第12話 前線のルール
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美山紫音のターン
登場人物 美山紫音 17歳
ワンガン兵学校抜刀戦術科3年生。
ワンガン兵学校生徒会長。
抜刀術の技能は西村麻衣に及ばないが、柔らかな雰囲気の統率力と的確な判断力には定評がある。
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紫音たちワンガン兵学校抜刀戦術科3年生部隊は帰ってきた。
戦車の後ろを必死に駆けた。
巨大なビルが粉々に吹き飛ぶ戦場で、殺到するゾンビと生体ゾンビの大群を突破し戦場で孤立した同級生を連れ帰ることができたのだ。
α1臨時ゲート正面脇は、亡骸の山が続いていた。防衛線前面に何重にも重なったゾンビの死体からは血と体液が流れ出し、おぞましい地獄の光景を作り出している。
臨時ゲート正面には、78抜刀中隊副隊長が待ち構えていた。
「全員、止まらず進めっ!」
そう言って手を振る副隊長の脇に、モデラーズ指揮兵シモーヌが立ち止まり、部隊がゲートを超えていくのを見守った。
その右手を失ったシモーヌの顔を、副隊長はチラチラと盗み見ていたが、怪我のことには何も触れなかった。
驚いたことに、ゾンビ化したユリの亡骸を乗せた担架さえ、何ら確認されることなく臨時ゲートを通過することができた。
この混乱した戦場だからなのかとも思われたが、それは違うだろうと紫音は思った。混乱した戦場であればあるほど、ゾンビの後方侵入を阻止するため、厳しくチェックされると聞いていた。
ゲート守備兵の表情が緊張している。
若い抜刀兵はまばらで、なぜかゲート前には小隊長クラスが多数集まっていた。
昨夜天幕に集まっていた女子抜刀隊員の半分がそこには居て、彼女たちの緊張した視線はシモーヌをチラ見していたのである。
紫音はシモーヌの横に立ち、同級生たち全員がゲートを通過するところに立ち会った。
何か不穏な空気を感じずにはいられなかった。
負傷したシモーヌを、彼女たちはどうするつもりなのだろう?
それを思うと辛かった。
軍規ではゾンビに噛まれたシモーヌは前線を超えられない。
しかし、それは紫音たちが軍規を無視して友達を連れて帰ろうとしたことが原因なのだ。
麻衣の処置で腕を早急に切り落としたことを説明しなければと、紫音はシモーヌと副隊長の横に立って機会をうかがっていたのだった。
最後尾の学生と、その後方を守ってくれていたモデラーズ兵がゲートを通過すると、シモーヌが副隊長に話しかけた。
「お前、守備隊下士官だな?」
「はい。自分は第78抜刀中隊副隊長木山伍長であります」
シモーヌに声をかけられ、副隊長は敬礼した。
そんな伍長に対しシモーヌは答礼もせず、淡々と話を続けた。
「学生の処置は、そちらに任せる。私たちは姉様の部隊が帰還するまで、ここα1で待たせてもらう」
シモーヌは麻衣たちと一緒に救出された少女を自分の部隊が連れ帰るということなどを簡単に説明した。
シモーヌに副隊長が何かを話しかけようとしたところで、別のモデラーズ兵がシモーヌに話しかけた。2人は副隊長の存在を無視するように話し始めたので、彼女は肩をすくめて紫音に視線を向けた。
「よく頑張ったね」
優しいお姉さん口調で副隊長は言った。
天幕で部下たちと話している時は、怖持てな雰囲気もあったが、この優しい笑顔が副隊長の本当の姿なのだろうと思えた。
「あ、ありがとうございます」
紫音は副隊長に礼を言いながら、視線をシモーヌの右腕に向けて見せた。
副隊長に知らせるべきだと思ったが、シモーヌの前で声高にゾンビに噛まれたとは言えなかった。
「ああ・・・心配するな。ちゃんと処置したということだな?」
「は、はい。我が校序列1位が的確に処置しています」
「わかった。それなら何の問題もないわ」
そう言ってくれた副隊長の笑顔に、紫音は少しだけ救われた。
「柏木隊長に報告してきなさい」
肩に手を添え、副隊長がうながしてくれた。友達の救出作戦が終了した実感が急に心の底からわき上がってきた。
