第1章 北へ還れ!

「はいはい、今出ますよ」


 安堂理真あんどうりまは読んでいた雑誌を床に伏せて置き、着信音が鳴った自分の携帯電話を取り上げると、


「おお、珍しい人から電話が来たよ」


 ディスプレイに表示された発信者名を見て言った。買ってから一度も変更していない、〈着信音1〉が鳴り続ける中、


「久しぶりだから、由宇ゆうにも声を聞かせてあげるね」


 理真はスピーカー通話ボタンを押し、携帯電話をテーブルに置いた。


「もしもし、理真?」


 スピーカーから聞こえてきた声に、


「ひよりさん、久しぶりですね」


 理真は懐かしそうな声を出して答えた。

 不破ふわひより。職業は作家。安堂理真の大先輩。先輩と言っても、高校や大学が一緒ということではない。職業上の先輩だ。すなわち、電話を受けた安堂理真も作家を生業としているということだ。


「ひよりさん、お久しぶりです」


 私も思わず挨拶をしてしまった。親友の恩人ということであれば、ひと言声を掛けないわけにはいかない。


「あら、由宇。いつも理真と一緒なのね。仲がいいこと。いい歳した独身女がべったりね。あ、もしかして、あんたたち、できてるの――」


 ピッ。理真が通話終了ボタンを押した。静かになった携帯電話をそのままに、理真は雑誌を手に取り直した。

 数秒の沈黙の後、再び〈着信音1〉が部屋に響く。やれやれ、といった動作で理真は、応答した電話を先ほどのようにスピーカーモードにした。


「ちょっと、先輩の軽い冗談に通話終了で答えるなんて、いったいどういうつもりなの?」


 語気を荒げたひよりの声がスピーカーを通じて聞こえる。


「ひよりさん。何かご用ですか?」


 理真は先ほどの通話と変わらないペースだ。


「別に悪いことじゃないと私は思うわよ。女同士のそういう関係って、今じゃ珍しくないし――ま、待って、切らないで!」


 呆れ顔で通話終了ボタンに指を伸ばした理真の動作が、電話の向こうで確認出来たわけはないのだが、ひよりの声は慌てた様子になった。


 不破ひより。恋愛小説をメインとするが、サスペンス、ファンタジー、はたまたノンフィクションまで、あらゆるジャンルの小説を多数上梓している、自称〈雑食作家〉

 年齢非公表ということになっているが、デビューから現在まで活躍している期間からの、その推定年齢およそ四十台半ば。

 今、彼女からの電話を受けている安堂理真とは浅からぬ関係がある。と言っても、『できている』ということではない。数年前に安堂理真が応募した『ジュリエット賞』という恋愛小説新人賞の審査員を務めていたのだ。理真の応募作は惜しくも入選には至らなかったが、審査員のひとりである不破ひよりが個人的にその作品を目に止め、理真に連絡を取った。

 理真はひよりの指導の下、作品の校正を行いデビューにこぎ着けたのだ。言ってみれば不破ひよりは安堂理真の師匠、いや、作家安堂理真の生みの親と言っていい存在だ。そんな人がどんな用事で理真に電話を掛けてきたというのだろうか。二人の会話に耳を戻すことにする。


「で、何のご用ですか」

「もう読んだ? 今年のジュリエット賞」

「いえ、まだ」

「何よ。自分の出身賞の結果くらいチェックしておきなさいよ。後輩に示しつかないわよ」

「でも、私、賞自体には落選してたし。デビュー出来たのはひよりさんのお陰ですから。言うなれば私はジュリエット賞出身ではなく、ひより賞出身なんです」

「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃないの。たまには東京に来なさいよ。またかわいがってあげるから」

