第11章 プロジェクト・ブルー

 朝食(理真りまはがっつりと、私と丸柴まるしば刑事は適量)を食べて用意を調えると、私たち三人はホテルを出て隣の工事現場に足を運んだ。といっても本当にすぐお隣なので、歩いて数十秒で着いてしまう。

 白い囲い越しに重機の様々な音が入り交じった作業音が聞こえる。時間は午前七時十分。今日も現場の仕事が始まったようだ。囲いの出入り口に立つガードマンに事情を話し、真鍋次郎まなべじろうを呼んでもらう。囲いの向こうに消えたガードマンは、一分も掛からずに真鍋を伴って戻ってきた。


安堂あんどうさん、江嶋えじまさん」


 作業着にヘルメット姿の真鍋は、驚いたような顔で現れた。理真は、昨日、隣のホテルで殺人事件が起きたこと。自分が素人探偵として警察に協力していることを聞かせた。


「ホテルで殺人事件……で、安堂さんが探偵? そうだったんですか……殺人……ホテルで」


 真鍋は驚きの中に怯えを混ぜたような表情になる。しかも、殺されたのが麻矢子まやこ担当編集者の白浜しらはまと聞くと、


「えっ? あの人がここに泊まっていたんですか?」


 真鍋の驚きは頂点に達したのか、しばらく呆然とした顔で立ち尽くしていた。


「それでですね、真鍋さん……」


 理真は、昨日午前九時から十時の間に、ホテルの窓から現場に下りてきた人物がいなかったかどうかを訊いた。


「つ、つまり、その人物が、は、犯人だと……? 白浜さんを殺した?」

「その可能性が高いのです。心当たりがおありなんですか?」


 理真の言葉に真鍋はしばらく無言だったが、


「い、いえ……そんなことは……だいたい、その時間にはもう仕事は始まっています。現場内には常時数人の作業員が働いていますから、そんな人がいたら間違いなく気が付きます。声を掛けて引き留めて、現場代理人の私のところに連れて来ますよ」

「そういったことはなかった」

「ええ、もちろん。そんなことがあったら、その時点で警察に通報しますよ」

「そうですか……真鍋さん、ついでと言っては何ですが、古橋ふるはしさんのこと……」


 理真が古橋の名を出すと、真鍋は俯く。その目がヘルメットの縁に隠れた。


「古橋も、こ、殺されたんですか? 昨日、僕のところにも警察が話を聞きに来て、アリバイも聞かれましたけれど……」

「今のところは殺人の線が濃厚です」

「古橋は、煙突から落ちたんじゃ……?」

「それがですね、真鍋さん……」


 理真は古橋の死体が発見された現場の状況を話して聞かせた。くだんの煙突の梯子がぼろぼろに錆びており、登頂出来る状態ではなかったことを。


「煙突には、上れなかった……?」


 それを聞いた真鍋は、またしても驚いた顔を見せた。


「ちょっとすみません」


 ガードマンから声を掛けられ、私たちは道路の脇に寄った。囲いの一部のゲートが大きく開かれ、一台のトラックが現場内から出ていくところだった。運転席と荷台の間にクレーンが付いたタイプのトラックで、荷台には様々な工事機械が積み込まれている。エンジン音を響かせながらトラックが走り去ると理真は、


「真鍋さん、古橋さんに殺意を持っていたような人物に心当たりはないですか? もちろん警察にも同じ事を訊かれたとは思いますが、そのあと何か思い出したようなことや、見ず知らずの警官でなく、私や由宇ゆうになら話せることとか。あ、こちらの丸柴刑事は、私の古い知り合いです。差し障りのある情報は捜査のためにしか使いませんし、当然、真鍋さんの口から聞いたなんて漏れることはありません」

