第5話
三者面談が好きな学生は居ないと思う。俺も嫌いだ。うんざりしてしまう。
「大人しいけど良い子ですよ。最近は友達と笑い合ってることも多いですし、成績も問題無い。担任の俺の教科が一番成績悪いのはどうかと思うがなぁ? な、矢尾?」
「ははは……」
大人に囲まれ、その上話題はずっと俺のことだ。壇上から降りる権利は学生には無い。それにこの担任教師であるおっさん、国語の岸河原先生は思ったよりも生徒の様子を見ていた。
視野が広い。色んなことが見えている。これが大人かと、尊敬しつつも歯軋りをする。面談――親の居る場でそれは、決して歓迎できなかったのだ。
「本当ですか? この子、上手くやれてるんでしょうか? あの……急に叫び出したりとか」
「叫び出す?」
母さんは懸念点があると自重しない。止めようとしたって逆効果だ、成り行きを見守る以外に俺にはやり方が分からなかった。
その突拍子も無い質問にどう感じただろう、岸河原先生はちらと、一瞥だけして俺の様子を確認すると、母さんを安心させるように人好きのする笑顔を浮かべ直した。
「心配ありません。友達と居るときは本当に楽しそうですし、グループ学習でもね、良く気が付く奴ですよ。叫び出すなんて。矢尾は静かにやってます」
「本当ですか?」
ほっ、と。母さんが息を吐くのが聞こえて、知らず机の下で左拳を握りしめる。ぎちぎちと、軋む音が唸るようだけれど、それは俺にしか聞こえない音なのだ。母さんは俺の隣で、ちょっとだけ腰が浮くほどに身を入れて、もう一つ念を押すように頭を下げる。
「あの、でも。この子のこと、気をつけていてあげてください。私も見てますけど、母親の私でも気付けないことって、やっぱりあるので……」
「もちろん。矢尾なら大丈夫ですよ、安心してください」
俺から入れる横やりは無く、じっと聞いて、観察していた。だから気付いている、母さんが俺の成績への興味をほとんど示していないことも。ただそれが親心から来ていることも。
母さんは別に悪くない。では誰が悪いのかというと、過去の俺だろう。それは仕方ないことだ。この程度、左拳を握りしめるだけで耐えられる。手の平に刺さる爪が痛みと共に安らぎを与えてくれていた。別にこれは尾を引く問題でも無く、この場さえ過ぎればきっと俺も忘れられる。
それに、岸河原先生は真摯だった。
普段は淡々と授業をしていて、ほんのり親しみやすいだけの、ある程度生徒と距離を置いたおっさんだ。さっき引き合いに出されたグループ学習でも見守る立場を取っていて、大した口出しをしない。でもそれは生徒の監督を放棄しているからでは無いのだ、むしろ全く逆なのだと、こういう姿を見ると気付かされる。
この人に任せておいて良い。
そう確信して、ようやく俺は安堵した。肩の力を抜いて、リラックスしたまま状況の推移を傍観する。
数分の間。それは思ったより短い時間で、全てはつつがなく終了した。
――と、思った。
「ありがとうございました」と、挨拶を済ませて、扉を開けて外に出る。外で待っていたクラスメートが代わりに教室に入っていくのを横目に、俺は母さんと並んで廊下を歩く。
ぺたぺたと。スリッパの音は独特で、少し耳障りだ。あるいは母さんと居るからそう感じるのだろうか。息苦しさを我慢しながら、一歩一歩進んで行く。
そこで、母さんは言った。
まだ、言った。何度聞いたか分からない言葉を。
しつこいぐらいに。
「ミノル、本当に大丈夫なんでしょうね? また、あんな、あんなこと、」
あたふたと、あたふたと。言い淀みながら、それでも母さんは、言う。
何を、そんなに、慌てることが、あるんだろうか。一体、何が。
ぷ、つん。と。
「ハ、ァ!!!!??」
廊下全体に、俺の叫びは響き渡った。
反響するその大きな波が、自分から出たものだとは思えなかった。耳どころか、肌や足元まで震えている。激情は迸り、一呼吸の後、沈黙が返ってくる。この間、穂上と過ごしたのとは真逆の、痛みを伴う沈黙。責め苛まれるような静寂。
「……」
「ミノル……」
母さんがどんな表情をしているのか、それを見るのが怖かった。
うるさいほどの脈拍が急かし立てるのに、俺は急速に冷静さを取り戻していく。一度キレてしまったら、もう何を言おうと無駄だ。言葉は母さんには届かないし、延々と同じやり取りを繰り返し続ける羽目になる。
