白き子狐と秘伝の書

村瀬香

第1話 奪われた『秘伝の書』


 この世界で暮らす人々は、生まれたときに世界の創造主たる『ストーリーテラー』から一冊の本を贈られる。

 本には持ち主の一生が記されており、人々は本に書かれた『物語』を何の疑問も抱かずに演じて過ごしていく。


 ――じゃあ、真っ白な本を贈られた僕は、どうやって生きていけばいいのだろう?




 異変が生じ、混沌に飲まれたストーリーテラー……『カオステラー』による物語の歪みを正すため、エクス、レイナ、タオ、シェインの四人は、物語から物語へと移動を続けていた。この物語で構築された世界のことを、彼らは『想区』と呼んでいる。

 想区をひとたび出れば、先の見えない『沈黙の霧』と言われる濃霧で覆われており、想区で暮らす人々は誰もがそれには近寄らない。

 だが、想区を転々としているエクス達にとって、それは移動のために必要なことであり、何度も通っている今となってはあまり躊躇うことなく入って行ける。

 今回も深い霧を通り、どれほど歩いたか分からなくなりそうな頃、ようやく沈黙の霧を抜け出すことが出来た。


「よっしゃ! ようやく抜けた!」


 最初に口を開いたのは、四人の中で最も背の高い灰色の髪の青年、タオだった。

 彼はようやく抜けた長い霧に歓喜にも近い声を上げ、辺りをぐるっと一望する。

 霧が広がっていたのは、木々の生い茂る森の中のようだ。後ろを見れば霧の中に木々が生い茂っており、出た先にも木は生えているものの、終わりなのか数は少なくなっている。


「今回はすごく歩いた気がするね」


 タオに続けて、右肩から斜め掛けにしたベルトの背中側に剣を差した青年、エクスが疲労を滲ませて呟いた。

 沈黙の霧がどれほどの広さなのかは計ったことはないが、それにしても体にのし掛かる疲労感は今までより大きい。

 四人は森を歩き、横を通っていた道に出る。

 すると、一番背の低い黒髪の少女、シェインがある方向を見て、やや感情に乏しい声を上げた。


「おおー。ザ・田舎って感じですね」


 森を出た先に広がっていたのは、長閑な田園風景だった。

 四人が立つ道を視線で辿れば、太陽の位置から想定して西の方に作物の実る田畑と村がある。まだ距離があるせいで家も小さいが、特に問題が起こっている様子はない。

 額に庇代わりの片手を当てて村を見ていたエクスは、平和な空気に構えていた気持ちを和らげた。


「今のところ、異変はなさそう?」

「ええ。この想区からカオステラーの気配は感じられないから、問題はなさそうね」


 エクスの隣で辺りを見渡していた白髪の少女、レイナは、カオステラーの気配を感じ取ることができる。

 気配を追ってカオステラーを見つけ次第、『調律の巫女』であるレイナは歪みを正し、物語をあるべき姿へ戻しているのだが、今回、訪れた想区からカオステラーの気配は感じ取れなかった。

 もしもの襲撃に備え、辺りを警戒していたタオは、緊張を解きほぐすように一息吐いた。


「じゃ、ひとまず、休憩できそうなとこ探そうぜ」

「そうだね」


 想区に辿り着いたばかりで、ここがどんな世界なのかは分からない。ただ、目の前の長閑な風景を見る限り、大きな争いは起こっていないようだ。あまり長居はできないが、少し休むくらいならいいだろう。

 異論を唱える者もいなかったため、四人は視界に入る村へと歩き出す。

 だが、タオは妹分であるシェインが足を止めて進行方向とは反対を見て固まっていることに気づいた。


「…………」

「シェイン、どうかしたか?」


 シェインはじっと道の先を見たまま動かない。道は緩やかにカーブを描いており、先は森の木々に遮られて見えなかった。

 タオが不思議に思いつつも声を掛ければ、彼女は視線を外さないまま手短に答えた。


「毎度お馴染みの、悲鳴が聞こえます」

「毎度お馴染みって……あ。本当だ」


 聞こえる『それ』に対し、茶化しつつも言ったシェインに緊張感が漂う。

 エクスも耳を澄ませてみると、確かに、微かではあるが聞こえてきた。タオとレイナも聞き取ったのか、辺りを見回して悲鳴の主を探す。

 悲鳴の主はシェインが見つめたまま視線を外さなかった道の先から現れた。


「たっ、助けてぇぇぇぇぇぇ!!」


 道の先から走ってきたのは、シェインと同い年か少し下くらいの白髪の少年だ。

 首に巻かれた常盤色の大きめのショールが目を引くものの、やや色落ちした藍色の服はシェインとタオのものと少し似ている。ここは『桃太郎の想区』に近しいのかもしれない。


「なんだぁ?」


 必死の形相から察して、彼の身に只ならぬ出来事が襲っているのだろう。

 やや間を置いて、少年が走ってきたカーブの先から姿を現したのは、レイナの発言からしても存在するはずがないものだった。


「クルルルル!」

「大変! あの子、ヴィランに襲われてるじゃないの!」


 少年を追う黒い塊は、カオステラーが手先として送り込んでくる敵、『ヴィラン』の群れだ。額に青い炎を灯す丸い頭に兎の耳にも似た長い触覚を持った、よく見かけるタイプのものだった。