「またも何も、私、ひよりさんとそういう関係になったこと一度もないですから。浮気なんてしたら由宇に怒られるわ」

「理真、言うようになったわね……」


 そうだ、許さないぞ……もちろん冗談だ。


「で、用件は何です? 全然話が進まないじゃないですか」

「ああ、で、その今年のジュリエット賞の大賞を取った子がね、理真の同郷なのよ」

「そうなんですか。新潟市ですか?」

柏崎かしわざき市ですって」

「ほほう」


 柏崎市。新潟県中越地方に属す海沿いの町だ。多くの海水浴場があり、夏は海岸の花火大会で盛り上がる。


「で、同郷だから祝ってやれと?」

「もちろんそれもあるんだけどね。彼女、ちょっとやっかいなことに巻き込まれててね」

「彼女、ということは女性なんですね」

「そうよ。有井麻矢子ありいまやこっていう名前の子なんだけど」

「やっかいなことって何ですか?」

「ストーカーなの」

「ストーカー……それなら警察に行ったほうがいいのでは」

「実害が出ていないから、警察の対応もおざなりなものになっちゃうのよ。それに、期待の新人がデビュー前からストーカーにつきまとわれて警察に行ったなんて、出版社としてもマイナスイメージになるから避けたいのよね」

「それで、私にそのストーカーを捕まえてボコボコにして、新潟港に浮かべろと」

「そうなの」

「冗談で言ったの分かりますよね。真面目な声で答えないでもらえますか。人のボケを潰さないでもらえますか」

「ううん、本気――あ、切らないで、冗談だから。でね、そこまでしてもらわなくてもいいからさ。彼女の話を聞いて、善後策をとってあげてほしいの。先輩作家に話を聞いてもらえば、それだけで彼女も気が楽になると思うし。もちろん、理真がストーカーを新潟港に沈めてもらっても全然構わないわよ」


 新人作家のスキャンダルは気にするのに、先輩作家がストーカーを港に浮かべるという行為は問題ないのか? 理真は「浮かべる」と言ったのに、ひよりの言葉では沈めちゃってるし。


「それに、理真なら色々と警察に顔も利くでしょ」


 今、ひよりが言った、理真が警察に顔が利く、というのは、理真の作家とは別のもうひとつの顔のことを言っているのだ。その顔とはずばり素人探偵。不可能犯罪に対し、警察捜査に協力するというあれだ。かつて、そして現在も多くの素人、職業問わず民間の探偵が警察捜査に協力し、いくつもの不可能犯罪事件を解決に導いている。安堂理真もそんな民間協力探偵の中のひとりなのだ。


「理真の口から話してもらえば、おざなりなのじゃなく、誠意を持った対応を期待出来るんじゃないかと思って」

「そんなことないですよ。私の口添えのあるなし関係なく、日本全国の警察官は全国民に対して誠意を持った対応をとると思いますよ」

「そうだといいんだけどね。警視庁も忙しいからね」

「何ですかその、地方都市の警察は暇だろうみたいな偏見は。城島じょうしま警部に言いつけますよ」

「城島警部って、あの渋い刑事さんでしょ。私、タイプだわ」

「相変わらずお盛んなことで」

「何よ、人のことを盛りのついたメス猫みたいに。言っておくけど、私は理真や由宇ちゃん相手でも全然オーケーなんだからね」

「お断りします」


 私も。


「ひよりさん、城島警部より中野なかのさんはどうですか」

「中野って、若い刑事ね。駄目よ。あの子は理真にベタ惚れだから」

「やっぱりそうなんですかね」

「間違いないね。分かりやすすぎるもの」


 あ、同感。今名前が出た城島警部や中野刑事らは、理真が不可能犯罪捜査を行ううえでのパートナーとなることが多く、よく知った間柄だ。素人探偵が警察捜査に加わることを快く思わない警察官も多いが、二人は理真のよき理解者でもあるのだ。


「でも意外でした。ひよりさんって、そんな理由で男を諦めることがあるんですね。他に好きな人がいたってお構いなしに無理矢理にでも自分のほうに引き寄せるタイプかとばっかり」

