第8章 明日を捜せ

 麻矢子まやこ降乃ふるの刑事に家まで送っていってもらうことにして、理真りまと私は平松ひらまつ刑事の覆面パトに乗せてもらい、所轄の日吉ひよし署へ行くことにした。現在、周辺と関係者への聞き込みが成されている。解剖結果も含めて、得られる情報が出そろうのを待とうということになったのだ。

 古橋由起夫ふるはしゆきおの遺体は病院で両親と対面し、改めてその口から古橋本人であることが認められたという。両親の話では、自殺などする理由に全く心当たりはないとのことだった。状況が状況だけに自殺の線は薄いだろうが、念のために古橋の部屋の捜索も行われているという。遺書がないか探しているのだ。

 関係者への聞き込み、ということは、真鍋次郎まなべじろう石黒塔子いしぐろとうこへも当然刑事が話を訊きに行くだろう。

 日吉署につくとすぐに、理真の携帯電話に城島じょうしま警部から着信があった。麻矢子のストーカー被害についての詳細を聞きたいという用件だった。被害者の友人が関わっている事件ということで、当然警察でも無視出来ない案件なのだろう。理真は、先輩作家不破ふわひよりから電話をもらってからの経緯を話して聞かせた。

 城島警部との電話を終えると、平松刑事も加え、私と理真は日吉署捜査課の応接セットを借りて事件の検証を行うことにした。


「県警の捜査一課もじきに到着します。安堂あんどうさんは本部の捜査一課とは親しくされているんですよね」


 平松刑事がコーヒーを持って来てくれた。私たちは礼を言ってカップを受け取る。


「はい、城島警部には、いつもお世話になっています」

「一課の城島警部。私も何度かお会いしたことがありますが、これぞ刑事、といった雰囲気で、かっこいいですよね」


 確かに、平松刑事が言ったように、城島警部こそは「ザ・刑事デカ」と呼ぶに相応しいのではないかと思う。が、あまりに刑事がはまりすぎており、丸柴まるしば刑事のように、まるでドラマから抜け出てきたようで、かえって嘘くさく感じるのは私だけだろうか。

 理真はコーヒーをブラックのままひと口喉に流し込んでから、


「平松さん、県警が動くということは、やはりこの一件、他殺と考えているということですね」

「ええ、司法解剖に回しもしましたからね。城島警部も、これは怪しいとおっしゃっていましたし。安堂さんと江嶋えじまさんがそっちにいるから、協力を仰げと指示したのも城島警部なんですよ」


 理真と私は頭を下げる。


「それで、どうですか。安堂さんの目から見て。現場で話したこと以外に、何かおかしな点などに気付かれましたか?」

「そうですね。まず、死亡推定時刻が昨夜十一時から午前一時に掛けてということですが、古橋さんは何時に家を出たのでしょう」

「ええ。ご両親から聞いた古橋の足取りを報告します。昨日、古橋が勤め先の書店から帰宅したのが、午後七時前後だったそうです。両親はもう夕飯を済ませていたので、古橋はひとりで食事をとりました。その後は自室に入り、両親も早くに寝てしまったため、それ以降は古橋の姿を見ていなかったそうです」

「何時頃家を出たのかも?」

「ええ、両親の寝室は家の奥のほうにあるのですが、さすがに車のエンジン音は届きます。それが聞こえなかったということは、古橋が車に乗って家を出たのは、両親が寝入ってからということになりますね。両親の就寝時刻ははっきりとはしないのですが、ベッドに入ったのが午後九時半、寝付くまで三十分掛かっていないだろうということですので、古橋が出たのは十時以降だろうと考えられます」

「古橋さんの家から現場までは?」


 そうですね、と平松刑事は思案するような表情を見せて、


「車でしたら、三十分掛からないでしょう。夜なので車の通りも少ないでしょうから、飛ばせば十五分くらいで着けるかもしれません。車が停められていた空き地から現場までは徒歩で五分くらいでしょうか」

「死亡推定時刻から逆算すれば、古橋さんが家を出たのは、両親が寝入った午後十時から、最長で午前十二時半くらいまでの間。でもこれは、古橋さんが家を出てまっすぐに現場へ向かったと仮定してのことですが」

