第5話 イチャコラ

 私達はなんとかお会計を済ませて、スーパーの外へと出てくる事が出来た。

 やはりスーパーの中は空気が淀んでいたんだ、という事が良く分かる。外の澄んだ新鮮な空気が、とても美味しい。私は深呼吸をして、グーッと体を伸ばす。凄く凄く、気持ちがいい。

「んぐぅーっ……ふはぁっ! ようやくミッション完了っ! お宝ゲットー!」

 私はスーパーの袋を高く掲げて、ゲームの主人公がアイテムを手に入れた姿を想像する。

「出た途端に生き生きしてるな。本当に人混み駄目なんだな」

 松本君が機嫌良さ気な声でそう言うと、掲げていたスーパーの袋を私から奪い取ろうと、手を伸ばす。

「あっ! 私が持つ! 前も言ったけど、右手あんまり使っちゃ駄目っ!」

 私はスーパーの袋を素早く下げて、抱きかかえ、松本君の顔を睨んだ。

「お前な、こんな事くらいで手が使えなくなる訳ねぇだろ」

 松本君がそう言うと同時に、私が抱きかかえている袋を掴む。そして少し乱暴に袋を引っ張るも、私も必死に抵抗するように、体を左右に振り、松本君の手を振りほどこうと、もがく。

「駄目なのっ! 心配して言ってるんだよ! 万が一があるでしょっ!」

 私はなんとか松本君の腕を振りほどき、少し小走りに松本君から逃げる。

「私運ぶからっ! 右手大事にしてっ」

「走るな、危ない。左で持つから持たせろって」

 私の小走りは松本君が普通に歩く速度とそう変わらないらしく、私はすぐに追いつかれてしまい、松本君は左手を伸ばして、袋を握った。

 どうにもお互い、頑固な所がある。お互い相手を思って言ってる事なのに、心のすれ違いが生じてしまっている。

 気遣いって、難しい。

「あっ! じゃあじゃあ、半分ずつ持とうよ。松本君こっち持って」

 私はそう言い、袋の持つ所のひとつを松本君に差し出し、その反対側を私が持った。松本君は「……ったく」と不満そうな表情を浮かべるも、どうやら嫌では無いらしく、大人しく私に従う。

 そしてそのまま歩き出すも、身長の差のせいか、どうにも歩きにくい。それに荷物の分の横幅が増えてしまい、前から人が歩いてきたら、避ける場所がなく、危険だと思う。

「……あれ、思ってた感じと違う。なんか、歩きにくいね」

「だから、俺が持つって」

 松本君は私が握っている袋の持つ所をグッと掴み、そのまま私から袋を奪い取ってしまった。

「あっ! もぉーっ! ちょっともぉ馬鹿っ! かえしてっ!」

「そんな睨むな。俺が持つって」

「私が持つのっ! 持ちたいのっ!」

「俺だって持ちたい」

 私は松本君から袋を奪い返そうと、腕を必死に伸ばすも、松本君はまた私の頭に手を置いて、私の動きを静止させる。

 その時の松本君の顔は可愛く微笑んでいて、無邪気だと言う印象を受けた。

 こんな下らない事だと言うのに、なんだかとても楽しい。全身に血が滾り、こんなにも、生き生きしていられる。松本君も、生き生きと体を動かし、ニコニコと笑っている。

 最初は全然気が合わないと思っていたのに、今はこんなにも、楽しくふざけ合えている事が、信じられない。第一印象なんて、アテにはならないと、知った。こんなにも気が合う男性は、初めてだ。私は私で居られて、きっと松本君も、松本君で、いられていると思う。松本君のこの笑顔が、嘘とはとても、思えないから。