「若いころはそれでもよかったんだけどね。押すばっかりが能じゃないって分かってくるのよ。歳を取れば」

「じゃあ、私はしばらく分かりそうにないです」

「甘いな、理真。今いくつだっけ? 二十六? もうすぐよ。もう片足掴まれてるわよ」

「何にですか」

「それに何? どうして私があの若い刑事をどうこうしようって話になってるの? 私、あの子にはあんまり興味ないからね」

「そうなんですか」

「歳を取れば好みも変わってくるのよ。ああいう若さだけで突っ走ってるようなタイプには付いて行けないわよ、もう」

「何、今でも男に付いていく健気な女、みたいな気になってるんですか。年齢的に若い男を引っ張らなきゃ駄目ですし、大体、そんなキャラクターじゃないですよね」

「本当、言うようになったわね、理真……」

「腹を割って話そうって言ったのはひよりさんですよ」

「あれ? 私、そんなこと言ったっけ?」

「はい。私のデビューをお祝いしてくれた飲み屋で」

「何年前の話を引っ張り出してきてんだ! まあいいけど。そういうところも理真の魅力だもんね」

「恐縮です。それじゃ、お体に気を付けて」

「うん、ありがと、理真もね……って、まだ話は終わってない!」

「何なんですか。話が脱線しすぎです」

「脱線させてるのは理真のほうだろうが!」

「分かりましたよ。ここからは真面目モードになりますから」


 理真は言いながら若干背筋を伸ばした。電話の向こうのひよりに分かりようはないのだが。


「そうね。作家モードから探偵モードになってちょうだい。でね、さっき言った有井麻矢子なんだけど、新潟県の柏崎出身だっては伝えたわよね」

「はい。それは聞きました」

「彼女は現在東京に住んでいて派遣社員として働いてるんだけど、ジュリエット賞を取ってデビューが決まったって家族に伝えたら、地元で記念パーティーをやろうって話になったらしくて、里帰りするのね。そこで彼女に会って、話を聞いてあげてくれないかなって」

「いいですよ。話を聞くくらいなら」

「よかった。ありがとう。それじゃさっそく彼女にも伝えるわね。詳しいスケジュールは追って連絡するから」

「分かりました。ひよりさんは来られないんですか?」

「行きたいんだけど、色々と忙しくってね」

「あ、そういえば『エスプレッソは殺意の香り』映画化が決まったそうですね。おめでとうございます」

「あら、ありがと。正直、いつそれに触れてくれるのかと心配してたの」

「主演俳優は、原作者自らのご指名だとか」

「そうなの。もし映像化するなら、高瀬駿介たかせしゅんすけ役は、絶対に的場啓輔まとばけいすけでって決め書きしてたからね」

「手を出す気満々ですね」

「……」

「否定をして下さい」

「じゃ、じゃあ、そういうことで。あ、由宇?」

「あ、はい?」


 突然電話の向こうから声を掛けられ、思わず顔を上げた。私は二人の不毛な会話の応酬に飽きて、理真の雑誌を読んでいたところで、完全に虚を突かれた。


「由宇もそろそろ書いてみる気ないの?」

「え? 何をですか?」

「決まってるじゃない。小説よ。理真が活躍した事件の小説化」

「えー、私が、ですか……」

「探偵の活躍譚はワトソン役が書くってセオリーじゃない」

「いやでも、エラリー・クイーンとか、探偵自ら書く場合も多いし。何より理真が本職の作家だし……」

「私は本業で手一杯で、とてもそこまで手が回らないわ。それに私、読んでみたいな。由宇の書いた小説」


 理真が笑いかけてきた。そう、私、江嶋えじま由宇は、いざ理真が不可能犯罪と戦う段になっての助手、すなわちワトソン役を務めている。助手と言っても、私が理真の捜査、推理の役に立っているとはさほど思えないのだが。

 また、私と理真は高校時代の同級生でもある。そして今は、ワトソン役を務めないときは、大家と店子という関係でもある。私の本職はアパートの管理人。理真は私のアパートの一室に居を構えているのだ。今いるこの部屋がそうだ。私は自室の管理人室にいるよりも、理真の部屋で一緒に過ごしている時間のほうが多いかもしれない。かといって怪しい関係ではないので。念のため。


「えー、理真までプレッシャー掛けないでよ」

「でも、全然考えてないわけじゃないんでしょ?」


 スピーカーの向こうからひよりの声。


「は、はい、それは……」

「じゃあ、書いちゃえ」

「由宇、書いちゃいなよ」


 理真もけしかける。どうでもいいが、私の名前のあとに、「何々しちゃいなよ」という言い方を繋げないでもらいたい。


「完成したら、ぜひジュリエット賞に応募してちょうだい。審査に手心は一切加えないけどね」

「どうして恋愛小説の賞に殺人事件の話を応募しなきゃならないんですか!」

「ペンネームは付けたほうがいいわよ」

「ひよりさん、私の時は本名で行けって言ってくれたじゃないですか」


 と理真が割って入ってきた。


「それは、あんたが考えてきたペンネームがあまりにひどかったからよ。雪月花麗羅せつげっかれいらとか、皇可憐すめらぎかれんとか、今でも憶えてるわよ。あれ? 未だに忘れないってことは、ペンネームとしてはありなのか?」


