第18話 千香面性
晩ご飯を食べ終わり、私は使用した鍋を洗おうと台所へと立ったその時、私のスマホが呼び出し音を鳴らした。
私はそのままコートの上に置いてあるスマホへと近づき、誰からの着信かを確認するも、そこには見た事の無い番号が映し出されている。つまり、電話帳に登録されていない人からの電話だという事が解り、なんだか怖くなった。
私の知り合いは片っ端から電話帳に登録してある。もちろん兄の分も。
これは、誰からの着信だろう……もし兄の友人とか、職場の人とかだったら、とても嫌だ……そういった関係の話は、今はしたくない。
「……千香、俺が出るか?」
瑛にぃが心配そうな表情を浮かべて、私の顔を下から覗き込んできた。
また心配、かけているんだ……と思うと、申し訳ない気持ちがブワッと湧いてくる。
「いいよ……私出る」
番号は十一ケタ。携帯かスマホからの着信。
私は意を決して、スマホを手に持ち、通話ボタンを押した。もし恫喝等をされた時のために、電話に出てすぐ録音アプリを起動する。
「もしもし……?」
「あ……もしもし? 前田千香さんのお電話で、間違いありませんか?」
なにやら女性の声が聞こえてくる。
若い声だが落ち着いていて、物腰も柔らかい感じ。嫌な気分にはならない。
「……はい」
「あ、良かった。えっとね、私タイセーの……元カノかな。元カノのジュンコって言うの。よろしくね」
……私本人だと分かった途端、イキナリ、タメ口になるのは、どうかなと思う……所詮は兄の元彼女。その程度の礼儀と、その程度の器量。マトモに育ってきてはいない人なんだろうな……と、思う。
「そうですか……」
「いやさ、タイセーが今日お邪魔したと思うんだけど……ごめんね、迷惑かけたみたいで」
「いえ……」
「今タイセーうちに来てるんだけど、すっごく荒れててさ……千香呼んでこいって叫んで暴れて……凄いんだ」
「……行きませんよ」
「あっ! 分かってる分かってる。絶対に来ないで。何されるか分かったもんじゃないからね」
ジュンコは焦ったような声を発し、私をなだめるように話をする。
「その事じゃなくてさ……タイセー警察に、追われてるでしょ……? 大した聞き込みじゃなかったけど、私んチにも警察来てさ……」
あぁ……大体察しがついた。
「それでね、被害届なんだけど」
「取り下げませんよ」
私が食い気味にそう言うと、ジュンコは小さな声で「あぁ……」と、落胆したような声を出した。
やはり、被害届の話らしい。皆どうして被害届を取り下げたがるのだ? 何故、犯罪者の肩を持ちたがるのだ……正義はどこだ? 意味が分からない。
「そ……そっか、それくらい、酷い仕打ち、されたんだもんね。でも」
「でもじゃないんですよ。彼氏の家に来て、猫殺して、ベランダに放り込んで……家に侵入しようとしたんですよ。あのまま家に入られてたら、今頃どうなってたか、分からないんですよ」
そう、兄は絶対、部屋に侵入するために猫を殺した。
あのまま部屋に籠城されても、手も足も出ないし、もし出てくるにしても、何時間も後じゃあ、兄自身も困る。
だから猫の死体を処分するために外に出てくるだろう、と兄は考え、テチヲの死体をベランダに放り込んだのだ。絶対に、そう。
許せない……許せない……。
「あの……タダとは言わないよ。示談金って、訳じゃないけどさ、いくらかお金は」
「なんでそこまでして、兄を庇おうとするんですか?」
私がまた食い気味にそう聞くと、ジュンコは「え? あ……んー」と口ごもる。
「特に理由が無いなら、このまま通報してください。犯罪者が家に居るって」
「……アイツ、そこまで悪い奴じゃないっていうか……いい所もあるでしょ? 妹なんだから、ひとつやふたつ、思いつくでしょ?」
「……兄は、中一の私の胸を、オモチャにしてました。犯そうとしました……確かに明るいし、一緒にいて楽しいと感じた事もありますけど、クズだと思っています。死んでも、涙ひとつ流れません」
「……死んでも涙流れない……って、マジで? 家族なのに?」
「マジですよ。本当にそう思っています」
私がそう言うと、ジュンコは言葉を失ったようで、黙りこんでしまう。
「要件はそれだけですか? だったら電話切ります」
「……アイツ、私の部屋に上がり込んですぐに、私の事犯した……っていうか、セックスさせられたけど、私、アイツが死んだら、やっぱり泣くよ……なんだかんだ憎めない所あるし、捕まらないで欲しいって思ってる」
……そうか、ジュンコは頭がオカシイんだ。犯されてなおも、アイツの肩を持つほどに、頭がオカシイ。
すっかり兄に毒されている。これは何を言っても、話にならない。向いている方向そのものが、違うのだから。
