第6話 きた

 松本君が眠ってからしばらく経ち、私はようやく下ごしらえの全てを終え、いよいよカツを揚げる時が来た。この家には揚げ物をする鍋が無いので、私は仕方なくフライパンに油を多めに入れ、そこで焼くように揚げる事にする。

 油の温度を調べる温度計も当然無いため、仕方なく少しだけパン粉をパラパラと入れてみた。すると静かなパチパチという音を立てて、綺麗な小麦色となる。少し火加減が弱いのかも知れないが、目を離さず、ジックリと揚げれば問題は無いだろうと思う。

 私はパン粉をまぶしたお肉を二つ、両手に持ち、フライパンの上にゆっくりと落とした。するとシュワシュワという綺麗だと感じる音が聞こえ、カツの下半分を熱しだす。

 どうやら問題は無さそうで、私はホッと胸をなでおろした。


 ジィーっとカツを見始めて少し経ち、暇だなぁと思い始めたその時、この部屋のチャイムが鳴り出した。それが何度も連打され、ピンポンピンポンと、けたたましく鳴り続ける。

 その音に松本君は目を覚まされ、体をガバッと起こして「クソが」と小声で呟き、急いで玄関まで走っていった。

 しかし今回はガキを開ける音も、扉を開く音も聞こえない。チャイムの音も消えており、カツの揚がる音だけが私の耳に聞こえてきている。

「ま……松本君?」

 私がそう声をかけると、松本君は頭をガリガリと掻きながら、リビングへと戻ってきた。そして、とても不機嫌そうな表情を浮かべながら、布団をたたみ始めた。

「どうしたの……? 何かあった?」

「……覗き穴から顔見てやろうと思って覗いてみたら、金髪の男の横顔だけがチラッと見えた」

 金髪……。

「なんか、すげぇ人相悪かった。眉毛無かったし、ピアスが耳に五個くらいついててよ……流石に扉を開けんの、躊躇しちまった。突然殴られても困るしな」

「……そうだね」

 私は動揺しながらも、再びフライパンへと視線を移し、特に意味なくカツをひっくり返す。

 何度も何度も、ひっくり返す。

「……誰なんだアイツ。全然心当たりねぇ……」

 松本君の困惑した声が、私の耳に届く。

「うぅっ……」

 このままでは勉強に集中するどころの話では、無い。私が松本君の邪魔をしている事になってしまう……本当に私が、邪魔者となってしまう……。

 嫌だ……嫌だ……邪魔されたくない……邪魔したくない……。

「……松本君」

 私は松本君のほうへと振り返り、顔を見つめた。

 松本君は私の顔を見た瞬間、不機嫌そうな顔から一転、微笑むような表情を作って「いい匂いだな」と言った。

 敵意の無い、上機嫌だけを乗せた笑顔を向けられたら、私が言おうとしていた言葉は、途端に引っ込んでしまう。

 ……嫌われたくない。瞬時に、そう思った。

「あ……うん。いいでしょ。カツはもう少しで出来る。あとはこっちの鍋で温めてある、すき焼きのタレの中にカツと長ネギを入れて、卵で閉じるの。それをご飯に乗せて食べるんだよ」

「そうか、じゃあ俺は飯でもレンジで温めるかな」

 松本君は台所へとやってきて、洗面台の下から先程買った五個パックのレトルトのご飯を、ふたつ取り出し、電子レンジへと入れて、ダイヤルをひねる。

「こっち来たら、ホントにすげぇいい匂いするな。すき焼きのタレのニオイか?」

「うん。カツもいい匂いするよ。でもすき焼きのタレのニオイが強いよね」

「あぁ。なんかすげぇ腹減ってきた。楽しみだ」

「うんっ。あとは私がやるから、松本君は座って待ってて。あ、勉強中は禁止のスマホも、見ていいし、ゆっくりしてて」

 私はニッコリと微笑み、松本君の顔を見る。

 すると松本君もニッコリと笑いながら「あぁ、待ってる」と言い、ゆっくりとちゃぶ台へと戻っていった。


 ……なんで、兄がここに来るんだ? もしかして、私をつけて来ていたのか? 松本君と歩いている所も、周りに誰もいないと思って踊り狂っていた所も、手を繋いで歩いていた所も、肩を抱かれて顔を真っ赤にしていた所も、一緒にスーパーの袋を掴んで歩いていた所も、全部、全部、見られていたのか……?

 そしてなんで、ピンポンダッシュなんて小学生がするようなイタズラを、するんだ? 

 あああぁぁぁ……畜生畜生……恥ずかしいし、ムカつくし……何より嫌なのは、兄が松本君と接触して、何をするつもりなのか、という所だ。このまま小学生のイタズラレベルで終る訳が無い……何かしでかす。アイツはいつもそうだ。何かしないと、気が済まない。

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