 なしです。


「それにね」と、ひよりは続ける。「ペンネームならさ、私生活で変化が起きても関係ないじゃない。特に女は。少なくとも、出版業界の知り合いはみんなペンネームで呼んでくれるでしょ。私はペンネームなしの本名だからさ」

「ああ……」


 理真が呟いた。私にも何を言わんとしているか分かった。

 ひよりは一度離婚をしているのだ。一度『不破』から名字が変わり、また『不破』に戻ったという経緯がある。結婚している間もずっと『不破ひより』の名前で書いていたが、本名に合わせて筆名の名字も変えようかしら、などとのろけ気味に話していたことがあった。

 流れる沈黙。私はその空気を払うように、


「で、どんなペンネームがいいんですか?」

「そうね。男か女か分からないような名前がいいわね。いや、男かな? くらいに思えるのがいいかもね。あと、短いほうが憶えてもらいやすいわよ」

「考えておきます」

「私も一緒に考えてあげるよ」


 理真が申し出てくれたが、


「ううん。自分で考える。それじゃ、ひよりさん」

「うん、理真も、またね」

「今度暇を見て新潟に来て下さい。飲みましょうよ」

「そうね。ぜひ。その頃には、『的場ひより』になってるかも……うふふ――」

「それじゃ」


 理真は携帯電話の通話終了ボタンを押した。


「さて」理真は両手を上げて大きく伸びをして、「ちょっと本屋行ってくるか」

「さっそく読むんだね。今年のジュリエット賞大賞作を」

「うん。後輩のお手並み拝見と行こうじゃない」



 理真の愛車、真っ赤なスバルR1を駆って、よく利用している近くの本屋へやってきた。

 音楽、映像ソフトのレンタルやテレビゲームも扱っている広い店内に入り、書籍の文芸コーナーへ行くと、目当ての本はすぐに見つかった。新刊コーナーに平積みされている。


『ケフェウスより愛を込めて』

 これが今年のジュリエット大賞受賞作のタイトルだ。出版社が配布した宣伝用ポップ、ポスターの他に、店独自に作成したと思われるものも掲げられている。そこには、作者、有井麻矢子が本県柏崎市出身であるということと、県人作家、安堂理真出身タイトルの受賞作、すなわち理真の後輩であるということも併記されている。

 とは言っても、理真は受賞を逃してからの不破ひより推薦を経てのデビュー。翻って有井麻矢子は堂々の大賞受賞である。一概に先輩後輩といっても、複雑なものがあるのではないか? 警察のキャリアとノンキャリアの関係みたいなものだろうか? 違うか。


「美人だな」


 理真が本を手に取り、折り返しにある作者近影を見て呟いた。

 私も同じように見てみたが、なるほど、理真の言うように中々の美人だ。端正な顔立ち。長いストレートヘア。細い眉の上で切りそろえられた前髪。美人女流作家、などとマスコミがもて囃しそうだ。

 しかし、美人度では理真も決して負けてはいないと思うぞ。有井の著者近影は肩までなので比べることは出来ないが、理真はスタイルもいいし、女流美人作家と騒がれるなら理真のほうが先だろう。しかし、今まで理真の周りでそういった動きが全く見られないのはなぜだ? 大賞じゃなかったから? 映像化されたようなこれといったヒット作がないから? これがキャリアとノンキャリアの差?