まだ多少の不安はあった。
手練れの小隊長数名と副隊長が、シモーヌを半包囲しているようにも感じられていた。
だが、これ以上、ここに留まるのも不自然だった。
紫音は副隊長に型どおりの短い謝意を述べると、シモーヌに背を向けて駆けだした。
ゲートを隔てた臨時防衛ライン内部に一歩踏み込むと、そこは何も無い広場だった。ゾンビの亡骸も残骸も無い地面が目に飛び込んできて、本当に終わったのだと実感することができた。
その場に座り込み呆然としている学生、帰還できた喜びに抱き合う学生など、様々な表情を見せる同級生たちの脇をすり抜け走り出す。
「紫音っ!」
「生徒会長っ・・・」
泣いている生徒、恐怖に震えて抱き合う生徒たち、紫音が脇をすりぬけようとすると、皆が彼女に手を伸ばして感謝と喜びを伝えようとしてくれた。
そんな同級生たちの手を握りながら、紫音は背後の不安に怯えながら柏木中隊長の元に急いだ。
副隊長の優しい表情に偽りは無いと信じたい。
しかし、軍規に従えば、シモーヌはゲートを超えられない。
ゲートを超えようとするシモーヌを、第78抜刀隊小隊長たちが一斉に阻止するのではないかという不安が、紫音を不安にさせていた。
同級生皆を助け、ここまで送り届けてくれたシモーヌを何とか助けたいと思った。何事も無ければそれでいい。しかし、何か不穏な雰囲気が紫音の足を速めさせていた。
臨時指揮所代わりの天幕の前に、柏木中隊長の姿を見つけ出し、紫音は小走りになって駆け寄った。
「柏木中隊長!」
若い兵に囲まれ、彼女は爽やかな笑顔で紫音を迎えてくれた。
「やったわね! 生徒会長っ!」
「ワンガン兵学校抜刀戦術科3年生部隊帰還いたしました」
中隊長の前で敬礼をすると、彼女も満面の笑顔で大きくうなずきながら敬礼を返してくれた。
「凄いわ。よく頑張ったわね」
そう中隊長に言ってもらえたことで、自分が役目を果たせたのだという実感が急にわきだしてきて、言葉に詰まってしまった。
「中隊長っ・・・・ありがとうございますっ・・・・」
涙があふれ出してきた。
絶望感に支配され続けた悪夢が、ようやく終わったのだと、柏木中隊長の言葉に実感することができ、緊張の糸が切れかかってしまったのだ。
「同級生は、無事救助できたのね?」
「は、はい。おかげさまで、何とか救助できました。ありがとうございます。このご恩は、決して忘れません。決してっ、決して忘れませんっ・・・」
彼女のような上官の下で戦えればと本心から思った。抜刀兵からの叩き上げで中隊規模の兵をこの若さで指揮しているのだ。戦闘能力も指揮能力もずば抜けているうえ、女性としての人当たりの柔らかさも失っていないところが、本当に凄いと思えてならない。
「そのうち、何倍かにして返してくれればいいわよ」
柏木中隊長は魅力的な瞳でウインクしてくれた。
冗談を言って笑う彼女と向かい合った紫音は、2人を取り巻く若い分隊長たちの表情を見逃さなかった。
紫音が到着する前から、彼女たちの表情は妙に強ばっているように感じられた。
何かに緊張している。そう想像するしかない。
この状況で、彼女たちが緊張するということは幾つもあるだろう。
ゾンビの大群に呑まれた渋谷方面軍本部奪還作戦の行方と、逃げ遅れて前線に孤立した戦友や部下を思っての事かも知れない。
しかし、中隊長の視線さえ、ゲート方向を気にして時折宙を浮いているのが分かる。
「それでっ、ひとつ聞いて頂きたいことがあります」
紫音が少し慌てて事の経緯を説明しようとした時だった。
背後が急にざわつきはじめた。
柏木中隊長の視線が紫音から完全にそれ、その表情から笑みが消えた。
「ん? なによ? 何を騒いでるの?」
すこし呆然とした表情で中隊長が呟いた。
彼女の視線を追って紫音が振り返ると、臨時ゲート前で数人の女子抜刀科生徒が副隊長に向かって何かをまくし立てていた。
・・・藍沢さん・・・・
先頭に立って副隊長に向き合っていたのは、藍沢雪野だった。
ワンガン兵学校戦術抜刀科3年藍沢雪野、真面目な性格が人望を集める才女だった。そして、ユリの幼なじみの親友であった。