「そうではないと?」

「あくまで可能性ですが、まず、どうして古橋さんは深夜にあんな廃工場になんて行ったのか」

「自殺目的――ではないですよね。現場状況から、それはほとんど否定されている」

「自殺、他殺以外にも、事故という可能性もあります」

「事故! 古橋は何かしらの目的であの煙突に上ったけれど、足を滑らせるか何かして転落してしまった? あ、いや、そもそも梯子のあの状態では煙突には上れなかったはずだ。もしくは、何かしらの方法を講じて梯子を使わずに煙突に上った?」

「だとしたら、古橋さんの所持品にあるべきものがないのは変です」

「あるべきものとは?」

「懐中電灯なりの照明ですよ。どんな手段かは分かりませんが、深夜の暗闇で何の明かりもなしにあの煙突に上ることが出来るとは思えません」

「それもそうか。あ、今は携帯電話にもカメラ撮影用にライトが常備されていますよ。それを使ったのでは?」

「携帯電話を使うとなると、完全に片手が塞がれますよね。懐中電灯やペンライトの類いなら、口にくわえたりバンドで腕に巻き付けたりしておけます。片手を塞いだ状態で、どんな手段を使えば煙突に上ることが出来るでしょう。そもそも、煙突に上ったのかという事自体が疑わしいです」

「それは確かにそうです」


 平松刑事は理真に同意したが、


「では、古橋はいったいどこから落ちたというのでしょうか? 死体に動かされた形跡はありません。詳しくは解剖の結果待ちですが、古橋の傷は確かに高所からの落下によるものと断定されています」

「この事件の一番の謎はそれですよね。落ちるはずのないところから落ちた死体。いわば、空中密室とでもいうような……とにかく、今は聞き込みと解剖の結果を待ちましょう」

「そうですね。結果が出そろう夕方には捜査会議が開かれます。安堂さんと江嶋さんもご出席いただけますよね」


 もちろん、お願いします、と理真は返事をして、私も頭を下げた。

 それから私と理真は署の食堂で遅めの昼食をとった。あまり食べる気分ではなかったが、これからの捜査に向けて体力をつけるためにも食事を喉に流し込んだ。

 それから降乃刑事に連絡を取ったが、麻矢子は自室で寝ているということだった。両親に頼まれたこともあり、降乃刑事はこのまま有井ありい家に残るという。それがいい。あまり面識のない降乃刑事のほうが、両親や友人たちよりも麻矢子のそばに居やすいのではないかと思う。

 食事を終えてロビーに来た私と理真は、改めて事件の、古橋のことを話していた。


「古橋さんは、どうして殺されたんだろう。理真、この事件はストーカーと関係あると思う?」

「ストーカー。眼鏡を掛けていた」

「やっぱり、古橋さんがストーカーだった?」

「犯人の動機がストーカー事件にあったってこと? 仮に古橋さんがストーカーだったとして、彼を憎んで殺そうとまでする人物って、誰?」

「それは、まずはストーカー被害に遭っている本人」

「麻矢子さん」

「でも……」

由宇ゆう、分かる。麻矢子さんのあの悲しみようを見ればね」

「うん、あれは演技ではないでしょ……あ、でも、過失で殺してしまって、それを悔いているという可能性も」

「麻矢子さんは何らかの理由で古橋さんがストーカーだと知った。で、話し合いの場を持つ。言っても付き合いの長い友人同士だからね。いきなり殺意が沸くとも思いがたい。しかし結果、話し合いがこじれてしまい麻矢子さんは古橋さんを殺害してしまう」

「それは十分に考えられない?」

「そうだとしても、麻矢子さんは昨日の夜はずっと家にいたはずよ」

「死亡時刻は深夜だよね。私と理真も論(ろん)ちゃんと飲んで疲れて早く寝ちゃったし。ご両親ももう寝てたでしょ。こっそりと家を抜け出すことは可能。足はお父さんの車がある」

「麻矢子さん、運転免許持ってたっけ?」

「あ、知らない」

「高校卒業後、すぐに東京に行ったのよね。卒業後就職する生徒は高校在学中に免許を取る場合があるけれど、麻矢子さんはどうだったんだろう。東京は公共交通機関が発達してるから、車なんてなくても何の不自由もなく生活出来るよ」