 長距離を駆け抜けてきたのか、エクス達を視界に入れた少年は息を切らせながらも声を振り絞る。


「はっ、はぁっ……お、お願、い……! たすけ……あうっ! いたたたた……」


 遂に足が縺れて転倒した少年は、打ち付けた体の痛みと一気に襲いかかる疲労から、地面にうつ伏せになったまま動けなくなった。

 それでも何とか手を突いて上体を起こすも、追っ手は少年の真後ろに迫っていた。


「クルルルゥ!」

「ひぃっ!?」


 ――食べられる。


 振り上げられた鋭い爪に死を覚悟する。

 反射的に頭を腕で庇うも、次に聞こえたのは何かが空を切る音と少年の掛け声だった。


「はぁっ!」

「クルアアァァァァ!」


 続けて、追っ手の悲鳴が耳を劈く。

 咄嗟に体を硬直させていた少年は、一向に襲ってこない痛みに不思議に思いつつ、腕はそのままで首を傾げた。


「あ、あれ?」

「大丈夫かい?」


 混乱する少年に、間一髪、少年を挟んで剣をヴィランに向かって振るったエクスは声を掛ける。

 突然のことに動揺を隠しきれていない少年は、目を何度も瞬かせながらもエクスを見上げて礼を言った。


「う、うん。ありがとう」

「あれ? 君、その耳と尻尾は……」

「あ」


 漸く安心できたのか、少年がゆっくりと手を下ろす。

 その下に隠れていたものに、今度はエクスが目を瞬かせる番だった。

 少年の頭には、本来ないはずのものがある。そして、腰の辺りにも。

 頭の上のそれ……狐のような白い耳と腰から生えた白いふさふさとした尾が、エクスからの指摘に緊張したようにピンと伸びた。

 緊張を隠すためか長い尾を掴んで抱き締めた少年だったが、会話を打ち切ったのはエクスに遅れて到着したタオだった。


「話は後だ。先にヴィランどもを蹴散らすぞ!」


 そう言い終えるが早いか、四人はそれぞれが本を取り出して栞を挟んだ。何事かと目を瞬かせる少年の前で、四人の体が光に包まれて隠れる。

 眩さに目を瞑った少年は、瞼の向こうで光が収まったのを感じて恐る恐る開いた。


「あ、あれ……?」


 そこにいたのは先ほどの若い男女四人ではなく、まったく別の姿をした者達だった。

 それぞれが剣や杖、槍を手にヴィランを蹴散らし、兎のような耳を持つ少女が短めの杖を振れば傷が消えていく。

 あっという間にヴィランは数を減らし、最後の一匹が短髪の少年の剣によって倒された。


「小さいからって、甘く見ないでよね!」

「す、すごい……」


 唖然とする少年の前で、四人は再び光に包まれ、それが収まると最初に見た姿の四人がいた。

 タオとシェインが辺りを気にする傍ら、エクスとレイナは少年の元に歩み寄った。


「大丈夫?」

「う、うん。助けてくれてありがとう。お兄ちゃん達も術が使えるんだね。『変化』したからびっくりしちゃった」

「変化……。まぁ、あながち間違いではないけれど……」


 真実は『ある方法』によって別の者の力を借りているのだが、果たして少年に言っても理解してもらえるかは怪しい。そもそも、易々と人に話せるものでもないのだ。

 言い澱むレイナだったが、シェインは気にせずに少年を見て問う。


「その耳と尻尾を見た感じ、あなたは『狐』ってやつですか?」

「うん、そうだよ。この辺りは僕達、『妖狐』の縄張りで、僕の母様がその筆頭なんだ。『狐の嫁入り』を行った、人間の間でも有名な妖狐なんだよ!」


 危険が去ったことで恐怖から逃れられた少年は、どこか誇らしげに母について語った。この想区についてはまだよく分からないが、少年の母親が想区の物語に絡んでいそうだ。

 ただ、聞き慣れない『狐の嫁入り』というものについて、エクスは首を傾げた。


「『狐の嫁入り』って?」

「あれ? お兄ちゃん達、遠くの人? 狐の嫁入りは、代々、力ある妖狐がお嫁に行くとき、人間に見つからないように皆で雨乞いをして、花嫁行列を雨で隠すの。晴れていても雨が降ったら、それは狐の花嫁行列なんだよ」