彼女は副隊長に向かって抗議しているように見えた。
その雰囲気を察知した周囲の学生たちがフリーズしていくと、声を張った藍沢の声が紫音たちの耳にまで届いた。
「こいつは、ゾンビに噛まれたんですっ!」
ひときわ高い声が、α1全体に響き渡った。
「軍規に従い、その汚染されたクローンは即刻処分すべきです!」
普段は沈着冷静な藍沢が金切り声をあげ、日本刀を抜いて切っ先をモデラーズ指揮兵シモーヌの方向に向けた。
「あっ、藍沢さんっ!」
最悪だった。
まさか救助された学生の方から、シモーヌを告発する者が現れるとは考えてもいなかった。
どう考えても逆恨みでしかない。
止めなければと紫音が駆け出そうとすると、柏木中隊長に肩を掴まれた。
「副隊長に任せればいいわ」
「し、しかし、彼女は、シモーヌは私たちを助けてくれたんです・・・愚かな私たちを・・・」
「この際、事情は関係ないわ」
柏木中隊長の表情は、妙に落ち着いていた。
軍規を保つため、事情など関係ないと言いたいのだと思った。
「せ、説明させてください。シモーヌの処置は、副隊長にも伝えました。彼女の失った腕は、我が校序列1位が処置致しました」
「そ、そう・・・」
そう呟いた中隊長の視線の先で、副隊長が抜刀した。
彼女に従う小隊長たちも日本刀に手をかけ、身構えている。
藍沢雪野に刀を向けられたシモーヌだけが、自分の置かれた状況を理解できないのか、それとも軍規を理解しているのか、微動だにせず状況を見守っていた。
「お願いです。シモーヌを助けてください」
抜刀した副隊長が一歩踏み出せば確実に仕留められる距離に、シモーヌは立っていた。
居合いの間合いだ。
背筋が凍る思いだった。怯えが走った。
シモーヌと副隊長の方に視線を投げ、再び柏木中隊長の目を見ると、彼女は小首をかしげながら言った。
「えっ? 我々は、あの指揮兵に手なんか出さないわよ。当たり前でしょう?」
「で、でもっ・・・・」
混乱した紫音の耳に、低音で人を威圧する声が届いた。
「前線で大声を出すな。学生っ!」
振り返ると、それは副隊長の声だった。
「私は第78抜刀中隊副隊長の木山だ。α1臨時ゲート守備責任者として君たち学生に命令する。大声で騒ぎたて、前線を混乱させる行為をこれ以上続けるなら、容赦はしないっ!」
凄味のある声だった。
抗議した学生たちは、副隊長の怒りが自分たちに向けられていることを理解し、顔を見合わせ戸惑っている。
「は、早く、この汚染されたクローンを処分してくださいっ!」
思い通りにならない状況に、藍沢がキレ気味に叫んだ。普段の彼女からは想像もできない表情だった。
「騒ぐなっ! 学生っ!」
副隊長がさらに一喝しても、藍沢のヒステリーはおさまらなかった。
「軍規ですっ! ルールですっ! 負傷者は前線及びゲートを通過することは許されませんっ! こいつを殺してっ!」
錯乱したように叫んだ藍沢の前で、副隊長の身体がゆらりと揺れた瞬間、抜刀した日本刀が空を切ったように振られた。
「ぎゃっ!」
藍沢の悲鳴と共に、彼女が突きだしていた刀が地面に落ちた。
右手を抱え込むようにして彼女はその場に倒れ込んだ。
「君たちは、人に刀を向けるなと教えられなかったのか?」
うずくまった藍沢に副隊長が切っ先を向けた。彼女の日本刀に汚れは見られなかった。おそらく峰打ちだったのだろう。
「あっ、藍沢さんっ!」
紫音は頭の中がパニックのまま駆けだした。
副隊長に続き、まわりの小隊長たちが一斉に抜刀し、藍沢と一緒に抗議していた学生たちに切っ先を向けた。
「手がっ・・・手がぁっっっ・・・・」
激痛に苦悶の表情を浮かべた藍沢のまわりで、一緒に抗議していた生徒たちは身動きできない状態になっていた。彼女たちの首に守備隊小隊長たちの日本刀が押しつけられていた。
「みんなっ! 落ち着いてっ!」
紫音は同級生たちにそう声をかけたのだが、その声に一斉に反応したのは第78女子抜刀中隊小隊長たちだった。
捕らえた女子学生たちの首に日本刀を押しつけたまま、ほぼ全員の視線が紫音に向けられた。
怒りに満ちた視線だった。
