第7話 好き好き大好き
私はスーパーで買ってきておいた、使い捨てのドンブリの中に電子レンジで温めたご飯を入れ、その上に出来上がったカツを乗せ、タレを少量かける。これでお昼ごはんであるカツ丼の出来上がりだ。
何か汁物が欲しい所ではあるが、人混みのせいでそこまでの気が回らなく、何も買っていない……うかつだったと後悔する。
「出来たよー松本君」
私はニコッと笑いながらドンブリの上に割り箸を乗せ、それを二つ手に持ち、ちゃぶ台の上へと置く。松本君は「あぁ、めっちゃ美味そうだな」と言い、いつもの三割増しに目を開いてカツ丼を見つめた。
もちろん美味しい自信はあるが、口に合うかどうかは本当に別問題。松本君の好みが、私の味覚の好みと近い事を願うばかりだ。
「美味しいとは思うんだけどね、口に合うかどうか」
「千香が作ったんだ、不味い訳ねぇだろ」
松本君はニコニコと笑いながら割り箸を手に取り、パキンとふたつに割った。そして私の顔を見て「頂きます」と言い、早速切り分けられているカツを一枚箸で持ち上げ、口へと運ぶ。
「うん……おぉっ……! すげぇうめぇっ! すげぇうめぇっ!」
松本君は目を大きく見開き、私の顔を見て、そう言ってくれた。
本当に、本当に、美味しいモノを食べているといった顔……。
「ああぁぁっ……ううう嬉しい……良かった」
私は心底安心し、ホッと胸をなでおろした。
「タレが染みてんだけどよ、まだ衣がサクサクしてる。卵も半熟でトロトロで、よく絡んでる……うわっすげぇな、もしかしたら生きてきた中で、一番美味いモンかも知れねぇ」
「えっ……」
「いや、ホントマジで! ホントに!」
松本君は目を見開き、感激している。こんなに興奮している松本君は、見た事が無い。
そんな松本君を見ていると、なんだろう……脳がどうにかなってしまいそうだ。脳が溶けて、耳とか鼻とかから流れ出てきそうになる。
嬉しい……嬉しい……嬉しい……。
「マジか千香……マジか……すげぇな……ほんっとうにすげぇって思う……尊敬するわ」
「そっ……そんな褒められても……困るよ」
「いや、褒めるっていうか……素直な感想だ。なんだろう、俺、本当にすげぇ感激してる。表現すんの下手だと思うけどよ、マジで美味いって事を、すげぇ伝えたい」
あの寡黙だった松本君の面影は消え失せ、目をキラキラと輝かせて、私の顔を見た。こんな饒舌な松本君は初めてで、なんだか私のほうが面食らってしまう。
「美味いものってのは……元気になるな。シュークリーム食って元気出てた千香の気持ちが分かるわ。俺は辛党だから、こういった甘辛い味付け、すげぇ好みで、元気出る」
「さ……先にすき焼きのタレの中に玉ねぎを入れてしんなりさせておいて、ほんのちょっとだけ焦がしておくのがコツだよ。揚げて、直ぐ切って、すぐタレに入れれるようにするの。卵は火を消してから入れて、固まりすぎないようにするほうが美味しいと思う」
「そうなのか……すげぇな、自分で考えたのか?」
「……うん。考えた」
あの時は、兄が喜んでくれる事が嬉しくて、何度も何度も作り、どう作ると一番美味しく出来るかを、考えていたものだ。
そのお陰で今、私の大好きな人の笑顔が見られている。あの時間は、無駄では無かった。
「そうか……千香はやっぱ、すげぇな。女性としての完成度が半端じゃねぇわ」
心臓が、ドキンと跳ね上がる。
視界がだんだんと、ぼやけてくる。
息がしずらい……呼吸が浅い……。
もう駄目かも知れない……ドキドキし過ぎで、倒れてしまいそうだ……。
「……女性として……?」
「ん? あぁ……料理上手いし、優しいし、一生懸命だし、すげぇ親身になってくれるし。言う事無しだ。理想の嫁さんになると思うぞ」
それは……松本君は、そういった目で、私を見てくれているっていう、事……?
私を嫁さんに欲しいとか、そういう、事……?
嫁さん……嫁さん……。
確かに二人は今、もう既に結婚出来る年ではある……でも結婚なんて、私には縁の無いものだと思っていたし、もし出来るにしても、もっともっと、ずっとずっと先の未来の事だと、思っていた。
それなのに、言うこと無い、理想の、嫁さんに、なる……なんて……そんな事言われたら……。
頭がどうにか、なってしまう……もう、どうにかなっているのかも、知れない……。
「ほんとマジでそんな……千香……? おっ……おい千香!」
「はぇ……?」
松本君は突然慌てた様子で私の顔を覗き込んでいる。そして何やらキョロキョロと部屋を見回して、テッシュを発見し、それを箱ごと取り、何枚かを引き出して、私の鼻へとあてた。
「血……出てるぞ」
「え……? 嘘……ほんと?」
松本君は首を上下にコクコクと振り、真剣な表情をして、私のおでこに自分の手をあてた。
「……熱、あるのか? 顔すげぇ真っ赤で、熱い……具合はどうだ……? しんどいか?」
確かに頭はボーッとしているし、顔は物凄く熱くなっていると思うが、それは風邪とか、そういったものでは無いと、思う……ドキドキし過ぎで、こうなっているんだと、思う……。
「ううん、しんどくない……ご飯冷めないうちに食べて……」
「……食いたいけど、何よりお前が心配だ……無理に料理作らせて悪かった……自分の事ばっかで、気付けなかった」
松本君は苦虫を噛み潰したような表情で私の目を見つめながらそう言い、立ち上がり、布団をゆっくりと敷きだした。
「……無理しないで、暖かくして寝ててくれ。俺、急いでコンビニ行って栄養ドリンクとかポカリとか買ってくるから」
「あっ……! ホントに! 本当になんでも無いよっ!」
「そうだとしても、心配だ。何かあってからじゃ遅いだろ」
松本君はそう言って、手早く真っ黒のコートを羽織り、玄関へと向かう。
「直ぐ戻るから。鼻抑えておけよ。血ぃ止まったら、先に食っててくれても、横になっててくれてもいいから」
必死な松本君に、これ以上かける言葉が見つからない。
私のために、あんなに焦り、行動してくれる事が、申し訳ないと思う反面、物凄く嬉しい。
「うん……分かった」
「じゃあ、行ってくる」
松本君は玄関の扉を開けてると直ぐに飛び出していき、外から鍵をかけていった。
私はその様子を、リビングから眺めながら「ほふぅ」と、ため息を漏らす。
あぁ……幸せだな……あんなに優しくて、私を褒めてくれて、頑張り屋さんで、気が合って、男前な人が、私のために血相を変えて、色々としてくれてるなんて……夢じゃないかと、思ってしまう。
私は鼻にティッシュを詰めて、松本君が敷いてくれた布団の上に、そろぉっと、乗っかった。
そして松本君の掛け布団を肩からかぶり、思わずスリスリと、頬を擦り付ける。
「あぁ~んもぉー好き好きっ大好きっ! 好きぃー好きぃーにゃーこんなに好きな気持ちになるなんてっ!」
私は布団を抱きしめ、部屋の中をゴロゴロと転がり回った。
「女性としての完成度が半端じゃない……料理上手いし優しいし一生懸命だし親身になってくれる……だってっ! いやぁーんもぉーっ!」
私は寝転がった状態で布団に腕と足を絡め、ギューっと抱きしめた。
脳内が、お祭り状態だ。誰にもこんな姿、見せられない。
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