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 昼が過ぎ、夕方近くになっても、良太たちは戻っては来なかった。

 再び、村人たちに恐怖が這いよる。

 良太たちが戻らなかったことで、あの三郎の皮をかぶった化物は、足柄山に向かったのではないか、そして、もしかしたら良太たちは奴と遭遇して殺されたのではないか、そういう憶測が流れた。

 誰かが金太郎にそう言った。

「何故、あのとき、三郎を助けたのだ」

 誰かが、三郎が自殺するのを助けたことについて、今さら詰問した。

「あのとき、三郎が死んでいれば、こんなことにはならなかったのに!」

 無茶な理屈だった。

 誰が、こうなることを予想できたというのか!

「くそ!」

 全てを、俺に償わせようと言うのか!

「くそ!」

 何故、自分たちに降りかかった災いに、自ら立ち向かおうとしない!

 何故、生贄を差し出し、恐怖に怯えながら生き長らえようとするのか!

 だが、彼らの感情を考えたとき、その内容に間違いはないようにも思われた。

 死のうとする三郎を止めたのは確かに金太郎だったし、三郎が死んでいれば、化物となって村人を殺すこともなかった。

 殺されたのは、父であり、息子であった者たちなのだ。

 何と言われても、金太郎には反論できなかった。

 もし自分が彼らの立場なら、同じことを言っていたかもしれない。

 村に、恐怖と絶望の帳が下りていた。

 鬼に魅入られた村。

 もはや、生き残る術はない。

 かといって、先祖代々住んできたこの村を去ることも出来ずに、村人たちは家の隅で怯えていた。

 そうして鬼の蹂躙を受け、やがて死んで、死に絶えていくのだ。

 いや、すでに村は死んでいるのかも知れない。

 三郎――鬼の恐怖を取り除かない限り、村が再生することは先ずあり得ない。

 それをやるのが、俺だ。

 金太郎は自分の家に戻り、斧の刃を砥石で研ぎ始めた。

 凄愴な顔をしていた。

 憔悴しきってもいた。

 言葉が出なかった。

 斧を持つ手が震えている。

 恐怖のためだ。

「――――」

 自分が行くしかないのだ。

 それが、村人の誰もが望んでいることであり、唯一の解決策なのだ。

 生贄。

 そうかも知れない。

 しかし、もはやそれでもいいと思っていた。

 きっと生きては帰れまい。

 金太郎には、自分の死が見えている気がした。

 奴は、人知を超えた化物だ。

 まともにぶつかって勝てる筈がない。

 それに、静ももはや生きてはいないだろう。

 恐らく激しい凌辱を受け、そして身体を引き裂かれて…。

 その光景を想像した途端、激しい怒りが衝き上げてきた。

 やがて怒りが恐怖を押し退け、身体を奮い立たせる。

 三郎よ、俺が、殺してやる。

 巨大な斧を肩に担ぎ上げ、金太郎は家を出た。

 家の前には、村人たちが集まっていた。

 みんな、すがるような眼で金太郎を見つめている。

 金太郎が一歩踏み出したとき、彼らは誰からともなく道を開け、跪き、合掌した。

 南無阿弥陀仏…南無阿弥陀仏…。

 祈っていた。

 何に祈るというのだ。

 自分たちの未来を、そして業の全てを、俺に任せるというのか!

「くそ――!」

 いいだろう、背負ってやろう。

 全てを俺が背負い、奴に引導を渡してやる。

 やがて、ゆっくりと疾走に移る。

 振り切るように。

 ずんずんと疾っていく。

 何処までも追いつめてやる。

 恐怖は、嘘のように消えていた。

 あるのは、炎の如き怒りだけであった。

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