第4話 心を守られる
歯磨きと洗顔を終え、私達はスーパーへと買い物に来ていた。
話には聞いた事があるが、大晦日のスーパーは、人で溢れかえっている。それを目の当たりにし、人混みが苦手な私は、歩いているだけで頭がクラクラとしてきた。
人は大勢集まると、どうしてこうも遠慮をしなくなるのだろう。平気で私へとぶつかって来て、謝りもしないで立ち去っていく人、三人。足を踏まれる事、二回。プライスレスな体験が出来て、嫌になる。
「ううぅぅ……」
「大丈夫か?」
松本君が心配する言葉をかけてくれては居るのだが、正直、大丈夫では無い。出来る事なら早々にここから立ち去りたい。
「うん……あの、蕎麦……何割蕎麦が好き……?」
「……正直、蕎麦粉の多いやつは、あんまり好きじゃない……口の中パサパサしねぇか?」
「そうな……ふぐっ」
平気で私へとぶつかって来て、謝りもしないで立ち去っていく人、四人……いずれも違う人だが、全員が私より背の小さなジジィだった。
畜生ジジィめ……年寄りという肩書は、謝らなくても良いという権利を得ている訳じゃないぞ。むしろ若者に、正しい人間としての姿を見せるべきだろ……。
そういえば信号無視しているのも、道路にツバを吐くのも、大抵は不良かジジィ。あぁもう、嫌だ嫌だ……早く外に出たい。ジジィ嫌い……。
「チッ、糞ジジィ……買い物、俺がしておくからよ、千香は外で待っていてくれていいぞ」
松本君は私を心配してくれているらしく、私の背中を支えながらそう言ってくれた。
「ううん、大丈夫……ありがとう松本君」
私は松本君の気遣いが嬉しく、それだけで元気が出てくる。
元気は出てくるのだが、実際問題の頭のクラクラは、良くならない。私は松本君が押しているカートの端をギュッと掴み、ボーッとする頭を何とか働かし、カゴの中身を確認した。
「玉ねぎとネギ、ダシ……油……パン粉と小麦粉と卵……あ、あと、すき焼きのタレも、買おう」
「……すき焼き?」
「カツ丼に使えるの……美味しいよ」
私はカートから手を離してトテトテと歩き、すき焼きのタレがある棚へと手を伸ばした。しかし、年寄りの押しているカートが、私の足にゴスッと当たり、私と棚の間に無理矢理カートを押し込むようにして、割り込む。
なんだと、言うのだ……本当に。
「いたっ! いたた……」
「千香っ! 大丈夫か?」
すかさず松本君が私へと近寄ってきて、痛がる私の事を心配してしゃがみ込み、ぶつけた所をさすってくれる。
そしてそのまま、年寄りの顔をキッと睨み「おい」と、声を発した。
眉間にシワを寄せ、これでもかというくらいに、怖い表情をしている……。
「謝るくらいの事、出来ねぇのか?」
「あ? 何が?」
ジジィも負けじと、不機嫌そうな表情を作り、松本君の顔をギロッと睨む。
「いいから、松本君……早く買い物終わらせよ」
私がそう言うも、松本君は相当腹が立っているのか、しゃがんでいた体を起こし、とても高い身長から見下ろすように、身長の低いジジィの顔を、睨みつけている。
「当たったんだよ、謝れよ」
「しつけぇぞガキ! ソイツ良いって言ってるだろうが!」
ジジィは更に不機嫌そうな表情を浮かべ、歯が抜けているからか、ハッキリしない口調で文句を言っている。
「俺の連れなんだよ。俺が良くねぇんだよ」
「なんだお前! 邪魔だからどけ!」
ジジィはそう言い、握っていたカートを松本君の体へぶつけようと、前に押し出した。
しかし松本君はそのカートを掴み、今にも殴りかかりそうな表情で、ジジィの顔へと自分の顔を近づける。
「謝れ。訴えるぞ。防犯カメラっつうのがあんだぞ」
「はぁあ? このガキ!」
「店員さんっ! 警察呼んで下さい!」
松本君は大きな声で叫んだ。
するとジジィは一瞬、体をビクンと跳ねらせたかと思うと、大きな声で「糞ガキがっ!」と叫び、自分のカートを蹴り飛ばし、人混みの中を無理矢理かき分けながら、ズンズンと出口のほうへと歩いて行った。
反対側からは、お年を召した女性の店員さんが「どうしました?」と言いながら、人混みをかき分けて向かってきている。
「いえ、何でもありません」
松本君は未だ怖い表情をしながら、すき焼きのタレを棚からヒョイと取り、カゴの中へと入れて、私の手を握り「行こう」と、言った。
「あわっ……あぁぁぁ……」
