第16話 突飛な発想

 私は、愛する初彼のために、かなり気合を込めてお蕎麦を茹でている。

 スマホのタイマー機能を使い、完璧な茹で時間を目指し、血眼になってスマホの画面と鍋とを見比べていた。

 ここまで本気になるのなら、鰹節から出汁を取る所から作りたかった……希釈タイプの麺つゆを買ってきてしまい、後悔する。

「千香、そんなに張り付かなくてもいいんじゃないか?」

「嫌っ! 完璧なお蕎麦を作りたいの! おいしいーの作りたい!」

 窓ガラスに防犯シートを貼る作業をしながら話しかけてきた瑛にぃに、私はつい大きな声で答えてしまう。

 こういった怒鳴る声が嫌いだと言われているのに、私は今、興奮してしまい、心や声の調節が全く出来ていない状態だ。申し訳無いとは思うのだが、どうしても、直らない。

「はは……そうだな、俺も、美味しいのが食べたい」

 瑛にぃは優しい印象を受ける声で、そう呟いた。どうやら楽しみにしてくれているようで、頑張らなければと、改めて思う。


 じぃっとスマホのタイマーを見ていたら、突然画面が切り替わり、電話が鳴り出す。その時に私はつい「うわぁっ!」という声を上げ、驚いてしまった。どうやら実家から、電話がかかってきた。

「電話か?」

 瑛にぃが少し気にしているような声で聞いてくるので、私は「うん。家から」とだけ返事をし、通話ボタンを押して、スマホを耳へと押し当てた。

「千香! タイセイの事で警察から連絡が来たぞ!」

 父さんの、焦ったような、大きな声が、受話器から流れてきた。やはり、少し怒っているような印象を受ける。

 タイセイとは、兄の名前。大聖と書くのだが、アイツの何がタイセイなんだ、と思う。

「あ……そうなんだ」

「そうなんだじゃないだろ! お前今どこに居るんだ? 直ぐに帰って来い!」

「嫌だよ……兄に犯されるもん」

 父さんは私の言葉に、どうやら昔の事を思い出したようで「……犯させねぇよ」と、小さな声で言う。

 あの日の出来事が、未だにトラウマとして根付いているものだと、思っているようだ。確かに、トラウマなのかも、知れない。忘れたかと思ったら、思い出す。その繰り返しだ。

「あの野郎はボコボコにしてやるから。被害届取り下げろよ、な?」

「父さんが昔どれだけ喧嘩が強かったって言っても、もう兄には勝てないでしょ? 彼氏の家のほうが安全だよ。だから今日は帰らない。被害届は……一度取り下げたら、同じ罪ではもう届け出が出来ないんだよ……だから取り下げるのも、無理」

 私がそう言うと、父さんは少し間を取り、大きな大きな「はぁー……」というため息を、付いた。

「……犯罪さえ犯さなきゃ、お前がどこで何をやっていようと、自由だ。それはずっと、言ってきた事だ。そうだな?」

「……うん。だから今、彼氏の家に居るんだよ」

「……だけどな、これは家族の問題だ。家族の中で解決しなくちゃいけない。警察に介入させるような事じゃない。分かるだろ?」

 分からないでも、無い。確かにこれは家族の問題で、本来ならば話し合いで片付けるべき事案。

 だけどアイツは、兄は、タイセイは、絶対に踏み込んではいけない領域へと、踏み込んだ。それは誰に何と言われようとも、許せないし、社会的に制裁を受けなければいけない事。

 瑛にぃに迷惑をかけた事は、絶対に絶対に、許せない。

「……私と兄を話させたいっていうなら、兄を後ろ手に縛り上げて、椅子に拘束させてる状態か、面会室だよ」

「千香ぁ……手を出させないって言ってるだろ」

「アイツ、彼氏の家に殴りこみに来て、私が家に帰ったら……メチャクチャに犯すって……言ったんだよ……怖いに決まってるでしょっ……条件が飲めないなら、警察に全部任せる……」

 私の声は、震えだした。

 あの時の、兄の言葉は、冗談とか、そういうのじゃない。

 本気の本気で、私を犯すつもりだったに、違いない。

 そんな男と、面と向かって話し合い……? 馬鹿げている……無理に決っている。

 父さんと話していたら、段々と、段々と、腹がたってきた。

「……分かった。なんとかしてみる。だから帰ってこい。今日は大晦日だぞ」

「今日は帰らないって言ったでしょ……彼氏の家に泊まるから。それじゃあ」

 私はスマホの通話終了のボタンを押して、ガクッと肩を落としてうなだれる。

 父さんは、いつもそうだ……私のためを思って行動をするのだが、いつも間違っている。

 小六の時、母親なんて要らないとキッパリ言っておいたのに、何故か私には母親が必要だと思い込んでおり、再婚したのだ。意味が分からない。要らないって、言っていた筈なのに……何故いつも、私の意見を無視するのだろう。

「千香……大丈夫か?」

 いつの間にか私の後ろに立っていた瑛にぃは、心配そうな声を出して私の肩を、後ろからポンと叩いた。

 瑛にぃの声は、優しい。

「うんっ。大丈夫。ありがとう。あっ! あと二分でお蕎麦が茹で上がるってっ!」

 私は瑛にぃに背中を向けたまま、スマホの画面を見て、そう答える。

「……嘘をつくなよ」

 瑛にぃは私の背中から、覆いかぶさるようにして、私の体を、抱きしめた。

「あんな震えた声出しておいて、大丈夫はないだろ……」

「……う……うん。だだだ大丈夫では、無かったかな……あは……」

 大丈夫では無かったが、今はもう、大丈夫だ。

 もうすっかり、私の機嫌は直っているし、むしろとても、気分がいい。

 心臓のドキドキが、心地良い……。

「……でも今は、もう全然大丈夫……」

「……そうか」

 瑛にぃは私から離れ、私の頭を二度ほど撫でる。

「作業、全部終わったんだけど、何か手伝う事あるか?」

「ううん、大丈夫。もうそろそろ出来るから、座って待ってて」

 私はニッコリと笑う。心から笑う。

 こんな風に、ずっと一緒に居られたらいいな……ずっと、一緒に、いようかな……。

 別に、実家に住み続ける理由も、必要も、無いんだ。だったら本当に、このままここで、二人で住んじゃえばいい……。

 その方が幸せだし、その方が嬉しい。

「……瑛にぃ」

 私はちゃぶ台へと向かって歩いている瑛にぃの後ろ姿を見て、呼び止めた。

 瑛にぃは立ち止まり、すぐにこちらを振り返り「何だ?」と、優しい声で言う。

「一緒に住んだら、迷惑?」

 瑛にぃは、表情を固まらせた。

 私の顔を見て、驚いた表情のまま、動かない。

「……あ、迷惑なら、そう言って……ごめんね、変な事言った……まだ早いよね……ごめんね」

「いや……いいんじゃ、ないか……? 俺の方は、問題は無いが……」

 瑛にぃは私から視線を外して、地面を見つめた。そしてまた、頭をボリボリと掻いている。

「親御さんへの、挨拶とかも、あるよな……娘を、預かるんだから……」

 瑛にぃがそう言うと同時に、スマホのアラームが鳴り出した。

 私は瑛にぃの言葉とアラームとで、頭がかなりテンパっている。

「あわっ……! あわわわわ」

「と……っ! とりあえず蕎麦だ! 蕎麦やってくれ」

「う……うん! 蕎麦! 蕎麦美味しいの作る!」

 私は慌ててガスコンロの火を消した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る