 松本君の隣が、私の正しい居場所のような、気がする。


 私達は松本君のアパートへと到着し、早速私はお昼ごはんの準備を始める。

 今日のお昼はカツ丼だ。昼にしては多少重いと思うが、夜はお蕎麦しか食べる予定は無いので、まぁなんとか食べて貰おうと思う。

 私は手を洗い、早速カツ丼の下ごしらえをする。カツ用の豚ロース肉に塩と胡椒を振り、それを馴染ませるようにモミモミモミモミと、愛情をたっぷり込めて揉む。

「ふふふーんふふーん」

 私が鼻歌を歌っていると、ちゃぶ台で勉強をしている筈の松本君が「何の歌だ?」と、私に向かって話しかけてきた。

 勉強に集中していない事に対して、ほんの少しだけムッとするが、私は松本君に背中を向けたまま「なんか教育テレビのやつ」とだけ答えて、再び鼻歌を歌いながら料理を続ける。


 アパートに帰ってきてから数分後、再びこの部屋のチャイムが鳴る。

 しかも今度は、ピンポンピンポンと、何度も何度も連続して鳴らされ、松本君は「チッ」と舌打ちをしながら立ち上がり、ノソノソと玄関に向かって歩き出した。

「ほんっとに、暇な奴が居るな」

 そう呟いた松本君の顔は、とても苛立っているように見える。

 玄関のほうから鍵を開ける音と扉を開く音が聞こえ、再び「チッ」という舌打ちの音も聞こえてきた。察するに、また誰も居なかったのだろう。

「クソ……なんなんだ」

「松本君、怒らないで。とにかく今は集中だよ」

 リビングへと戻ってきた松本君は頭をボリボリと掻きながら、再びちゃぶ台へと座りシャープペンを握った。

 しかし、どうやら集中力が途切れてしまったらしく、何度も何度も頭をボリボリと掻きながら「はぁ」とため息をついている。

 気持ちは分かる。集中していた事にケチがついたような気がして、どうにも集中が出来なくなってしまう。邪魔される事が一番腹が立つのだ。

 更に言うと、松本君は昨日の夜、あまり眠って居なかった。睡眠不足というか、体調不良もまた、集中を妨げる要因のひとつである。

「……イカンな。心が乱れてきた」

「……松本君、ちょっと横になりなよ。ご飯出来たら起こすから」

 私がそう言うと、松本君は私のほうをチラッと見て「いや、勉強が嫌なんじゃねぇんだよ」と言って、頭を再びボリボリと掻きむしる。

「こう……集中出来ないっつぅか、中に入りきれないっつうか……」

「分かる分かる。ケチついたら私もそうなるよ。だからちょっと眠って、起きてご飯食べて、リフレッシュしよう」

 勉強の第一段階は、脳味噌の記憶容量を広げる事。第二段階はそこに詰め込む事。第三段階はそれを引き出しやすくする事。第四段階は応用する事だ。第一第二段階はどんな馬鹿でもある程度は出来るが、この第三段階と第四段階は、集中する事が出来ないと難しい。のめり込む事が大切。

 今の集中を欠いている松本君では、いくら勉強した所で何の意味も無い。だったら一旦眠って、気分良く再開したほうが、効率がいいのだ。

「いや……出来る筈なんだよ」

「出来ないの。絶対出来ないから。あっ! でもそれはね、松本君が悪いんじゃないんだよ。邪魔が入ったのが悪いし、寝不足も関係してると思う。だから、ね? 一旦眠って、一番いい状態で勉強しよう」

 私はそう言って、松本君の顔を見つめて、ニコッと笑った。

 松本君は私のその顔を見て、渋々と言った感じに立ち上がり、部屋の隅に折りたたまれてあった布団を敷く。

「少しだけ眠る。すぐ起こしてくれ」

「うんうん、分かってる。おやすみぃ松本君」

 私は手をヒラヒラと振った。すると松本君は一瞬「ふっ」と笑い、右手を前に出し、遠慮がちに手を振り返し、そのまま布団の中に潜り込み、目をつぶった。

 可愛いな、やっぱり。

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