「いわゆる、『お天気雨』とも呼ばれるものですね」

「そうそう。村の人達はそうとも言ってたね」


 少年の説明にシェインが付け加えれば、彼はすっかり恐怖心をなくした無邪気な笑顔を見せた。

 だが、すぐに何かを思い出したようにはっとした。


「あ、そうだ。僕は『常葉ときわ』。お兄ちゃん達は?」

「僕はエクス。よろしくね」

「レイナよ」

「オレはタオ。で、こっちが……」

「シェインです」


 それぞれが名乗れば、少年、常葉は四人を順繰りに見て名前を繰り返す。

 どうやら、彼の中では先ほどの戦闘でエクス達への尊敬の念が強く芽生えたようだ。


「お兄ちゃん達はどうしてここにいたの?」

「うーん。なんて言ったらいいかな。さっきみたいな敵を倒すために旅をしているんだ」


 シェインと同い年か下くらいには見えるが、言動のせいだろうか。やや幼く見えるため、言葉も自然と難しくないようにと選んでしまう。

 レイナは常葉の頭についていた葉っぱを取ってやりながら、彼はただ道でヴィランと会ったのではないなと確信めいたものを得た。


「ねぇ。常葉はどこであれに会ったの?」

「えっと……僕、さっきまで森で特訓をしていたの」

「特訓? 一人でか?」

「そう。僕、妖狐の中ではまだまだ子供だから、母様を守れるような立派な妖狐に早くなりたいの」


 常葉は幼い瞳に決意を灯し、強く言った。彼の母が聞いたらさぞ喜ぶことだろう。

 一人で行っていたのは、周りを驚かせたいかららしい。


「母様から貸してもらった、『秘伝の書』を読んで特訓してたんだけど――」


 常葉の特訓場所は森の奥にあった。

 仲間に見つからないように目を盗んで群れを抜け、『秘伝の書』を読みながら歩いていた。早く一人前になりたい常葉にとって、歩いている時間も惜しかったのだ。

 頭の中でシミュレーションを繰り返し、書に綴られた文字を目で追う。


「『変化の術は、印を結び、宝珠に念を送り、変化する姿を思い浮かべる。そして……』……ええっと、これ、なんて読む、うあっ!?」


 足首に何かが当たったと思ったときは既に遅く、体は宙に舞っていた。

 地面の上に滑り落ちた衝撃は辺りに散っていた落ち葉のお陰で多少はマシだった。それでも、打ち付けた体と顔面から滑り込んだために擦った鼻頭はじんじんと痛み、引っかけた足首も地味に痛みを訴える。


「いったたたた……。根っこに引っかかっちゃった……」


 両手を突いて起き、振り返って引っ掛かった物を確認する。

 大抵は地面に埋まっているはずの根が、一カ所だけうねって地表から顔を覗かせていた。

 なんとも意地の悪い木だ、と内心でぼやきつつ服についていた泥や葉を叩いていると、ふと、手にしていた物がないことに気づく。

 転ける直前まで、自分は何を持っていたかを。


「あれ?」


 焦りが生まれ、足下を見回す。躓いた辺りを見ても、土が僅かに抉れているだけで何も落ちていない。

 さぁ、と血の気が引いた。


「ひ、秘伝の書がない!」


 母から譲り受けた大事な書物だ。彼女からは無くさないようにと言われている。

 それを無くしたとあっては帰れない。


「どっ、どうしよう、どうしよう。一体、どこに――あ!」


 少し遠くに飛んだのかもしれない。

 慌てて辺りを見渡せば、少し離れた先で見慣れない黒い妖怪を発見した。そして、その手にあるものに視線は釘付けになった。


「クルル……?」

(わ、見たことない妖怪だ。大丈夫かな……?)