私は色々な事が一瞬のうちに起こっていたので、頭の中が混乱しており、素直に松本君の手に引かれるまま、歩き出した。
松本君は怒った表情をしながらも、細心の注意を払って歩いており、人がひしめき合っている場所だと言うのに、人とぶつかる事は一切無く、スイスイと歩いている。
と言うより、松本君が歩くと、何故か人が避けているように感じ、私とは真逆なんだな、と、思う。
存在感の違い、だろうか? 確かに松本君は、背が高くて男前で、目立つ。
「クソジジィが……許せねぇ」
「あ……あぁあ……松本君……怒らないで」
「痛くねぇか……? 結構思いっきり当たってたように見えたが……」
「う……うん……あ、でも私、アザとか出来やすいから、アザにはなってるかも……」
私がそう言うと松本君は更に怖い表情をする。もうとっくにあのジジィは居ないと言うのに、何故そんなに怒りが湧いてくるのだろうか……。
「これからは手を離すな。危ない」
「う……うん、分かったよ」
手が、繋がれている……こんなに長く繋いだままなのは、初めてだ……。
ドキドキする……心臓が張り裂けるようなドキドキでは無く、温かい感じの、ドキドキ。
守られているって、感じるからだろうか。
料理に必要なものをカゴに入れ、私達はレジ待ちの長い長い列に並ぶ。全てのレジが開放されていると言うのに、それぞれの列に二十人以上が並んでいる。一体何人の人間がこのお店の中に入っていると言うのだろうか。
開放されているレジの数が十五だとして、並んでいる人数の平均が二十……つまり三百人が今現在並んでいるという計算か……凄いな、三百人。どこから湧いて出てきたのだろう……。
「凄い人だねぇ……進まないね」
松本君は私の顔を見て、申し訳なさそうな表情を作り、私の手を強く握った。
「すまんな……千香は先に外で待っててくれてもいいんだぞ」
「ううん。一緒にいたい」
私がそう言うと、松本君は一瞬、驚いた表情をした。そして繋がれている手を見つめ、少しだけ暗い顔をして、俯いてしまう。
なんなんだろう……松本君には未だ、良く分からない部分がある。
「どうしたの……? 私変な事言った?」
「……いや、手、強引に掴んで、悪かったなって」
松本君は私の手を離そうと、手の力を緩める。しかし私はそれが凄く嫌で、松本君の手を思い切りギュッと握った。
「なんでなんで……? 悪くないよ。嬉しいよ。あっ……松本君が、嫌だった……?」
「……すまん、嫌じゃない。俺も……嬉しい」
松本君は困惑した表情を作り、再び私の手を握りしめた。どうやら嫌では無かったようで、安心する。
「それとね、さっきさ、私の事で怒ってくれて、嬉しかった」
「……あのジジィがな、無礼過ぎなんだよ」
「そうだけど、嬉しかったよ。嬉しかった……」
私がそう言うと、松本君はギュッと目をつぶり、私の手を握る力を、更に込めた。
「……お前を守らなきゃいけないって、クリスマスイブの日に、思ったんだ……お前が人混みの中、辛そうに歩いているのが、たまらなく嫌だった……それでジジィのカートに轢かれた時、理性を失いそうになるほどブチ切れてな……ぶん殴ってやろうって、本気で思った……」
「松本君……」
「それと、自分が許せなかった……近くに居たのに、千香を……傷つけてしまってっ……」
松本君はそう言うと、私の手をグッと引っ張って私の肩を抱く。
私の頭は自然と、松本君の胸へと押し当てられる。
「はわっ……! ま……松本君っ……!」
私の心臓はバクッと跳ね上がり、思わず発した声は、裏返ってしまっていた。
あぁあ……バクンバクンが止まらない……視界が歪み、何も考えられなくなる……。
「……すまん、この人混みだと、立ってるだけでしんどいだろ……寄りかかっていいからな」
私はバクバクする心臓のせいで声を発する事も出来ず、松本君の腕の中で首を上下に振った。
息すらも、満足に出来ない……それくらいに、ドキドキする……なんとか頑張って鼻で呼吸をするも、松本君のニオイが、私の鼻に届き、更に、ドキドキが激しくなる……。
あぁ……松本君に、殺される……殺されるけど……今こうして死ねるのなら、それは凄く、幸せな死に方だと、思う……。
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