真、結局星野くんからは話を聞けなかったわね。どう? これから自宅に突撃する?」


 真面目な顔になって理真に訊いてきた。理真はコーヒーのカップを口から離して、


「うーん、会ってくれないんじゃないかな。今日だって、学校で逃げられちゃったし」

「どうして逃げるの?」

「警察に会いたくないとか」

「それこそ、どうして?」


 理真が答えないため、後部座席から私が、


「星野くんは、五年前に薩摩さつまさんが失踪したことについて、何か知ってるんじゃ?」

「五年前……」丸柴刑事もコーヒーをひと口飲んで、「野川くんの話だと、星野くんは五年前に地獄岩でUFOを目撃した。その後、秘密基地に行かないように話した。それと何か関係が?」

「丸姉」と理真が運転席を向いて、「当時の、五年前に薩摩さんを最後に目撃した人たちに話を訊けないかな」

「最後に目撃した……夏祭りの最終日に、同じ部活の生徒が目撃したのが最後だって言う話だったわね。分かった、当たってみる」


 丸柴刑事は携帯電話を手にした。


「理真、目撃者は五人組だったそうだけど、うち二人はもう県外に出てるわ。ひとりは新潟市の大学に進学して実家を出ていて、そのまま新潟市内の会社に就職。二人が地元企業に就職してる。連絡を取ったら、ひとりが会社に来てくれればすぐに会えると」

「丸姉、お願い」

 理真が頼むと、丸柴刑事は「オーケー」と覆面パトのエンジンを掛けた。



 五年前の目撃者のひとりが勤める会社に着いた。受付で話をすると、応接室に通され、程なく背広姿の青年が顔を見せた。挨拶もそこそこに、さっそく理真が質問をする。

「五年前の薩摩のぼるさんのことについてなのですが、走っている薩摩さんは、腕時計をしていましたか?」

「腕時計?」青年はオウム返しに言ってから黙考し、「……ああ、してませんでしたね」

「していなかった? 間違いないですか?」

「ええ、腕時計って、あれでしょ。彼女からのプレゼントの。事あるごとに自慢してましたもん。のろけだけでなく、当時の人気モデルの限定品だったってこともあって、俺も憶えてますよ。言われてみれば、薩摩があの時計をしていないって、珍しかったんじゃないですかね」

「薩摩さんは、常にその時計をしていたということですね?」

「そうです。何でも、彼女がうるさかったらしいんですよ。普段から、特にデートのときには、必ずこれをしていないと怒られるって、ぼやいてましたもの。まあ、半分はのろけですけどね」

「普段からということは、学校にいるときもしていた?」

「ええ、そうですね。あ、でも、汗で汚れるといけないからって、部活のときはさすがに外していましたけれどね」

「その腕時計のモデルは分かりますか?」

「ええ、もちろん。当時人気でしたから。純粋に俺も欲しいなって思ってましたし」


 私は青年が言った腕時計のモデル名をメモした。


「もうひとついいですか? 薩摩さんはそのとき、懐中電灯は持っていませんでしたか?」

「懐中電灯ですか……いや、それは憶えてないな。でもあいつ、結構いいものを持ってたはずですよ、海外メーカーの大きさの割には光量のあるやつ。それをポケットに入れていたとしても、分からなかったかもしれませんね。腕時計と違って目立たないから」

「最後に、海岸に高い岩場がありますよね、薩摩さんがあそこに行くことはありましたか?」

「ああ、『地獄岩』でしょ」

「そうです、その地獄岩です。部活の練習でついた名前なんですよね」

「お詳しいですね。ええ、その通りです。薩摩も部活の練習で行っていたはずですよ」

「そうですか」

「あの辺は俺たち高校生が詳しいっていうんで、捜索に当たったりもしましたね」

「捜索? 薩摩さんのですか?」

「ええ。五年前、とにかくどこでもいいから捜し回れってんで、高校生の俺たちも捜索に参加したんですよ。あの地獄岩周辺とか、高校の周りとか。有井さんも、それは一生懸命になって捜していましたね」

「有井麻矢子さんですか? 彼女の捜索担当は?」

「彼女は地獄岩周辺でしたね。あの辺りはまだ工事に入る直前で、足場の悪い危険なところだったんですけれど、有井さんは率先してそっちを捜すと言い張って。彼女が陣頭指揮を執って、グループに捜索範囲の指示なんかもしていましたよ。まあ、彼氏がいなくなったっていうんで、必死だったんでしょうね」