 この辺りは妖狐の縄張りであり、他の妖怪は滅多に入ってこない。

 それでも、目の前の黒い妖怪は見たことも聞いたこともない姿だ。

 一歩近づけば、黒い妖怪はこちらに気づいて警戒するように唸った。


「クルルゥ」

「あ、あの、それ、僕のなの。拾ってくれて、ありがと――」

「クルルルルゥ!」

「え!? わ! ちょっ、か、返して!」


 書を返してもらおうと手を差し出したが、黒い妖怪は鉤爪のような手で振り払い、怯んだ隙に反対方向へと駆け出した。

 慌てて追いかけた常葉だったが、その足はすぐに止められることになった。

 太い木々の間を抜けた先に待ち構えていたのは、無数のヴィランの群れ。


「ひゃっ!? よ、妖怪さんが一杯……!」


 自分以外の妖狐なら、対抗手段はあったかもしれない。だが、まだまだ半人前とも言い難い常葉では、到底太刀打ちできる相手ではなかった。


「クルルアアァァ!!」

「あ、ああ……うわああぁぁぁぁ!!」


 黒い妖怪が一斉に咆哮を上げたと同時に、常葉は震える足を叱咤して来た方向へと引き返した。

 そして、森を抜けて走っていたときにエクス達を見つけたのだ。

 少し前の出来事を思い返していた常葉は一つ息を吐いてから、自分がここに生きられていることを改めて感謝した。


「お兄ちゃん達に会えなかったら、僕、きっとここにいなかったよね……。本当にありがとう」

「ううん。よく頑張ったね」


 転けたときの傷だけで済んだのが不幸中の幸いだ。

 エクスが常葉の頭を撫でてやれば、今まで黙って話を聞いていたシェインが口を開いた。


「あの、ひとついいですか」

「なんだ?」

「強くなりたいと思うのはいいのですが、歩きながら本を読むのはオススメしません」

「あう……。ごめんなさい……」


 根本的なところを叱られ、エクスに撫でられて嬉しそうだった常葉の耳と尾が下がる。シェインの言葉は最もなので反論はしない。


「これに懲りたら、もう歩きながら本を読まないことですね」

「や、やらないよ!」


 まさか、こんな怖い目に遭うとは思っていなかった。

 レイナは辺りを見渡してヴィランの影がないことを確認してから訊ねる。


「ちなみに、その秘伝の書を持って行ったヴィランはどこに行ったか分かりそう?」

「えっと、多分、村の方に行ったと思う。書には妖狐の霊力が染み着いているから、なんとなく分かるよ」


 周囲の気配を探れば、妖狐の霊力の残滓が残っていた。途切れ途切れではあるが、向かっている先には村がある。

 すると、常葉が秘伝の書を察知できる仕組みを今一つ理解できないのか、タオが首を傾げつつレイナを見て言った。


「お嬢がカオステラーを感知できるのと同じ感じか?」

「かおすてらー? 妖怪さん?」

「ま、まぁ、そんなところね」


 聞き慣れない単語に常葉は目を瞬かせる。

 今後のことを考えれば下手に説明しない方がいいと、レイナはぎこちないながらも誤魔化した。

 さらに流すために、また、想区の異変を確認するためにも、エクスは想区の住人である常葉に訊ねる。


「ここ最近、変わったようなことは起こってない? さっきみたいな妖怪がたくさん出てくるとか」

「変わったようなこと……うーん。特にないかなぁ。さっきみたいな妖怪は初めて見たよ」

「そう。なら、ヴィランはカオステラーの影響ではないのかしら……」


 先ほど、追求されまいとカオステラーについては軽く流したものの、レイナは自らで呟いた。言ってから「まずい」と気づいたものの、常葉を見れば彼はどこか落ちつかない様子で辺りを……主に村の方をちらちらと見ていた。