「いえ、何も……」

「真鍋さん」


 囲いの中からヘルメットを被った作業員が顔を出し、真鍋を呼んだ。真鍋は頷くと、


「すみません。もういいですか? 現場が追い込みで忙しいもので」

「こちらこそ、すみませんでした。真鍋さん、また何かあったら伺わせて下さい」


 理真の言葉に、ちょこんと頭を下げて、真鍋は現場に戻った。


「理真、やっぱり、窓から下りてくるような怪しい人がいたら、真っ先に捕まえて警察に突きだしてるわよ」

「うーん、でも、真鍋さんの様子、ちょっと変じゃなかった?」

「そうなの? 私は初対面だから。何だかおどおどした人ね」

「うん、いつもあんな感じなんだけど、今日はことさら変だったような……由宇も思ったでしょ」


 私は理真の意見に同意した。確かに、真鍋は何かに怯えているように私も感じた。丸柴刑事は、


「でも、白浜殺しのアリバイは完璧でしょ。なんたって、ここで仕事をしてたんだから。古橋の事件のアリバイははっきりしていないみたいだけど」


 深夜なので、自宅で寝ていたということだったっけ。


「でも、今のところ真鍋さんを疑う理由もない……丸姉、これから石黒塔子いしぐろとうこさんのところにも話を訊きに行っていい?」

「いいわよ。私は例によって理真に付いてていいって、城島じょうしま警部に言われてるしね。引き続きのホテルの捜査は他の刑事たちに任せましょう」


 駐車場に向かう前にホテルを見上げると、白浜が殺された610号室は窓が開けられており、鑑識員が顔を出して壁面の調査をしているのが見えた。犯人の逃走経路があの窓しかない以上、そこを重点的に調べるのは当然だ。ロープを窓に回して出入りなどしていれば、窓枠や壁面にその痕跡が残っているかもしれない。犯人が空を飛んで逃げでもしていない限りは……



 理真が電話を掛けてみると、塔子は今日はずっとアパートにいるという。伺って話を訊きたいと言うと、了承してくれた。気球のイベントは土日しかおこなっておらず、今日はバイトも入っていないとのことだった。もっとも、バイトがあっても今日は休むつもりだったと塔子は言った。昨日も古橋の不幸を聞いてバイトを早退したという。塔子は古橋のことが好きだったのだ。そのショックも大きなものだっただろう。


「気球の体験イベントかー。理真、乗ったの?」


 覆面パトの運転席でハンドルを握る丸柴刑事が訊く。降乃ふるの刑事と一緒に聞き込みに行ったときは、ストーカーが眼鏡を掛けていたのでは、という情報を聞いた塔子が急に口を噤んでしまったため、気球に乗せてもらってはしゃぐような空気にならず、そのまま古橋の聞き込みに向かったのだった。助手席の理真がそう答えると、


「そっか。私も一回乗ってみたいな。気球に乗って悠然と風任せに空を舞う。憧れるわ」

「丸姉、体験イベントっていっても、気球は地上でロープと繋がったままだから、せいぜい二十メートルくらいしか浮かばないんだよ」


 そうなのだ、ゴンドラを四方からロープで地上に停めた車と固定する係留飛行というやつだ。でも、さぞかし気持ちがいいものだろうと思う。私も乗ってみたかった。塔子の担当する青い気球に。


「なんだ、そうなの。私はてっきり、気球に乗って、この柏崎かしわざきの町を優雅に遊覧飛行でもするのかと……」


 丸柴刑事は言葉を止めた。私もそれを聞いて何かが思い浮かんだ。


「理真、気球は?」


 先に口を開いたのは丸柴刑事だった。理真は、何を言わんとしているのか察したらしく、


「気球から古橋さんを突き落としたってこと?」

「高度二十メートル。煙突の高さも十九メートルでニア」

「丸姉、死体に動かされた形跡はない」

「そうか……でも、気球ごと移動してしまえば? 現場まで」

「気球……」


 後部座席に座る私から見える理真の横顔が、考え事をするような表情になった。私はその横顔に向かって、


「理真、古橋さんだけじゃない。白浜さんの殺害だって」

「気球をホテルの真横に付けて窓から出入りした?」


 理真の顔が私に向く。私は、ううん、と首を横に振り、


「そんなベタ付けする必要ないよ。屋上だよ。気球をホテルの上に待機させて屋上に下りる。白浜さんの部屋は最上階の六階、屋上からの侵入、脱出は容易なんじゃ? まあ、窓は前もって開けておかないとだけど」