視線を逸らして、そのまま帰るしか無いのだろう。そう判断して目線を母さんと合わせないように、合わせないようにと逃がした。
――その先に、苑夢が居た。
母親と二人、面談待ちなのだろう、廊下に置かれた椅子に並んで座っている。二つ隣のクラスなのは知っていた。
見られてしまったのか。そう思った俺を、違和感が襲う。
「――――」
彫像の、ようだ。
愛らしい笑顔の似合う、俺の良く知る苑夢はそこには居なかった。俯いて、静かで、微動だにしない苑夢を初めて見る。あるいはそれは、今の俺の醜態にさえ気付いていないのではないかというほどに、生気を感じない姿だ。
まさか、と。
その意味を正しく捉えたいのは確かだが、今の俺には他人に目を向けている余裕も無い。優先すべきは自分のことで、だから頭を振って俺は帰路を目指す。
母さんに何を言われながら帰ったのか、そんなことは記憶の片隅にも残らなかった。
☆
冬休みだ。
雪の降る日ももうすぐそこで出番を待っているだろう、初雪が近いのが吸い込む息の冷たさから予想できた。耳が痛み以外の感覚を失っている。吐く息は白く、手袋越しにさえ冷えてしまう指を擦り合わせて暖めようとする。
――どうしてこんな日に外出しているのだろうか。
ここ数日の中でも特別に寒い、十二月二十三日。クリスマスイブを翌日に控えた微妙な日に、ひっそりと慣れた道を歩いて行く。
流石に今回は図書館に行くわけでは無かった。緒志金に『遊ぼう』と誘われたのだ。それで何枚も着込んでぶかぶかになりながら緒志金の家に向かっている。
俺と緒志金は幼馴染みだ。歩いて十分も掛からない距離に互いの家があって、幼稚園からずっと学校まで同じという生粋。今年に至ってはクラスまで一緒で、こうして遊びに誘われることもしばしばだった。
勝手知ったる友人宅に到着して、玄関前で待っていた緒志金と合流する。
「寒いなー」
「おー寒い寒い」
二人揃って身体を縮こまらせて、とりあえず並んで歩き始める。緒志金から届いたメッセージには『遊ぼう』とだけあった。誘ってきたのだから何か考えてきているのだろう。そう思って、問い掛ける。
「遊ぶって何すんの?」
「散歩」
「……は」
聞き間違いかと思った。散歩、散歩?
散歩か。
「それって遊びなの?」
「っつーか、別に何でも良くない? 楽しければ」
「ほんとに楽しいんだろうな……?」
「なはははは」
笑って誤魔化された。言いたいことは際限なくあるが、溜め息一つで全部飲み込んだ。
緒志金の様子がちょっとおかしい。散歩云々はさておき、心ここに在らずといった様子だ。何か考え事をするように空を眺めていて、そわそわしている。
「……ま、いいけど」
ぽつりと呟くと、緒志金が驚いたように俺を見る。
「いいのか」
「いいよ」
「そっか」
はは、と緒志金が照れくさそうに笑った。仕方の無い奴だ。だが、それなりに付き合いも長い。息抜きになるというのならお供ぐらいこなしてやろう。数少ない友達だ。
「でも流石にずっと外は寒すぎる。どっか暖かいところ目指したいな」
「いやいや、とりあえず昼飯っつーか」
「早くないか?」
目的地の相談を続けながらも足は止めない。流れ次第では引き返すこともあるだろうが、そういう行き当たりばったりもたまには乙なものだ。
何も考えること無く共に居られる。そういう関係も人間には必要なのだ。
☆
「そういえばさ、他に誘う奴は居なかったのか? お前は友達多いだろ」
昼飯は安いスパゲッティで済ませてその後。話の流れで辿り着いた近場の百貨店をうろつきながら、ふと浮かんだ疑問を口にする。
「うーん。なんつーかな……」
きょろきょろと。気忙しく辺りに視線を飛ばして、緒志金はまるで何かを探しているようだった。聞いているのかこいつは。
「お、あそこ行こうあそこ」
俺の懸念の正しさを証明するようにふらふらーと緒志金がどこかに旅立っていく。衣服の立ち並ぶ店だ。完全に門外漢なせいで気後れするが、一人で突っ立ってる方が不自然だ。仕方なく慌てて追い掛ける。
「服買うの?」
「んや」
「あ、うん……」
あまりにも自然に即答されてしまったため、二の句を継げなかった。何かがおかしいと思っていても周囲に『それが普通だ』という態度で居られると言葉が喉元でつっかえるものだ。