昨夜、学生たちを救出する作戦を練るため相談に乗ってくれていたメンバーである。
紫音が到着するのを待っていたかのように、副隊長が落ち着いた声で話始めた。
「学生の分際でゲート守備者に指図するとは、君たちは何様のつもりなんだ?」
「軍規ですっ・・・ううっ・・・軍規・・・」
右手を押さえ顔をあげた藍沢が苦悶の表情のまま、副隊長を睨んで言った。
「藍沢さんっ! 口をつつしんでっ!」
うずくまった藍沢の脇に膝を突いたが、彼女には紫音の言葉など耳に入らなかった。
「ここでは、私が軍規なんだよ」
そう口調を強めた副隊長から視線をそらし、藍沢は言った。
「そっ、それならっ・・・教官にっ・・報告しますっ・・・」
「そうか、先生に告げ口か、すればいいさ」
少しあきれた表情で言った副隊長の言葉に、周囲の小隊長たちが割り込んできた。
「こいつら、前線騒乱罪で処分しますか? 軍規通り」
昨夜、優しく励ましてくれた小隊長が、抜刀科3年序列48位の首に日本刀を押しつけて言った。
「そうそう、軍規に従ってゲートの外に放り出しましょうよ。裸にひんむいてっ!」
「いっ、いやーっ!」
本気なのか脅しなのか、明るい気さくな人だと思っていた小隊長の手が、序列89位の制服胸元にかかった。
制服を引き裂かれそうになっても、首元に日本刀が押しつけられ身動きもできず、序列89位の女子は潤んだ瞳で叫び声をあげ、藍沢と紫音に助けを求める視線を向けたが、2人は動けなかった。
なぜこんなことになったのか、困惑し思考停止に落ちた紫音は、とっさに柏木中隊長に助けを求めて視線を向けた。
・・・ちゅ、中隊長・・・・
天幕の前に立った柏木と視線が交差した。しかし、彼女は紫音と目を合わせても何ら反応を見せず、小さくアクビをして彼女を非道く落胆させた。
「この女、首ケガしてます。殺処分しときますかぁ?」
楽しげな明るい声に、慌てて視線を向けた。
小柄で童顔の小隊長が序列33位に日本刀を突きつけ、楽しそうに笑っている。切っ先は首筋に強く押しつけられ、わずかに首筋を血がしたたり落ちていた。
「こらこら、首切ったのお前の日本刀だろ。ガキいじめるんじゃないよ」
副隊長が顔をしかめて言ったが、小隊長はすぐに反論した。
「ガキじゃないっすよ。こいつら私より歳喰ってます。おばさんっす、おばちゃん・・・あっ、すみません・・・」
副隊長や小隊長たちの表情が露骨に不機嫌になり、まわりの若い抜刀兵たちから笑い声がもれた。
「遊ぶなガキっ! おばちゃんの指示に従えっ!」
そう言った副隊長の声を、突如一発の銃声がさえぎった。
その場にいた全員がビクッと身体を震わせた。
α1にいる全員の視線が、一斉に銃声の元に向けられた。
右手を失ったモデラーズ指揮兵シモーヌが、拳銃を空に向けて発砲したのだった。
シモーヌの左右には、モデラーズ兵たちが銃を構えている。
突然の発砲にα1全体が静まりかえり視線がシモーヌに集まった。
クールな表情のシモーヌが口を開いた。
「お前ら、内輪もめは作戦終了後にしろよ。めんどくせー」
表情一つ変えずシモーヌは言った。
そもそも、シモーヌのケガが元で騒いでいたというのに、当の本人は他人事としか感じていないようだ。
「・・・・・・・」
「・・・・・・」
「・・・・・」
紫音も副隊長も、その場の誰もが固まってしまっていた。
モデラーズ兵たちは、その銃口を紫音たちに向けている。
ゾンビの大群を簡単になぎ倒す銃口だ。その気なら、兵学校生徒も第78抜刀中隊もまとめて簡単に制圧できるのだろう。
視線が集まる中、発砲したハンドガンをゆっくりと下ろし、シモーヌが小首をかしげながら副隊長に言った。
「引き継ぎ完了してないぞ」
「は、はい」
副隊長は真顔で返事をして、視線を藍沢雪野に向けた。
「こいつらは?」
「そいつらの指揮は、当然お前らに戻る。元々お前のところの予備兵力だ」
「は、はぁ・・・」
副隊長は少し迷惑そうな顔で、学生たちを見回した。
「ただし、そこのガキは私たちが連れて帰るから、変なことするなよ。お前らの誰であっても、少しでも怪しければ殲滅する」
