3

 背後から金太郎が声をかけるまで、水妖鬼は彼の存在に気づいていなかった。

「――!?」

 恐怖に眼を皿のように見開いて、水妖鬼が金太郎の方を振り返る。

「な、なんだと……」

 もはや、その顔に妖魔の邪悪さは一片もなく、恐怖に打ち震え、憔悴しきった敗北者と化していた。

「それはな、貴様の痛みじゃない。貴様の心が痛いんだよ」

「心だと? 馬鹿を言うな。俺はな――」

「鬼だと言いたいんだろう? 鬼には心などない、と。残念だが、違うな。お前は、俺の仲間の三郎なんだよ」

 金太郎は言った。

「弱い心を持った人間なんだよ、お前は」

「ふざけるなよ、金太郎! いいだろう、俺が人間なのか、鬼なのか、貴様を殺してはっきりとさせてやる!」

 水妖鬼は、自らを奮い立たせるように吠えると、右肩を押さえながら立ち上がった。

 金太郎が斧を構える。

 水妖鬼の左腕が槍と化した。

 走った。

 瞬間、左腕が閃光となって突き出される。

 速い。

 だが、水妖鬼が桃太郎と森の中で一戦交えた頃、そして、足柄山で金太郎を翻弄していた頃の切れと精確さ、速さはない。

 水妖鬼の余裕のなさがここにも現れていた。

 ましてや、金太郎は今や「神の戦士」として覚醒を果たしている。

 だから、水妖鬼の槍の動きを見切ることなど、金太郎にとってはたやすいことであった。

 そして、無数に繰り出される槍の間をかいくぐって、斧を一閃する!

「ぎゃああああああ!?」

 水妖鬼の口から絶叫が迸った。

 今度は、左腕が肘のあたりから断ち切られていた。地面に転がった瞬間、槍は元の姿に戻り、しばらくの間のたうちまわっていたが、やがてそれもやんだ。

「おのれぇ…おのれぇ…金太郎めぇ……」

 凄まじい形相――まさしく鬼であった――で金太郎を睨みつける水妖鬼。

 以前の金太郎であれば恐怖に身がすくみ、動けなくなっていたであろう。

「どうやら、本当に俺は勝てぬらしい。だが、だが、俺は認めぬ。俺は鬼だ。天魔王様とともに地上に下った鬼の統率者の一人だ!」

 再び、水妖鬼が地を蹴った。

 そのとき、水妖鬼の身体の輪郭が崩れ、まるでアメーバの如く、否、その名の通り水の如く空中に広がった。

「貴様の骨と肉、一気に溶かして喰らってやるわ!」

 水と化したその身体が金太郎の全身を押し包んだ瞬間――

 おお!

 金太郎が黄金色に輝く戦斧を天高く振り上げた瞬間――

 突如足許より噴き上がった眩いばかりの光の柱に、水妖鬼は全身を呑まれ、灼かれた。

 耳をつんざく絶叫。

 戦斧の一撃により左右に分断された水妖鬼の身体は、聖なる光の渦に焼き尽くされ、消えていった。

 そして金太郎は、そのとき、光の中で微笑み、やがて天高く去っていく三郎の姿を幻視していた。

 終わったな――

 雨は、いつの間にかやんでいた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る