 常葉にとってカオステラーの存在がどういったものかより、気になるものがあったのだ。

 レイナと視線が合うと、常葉は不安と緊張の混じる表情で服の裾を握って問いかけた。


「ね、ねぇ。お姉ちゃん達は、あの妖怪さんを倒すために旅をしているんだよね?」

「ええ、そうよ」

「どうかしたか?」


 先ほど、エクスが言葉を選びつつ説明したことだ。妖怪というには存在が違う気もするが、訂正するほどのものではない。

 四人の視線を受け、常葉はぎゅっと目を瞑ると勢いよく頭を下げた。


「お、お願いします! あの妖怪さんから、一緒に『秘伝の書』を取り返してください!」


 言葉遣いも正した彼は、エクス達に会ってからもずっと奪われた秘伝の書を気にかけていた。

 突然のことに唖然としてしまった四人だが、すぐにエクスが我に返って常葉に声をかける。


「と、常葉! 頭下げなくても大丈夫だよ!」

「ううっ。でも、母様が、『誰かにものを頼むときは、ちゃんとお願いしなさい』って。……あれ? 僕、もしかして、やり方間違えてた?」

「間違ってはないけど、びっくりしたかな」


 それまで敬語を使うことのなかった幼い子供が、切羽詰まった表情で頭を勢いよく下げたのだ。一瞬、何事かと思った。

 苦笑するエクスに代わり、レイナが常葉のお願いに対する答えを出す。


「持って行ったのはヴィランみたいだし、それはもちろん構わないんだけど、その『秘伝の書』ってどんな本なの?」

「えっとね、妖狐に伝わる術とか、この辺りに棲む妖怪のこととかかな」

「マジかよ。じゃあ、さっさと取り返さねぇと、面倒なことになっちまうんじゃ……」


 もし、それが誰かの手に渡りでもしたら。もし、悪用されたりでもしたら。この想区が危険に晒される可能性がある。

 だからこそ、常葉は先ほどから落ちつきなく村の方を気にしていたのだ。


「そうなの。でも、僕、人間が怖くて……村に行ったなら、尚更、僕一人じゃ取り返せそうもないし……」

「人間が苦手って……私達も人間よ?」

「…………」


 泣きそうな声音で言う常葉だったが、レイナ達からすれば耳を疑う言葉だった。

 別の者の力を借りて戦いはするが、歴とした人間だ。ただ、シェインは常葉寄りの存在だが。

 レイナに言われ、常葉はぴしりと固まった。

 沈黙が五人の間を流れる。

 長いようで短い沈黙は、レイナの言葉を脳内で反芻し、漸く理解した常葉の我に返った声によって破られた。


「……はっ!」

「待って! 逃げないで!」


 脱兎の如く逃げ出した常葉をエクスが慌てて止める。

 少し離れた木の陰に隠れた常葉は、顔を少しだけ覗かせて四人の様子を伺う。


「ぼ、僕のこと、たっ、食べたりしない?」

「食べないから!」


 狐の姿ならまだしも、人間の姿である常葉を食べる様を想像したくない。

 恐ろしいことを聞いてくる常葉にエクスは血の気が引くのを感じつつも返せば、彼はやや声量を落としてさらに問いかけた。


「…………皮を剥いで、防寒具にしたりとか……」

「怖いこと言わないでちょうだい!」

「僕、こう見えても毛艶には自信あるんだよ!?」

「そこは主張しなくていいから!」


 本性であろう狐の姿のときに、一体、どんな危険な目に遭ったのか。もはや想像するのは困難だろう。

 だが、二個目の質問に関しては、シェインがぽつりと呟いた言葉のせいで、常葉からの信頼が瓦解しかけることになった。


「狐の毛皮……確かに、温かそうですね」

「ひっ!」

「こら、シェイン」


 シェインの呟きは傍にいるエクス達でも聞き取れるかどうかの大きさだったが、怯えて木の陰に隠れた常葉の様子から察するに彼には届いていたようだ。

 物騒なことを呟いた妹分をタオが軽く叱れば、彼女からは「ほんの冗談ですよ」と返された。


「だ、大丈夫。だから、とりあえず出ておいで? そっちにいたら、またヴィランに襲われるかもしれないし」

「え!? や、やだ!」

「おっと」

「素直だな……」


 どうにかして戻ってきてもらおうと、少し可哀想ではあるが怖がらせるようなことを言ってしまった。

 だが、効果は抜群で、常葉は木の陰から飛び出すとエクスに飛びついた。

 母親の言いつけを守るところといい、常葉は周りの言葉を素直に受け取るようだ。それが逆に危険な気もするが。

 人間が怖いなら、なぜ、自己紹介をしていたときは平気だったのかとレイナは訊ねることにした。


「ねぇ、どうして私達を怖がらなかったの? 助けたってのもあるだろうけど……」

「んー……なんて言うのかな? お姉ちゃん達、なんだか『人間じゃない匂い』もするから。特に、シェインお姉ちゃんは」

「…………」


 さすがは狐といったところか。シェインは見た目こそ普通の少女だが、その実は鬼の一族の娘だった。

 だが、シェインは見抜かれてもただ常葉を見つめ返すだけで、驚いているのかどうかは分からない。

 レイナは誤魔化す必要があるのか悩みつつ、ふと、最初に常葉が言っていた「変化」という言葉を思い出した。


「き、きっと、栞で姿を変えられるからかもしれないわね」

「栞で? うーん……よく分かんないけど、でも、お姉ちゃん達なら大丈夫って本能的に思ったのかも」

