足柄山無惨変
1
暗い森の中を疾っていた。
空には月が輝き、無数の星辰が瞬いているが、森の中まではその光も入っては来ない。
たとえ光が射し込んでいても、それでも森は暗く感じられただろう。
そう感じさせるほどの妖気が、森の中に満ち満ちていた。
それでも金太郎は、枯れ枝や落ち葉を踏みつぶし、ずんずん森の奥深くに分け入っていく。
恐怖など感じなかったと言えば嘘になる。事実、金太郎の心の中に、再び恐怖が生まれつつあった。
毎日のように通っていた森の中も、全く別の世界のように感じられるからだ。
ここは、もはや我等の世界ではない。
魔界だ。
あの樹も、あの叢も、全て奴の妖気に犯され、地獄の化物と化した、そんな錯覚さえ生じる。
何かが嗤っている。
ヒヒヒ…。
ククク…。
人間の声ではない。では、何だ?
化物か。
恐ろしかった。人外の化性が棲みつく魔境に足を踏み入れることの恐怖――それは、ともすれば金太郎の心を崩壊へと導こうとする。
しかし、それを押し留めているのは、ひとえに怒りであった。
静をさらわれた怒り。
友を殺された怒り。
恐怖のあまり、動くことすら出来なかった自分への怒り。
そして、人間の純粋な心を弄ぶ魔物への怒りであった。
その激しくも熱い想いが、金太郎の身体を三郎の、いや、魔物のもとへと衝き動かすのであった。
程なくして、凄まじい臭いが金太郎の鼻を突いた。
血だ。尋常でないほど濃密な血の臭いが、微かな風に乗って運ばれて来る。
どう考えても一人や二人の血ではない。
やはり、良太たちは奴に――三郎に殺されたのだろうか…?
「くそっ」
と呻いてそばの木の幹を拳で殴りつけたとき、その振動で何かが頭上からどさっと音を立てて落下するものがあった。
何だ?
とそれに眼をやったとき、金太郎の口から恐怖の叫びが迸った。
首のない死体だった。
いや首だけでなく、両腕ももぎ取られてなかった。こうなっては、もはや誰の死体なのかわからない。
わかるのは、男であること。
若い男の胴体であった。
「な、なんということを……」
恐怖とあまりの怒りのために歯の根が合わない。全身が震える。
もう止められない。
金太郎は斧を強く握りしめ、咆哮した。
「出て来い、三郎!」
森の中を、金太郎の叫びが谺する。
その余韻が消え去ろうとするとき、それと入れ替わるように何かが聞こえてきた。
いたいよう…いたいよう…。
たすけてくれぇ…。
しなせてくれぇ…。
微かに、風の吹く音に乗って聞こえてくるその声は、紛れもなく良太たちのものであった。
金太郎は、友の名を呼んだ。
「何処にいるんだ! 生きてるのか!」
ここだよぅ…きんたろう。
しにたいよぅ…。
声のうちの一つは、金太郎の頭上からした。
振り仰ぎ、声の主を捜す。
程なく見つかった。
「うわあああぁぁぁ!?」
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