「確かにそうだね。要確認だね」

「うん、それとさ、根本的な話なんだけど」

「何?」

「どうしてあんな殺し方をしたの?」

「……それは」


 理真の言うとおりだ。言い争いが高じ激情した結果、ナイフでの刺殺や、突き飛ばして頭を打ったとかなら分かる。が、今度の死因は転落だ。しかも、高度二十メートルもの場所からの落下。


「あの煙突の上で口論をしていて突き飛ばした?」


 私は煙突の頂点に立つ男女が言い争いをしている姿を想像して、危うく吹きだしてしまうところだった。アクロバティックすぎる口論だ。が、すぐにおかしさは消え、言いようのない空虚さが胸にこみ上げる。


「古橋さん、麻矢子さんのことが好きだったんだよね。でも、ストーキングをするような人には見えなかった」


 これには理真も頷いて、


「そうね。全然キャラじゃないわよね。むしろ、そういう行為を許せないタイプ」

「それだ、理真! 古橋さんはストーカーの正体を突き止めたんだよ。で、それをやめろと言いに行く」

「そこで、返り討ちに遭った、と」

「ありそうじゃない? 古橋さんがストーカーだったという仮定よりは、ずっと」

「確かに、ずっと納得出来る。でも、また同じ問題に突き当たっちゃうよ」

「殺され方……」

「そう。あの死に方の謎を解かないと、この事件は何も解明出来ないわ」

「空中密室……」


 私は理真が平松刑事に言った言葉を繰り返した。



 もっと遅い時間も覚悟していたが、捜査会議は午後五時に開かれるという。予想よりも解剖結果が早く上がってきたためだ。地元病院に搬送された遺体を、新潟市内から駆けつけた鳴海なるみ医師がメスを取り解剖してくれたのだ。ナルさんの愛称で親しまれている鳴海医師には、変死体の司法解剖でいつもお世話になっている。

 日吉署の会議室には、すでに城島警部を始め、丸柴刑事ら県警捜査一課刑事の姿も見える。会議直前ということもあり、私と理真は黙礼だけを済ませ、会議室一番後ろの長机に並んで座る。

 時刻になり、会議が始まった。まずは丸柴刑事の口から死体の解剖結果が報告される。


「死因は、背面と後頭部を強く打ったことによる内臓損壊と頭蓋骨骨折に伴う脳挫傷です。現場にほとんど出血が見られなかったのは、死に至る体組織の損壊が体の中だけで行われたことによるためと思われます。鼻孔や口から多少の出血はあったでしょうが、それらは衣服に付着していました。遺体の損壊度合いから、約二十メートル程度の高さから落下したものと思われます。死亡推定時刻は、現場での所見から少し狭まりまして、昨夜午後十一時半から午前零時半の間の一時間と見られます。死体から毒物、睡眠薬などの検出はなし。以上です」


 丸柴刑事は着席する。現場での見立てからほとんど変更はなし。死亡時刻が二時間から一時間に狭まっただけだ。そのどちらも午前零時が範囲時刻の中心にある。ここが死亡時刻と推定してよさそうだ。続いて日吉署の刑事が立ち上がり、聞き込みの結果を報告する。


「現場周辺は、空き地や建設会社の資材置き場などがあるばかりで民家はなく、日中でも人通りのある場所ではありません。民家のある範囲まで聞き込みをしたのですが、やはり目撃情報や不審者、不審車両の目撃情報は得られませんでした。死体を発見した老人も犬の散歩コースとして毎朝歩いてはいるのですが、他の人と会ったりするようなことはごく稀だと言っていました」


 次に立ち上がったのは平松刑事で、古橋本人についての話がされた。自殺と捉えるには、その動機が全く浮かんでこないこと。両親も古橋自殺の線は否定したという。部屋から遺書の類いは見つからず、パソコンのファイルを調べてもそれらしいものは発見出来なかった。

 古橋の当日の足取りについては、これは私と理真が聞いたこととほぼ同じだった。古橋が家を出たのは、両親が寝入った午後十時過ぎであることが濃厚なこと。現場まで車で十五分から三十分までは掛からないだろうこと。古橋が家を出た時刻だけが、死亡推定時刻が狭まったことで、遅くとも午前十二時までに更新された。


「古橋の携帯電話の通話記録を調べたのですが、午後八時から八時半の間に、友人の有井麻矢子という女性の携帯電話と通話していたことが分かりました。有井麻矢子の携帯のほうから古橋に掛けています」