ハンドガンをしまうと、シモーヌはすぐ脇に立った北条みゆを指さした。
「は、はい。了解です」
「あと、威力偵察4個分隊を編成して、周辺に残ったゾンビを掃討してくれるか?」
「やります」
「場所は・・・・」
副隊長とシモーヌがアッサリ打ち合わせモードに突入してしまったので、その場で学生を拘束していた小隊長たちが顔を見合わせた。
「あのぉぉぉ? こいつら、ど、します? 放置プレイはちょっと・・・」
一番童顔の小隊長が尋ねた。
緊張感の欠ける声だったが、彼女の日本刀は学生の首に押しつけられたままだった。
「ああ。そうだな・・・」
少し面倒臭げに顔をしかめた副隊長の視線が藍沢雪野に向けられた。
多少のイザコザならまだしも、学生が臨時ゲート指揮者に反攻し、規則違反で訴えると口走ったのだ。
ただですむとは思えなかった。
実際、バンパイア戦争後の世界には法という概念は希薄になっていた。
旧日本国の法は、70年前の非常事態宣言法によって停止されている。
城塞内部では貴族や憲兵軍に治安維持軍が法そのものであり、城塞外では国防軍が法なのだ。
副隊長に、シモーヌが真面目な顔で尋ねた。
「なあ、放置プレイとは何だ?」
少し小首をかしげ、ブロンドの長い髪が揺れている。なぜか、妙に艶めかしい可愛さがあった。
「えっ、いやぁ。他愛ない言葉遊びです・・・お気になさらず」
間の抜けた質問を受け流し、副隊長は部下たちに告げた。
「隊長のところに連れて行け」
「了解っす」
「おい、太田に加藤っ! 反乱首謀者を隊長のところに連行しろ」
紫音たちを取り囲んでいた女子抜刀兵が一斉に動いた。
藍沢雪野を立たせ、騒いだ女子たち全員を拘束した。
腕を痛めた藍沢が全く抵抗しなかったので、他の女子たちも自分たちの危うさに気づき、紫音や麻衣たちに助けを求める視線を送ってくる。
だが、ここで、うかつに声は掛けられない。
柏木隊長に直談判するしかないと、一緒に歩き出そうとしたところで、再びシモーヌが真顔で副隊長に尋ねた。
「で、放置プレイって、どんな遊びなんだ?」
「ま、マジ、勘弁してください。打ち合わせを、お願いします」
「そうか・・・まあ、私もどうせ、数時間後には死ぬからな・・・」
少し寂しげな口調で彼女は言った。紫音にはそう聞こえた。
シモーヌの発言に、その場の全員が再び固まった。
彼女は自分の死を悟り、それでも普通に任務を続けている。
何とも言えない悲しい気持ちに押しつぶされそうになる。
悲しみというより罪悪感に押しつぶされそうだ。
それでも、今は同級生たちを救わなければならない。
紫音は連行される同級生たちを追った。
「紫音っ・・・」
「た、助けてっ・・・会長っ・・・」
「私たちは・・・何もっ・・・」
10名以上の女子抜刀隊員に囲まれ、拘束され、抗議した女子生徒たちは怯えきった顔で紫音を見た。
唯一、藍沢だけは、視線を落とし引きずられるようにして連行されていた。何かをブツブツと呟いている。
紫音は何も答えられなかった。
この状況で、小隊長たちと対立したくなかった。
些細な発言で、彼女たちの怒りが爆発してしまっては、紫音では対処のしようがない。
「総員っ! 戦闘準備っ!」
「手の空いてる者は、中隊指揮所前に集合っ!」
突然、先頭を歩いていた小隊長2人が、大声をあげた。
各小隊長の激に、様子を伺っていた女子抜刀隊員が一斉に動いた。
その行動は明らかに、兵学校抜刀隊を対象にした動きだ。
ザワつく学生たちの前に、一瞬で人壁が作られた。
大半の女子抜刀隊員は柄に手を当てていて、何人かは抜刀して切っ先を学生に向けている。
・・・麻衣・・・・
連行される同級生の向こう側に、麻衣がいた。
麻衣は大きく両手を広げて同級生たちを制止していた。
学生が一斉に騒ぎ出せば、それこそ収集がつかなくなる。
学生たちの反応は様々だ。怯えたり状況が理解できず戸惑う者が大半だが、一部に反抗的な態度を見せる者もいた。
麻衣と視線が合った。
彼女は大きくうなずいてくれた。
麻衣がみんなを押さえてくれている。その間に、何とか事を穏便に済ませなければならない。