 もっとも、今、美人女流作家と言えば、不破ふわひよりの代名詞みたいなものだ。マスコミや自作の映像化を通じて知り合った芸能人と浮き名を流した回数は片手で足りない。一度結婚した相手もマスコミ関係者だった。『エスプレッソは殺意の香り』に主演する的場啓輔くん、気を付けて下さい。


「どんな話なんだろうね」


 理真は本を閉じて表紙を見た。表紙イラストは、星々が煌めく夜空を後ろ姿の人物が見上げているというものだ。イラストの星の部分は箔押し加工がされており、凝った綺麗な装丁だ。


〈星空の彼方、二人だけの、ある愛の物語〉


 帯にはそんな煽り文が書かれている。いかにもジュリエット賞っぽい。


「とりあえず買っていくか」


 理真は本を手にしたままレジへ歩いた。レジ待ちの間に財布からポイントカードを用意するのも忘れない。他のお客や店員から、作家の安堂理真さんですよね? などと声を掛けられることはなかった。まあ、いつものことだが。



「有井さんが来るの明日だって。いつもひよりさんのスケジュールは急だな」


 買ってきた『ケフェウスより愛を込めて』を読んでいた最中、理真はメールの着信に携帯電話を覗いた。


「少し文句を言ってやるか」


 理真はそのまま携帯電話をダイヤルする。私はその間に理真がスピン(本の上に綴じ込んである紐状のしおり)を挟んで閉じた『ケフェウスより愛を込めて』を手に取り、ページを捲って目を通す。


「――急ですよ。昨日の今日というか、今日の明日じゃないですか。何の準備もしていないんですよ。有井さんの本だって、今やっと読み始めたところ――はいはい、それは私が悪かったです。これからはきちんと毎年受賞作をチェックします……え? 私もパーティーに出席? 挨拶する? それは聞いてない……はい、絶対に言ってませんよ……」


 理真とひよりの舌戦はまだ終わりそうにない。お陰でまだしばらく本を読み進められそうだ。


「……それは自分の原稿の穴埋めを後輩に押しつけてるだけなんじゃないですか? ……どうして黙っちゃうんです。図星ですか? ……あ、居直りましたね……」


 本を読みながらも耳に挟んだ電話のやりとりの断片から、ひよりはこの埋め合わせに理真に短編の仕事をひとつ紹介すると言ってきたらしい。


「……はい、はい、分かりましたよ。かわいい後輩のためですから。喜んで一肌脱ぎますよ。いや、素人探偵をやってることは言わないでおきましょう。あくまで同郷の先輩作家ということで。ひよりさんも口止めお願いしますね。……はい、それじゃ」


 理真とひよりの会話は終わったようだ。


「何だかさ、受賞パーティーに出て何か喋ってくれって。原稿も一本押しつけられた」

「大変だねー。頑張って」

「何言ってるの? 由宇ゆうも一緒に行くんだよ」

「え、何で?」

「だって、ひよりさんは来ないし、知らない人ばっかりの中に私ひとりだと不安だし……」


 急に不安げな表情をしてかわいい声を出すな。


「仕方がないな……」

「ありがとうー、由宇」


 理真が私に抱きついてきた。よしよし。私は理真の頭を撫でてやる。こんなことやってるから、ひよりにあらぬ誤解を与えるんだぞ。


「どうだった?」


 と私の胸から顔を上げて理真が。何のことかと思ったら、私が持ったままの『ケフェウスより愛を込めて』を横目でさした。


「これ、本当にジュリエット賞? まだ最初のほうしか読んでないけど、これから恋愛小説に方向転換するの?」

「由宇がそう思うのも無理ないね。私も読み始めは、これは? と思ったもの。こういうのを大賞に出すなんて、ジュリエット賞も少し舵を切ってきた感じかな。どこまで読んだ?」

「うん。主人公が円盤に吸い込まれて宇宙人と会ったくらいのところまで」

「じゃあ、恋愛小説っぽくなるのはまだだね。私も全部読んでないから、先に読ませてね」


 理真は私から体を離し、本を手にとってソファに座り直した。


 私が読み進めたところまでの、『ケフェウスより愛を込めて』の内容は以下の通りだ。


 ある夜、海に面した断崖に佇んでいた主人公『わたし』の頭上に、光り輝く円盤が舞い降りる。円盤の中に吸い込まれた『わたし』は、そこで円盤に乗っている二人の宇宙人と出会う。