「由宇、丸姉も。気球って、そんなに自在に操れるもの? 動力がないから、さっき丸姉が言ったみたいに風任せだよ。それに、気球の置いてある越後丘陵公園は、どちらの現場から見ても東側にあるわよね。柏崎市は西に海岸線を持つ海沿いに位置してるから、吹く風はほとんどが海から陸に向かってじゃない? 向かい風の中、公園から現場まで飛ぶことになるよ。さすがに厳しいんじゃ?」

「古橋さんと白浜さんの死亡時刻の差がそれに現れてるんじゃない? 古橋さんを午前零時に殺害してから、ホテルに行くまでに風を捕まえるのに何時間も苦労したとか?」

「白浜さんの死亡推定時刻が九時として、九時間も? 公園、廃工場、ホテルの位置関係って、どんな? そうだ、カーナビで見てみるか」


 理真はカーナビを操作して地図の縮尺を小さくすると画面を凝視して、


「見て、越後丘陵公園から工場までが、行程のほとんどだよ。距離にして二十キロはある。二十キロを海風に逆らって気球を飛ばしたら、工場から南に数キロ下りたところがホテル。工場からホテルまで九時間掛かったなら、公園から工場なんて、一日掛けても着かないよ」


 私も運転席と助手席の間から顔を出してカーナビを見て、


「うーん、無理があるか」

「だいたい、午前九時なんてもうとっくに明るくなってるわよ。町中でそんなホテルの屋上くらいの低高度で気球を飛ばしてたら、さすがに目撃されるでしょ」

「塔子さんはインストラクターもやるくらいだから、気球の操縦についてどうなのか訊いてみようよ」

「もし塔子さんが犯人で、気球を使ったなら、正直に答えないでしょ」

「理真、気球については、こっちで第三者に意見を聞くわ。塔子さんだけが気球を操れるわけじゃない」


 丸柴刑事の声に、「そうだね」と答えてから理真は私に向かって、


「でも……根本的にさ、どうしてそんな面倒な殺し方をするの?」

「……犯人が空を飛べると思わせるため」

「思わせてどうするの?」


 私は返答に窮した。確かに理真の言うとおりだ。気球を使っての今の犯行が可能だったとしても、それをやって犯人にどんなメリットがあるのか。

 車中で私たちは、これからの予定を立てた。まず塔子のアパートを訪れて話を訊く。お昼を食べて、その間に丸柴刑事は気球を使っての犯行が可能かを専門家に聞いてもらうよう、県警に連絡をする。お昼を食べたら、


「丸姉、薩摩さつまさんのご両親に会おう」

「薩摩さんって、五年前に行方不明になった男の子ね」

「そう。事件のことを訊かれるのは、ご家族にはつらいかもしれないけどさ、もうこっちもなりふり構っていられないよ」

「そうね。今のところ直接の関係はないけれど、意外なところから事件解決の情報を得たってのも、今まで一度や二度じゃないしね。で、会って何を話すの?」

「それはこれから考える。でさ、それが終われば学校も放課後の時間くらいになるじゃない。星野翼ほしのつばさくんにも会おう」

「理真が図書館で会ったっていう中学生ね。薩摩さんは宇宙人に殺されたと言ってたっていう」

「そう」


 星野少年。私も気にはなっていた。宇宙人、というか、具体名も口にしていた。「ケフェウス星人」麻矢子の小説に出てくる宇宙人。



 塔子のアパートに着いた。二階建てで瀟洒しょうしゃな外観だ。塔子の部屋は203号室と聞いた。階段を上がり呼び鈴を押すと、解錠する音がしてドアが開いた。顔を見せた塔子は、やはり、最後に越後丘陵公園で会ったときよりもやつれて見える。

「お構いなく」と理真は言ったが、部屋に通された私たちに塔子はコーヒーを出してくれた。

 四人が座卓を囲んで座ると、理真がまずは、丸柴刑事を紹介してから、古橋のことでお悔やみを述べた。塔子が黙ったまま頷きを返すと、続けて自分が探偵として警察捜査に協力していること、私はその助手であることも告げた。