 私と理真は顔を見合わせる。平松刑事は座り、また別の刑事が、


「その有井麻矢子と、親しい友人二名に聞き込みをしました。有井麻矢子については、たまたまこちらに来ていた県警生活安全部の降乃刑事に話を聞いてもらいました。事件前から顔を合わせており、女性同士のほうが話をしやすいと思いましたので。で、結果ですが、有井麻矢子は古橋へ電話したことは認めました。内容はただの世間話だったということです。古橋の死亡推定時刻には、自宅で就寝していたと。彼女の自宅から現場までは車で十五分程度の距離ですが、有井麻矢子は運転免許を持っていません。車で十五分の距離を徒歩でとなると、二時間は掛かるでしょう。麻矢子は昨夜は午後十時に風呂を上がり、茶の間で両親と一緒に十一時くらいまでテレビを観てから寝たということですので、死亡推定時刻に現場にいることは無理ですね。もっとも、誰かに運転手を頼み車を用意してもらえば別ですが」


 警察は麻矢子に対して完全にアリバイ捜査をしている。無理もないだろう。当然、他の二名、真鍋と塔子にも。


「他の友人、真鍋次郎と石黒塔子にも話を聞きましたが、やはり二人ともすでに寝ていたと証言しました。真鍋次郎は実家で、石黒塔子はアパートにひとり暮らしですので、有井麻矢子も含め、アリバイは全て本人か家族の証言なのですが」


 刑事が着席すると、城島警部が、「安堂さん」と理真の名を呼んだ。理真が立ち上がると、


「安堂さんはご友人の江嶋さんと、たまたま有井麻矢子さんの家に泊まられていたそうですね。今の有井麻矢子さんのアリバイを補足出来ますか?」

「はい、私と江嶋はその日、午後十一時くらいに有井家へ帰ってきました。居間に挨拶をしに行くと、麻矢子さんのお父さんだけがいらっしゃり、お母さんと麻矢子さんはもう床についたと話されていました。ですので、その夜は麻矢子さんの姿を見てはいません」

「そうですか、ありがとうございます」


 城島警部の声で理真は着席した。

 そうなのだ。昨夜、私と理真は麻矢子を見ていない。麻矢子の部屋と私たちが泊めてもらっている部屋は離れているため、物音なども耳にしていない。私と理真はすぐ風呂を使わせてもらい、午前零時半には布団にもぐった。その時間には、すでに古橋は死んでいたのだ。

 理真が座ると城島警部は、


「それと、これは県警の降乃刑事と、安堂さん、江嶋さんがここにいらっしゃる理由でもあるのだが……」


 と理真から聞いた、麻矢子にまつわるストーカー事件の概要を話した。


「現在のところ、このストーカー騒ぎが今回の事件に関わっているという証拠はないが、全くの無関係とも当然言い切れない。生活安全部の協力を得て、平行して捜査を続けることとする」


 それから警部は、明日以降の捜査担当の割り振りを行い、会議は終了となった。

 捜査員たちが忙しそうに出て行き、私と理真は会議室に残る。同じように残ったのは城島警部と丸柴刑事の二人だ。


「理真、送ってもらった紙のことだけど」と四人以外誰もいなくなった会議室で丸柴刑事が、「指紋は麻矢子さんのものしか出なかったわ」

「そう。ありがとう、丸姉。あんなものに対する指紋にも注意を払っていたとなると、ストーカーは相当に周到なやつだね」

「理真くん」と城島警部が話し掛けてきて、「会議でも言ったが、そのストーカーが古橋の事件と関係があると思うか?」

「警部の台詞を借りるじゃないですが、全くの無関係とは言い切れませんね。麻矢子さんの出版記念パーティー。友人たちへのストーカー被害の告白。そして今度のこと。こんな異様な事件が偶然重なるとは思えません。何かの繋がりがあるはず。あ、警部、電話でもお話ししたのですが、五年前の薩摩さつまさんのこと。あと、星野翼ほしのつばさという少年のことも」

「ああ、日吉署に話は通してある。当時の捜査記録を用意してもらったし、その星野という男の子についても調べてくれているはずだ」

「ありがとうございます。私と由宇は、これからその資料を見せてもらいます」

「よし、俺と丸柴は捜査に行くが、何かあったら連絡くれ」


 城島警部と丸柴刑事は、揃って会議室を出た。

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