「隊長っ! 臨時ゲートで騒いでいた学生を連行しましたっ!」
藍沢たち生徒を連行してきた小隊長が、柏木中隊長の前に彼女たちを突きだした。
後ろ手に拘束された状態から突き飛ばされ、その場に崩れ落ちた彼女たちから悲鳴があがった。
乱暴な扱いだった。
藍沢だけは声を上げず、両膝を突いた状態で柏木隊長に憎悪に満ちた視線で睨んでいる。
「こいつらの始末は!?」
「ん? 何かあったのかしら?」
激怒した小隊長の声に、柏木中隊長は間延びした声で答えた。
穏やかな表情だった。
「えっ!・・・・」
殺気立った小隊長たちが困惑の表情を浮かべると、中隊長はゆっくりと部下たちを見回しながら言った。
「学生が少し騒いだくらいで、あんたらまで騒がないでよ」
「し、しかしっ・・・」
藍沢の後ろに立った小隊長が、一歩前に出て抗議しようとしたが、柏木中隊長は取り合おうとはしなかった。
「作戦行動中よ。新しい指示も来てるわ。お嬢ちゃんたちと戯れてるヒマは無いのよ。生徒会長、ちょっと」
そう言うと、中隊長は紫音を手招きしてくれた。
一時はどうなるかと不安だけしかなかったが、紫音はホッと胸をなで下ろし前に進み出た。
「こ、こいつらは・・・?」
少し途方に暮れた表情で小隊長の1人が再度尋ねた。
「学生のことは学生に任せるわ。生徒会長、後で連れて行ってちょうだい」
「あ、ありがとうございます」
また中隊長に救われた。
紫音は柏木中隊長の前に進み出て敬礼した。
同級生の無礼を詫びる間もなく、彼女は話し始めた。
「帰還後すぐで申し訳ないけど、たった今、渋谷方面軍臨時司令部作戦部から前線後方全予備兵力の出動命令が下ったわ」
そう紫音に説明しながら、彼女は鋭い視線を小隊長たちに一瞬向けた。
睨まれた小隊長たちは、まるで何事もなかったかのように、その場を離れていった。
あまりにも呆気ない幕切れに思えた。
何とか大騒ぎにならず事が済んだとホッとすると同時に、予備兵力出動命令に驚かされた。
「厳しい戦いになっているのですか?」
紫音の問いに柏木は首をすくめて見せた。
「いいえ。ビアンカ中隊の凄まじい進撃速度に、孤立包囲されていた友軍が次々と解放されているらしいわ」
「それでは戦況は優勢なのですか?」
「優勢っていうか、超楽勝みたいよ。次々と解放された部隊も作戦に加わって、一気に大反攻作戦の様相になっているそうだし」
「では、どうして動員命令など?」
「ふん。どうせ、臨時本部の留守番どもが暇つぶしに何か考えたんでしょうよ」
「ヒマ、つぶしですか・・・・」
「おそらく、あまりにも簡単に決着が付きそうなので、臨時本部の留守番参謀あたりが焦っているんじゃないかしら? 見てごらんなさい」
柏木中隊長が指を指した前線の先で、大きな煙が立ち上がっていた。
「さっきから派手に爆発してるのは、ちょうど渋谷本部付近になるのよ。リナたん戦車がもうすぐ本部に突っ込むころね」
「では、渋谷方面軍本部奪還も、もうすぐなのですね?」
「うーん・・・それはどうだろう? セシリーが最後まで面倒見てくれればいいけど・・・」
「と、いいますと?」
「知っての通り、陥落した渋谷方面軍本部は旧時代に造られた複雑怪奇な超巨大建築物でしょ。地下鉄の駅だけで地下10階まであって、その下に何層も地下施設があったうえに、ゾンビ戦争開始以来増築を重ねてきた巨大要塞のような施設なんだし」
中隊長は大きくため息をついた。
ゾンビとの戦いで一番厄介なのは、狭い建物内部での遭遇戦だった。近接戦闘のプロである抜刀兵でも、刀を振り回すスペースの無い室内で大量のゾンビと出くわしてしまっては逃げるしか手は無い。
「まあ、我々だけで本部内部の掃討作戦を実行するのは、かなり困難でしょうね・・・」
解放された同級生たちを、兵学校風紀治安警備委員長である麻衣が先頭になって連れて行ってくれた。
その後ろ姿を目で追いつつ、柏木中隊長は続けた。
「何にしても、我々は自分たちの持ち場を守るだけよ。あなたたちには交代配備された下級生部隊と合流してもらって、第二戦線α1の防衛任務についもらうわ」