緒志金の見て回るものに統一性は無かった。適当に棚を眺めてうろうろしている。そんなものにわざわざついていく必要もあるまい。
服を見てくると言い残して、緒志金と別れて俺も好き勝手に動く。
図書館の暖房は、その広さゆえにあまり効かないのだ。ちょうどコートか何かでももう一つ欲しかった。が、どれも高い。眺めることしか出来ない。これがウィンドウショッピングというものだろうか。こんなことをするのは初めてだった。
まぁ、だからどうという話でも無いのだが。
そうこうしている内にどれほど時間が経ったろうか、緒志金が隣まで戻って来る。
「終わった?」
と問い掛ける最中にもう、緒志金の両手が空っぽなのには気付いてしまった。何をしに来たのやら。
「うーん。なんつーかな……」
言うことが一字一句変わっていない。ここまで来たら流石に鈍感な俺も気付いた。息抜きになるならと考えて付き添っていたが、俺は勘違いしていたようだ。
「緒志金お前、散歩とかじゃ無くて、用件があってここに来てない?」
「なははは」
「はっはっはっは」
笑い合う。いや、
「なら、はよ言え」
「いたっ」
ぺしん、と緒志金の頭を叩いた。我慢できなかったのだ。あまり暴力は振るわないように気をつけているというのに、こいつがはぐらかし続けるせいでつい手が出てしまった。
幸い手加減ぐらいは出来ていたから、緒志金は頭を擦りながらもう少しだけ笑って、ようやく、
「……クリスマスプレゼントってどういうのが良いんだろうな」
と、言った。
クリスマスプレゼント?
「あげんの?」
「おう」
唐突な展開に首を傾げながら疑問をぶつけてみると、緒志金は頷いた。『クリスマスプレゼントをあげる』。馴染みの無い話だ。当然続く問題を解くべく、もう一度俺は質問した。
「誰に?」
「彼女」
緒志金はそう答えた。
緒志金はそう、答えた。聞き間違いだったらどれだけ良かっただろうか。
「彼女?」
「彼女」
「へぇ……」
かのじょ。
――緒志金には彼女が居た。
俺は妹に電話した。また自分の感情が暴走し始めたのを感じる。自分が何をしているのか深く考えることが出来ない。俺と緒志金は幼馴染みである。十年来の付き合いだ。友達だ。友達だった。友達だと思っていた。
だがこいつはいつの間にか、俺よりも一つ高いステージに立っていたらしい。
友人関係は対等な立場でしか成立し得ないのだ。だからこれは俺と緒志金の決別の瞬間だった。いや何を言ってるのか自分でも分からないんだけれども。
コール音を待って数秒。友人だったモノへ最後の
「もしもし?」
「なぁ、クリスマスプレゼントって何が良い?」
「は? キモい。何なのいきなり」
「いいから!」
「ハァ? え……、じゃ、じゃあ、お菓子」
「さんきゅ」
通話を切って、緒志金に向き直る。そして今し方聞いたことを、言ってやった。
「お菓子が良いらしい」
緒志金はもう見るからにドン引きしている。せっかく珍しくも思い切った行動をしてやったというのに何が不満だと言うのか。憤懣やるかたない。全身全霊を込めて睨んでやるとその表情のまま俺の表情を窺うような視線を向けてきた。
「いくら情緒不安定だからってこれはちょっと異常っつーか……、え、それは誰に聞いた意見なんだよ」
「妹だ」
即答してやると、緒志金は呆れたように額を抑える。
「お前、妹との関係めっちゃ複雑なはずだろ……。何やってんだよ……」
「女子の意見の方が役に立つだろ」
「そりゃそうだけども……」
緒志金はどんどん俯き気味になり、額に当てた手が自然に頭を抱える状態にシフトしていく。
「気を遣わんくて良いからって人選を間違えすぎたっつーか……。いやお菓子ってチョイスは多分それ想定が違うだろ。お前が妹に買って帰ると思われてないか? つーか矢尾お菓子買って帰れ矢尾。分かったか矢尾?」
「帰って良いのか? ぜひ帰りたいんだけど」
「そういう意味でもなかったけどいいや……うん。自分で考えるわ……後でメールするな」
「分かった」
俺は帰った。途中でバウムクーヘンを買う頭が残っていたのを褒めてほしいぐらいだった。良くやったな、俺。
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