 二人は〈アルデ〉と〈ラミン〉と名乗り、地球から遠く離れたケフェウス星から来たと語った。二人の目的は、地球人とその生活、文化の観察。


 文明が発達しすぎたケフェウス星人は、個人的な繁殖行為、つまり性行為による人の出生を禁じており(生まれる段階で遺伝子操作を成して性欲を取り払っているという)、人間を人工的に生み出すことにより社会を形成している。寿命が尽きたり(高度な文明を誇るケフェウス星人は、人の寿命さえも遺伝子操作で全員八十年と決めている)、事故で失われた命があると、その都度、人数、人材を必要な数だけ計画的に産み出すことにより社会を維持している(遺伝子操作により、計算に強い、体力がある、といった必要な〈才能〉の人間を自由に生み出している)。彼らにとって個人とは社会を形成するためのパーツでしかない。

〈アルデ〉と〈ラミン〉の二人は、そんな自分たちの社会に疑問を持ち、高度に発達した科学力を用いて星間航行船を製造、ケフェウス星を飛び出し宇宙の旅に出発した。

 そして銀河系にて、同じ知的生命体の住む惑星地球を発見。地球人の観察を続けてきたと語る。


 二人は自分たちの星、ケフェウス星とは全く違う地球の社会構造に強い興味を持ち、観察だけでは飽き足らなくなり、ついに地球人と接触することを決断。その接触対象として選ばれたのが、主人公である『わたし』だった。


「あ、これ、パーティー会場の住所。明日の午前十一時開始だって。私と由宇は十時くらいまでには会場に行っててほしいそうよ」


 読書を再開した理真が、ひよりとの電話の最中に取っていたメモ紙を私に寄越した。そこには、『かしわざき共同文化ホール』という施設名と、その住所が書いてあった。


「柏崎なら、車で二時間もあれば着くね。高速に乗るまでもないかな……」


 私の言葉に理真は、


「なるべくお金を使わない方向で行こう」


 本から目を離さず言った。


「了解」私はフローリングの上に敷いたラグから腰を上げて、「じゃ、私、着替えとか荷物まとめてくるね。一泊でいいんだよね?」

「由宇、私のもお願い」

「えー」


 相変わらず本から顔を上げもせずに、自分の荷物もまとめろと言ってきた理真に、私は不平の声を浴びせた。


「だって、私は本を読むので忙しいもの。さすがに作品を読了しないままパーティーに出席するのは失礼でしょ」

「あ、パーティーって言うなら、普段着じゃ、まずいんじゃない?」


 私の言葉を聞くなり理真は、がば、と本から顔を上げ、


「……そうか」


 と神妙な表情になって呟いた。


「でも、普段着オーケーというフランクなパーティーもあるし……」

「由宇。私、デビュー間もない頃に出版社のパーティーに呼ばれたことがあって、『普段着でお気軽にお越し下さい』なんて招待状に書いてあるから、鵜呑みにしてTシャツにデニムで行ったら、私以外全員正装で、まんまと一杯食わされたことある」

「いや、さすがにTシャツにデニムは……」

「あの頃は、まだ人を疑うことを知らない、汚れなき純真な乙女だった」


 今は汚れているし純真な乙女ではないと、自ら認めているのか。


「そうかと思えば……」理真は顎に手を当てて難しい顔になり、「張り切って正装で行ったら、他は全員ラフな格好で、『お前、何ひとりだけ気合い入れてきてるんだよ』みたいな目で見られたこともあったな……ひよりさんに確認する」


 理真は本にスピンを挟んでテーブルに置くと、代わりに携帯電話を手に取った。

 さて、私は久しぶりにタンスの奥からフォーマル衣装を引っ張り出さなければ、と思案した。もうかなり着ていないから、いっそこれを機会に新調するかとも考えたが、パーティーが明日では間に合うわけもない。


「……うん、それじゃ」


 理真の電話が終わった。

 私が、「どうだった?」と訊くと、


「両方用意していく。普段着で行って、他の人が正装だったら、『ここで着替えるつもりでした』みたいな顔をしよう。ひよりさんは、一応普段着でいいって言ってたけど、あの人の言うことは信用できない」


 そうかもしれない……


「というわけで、私のフォーマルは実家にあるから、よろしく」


 理真は本を取り、読書体勢に戻った。しょうがないな……

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