「そうだったんですか。どおりで、日曜日の聞き込みが堂に入っていると思いました」


 塔子は少しだけ笑みを浮かべてから、


「それで、安堂さん、今日は何か? 私の知っていることは、アリバイも含めて警察の方にお話しましたけれど」

「実は、石黒さんも麻矢子さんのパーティーでお会いしたかと思うのですが、編集者の白浜さんが……」


 白浜が死体となって発見されたことを告げると、塔子は小さく震えだした。


「ふ、古橋くんのことと、関係があるんですか?」

「それはまだ分かりません。ですが、こう立て続けに関係者が不審死を遂げているとなると、両者の事件には何か関連があるのではないかと考えられます」

「関係者って、古橋くんとあの編集者さんは特に知り合いではなかったです……麻矢子ですか? 犯人は麻矢子?」


 塔子は伏せていた顔を上げて理真を見た。


「そうは言っていません。落ち着いて下さい、石黒さん」


 理真がなだめると、塔子は詫びの言葉を口にした。

 落ち着いたところで、と理真が白浜の死亡推定時刻、昨日の午前九時から十時の間のアリバイを訊くと、塔子は七時から倉庫整理のバイトを始め、ちょうど九時過ぎくらいに古橋の訃報を警察から知らされた。その報を聞き気分が悪くなり、しばらくバイト先の休憩室で休んでから、一時間程度で早退したという、バイト中も、他の何人かの同僚と一緒に作業をしていたため、アリバイは完璧のようだ。それを聞き終えると理真は、


「塔子さん、ちょっと伺いたいことがあるのですが、イベントで使っている気球、あれはずっと公園に置いてあるのですか?」

「ええ、イベントは次の土日で終わりですので、それまでは……」


 と、ここで塔子は口を結んで理真の目を見て、


「私じゃありません」

「えっ?」

「私のことを疑っているんでしょう? 私が気球を使って古橋くんを殺したんじゃないかって……」


 理真は何か言いかけたが、塔子はそれよりも早く、


「でも、全然見当外れの推理ですよ。越後丘陵公園からあの廃工場まで、何キロあると思ってるんですか。それに気球は完全に風任せの乗り物です。まして、海風が常に吹き付けるこの地域で向かい風の中、あの工場まで気球を飛ばすことなんて無理です」


 車の中での考察とほとんど同じことを言われてしまった。


「安堂さん、すみません……」

「いえ、ですが、私たちは何も石黒さんを疑っていたわけでは――」

「違うんです。今謝ったのは、日曜日のことです」

「日曜日の」

「はい。安堂さんたちに、ストーカーが眼鏡を掛けていたかもしれないって聞いて、急にそっけない態度を取ってしまったことについて。もう分かっているんですよね、古橋くんが近視で眼鏡を掛けてたって。私、古橋くんがストーカーなんてありえないって思ったけれど、でも……」

「ええ」


 理真が答えると、塔子は笑みを浮かべながら、


「偶然、眼鏡屋から出てきたところを見てしまって、声を掛けたんです。そうしたら古橋くん、このことは絶対に麻矢子や真鍋くんには言わないでくれって、こっちが引くくらい大げさに頼まれて。どうして、って訊いたら、『キャラ的にも、俺に眼鏡なんて絶対に似合わないから』なんて言って……」


 塔子は浮かんできた涙を指で拭い、


「私が、本屋に勤めてる時点で、もう古橋くんのキャラじゃないよ、って言ったら、『うるせー』なんて返されて……で、私、後日、こっそりとプレゼントしたんです……」


 塔子は鼻をすすると、すみません、と言ってティッシュペーパーを抜いて鼻と目に当てる。


「石黒さん、プレゼントって、何を?」


 理真が話の先を促すと、塔子は、


「眼鏡ケースです。黒地に青と白のチェックが入った。古橋くんに似合うかなって思って……」


 塔子は再び俯いた。その隙に理真、丸柴刑事、私は一瞬だけ顔を見合わせた。

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