「有井さんが指揮を」

「ええ、でも、ご存じの通り、薩摩は今になっても見つかっていません。もう死んでいるとは思いたくありませんけれどね……」


 青年は遠い目をした。


「……大変参考になりました。ありがとうございました」


 理真が礼を言って、私たちは応接室を辞した。

 会社の玄関を出てから覆面パトに戻るまで、理真はずっと人差し指を下唇に当てていた。これは理真が考え事をするときの癖だ。それを知っている私も、丸柴刑事も、助手席に乗り込んで黙ったままの理真に何も声は掛けない。


「丸姉」理真が沈黙を破り、「秘密基地を探せる?」

「秘密基地? 星野くんと野川くんの?」

「そう」

「うーん、さっき見てきたとおりの状態だから、難しいだろうけど、やるだけはやれると思う」

「お願い。で、由宇は、薩摩さんが麻矢子さんからプレゼントされたっていう腕時計のことを調べてくれる?」

「どんなことを調べればいいの?」

「限定品って言ってたよね。それなら、個体ごとにシリアルナンバーが刻んであるんじゃないかと」

「分かった」

「……あとは、古橋ふるはしさんと白浜しらはまさんの事件が……」


 理真は再び下唇に指を当てた。

 理真がこのあとどこへ行きたいとも言わないため、私たちを乗せた覆面パトは会社の駐車場に停まったままだった。

 丸柴刑事の携帯電話が鳴った。


「はい……ああ、平松刑事。どうかしましたか? ……え? はい……はい……分かりました、理真にも伝えます。ありがとうございました」

「丸姉、何かあったの?」


 理真が黙考を破り話し掛けた。


「うん、何かあったっていうんじゃないけどね。白浜さんの遺留品に眼鏡があったんだって」

「え?」

「麻矢子さんのストーカーが眼鏡を掛けていたかもしれないっていう情報を知ってたから、一応理真にも知らせておこうと思ってって」

「眼鏡の種類は?」

「近視用の眼鏡だって。古橋さんと同じね。編集者っていう仕事柄、本を読んだりパソコンの画面を見ることが多いからかもね」

「白浜さんが眼鏡……」

「理真、白浜さんが麻矢子さんのストーカーだったとでも言うの? 眼鏡を掛けてる人間なんて、ごまんといるわよ」

「麻矢子さんが、白浜さんが自分のストーカーなんじゃないかって疑いを持ったとしたら?」

「疑いを持つ……どうやって?」

「何かあったんじゃ……日曜日、打ち合わせで麻矢子さんが白浜さんの部屋を訪ねた、そのときに」

「でも、それと白浜さんの死と、どういう関係があるの? 麻矢子さんが殺したと? アリバイは完璧でしょ。白浜さんの死亡時刻、麻矢子さんはろんちゃんと一緒に古橋さんの死亡現場にいた」

「古橋さん? 待って」


 理真は再び黙考に入った。再び口を開いた理真は、


「麻矢子さんは、何かを知ったはず。白浜さんと会って」

「本人に訊いてみたら? 何か疑いを持ったのであれば、話してくれるんじゃ」

「素直に話すかな。それが原因で人が死んでる。今まで私たちに話していないってことは、何か後ろめたいことがあるからじゃない?」

「麻矢子さんが白浜さんをストーカーと疑ったことで、白浜さんは死んだ? 麻矢子さん以外の、誰に殺されたっていうの?」

「白浜さんがストーカーだったっていう証拠でもあれば」

「理真!」


 私は思い出して声を上げた。


「何? 由宇」

「うんこだよ!」

「うんこ?」

「そう、うんこ! ほら、論ちゃんが拾った!」

「……ああ! 思いっきり忘れてた! 由宇、それだ!」

「二人とも、何言ってるの? 論ちゃんがうんこを拾ったの? 三人して大丈夫……?」


 丸柴刑事の怪訝そうに見つめる視線をものともせず、理真は、


「あれって、どこにやったんだっけ?」

「えっと、確か……そうだ、論ちゃんの覆面パトのトランクに投げておいた!」

「論ちゃん、今どこ?」

「麻矢子さんについて、家にいるんじゃない?」

「丸姉!」

「よし、何だか分からないが、とにかく行くわよ」


 有井家を、正確には降乃ふるの刑事の覆面パトを、さらに正確にはそのトランクに転がっているビニールに入った犬のうんこを目指して、丸柴刑事はアクセルを踏んだ。

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