「かっ、下級生部隊も投入されるのですか?」
紫音は大袈裟に驚いて中隊長の目を見た。
戦闘に参加させるには経験がなさ過ぎた。
紫音が無理を言って引きつれてきた後輩たちだ。
「ええ、後方予備戦力というか、後方にいる人間は全て動員されるわ。少し早いけど、君らの後輩も本当の意味での初陣ね。まあ、私たちも一緒だから安心していいわ」
軍の命令には逆らえない。
兵力の絶対数が足りないのだ。無理だとは言い出せなかった。
「は・・・はい。了解致しました」
紫音は声色を落としてうなずいた。
「ところで、損害はどれくらい出てるの?」
「今回出撃した部隊の損害は皆無です。全員無事に戻りました」
「そうなの、あんな訳わかんないゾンビの大群に突っ込んでいって無事に帰ってきたとは、凄いわね・・・」
「それも、全て柏木中隊長のご助力のおかげです。ありがとうございます」
「なに・・・私も、あなたたちのおこぼれにあずかったから、礼などいらないわよ」
「おこぼれ?」
紫音が首をかしげると、中隊長は口元に笑みを浮かべながら教えてくれた。
「ええ、戦線崩壊で逃げ遅れた私の部下のうち、73名と既に連絡が取れたわ。彼女たちを救えたのは、あなたの行動のおかげでもあるわ。お礼を言いたいのは私の方よ。ありがとう、よくやってくれたわ」
紫音の肩に手を置くと、柏木中隊長は優しく抱き寄せてハグしてくれた。
「あっ・・・柏木隊長っ・・・」
優しく抱きしめられ、紫音は頬を赤らめた。
前線でのハグには色々な意味がある。
紫音は自分たちが、誇れる働きをすることができたのだと実感することができたのだ。
少なくとも中隊長に認めてもらえたことが素直に嬉しかった。
「後方待機部隊全員をすみやかに呼び寄せてちょうだい」
そう言ったのは、中隊長の脇に立った抜刀中隊本部要員連絡下士官だった。
「作戦指示書は届いたの?」
「いえ、正式な指示書はまだです。ただ、渋谷本部奪還と同時に、大規模掃討作戦を実行するということです」
柏木中隊長の質問に真面目な顔で下士官は答えた。昨夜もそうだが、この連絡下士官が中隊の参謀役といったところだろう。
「大規模掃討作戦ね・・・・じゃあ、後輩たちを呼んできてくれるかな?」
「直接呼びに行ってよろしいのですか?」
「ええ。亡くなった同級生を臨時待機所に運んであげなさい」
そう優しい言葉に続き、現実を告げられた。
「あの子も連れて行きなさい。実戦の最中に騒がれたら、本当に殺すしかないから」
柏木中隊長は暗い瞳で、藍沢雪野を指差しながら言った。
「騒ぎを起こしたこと、本当に申し訳ありません」
紫音は一歩下がって中隊長に深々と頭を下げた。
ゲート前での騒動に同調した生徒はそのまま残し、紫音は麻衣たち数人と藍沢とユリの亡骸を乗せた担架と共に、後輩たちが集結している後方へと急いだ。
早足で歩きながら、紫音と麻衣は藍沢にゲート前での行動が間違っていたことを説得するように話し続けたが、彼女は何も答えずユリの担架に寄り添うようにして歩き続けた。
2年生部隊駐留場所は、α1から徒歩20分ほどのところにあった。
前もって出撃待機命令をメールで送信していたので、紫音たちが到着すると、初々しい2年生女子抜刀科生たちは整列して待ってくれていた。
遠くから麻衣の姿を確認したのだろう。
甲高い歓声がわきあがり、そしてすぐに静寂が訪れた。
担架に乗せられた人物の死を悟ったのだろう。整列した2年生女子抜刀科生たちは、緊張した表情で敬礼して紫音たちを迎えた。
みなの視線が制服に包まれた担架のユリに向けられていた。
整列した2年生の前に担架を下ろしたところで、紫音は彼女たちに向けて告げた。
「これより、第78女子抜刀中隊と合流します。これは実戦です。心を引き締めて行動してください」
前もって出撃待機命令を出していたこともあり、2年生全員が規律正しく敬礼してくれた。
紫音は藍沢に対して、後方で待機するように告げた。
彼女は何も答えず、担架に乗せられたままのユリの横に座り込んだ。
その光景は、明らかに異様な雰囲気だった。
