第3話 千香ダンス

 私と松本君は駅前にあるコンビニの中へと入り、歯ブラシコーナーを物色していた。

「そういやよ、ここって俺のバイト先なんだけど、久々に昨日の夜、三時まで入ったんだよ。年末で人がいねぇって言われてよ」

 松本君が旅行先に持っていくような歯ブラシセットを手に取り、値段を確認しながらカゴの中へと入れた。

 そして何の気なしに、レトルト食品の棚へと二人でフラフラと向かう。

「すげぇ暇でさ、一時間に一人、客が来るかどうかだった」

「ほへぇ……やっぱり年末だから?」

「あぁ、先輩が言うには、毎年年末はこんなもんらしい。んで、年始もやっぱり人が少ないってよ。お陰でずっと参考書読んでられたよ」

 松本君はお米のレトルトパックを手に持ち、ニコッと笑いながらそれを四つカゴに入れる。そして次に牛丼のレトルトパックを手に取り、賞味期限をチラッとだけ見て、またカゴに入れた。

「そうなんだね。眠くない? 大丈夫?」

「あぁ。寝不足っちゃあ寝不足だが、なんて事無い感じだ」

 続いて中華丼、そして麻婆豆腐丼と、次々とレトルト食品をカゴの中に入れていく。

 今日のお昼と夜の、二人のご飯のつもりだろうか。

「……ねぇ松本君、レトルトばっかだね」

「あ? あぁ。カレー無くなったしな」

「お蕎麦は? 食べないの?」

「……ソバ?」

 松本君は少しだけ考えた後に、ようやく私が何を言っているのかを理解したらしく「あぁ」と言いながら、レトルト食品を全て棚に戻した。

「年越しだもんな……忘れてた」

「それに、今日聞くのも変な話しだけど、実家とかには帰らないの? ご両親、心配してると思うけど」

 私がそう聞くと、松本君は鼻で「ふっ」と笑い、目を細めた。

「あぁ……きっと俺には帰ってきて欲しくないだろうしな」

「え? なんでなんで? 何かあったの?」

 私がそう問いただすと、松本君は自分の頭をガリガリと掻き、私の顔をチラッと見た。

 少しだけ、寂しそうな表情にも見える……一体、なんだろう。

「……別に、何があったって訳じゃないんだけどな。受験に失敗して、居づらいっていうか、両親の目がな……辛い」

 苦笑いを浮かべながら、松本君は私の背中をポンと叩いて、歩き出した。恐らく「行こう」という合図だろう。私は黙って松本君の後ろを付いて歩く。

 松本君はカゴの中に唯一残っている歯ブラシセットだけを手に持ち、カゴを元の場所に戻して、歯ブラシセットをレジへと持っていき、精算しようと財布を取り出した。

「あっ! 私払うよ。私の歯ブラシだよ」

 私が慌ててそう言うと、松本君は振り返り、私の頭にソッと手を乗せて、私が近づく事を拒んだ。

「いいから。俺のせいだろ。それに歯ブラシは、有ったほうが今後も便利だ。出させろ」

「で……でも! 歯磨いて来なかったのは私だよ!」

「いいんだって」

 松本君はニコニコとした笑顔を浮かべ、何やら嬉しそうに財布から五百円玉を取り出した。

 本当に、嬉しそうだ。こんなに嬉しそうな松本君は、そうそう見れない。

「うぅ……ありがとぉ」

「だからいいって。その代わりと言ったらなんだが……」

 松本君は店員からお釣りを受け取り、歯ブラシを私へと渡して、もう一度私の背中をポンと叩き、出口へと向かって歩き出した。

 私もその合図と同時に、出口へと向かって歩く。

「後で、スーパー行ってよ……蕎麦の材料買うから、また……なんだ」

 松本君は嬉しそうな顔から一転、今度は少し、はにかんだような表情を作り、髪の毛の中に手を突っ込み、頭皮をボリボリと掻いている。

 お風呂には入っている筈なのだが、松本君はシャンプーが合っていないのだろうか、良く頭を掻いている姿を目撃する。癖だとは思うのだが……少し心配になる。他のシャンプーも試してみて欲しい。

