2


 男は、普段自分が寝泊まりしているという粗末な小屋に、金太郎を連れていった。

 小屋は、羅生門から少し離れたところに、ぽつんと建てられていた。いや、今にも傾いで壊れてしまいそうな小屋が、何とか現状を維持していると言った方が正しいだろう。

 二人は、囲炉裏を挟んで座っていた。

 金太郎が、彼の身に起こった悪夢の如き出来事を話し終えたとき、

「――奴がこの都に姿を現したのは、今から十日ほど前のことです」

 火をおこしながら、男はゆっくりとした口調を崩さずに語り始めた。

「……」

 十日ほど前といえば、金太郎の人生を狂わせ、彼の眼の前から奴が消えた時期と一致する。

「〝死〟が、地獄を引き連れて歩いている――今思い出すだけでも、寒気がします」

 男は、その日、羅生門の前に立ち、閉ざされた門の向こうに眼をやって、嗤っていたのだという。

 凄まじい笑みだった。

 その男の周りの空間が歪んで見えた。邪悪な妖気が全身から噴き出し、空間を歪めているのだ。

 その日は雨が蕭々と降っていたが、妖気のせいで男の周りだけ切り取られたかのように雨が降っていなかった。

 雨さえも、恐れているのだった。

 見る者の心を地獄に引きずり込む眼。

 動けなかった。

 奴が、こっちを見て嗤ったのだ。

 凄まじい妖気の風が身体を押し包み、総毛立った。少しでも弱みを見せれば、その瞬間に精神を引きちぎられ、衰弱死してしまったろう。

「これでも、数年前に鬼をたおしたことがあるのですよ」

 男は、自嘲気味に笑った。

「それが、一歩も動けなかった」

「鬼を、斃した――?」

「ええ。いろいろとありましてね。あのときは、能力があったのです。何処からともなく湧き出してきた能力が。けれど、奴を見た瞬間、その能力が失われていくのを感じました」

 囲炉裏で、炭がパチッとはぜた。

「それほど、凄いのか」

「凄いというか――私は、奴の眼を見た瞬間無間むげんの地獄をかいま見ました」

 金太郎は、ごくりと喉を鳴らした。

「恐らく、ここへ来るまでの十日間、奴は何人もの人間を喰らっているのでしょう。人間の恐怖を吸収し、奴は強くなっています」

「――だが、俺は奴を殺さなければならない。奴は、俺の全てを奪っていったんだ」

 あのときのことを思い出すだけで、口調が荒くなる。怒りの炎が、心の中で渦巻くのだ。

「勝てると思うのですか?」

「俺には、この斧がある」

 金太郎は、二枚の刃を持つ巨大な戦斧を握りしめた。

 そうだ、神の斧だ。

「いいでしょう。その斧で、私を殺せるか、試してみて下さい」

「――!?」

 男の口調が、金太郎のに障った。

「さっきから気になっていたんだ。あんたのその言葉がな。――いいだろう、やってやるよ」

 金太郎は立ち上がると、斧を構えた。

 やれやれというように、男が立ち上がる。

 錫杖を手にすることもなく、金太郎と対峙する。

「何故、錫杖を持たない?」

「必要がないからですよ」

「その言葉――後悔するなよ!」

 言い残し、金太郎が床を蹴った。

 風が唸り、戦斧が空を薙ぐ。

「な――!?」

 驚愕の声は、しかし、金太郎の口から上がった。

 戦斧の刃が男の胴を分断する寸前、彼の手が動き、その刃の進行を阻止したのだ。

 しかも男は、人差し指と親指の二本だけで、つまむように受け止めていた!

 びくともしない。

 万力のような力で、押さえつけられている!?

「あなたは、自分の力に頼りすぎている」

「――!?」

 男が指を弾くと、金太郎はたたらを踏んで、やがて尻餅をついた。

 ば、馬鹿な…。

 金太郎の眼は、驚愕に大きく見開かれていた。

「神の武器は、力で使ってはいけないのです。心で使うのですよ。そうすれば、この世で断てないものはありません」

 男は微笑んで、金太郎に手を伸ばした。

 その手を掴みながら、金太郎が立ち上がる。

「本当に何者なんだ、あんたは」

 尻についた埃を払い落としながら、金太郎が笑う。

 男は、さてと微笑んで、その問いには答えなかった。

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