それを見た2年生たちは戸惑い動揺が広がった。
藍沢をその場に残し、紫音たちは2年生部隊を連れα1へとむかった。
「彼女一人で残して大丈夫かな?」
歩きながら麻衣が言った。
確かに見張りの2.3人は残したいところだった。
「大丈夫よ。一人でも人手は多い方がいいわ」
そう言いながら、紫音は内心ホッとしていた。
仮に藍沢が紫音の指示に従わなかった場合、どうしていたかと思っただけで、自分が怖くなった。
下級生の前でも騒ぐようなら取り押さえて拘束するしかないと考えていた。
もしも、取り押さえ拘束することに手間取るようなら、最悪の場合を考えてしまったのだ。
戻る途中、α1の手前でメールの着信バイブが作動した。
隣を進む麻衣も端末を取り出していた。兵学校指揮者に送られてきたメールだった。
「予備兵力総動員令・・・・渋谷スーパーガーディアン作戦」
紫音が作戦指示メールのタイトルをつぶやくと、隣の麻衣が続けて短い本文を読み上げた。
「予備兵力各部隊は、速やかに規定の部隊もしくは、指定された防衛拠点に集結せよ・・・か」
昨日の悪夢の始まりも、同じような出撃命令からだった。
指定ポイントに向かい、ゾンビを迎撃せよ。それが昨日の命令だった。
ゾンビを迎撃する。ただそれだけの命令に、学生たちは奇声をあげて日本刀を空に突き上げた。
兵学校生徒単独での戦闘行動に、みな興奮した。
気持ちを奮い立たせるため、紫音も麻衣も高らかに吠えた。
自分たちはやれる。そう気持ちを高ぶらせた。
前線が崩壊したなどという情報は伝えられていなかった。
最前線後方の「迷いゾンビ」を退治すると、誰もがそう思い込んで出撃した。
数体の迷いゾンビを倒す。それだけの任務だと思っていた。
高ぶった気持ちのまま、あの混沌へと足を踏み入れたのだ。
紫音はずっと悔やんでいた。
なぜあの時、もっと情報収集をしなかったのか?
少なくとも、直接の上位部隊である第78女子抜刀中隊に連絡を入れるべきだった。
「渋谷スーパーガーディアン作戦」
その兵力移動指示を読み、紫音は足を止めた。
指示書には、α1に移動し第78女子抜刀中隊の指揮下に入れ、とだけ記されていた。
視線を麻衣に向けると、彼女は落ち着いた表情でうなずいた。
昨日のような高揚感は二人には無かった。
初陣である2年生だけは無事に帰してやりたかった。
そうすることで、この救出作戦は成功したと言えるだろう。
紫音は振り向いて2年生に落ち着いた口調で告げた。
「みんな、今から実戦になります。気を引き締めて、前線指揮官の指示に従ってください」
2年生序列1位が一歩前に出て敬礼した。
「我ら抜刀科2年生は、美山会長の指揮に従います」
彼女の言葉に続き、2年生全員が敬礼した。
「みんな・・・ありがとう」
紫音は答礼しなかった。ただ、後輩たちの顔を見詰め、そして泣き出しそうになる気持ちを抑え続けた。
後悔ばかりが心に浮かんでくる。
自分がこんなにも指揮官に向いてないとは、初めて自覚させられていた。
後輩を死なせたくなかった。死なせてしまうことが怖くてたまらなかった。
それでも、命令に従うしか、彼女たちに選択肢はない。
「我々は、第78女子抜刀中隊の指揮下に入ります。中隊長の柏木軍曹の指揮に従ってください。上級生の指示と前線抜刀隊員の指示に矛盾を感じた時は、迷わず抜刀隊員の指示に必ず従ってください」
臨時ゲートでのイザコザを知らない下級生たちに、紫音の言葉の意味はちゃんと伝わらなかっただろう。
それでも言わずにはいられなかった。
紫音が話し終えると麻衣が片手をあげて横に立った。
「みんなが連れてきてくれた戦車部隊が、一気に渋谷方面軍本部を奪還する勢いらしい。私や響子たちが帰還できたのも、皆が援軍に駆けつけてきてくれたおかげだ。ありがとう。みんな。ありがとう」
麻衣の感情のこもった言葉に、下級生たちの表情が崩れた。
だが、まだ最後の作戦が残っている。
「渋谷スーパーガード作戦」
その作戦内容を紫音はまだ知らない。
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