「ん? お蕎麦作るの?」

「……作るっていうか、作って欲しいって、言うか」

「あ! ごめんごめん、作るの? っていうのは、私がって意味だった。全然いいよっ! 口に合うかどうか分からないけど、作る作るっ!」

 私は嬉しくなり、松本君の顔を見ながらニコニコ笑った。

 まさか、松本君から料理を作ってくれとお願いしてくるとは、思っても見なかったので、本当に本当に、嬉しい。そんなに私のカレーが美味しかったのかな……なんて考えると、嬉しくて暴れたくなってしまう。

「そうか、楽しみだ」

「楽しみにしててっ! 私が料理作ると、やる気出る?」

「あぁ、すげぇ出る」

 松本君は、今までで最高の笑顔を作り、そう言った。

 それを見た私は、凄く凄くテンションが上がる。今まで感じた事の無いほどに、心から元気が溢れ出てくる。

 私は思わず両手を広げて、クルクルと回りながら歩いた。私達の他に歩いている人の居ない道は、私の適当なダンスを披露するステージと化す。

「ああぁぁ~っ! やる気出るなら毎日作るっ! 今日はお昼にカツ丼作る! 夜にお蕎麦ね! 明日はお正月だからお雑煮とか! ごぼう入れると美味しいんだよっ!」

「おいおい、コケるなよ千香」

「コケたら助けてねっ! あははっ楽しいっ! すっごく楽しい気分だよぉーっ」

 私は延々と「あはは」と笑いながら、クルクルと回り、松本君の先を歩く。時々見える松本君の顔は、ずっとずっと笑顔であり続けていた。


 コンビニから歩き始めて数分後、私達は松本君のアパートへと到着した。そこの一階の真ん中らへんに、松本君の部屋がある。

 松本君はコートのポケットから鍵を取り出し、鍵穴へと差し込み、半回転させて鍵を開け、そしてドアノブをひねり、扉を開けた。

 私は早速、コンビニ袋から歯ブラシセットを取り出して、歯ブラシに歯磨き粉を付けて、口の中へと放り込む。そしてそのまま洗面所へと向かった。

 洗面所にある鏡には私が映り、とても生き生きとした表情で、歯ブラシを咥えていた。

 目はしっかりと見開かれており、ほっぺたは健康そうに赤く染まっている。口角も上向きになっており、本当に昔の自分とは別人のように、見える。

 昔の私は、人相が悪かった。常に睨んでいるような目をしており、口角も常に下向き。お喋りも、出来る事ならあまり、したくは無かった。

 意識の違いで、ここまで変わるものなんだな……と、思う。


 私がシャコシャコと歯を磨いている最中、この部屋のインターホンが鳴り、私はつい洗面所から玄関のほうを見つめた。

 松本君は「誰だろ」と呟きながら、洗面所の前を通り、玄関へと向かった。

 カチャッと言う音が鳴り、鍵が外れた事が解り、ガチャッという音で、玄関が開かれた事が分かる。

「あれ……? なんだ?」

「あに? ろーしたの?」

 私は歯ブラシを咥えたまま松本君にそう尋ねると、松本君は「いや、誰もいねぇんだ」と言いながら、玄関のドアを閉めた音と、鍵をかけた音が聞こえる。

「……イタズラか? 大晦日に、暇な奴が居るな」

「ホントらね。めーわく」

 私は口の中の泡をペッと吐き出し、洗面台に置かれているコップへと視線を移した。

 そこには、松本君の歯ブラシが入っており、このままでは使えない。

 そもそも、使ってもいいものなのだろうか……これってもしかして……もしかして……。

「まっ……まふもと君……コップない?」

「ん? あるだろ、あるやつ使ってくれ」

 玄関からの帰りがけに、松本君は洗面所へと立ち寄り、口の回りを泡だらけにした私の顔を見て「ふっ」と、笑った。

「わっ……わらぅなぁっ!」

「わりぃ。俺の歯ブラシが邪魔だったんだな」

 松本君はそう言って、自分の歯ブラシをひょいと取り「ほら、使ってくれ」と言った。

 私は鏡に映っている松本君の目を見つめ、更に頬を赤くしている。

 ……私、普段からこんなに頬を赤くしていたのか……と思うと、なんだかとても恥ずかしくなってしまう。こんなの、好意があるのがバレバレでは無いか……。

「うぅっ……借りるね」

 私はおずおずとコップを手に取り、そこに水を入れ、そっと、口を付けた。

「あっ……そ……す……すまん」

 松本君は突然驚いた表情……というより、何かに気がついたような顔をして、急に目をキョロキョロと泳がせた。

 ……やっと、気がついたらしい。鈍感な奴め……。

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