「野生の勘ってやつか」


 よく野生動物は本能で危機を察知するという。常葉が大丈夫と思ったのもそのひとつなのかもしれない。

 すると、シェインはこの辺りが妖狐の縄張りであることを思い出しつつ訊ねた。


「秘伝の書を探すのに、仲間に手伝ってもらわないのですか?」

「だ、駄目! 絶対、駄目! 母様にバレたら雷落ちちゃう!」


 途端に顔色が悪くなった常葉の様子からして、彼の母親が怒ったときはよほどの怖さのようだ。

 だが、母親が怒って怖いのはよくある話で、怒りを雷に例えることもある。

 今回もそのパターンだろうとエクスは笑みを零した。


「あはは。お母さん、怒ると怖いんだ?」

「うん。本当に落ちるからね」

「え!?」


 真顔で頷いた常葉の様子から比喩表現ではないと知って、今度はエクスが顔色を悪くさせる番だった。

 自然現象すら起こすことが可能な母親の存在に、タオも口元を引き攣らせた。


「これ、常葉の母親に出てきてもらった方が早そうじゃねぇか?」

「いえ。ヴィランもいるし、もし、カオステラーに乗っ取られでもしたら厄介よ」

「……それもそうだな」


 これまでも様々なカオステラーには会ったが、常葉の母がカオステラーにでもなれば骨が折れそうだ。まだ会ったことがないため、確証はないが。

 どちらにせよ、常葉の仲間に会いに行って事情を話して追いかけるより、このまま五人で追ったほうが早い。


「とにかく、秘伝の書を悪用されないためにも、早くヴィランを追いかけましょう?」

「そうだね。それに……」


 エクスが辺りを見れば、また新たなヴィランが出てきていた。 


「いつの間にか、また囲まれているみたいだし」

「ホント、一度出だしたらキリがねーな」

「さっさと突破するわよ!」


 レイナの一声で四人は再び光に包まれる。

 四人は常葉に被害が及ばないよう、陣形は常葉を中心にしてヴィランを寄せ付けていない。

 中心で四人の戦いを見ていた常葉は、ヴィランの攻撃に時折小さく悲鳴を上げつつも、四人がヴィランを倒すと歓声に近い声を上げる。

 そして、ヴィランがすべて倒されると、四人の姿はまた元に戻った。


「常葉、怪我はない?」

「うん! ありが――あ!」


 真っ先に振り返ったエクスに、常葉は笑顔で礼を言おうとした。だが、その背後で紫色の光が発し、新たなヴィランが現れたのを見て声を上げる。


「お兄ちゃん、危ない!」

「っ!?」


 振り返って剣を抜こうとしたエクスよりも早く、隣を一陣の風が吹き抜ける。横切った影の主は、振り返ったエクスの目の前で小柄な体ながら大きく跳躍していた。

 一振りの大きな太刀を振りかぶって。


「やあっ!」

「クルルルル……!」


 大太刀で一閃。

 一瞬で消えたヴィランに四人はただ唖然とするしかなかった。

 くるりと振り返った常葉は、大太刀を手慣れた様子で光の欠片へと変えて消す。そして、エクスを真似するように怪我がないかを確認した。


「大丈夫?」

「と、常葉……?」

「あなた、戦えたの……?」


 エクスもレイナも驚きで言葉がうまく出てこない。

 その様子から察したのか、常葉は無邪気に笑んで答えた。


「僕、こっちは得意なの」

「マジかよ」

「えへへ。父様に鍛えてもらって――へ?」


 愕然とするエクス、レイナ、タオの様子に照れくさそうに頬を掻けば、どこか真剣さも滲む表情のシェインに両肩を掴まれた。


「あの大太刀、一体どこから出したんですか? どこに仕舞ったんですか?」

「え? えっと、普段は違う空間に仕舞ってあるよ」


 大太刀が光の欠片となって消えたのはそのせいだ。さすがに小柄な常葉が常に持ち歩くには不便なため、常葉は大太刀を譲り受けた際に仕舞う方法を学んでいた。

 だが、武器マニアとしての一面を持つシェインからすれば、目にしたことのない性能を持つ武器だけでなく、その収納方法も気になるところだ。


「違う空間? 具体的にどんな場所ですか? どうやってこちらに出すんですか? 刀の素材は? もう一度見せてもらってもいいですか?」

「え、ええ? えっと、こ、これでいいの……?」


 具体的、と言われても難しい。術で仕舞う方法を聞いたことはあるが、その先の空間は異空間であるとしか聞かされていない上、行ったことがある者もいないはずだ。

 困惑しつつ大太刀を再び出現させた常葉に助け船を出したのは、シェインの兄貴分であるタオだった。


「シェイン。ちょっとストップな」

「うひゃっ!?」

「タオ兄」


 常葉を持ち上げてシェインから引き離し、追究を強制的に止める。

 どこか恨めしげな視線を向けられたが、これ以上、ここに留まるわけにもいかないのだ。

 常葉を地面に降ろしてやりながら、低い位置にある頭を撫でてやった。


「悪いな。武器のことになると止まらなくなるんだ」

「大丈夫!」

「ねぇ。それ、さっきは使えなかったの?」


 大太刀を見て問うレイナの疑問も最もだ。

 先ほどヴィランから逃げていたのは、単に常葉に戦う術がなかったからだと思っていたが、大太刀があればある程度は戦えたのではないのか。もちろん、戦えるからと助けに入らないわけではないが。