「解りました。匿うなら、どうぞご自由に。ですけど兄が捕まった時、事情を知っているジュンコさんも一緒に捕まるという事は、覚悟しておいてください。私は今直ぐ通報します。元彼女の家に居るって」
「……どうしてそんなに、冷たい態度なの? 私、何かした?」
ジュンコは突然、声を低くし、まるで威圧するかのように言葉を口にした。
「私はいつも、アンタと比較されてたのよ……若くない、顔が悪い、胸が小さい、料理が下手、付き合い悪い……千香のほうがいいって、毎日毎日、言われ続けてきたのよ。それでも私はいつか」
「……知りませんよ、そんな事。なんで急に身の上」
「……心が無いのは、兄妹揃って一緒だねっ……人の気持ちなんか、考えた事ないんでしょっ」
「あは……酷い言われようですね。ではジュンコさんは、私の気持ちを、考えてくれたんですか? 考えた結果、私に電話してきて、被害届を取り下げろって、仰ったのですか?」
私がそう言うと、ジュンコは再び黙りこんだ。
しばらく沈黙が続き、私は思わず「ふぅ」とため息をつき、ジュンコに向かって「切っていいですか?」と尋ねる。しかし、返答は無い。
「通報は国民の義務です。日本国民であるなら」
「うるさいっ! うるさいなぁっ! 捕まらせたくないって言ってるの! 犯罪者なんてこの先、どこも雇ってくれなくなるでしょっ! タイセーまだ二十三だよ! この先どうするの!」
ジュンコは突然、怒鳴り声を上げた。
相当興奮しているのか、怒鳴っているのに、声が震えている。
「自業じ」
「なんでそんなっ……そんな冷たいの! ホントになんで! 家族なんでしょっ! 助けたいとは思わないの!」
やっぱり、向いている方向が違う。違いすぎる。真逆だ。
「……もし、被害届を取り下げたら、兄は自由になります。自由になったら、次は何をすると思いますか?」
「それはっ……千香ちゃんと彼氏さんの所に謝りにいかせる……」
「兄と付き合って、何年ですか? 本気でそんな事、させられると思っているんですか? 違いますよ、また私の彼氏の家に来て、復讐をするんですよ」
「そんな事させないからっ……! ねぇお願い……私がちゃんと面倒見る……示談金も払うからぁ……被害届取り下げて……」
「……理解不能ですね。元カノが、元カレのためにそこまでするなんて……」
私が冷たい声でそう呟くと、ジュンコは「まだ好きだからだよぉ……」と、消え入りそうな声で、そう言った。
「心が無くても……暴力振るわれても……犯されても……私はアイツが好きなの……いつか改心してくれるって、信じてる……だから別れたのも、一時のつもりだった……またどうせすぐに私を頼ってくるって、思ってた……」
ジュンコは、なんておめでたい奴なんだ。
ソイツは、兄は、タイセイは、人を不幸にする事しか出来ない人間である。
誰かのために何かをしたり、心を入れ替えたり、優しくしたり、そういったプラスの事をする人間では無い。
アイツが通った後に残っているものは、全てマイナス。プラマイゼロですら無い。
「……懺悔なら教会でしてください。それじゃあ」
「待って千香ちゃん! 待って!」
私は何か言っているジュンコの言葉を無視して、スマホの通話終了のボタンを押した。
スマホをコートの上に置き、瑛にぃの顔を見る。
「えへ……兄の元カノからだった」
「あぁ、聞いてたから、大体わかった」
瑛にぃはそう言い、私の頭をポンと叩き、スッと髪の中に指を入れ、そのまま下げるように、撫でてくれた。
「……頑張ったな」
「うん。頑張った」
「……鍋、俺が洗う」
瑛にぃはそう言って、腰を上げようとする。
しかしそんな事、瑛にぃにさせる事は出来ない。今はとりあえず食休みをしていて欲しい。
「ああっ! 駄目だよ私が洗うんだから!」
私は瑛にぃの肩を掴み、グッと地面へと押し付けた。
「いいから、やらせて? ね? 私瑛にぃの……彼女だよ……? それと、被害届は瑛にぃが出したんだから、通報は瑛にぃがして。兄は元カノの家に居るって言えば、多分大丈夫と思うよ」
瑛にぃは私の顔を見つめながら、首を上下に、ゆっくりと振った。そして自分のスマホを取り出して、警察の人から「何かあったらこちらに連絡ください」と言われていた番号へと、電話をかけた。
その姿を確認し、私は安心して笑顔を作る。おもわず私も、首を上下に振った。
「さぁってっ! お鍋ちゃんー洗っちゃうぞぉっ!」
私は立ち上がり、台所へと向かって歩き出した。
早く終わらせて、瑛にぃの勉強を見てあげたい。瑛にぃの中にある不安の全てを取り去るように。完璧に大学に受かると思えるくらいに。してあげたい。
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