それから数週間後、夏の暑さは峠を折り返し、ゆっくりと秋の気配が近づいていた。


 その数週間は体調不良や試験勉強を理由に、図書館へは顔さえ出さなかった。

 図書館の先生はクラスメイトを通じて、私に心配の声をかけてくれ、今まで通い詰めて仕事をしてよかったという安堵(動機はさておき)と、かなりの罪悪感にさいなまれた。次に会うときは私の好物、ブラックサンダーを献上して心の折り合いを図ろうと思った。先生ごめんなさい。


 彼とはそれ以来、ぴったり会わなくなってしまった。

 そもそもが、私たちの行動範囲内に図書館が重なっていただけのことで、図書館に行かなければほとんど会うことはないのだった。彼からも直接声がかかることもないので、彼の現状ははっきりとしない。

 今も図書館にいるのだろうか? 相変わらず同じ本を読み続けているのか? 少しぐらいは気になった。

 でも彼への好意は、なぜだか緩やかに萎んでいた。

 そのきっかけとなったのは、やっぱり咲子の存在なのだった。


 私が一番懸念していたのは、委員会の仕事よりも彼よりも、咲子とこれまでと同じような関係でいられるかどうかだった。

 咲子はこの件を知る由もない。関係を続けられるのは、私の気持ち次第だった。


 彼が咲子を好きだったことで、咲子へ嫉妬することはなかった。一度冷静になってみれば、「咲子がなにかをしたわけではない」という当たり前の考えに帰結して、粘着性溢れる感情は幸いにも抱くことはなかった。

 それでも図書館を飛び出した後の数日間は、咲子の顔を見る度に彼の微笑みが頭の中でちらついた。そんな私はやはりどうしても不自然に映ったようで、私と咲子にしか分からない感覚で距離を置いてくれたみたいだった。

 そのときは「ああ、咲子が遠くに行っちゃう」と焦りと喪失感が襲った。同時に半ばヤケになって「どうにでもなれ」と思う自分がいて、心底自分を嫌う日々が続いた。


 そしてそれはつい昨日のこと。国語の先生が「今日は蝉の声が聞ける、最後の日だ」と言っていたのを覚えている。確かに校庭から聞こえる鳴き声が一段とうるさかった。


 帰りのホームルームのすぐ後、咲子が私の机にお尻をどかっと乗せた。「あんた、今日暇でしょ?」


 驚く暇もなくて顔をあげみれば、すぐ前に咲子の顔があった。眉をよせ、怒っているようにも何か痛みをこらえているような、そんな表情だった。「ひーまーでーしょ?」


 咲子にすごまれて私は「暇です!」と、なぜか敬語でこたえる。


「じゃあ行こうか」


「どこに行くの?」


「売店だよ、アイス買いに行こう」


 そう言うと咲子は私の手をひき、学校にほど近い売店へ歩いた。売店に着くやいなや「夏の終わりはアイスだからね」とソーダ味のアイスを二本購入し、一本を私に渡した。店の前のベンチに腰かけ、二人でアイスをなめた。


「あんたはこうでもしないとね。私が待ってたら離れていっちゃいそう」と、絞り出すような声で咲子は呟いた。

 いつになく真剣で頼りない声だったので私は動揺し、そんなことないよ、と言いかけた瞬間だった。私は自分が持つアイスの棒から「当」の文字を見つけ、先に「あ」と口からこぼれた。

「なに?」と驚く咲子も、アイスの先端からのぞく「当」の字を見て表情を和ませた。「当たりじゃん」と笑顔で言う。



 それからの出来事は、きっと誰にも信じてもらえないと思う。

 私は当たり棒を売店で代えてもらい、同じアイスを食べた。するとまた「当たり」の字が出た。咲子と私は顔を見合わせ、二人でくつくつと笑った。三本目のアイスは咲子にあげた。

「あんたはこういう運は強いんだね」と軽口を叩いた咲子は、手に持つアイスを見て目を丸くした。またまた当たっていた。


 そしてアイスは、なんと10本連続で当たった。

 売店のおばちゃんも疑うことをせず「二人は仲が良いからかねえ」と一緒になって喜んでいた。

 私たちは両手にアイスを大量に持ち、飛び跳ねて騒ぎ、日が暮れるまでげらげらと笑いあった。


 軽く奇跡のようなことを起こしたけど、それをきっかけに私はすっかり気持ちが楽になった。

 人の気持ちは簡単だ、特に私のような単純な人間は、些細なことで変化する。でも、そんな人間だから分かることもある。私が大切にすべき気持ちはどれなのか、単純に考えれば分かることだった。


「ね? 私にはこれが分かってたの。なんでもお見通しよ」

 満面の笑みで言う咲子に、私は敵わない。これからもずっと。

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