 すると、常葉は困ったような笑みを浮かべて言う。


「さっきは怖かったから、うまく出せなかったの。でも、今はお兄ちゃん達がいるから平気だよ」

「…………」

「シェイン」

「ぎくっ」


 よほど気になるのだろう。常葉が持つ大太刀にそっと手を伸ばそうとしていたシェインを再びタオが止めた。

 それは、単にシェインの暴走を止めただけでなく、『周りの状況』を鑑みてのことだ。


「もう。せめて、ヴィランを追い払ってからにしてちょうだい」

「仕方ありませんね。ちゃちゃっと終わらせましょう」

「任せて! はぁっ!」


 シェインとしては一刻も早く常葉の大太刀を調べたいようだ。

 一方、早く秘伝の書を取り戻しに行きたい常葉は地を蹴り、逃げ道を作るために大太刀を振るう。

 ただ、次に目の前に現れたのは、兎のような耳をしたブギーヴィランと呼ばれる種類ではなく、鎧を纏ったナイトヴィランだ。

 大太刀が鎧を打ち、辺りに金属音が響き渡る。じぃん、と手に痺れが走り、常葉は思わず顔を歪めて歯を食いしばった。

 硬質な体のせいか、先ほどと違ってヴィランはすぐには消えない。


「うう……。父様の大太刀が通らないなんて……。やっぱり、僕はストーリーテラーさんになのかな……」

……? 常葉。間違っていたらごめんなさい。あなたの『運命の書』、もしかして真っ白だった?」


 歯痒そうにしている常葉を見て、レイナはある可能性を確信しつつも訊ねる。

 常葉は、レイナが何故、突然そんなことを聞くのかと目を瞬かせた。


「え? ……あ。これ、言っちゃ駄目なんだった」


 想区に生まれた人は、生まれたときにストーリーテラーから『運命の書』と呼ばれる一冊の本を贈られる。それがいつ持たされたものか、ストーリーテラーは人前には決して現れないために不明だが、ほとんどの人が物語を書かれている。

 だが、稀に何も書かれていない、真っ白な頁しかない本を渡される人がいる。

 常葉もその一人だった。真っ白な本を両親に見せたとき、二人から「他人に見せてはいけない」と強く言われていたのだ。

 それを破ってしまい、咄嗟に両手で口を押さえるも時既に遅し。出てしまった言葉は仕舞いようがなかった。

 しかし、レイナは小さく口元に笑みを浮かべると、自身の『運命の書』を広げて見せた。


「大丈夫よ。私達もあなたと同じ、『空白の書』の持ち主だから」

「『空白の書』……」


 初めて聞く言葉を、常葉は噛みしめるように繰り返す。

 そんな彼に、レイナはある物を差し出した。


「これをあなたの『運命の書』に挟んでみて」

「……栞?」


 レイナが差し出したのは、細やかな装飾が施された一枚の栞だった。よくある長方形とは違い、縦長の五角形に似た形をしている。

 それはレイナ達が戦闘に入る前に本に挟んでいた物と同じだが、彼らのような紋章は描かれていなかった。

 不思議そうに栞を眺める常葉に、レイナは小さく微笑んで頭を撫でてやる。


「その『導きの栞』が、あなたに力を貸してくれるはずよ」

「力を貸してくれる?」


 確かに、レイナ達は栞を使って別の姿に変化していた。

 だが、やり方がよく分からない常葉にとって、果たしてこの薄い栞が何の力をもたらしてくれるのかと不安が先行する。


「僕達は、その栞にいろんな物語のヒーローの魂を宿して、本に挟むことで彼らと繋がって力を借りていたんだ。常葉も出来るはずだよ」

「わ、分かった!」

「さぁて、もうひと暴れするか!」


 挟むだけでいいのか、と常葉は自身の『運命の書』を取り出して開く。

 その時、エクスは真っ白なページを見た常葉の動きが一瞬だけ止まったのに気づいたが、彼はすぐに栞を挟んで閉じたため、追究はできなかった。

 瞬く間に常葉も光に包まれ、タオの一声で戦闘に身を投じた。

 光に包まれた常葉は、目の前に現れた一人の青年に息を飲む。短い銀髪に気の強そうな瞳。そして、手にした大剣はどこか禍々しい雰囲気を醸し出している。


 ――へぇ? 吸血鬼じゃなくて狐か。

(うわっ!? お兄さん、誰!?)

 ――狐捕まえたって金になりゃしねぇが、ここで会ったのも何かの縁だ。力貸してやるよ。


 やや粗暴な物言いの青年は、不敵な笑みを浮かべると常葉の頭に手を置いた。

 直後、青年の体が光に包まれて消え、常葉の中に入っていく。


 ――俺は「サヴァン」。主に吸血鬼を狩る賞金稼ぎだ。


 常葉が姿を変えたのは、大剣を振るう青年、サヴァンだった。先陣切ってヴィランの群れに突っ込んでいく常葉に、共に戦っていたエクス達はひやりとしたものの、その心配は杞憂に終わった。

 最後のヴィランを倒した後、栞の力を解いた常葉は自身の変化に感動したのか興奮した様子で声を上げた。


「すごいね! 僕、すっごく強くなった気がする!」

「常葉の栞に浮かんだのは『アタッカー』と『シューター』の紋章ね」

「あたっかー? しゅーたー?」


 常葉の持つ栞を見たレイナは、栞に浮かんだ紋章が何であるかを説明した。

 アタッカーとは、主に片手剣や両手剣を扱うヒーローを指し、シューターは弓矢や魔法を使うヒーローを指す。

 常葉が得意な大太刀は両手剣にもある上、術を扱うという妖狐の特性を鑑みれば、その二つが浮かんだのも頷ける。


「栞は、いろんな物語のヒーローと繋がることが出来るの。そして、その力を借りて戦うことが」

「じゃあ、僕は物語の誰かに力を借りてたの?」

「そうなるわね」


 まだ幼い常葉だけでは力が足りないとしても、ヒーローの力を借りれば足りない分は補える。

 常葉は栞をまじまじと見つめながら、先ほどの戦闘で繋がっていたというヒーローの力を思い出す。

 自身では見ることのない高さからの眺めや、到底扱えそうにもない大剣を振るい、ヴィランを蹴散らすのは爽快だった。


「すごいなぁ。世界には、もっともっと強い人がいっぱいいるんだね」

「常葉もなれるよ」

「……うん。僕、頑張る」

「……?」


 頷いた常葉の言葉はしっかりとしたもので、まだまだ強くなりたいと願っているのは分かる。

 だが、それ以外の何かを感じたシェインは小さく首を傾げた。


「シェイン。どうかしたか?」

「いえ、なんでもありません」


 「頑張る」と言った常葉の横顔はどこか重く暗い影があったように思えたのだ。

 だが、ただの気にしすぎという可能性もある。

 心配したように聞いてくるタオに短く返し、シェインは自身の運命の書と栞を仕舞った。


「ヴィランがいない今のうちに、早く村に行きましょう」

「だ、大丈夫かな……?」


 すっかりヴィラン退治に集中していたが、本命は秘伝の書を取り戻すことだ。

 切り出したレイナに対し、常葉は人間の住む場所に足を踏み入れることに躊躇した。

 確かに、妖狐の存在を人間があっさり受け入れるかは分からない。

 片手を顎に当てて常葉を眺めていたレイナは、どうしても目に付く二カ所をどうにかできないかと悩んだ。


「耳と尻尾、どうにかならないかしら?」

「無理!」


 人間への変化はできるが、耳と尾だけは消えないのだという。大人の……一人前の妖狐であれば、耳と尾も隠せるようだが。

 すると、シェインが常葉の首に巻かれている常磐色のショールを見てあることを閃いた。


「耳はその布で隠しちゃいましょう」

「布って……これ? 母様から貰った物だけど……」

「ほほう。なら、お母さんもシェインと同じ事を考えたはずです。じっとしててくださいね」

「わっ!?」


 常葉の首からショールを抜き取ると、シェインは常葉の頭に被せて首もとで結んで耳を隠した。

 ただ、端から見れば怪しであろう姿に、常葉は結び目をいじりながらぼやく。


「えー……。なんか、泥棒さんみたい……」

「我が儘言っちゃいけません。あなたのお母さんも、きっと人間に会ったときに誤魔化せるように、それをあなたに渡したんだと思いますよ」

「はーい……」


 諭すように優しく言うシェインの言葉を受け、渋々ながら納得することにした。

 あまり人に自分から積極的に行かないシェインだが、年下にも見える常葉の世話を焼くのはタオの影響だろうか。

 微笑ましい光景にレイナはつい、笑みを零した。


「ふふっ。シェイン、お姉さんみたいね」

「お姉さん……。悪くない響きですね」

「さーて、村に向けて出発するぞー」


 四人の中でも最年少に見えるシェインが姉的立場に立つことはほぼない。

 滅多に味わうことのないその立場だが、気分は悪くないとシェインは常葉を見て小さく微笑んで撫でてやった。撫でられるのが素直に嬉しいようで、常葉の尾が左右に揺れた。

 そして、タオの一声で歩き出した五人だったが、エクスが先を行く常葉の後ろ姿を見てあることに気づいた。


「待って! 常葉、尻尾!」

「「「「あ」」」」

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