第10話 救出

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


  美山紫音のターン



登場人物 美山紫音 17歳 

  ワンガン戦術予備兵学校抜刀戦術科3年生。

  ワンガン戦術予備兵学校生徒会長。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇




 戦車が爆音と共に停車し進軍は止まった。紫音たちは自分たちが立っている場所のおぞましさに心を振るわせた。

 必死に走り、息が上がっているのに血の気が引いていく。

 彼女たちの足元には、ゾンビの死体が散乱し戦車に踏みつぶされていたのだ。

 足の踏み場が無いというより、道路が全く見えないほど、その足元はゾンビの残骸で埋め尽くされていたのである。

 その場所の、あまりのおぞましさに、紫音たちは前方をのぞき見る余裕すら無かった。

 自分の足の下にある人の手や足や髪や臓器がブーツにまとわりついてくる。

 何とか地面を探し、その地面に立とうとして、皆必死に足を動かしていた。

 ゾンビの残骸には慣れたつもりだった。

 予備兵力として配備された兵学校生徒たちの前線での主な任務は、完全な死体となったゾンビを葬ることだった。

 大きな戦闘があれば、一日中ゾンビを埋めるための穴を掘り、そこに回収してきたゾンビの亡骸を埋めてしまうことが、紫音たちの任務であった。

 特に、鬼月ルナ准尉が活躍した渋谷迎撃戦の勝利直後からたった1ヶ月で、それまでの人生で見た亡骸の10倍以上はあるだろうゾンビを埋めてきた。

 だから、ゾンビの亡骸に臆する学生はいないと思っていたが、紫音でさえ、このおぞましい数の潰れた亡骸に心は冷え切ってしまっていた。

 紫音たちの足元にある死骸には、まるで体温が残っているように思えるほど、とても生々しい死体の山だった。

 何か重要な事を忘れているはずなのに、紫音も同級生たちも自分の足元にしか視線が向かなかった。

 それほど、凄まじい数のゾンビと生体ゾンビが、この場所で殲滅されたのだ。

 まさに「殲滅のセシリー」が通った後なのだ。

 そして、そんな視線を足元に落としたままの紫音の耳に、モデラーズ兵の会話が聞こえてきた。

 先導し導いてくれたシモーヌにかけられた声だった。

「セシリー姉様がお呼びだ。ヒヨコを回収したそうだ・・・・・」

 モデラーズ兵の会話は、戦車砲の放たれる轟音で掻き消された。凄まじい砲撃振動で地面が大きく揺れ、何重にも重なったゾンビの残骸が足に崩れ落ちてきた。

 しかし、麻衣は回収という言葉を聞き逃していなかった。

 紫音が顔をあげると、シモーヌの近くにいた先頭集団の生徒数名が全く同じように顔をあげて前方をのぞき見た。

 わずか20メートルほど先に、彼女たちはいた。

 セシリーの前に立っていた。思わず、声が出ていた。

「麻衣っ!」

「響子もっ!」

「えっ、絵里香ぁっ!」

「みんなっ!」

 麻衣たちの姿に気づいた生徒たちが、次々と声をあげた。

 麻衣と視線が重なった。

 紫音は、それだけで瞳が熱くなってきた。涙が湧き出そうとしたその時、真横に立っていたシモーヌが声を張り上げた。

「全周囲警戒中に隊列を乱すなっ! 騒ぐなっ!」

「もっ、申し訳ありませんっ!」

 当然の指示に、紫音は即座に詫びた。だが、視線だけは麻衣たちに向けていた。

 一喝され、皆が押し黙った。視線だけを麻衣たちに向け、泣き出しそうな感情を押し殺して全員が見詰めていた。

「代表者は私に続け。残りは、そのまま待機だっ!」

 キツイ口調で言ったシモーヌが駆け出し、紫音は後に続いた。

 重戦車のすぐ斜め前に、セシリーと麻衣たちはいた。

 紫音の視線と麻衣たちの視線はずっと交差したままだった。

 あと数メートルというところで戦車砲が発砲され、紫音は立ち止まってしまった。

 顔をあげると、シモーヌが面倒臭そうな表情で振り返っていた。セシリーと並んで立っていた麻衣たちも、その場にしゃがみ込んでいた。

 シモーヌが美貌を振って早く来いとうながした。

「学生の代表を連れて参りました」

 シモーヌがセシリーに敬礼したので、紫音もすぐに敬礼をして彼女への敬意を示した。

 友達を救い出してくれたのだ。クローン兵だろうとモデラーズ兵だろうと、そんなことは関係なかった。

「・・・・・」

 セシリーからの答礼は無かったが、ブロンドの超絶美少女は真っ白な綺麗な顎を振って麻衣たちを指し示した。

 本当は、一人一人に抱きつきたかった。

 だが、そんな雰囲気の戦場ではない。

「みんなっ、迎えに来たわ・・・・学園に帰りましょうっ・・・」

「紫音っ・・・」

「会長っ・・・」

「ありがとうっ・・・・」

 麻衣も響子も絵里香も状況をわきまえ、声のトーンを落として大きくコクリとうなずいた。

 感動の再会と言いたいところだが、すぐ脇の重戦車から放たれる戦車砲の轟音と弾薬補給で駆け回るモデラーズ兵の怒号が、全ての感情を抑え込んでいた。まだ、ここは戦場のど真ん中だ。

 担架に乗せられたユリの事も気がかりだった。

 三人の目を覗き込み、アイコンタクトするように見詰めていると、セシリーが片手をあげ、冷静な口調で話し始めた。

「作戦の第一段階はここまでね」

 紫音とシモーヌに向かってセシリーが告げた。

「あなたたちは、このまま来た道を撤収してちょうだい」

「は、はい。ご支援感謝いたします。ありがとうございます」

「私は命じられた作戦を実行しているだけよ。あなたが、彼の役に立つ人間だったらいいけど?」

「は、はい。期待は決して裏切りません」

「そう。期待しているわ」

 これほどの戦闘を行った見返りを、どう返せばいいのか?

 紫音は少しだけ途方に暮れたが、それでも麻衣たちを助けられた喜びが心の底からわきだしてきて、先の心配をする気持ちはすぐに薄らいだ。

 しかし、そんな紫音に、セシリーは違う難問を投げかけた。

「担架は置いて行きなさい。こちらで処置しておくわ」

 クールな表情のままセシリーは担架に乗せられたユリに視線を落として告げた。

 その言葉に紫音と麻衣・響子・絵里香が顔を見合わせた。

 全員が動揺していた。

「ど、どういう意味でしょうか?」

 紫音は、言われた意味を理解しながら、それでも聞き返した。

「どういうも何も、一般的な戦場での処置ですよ」

 セシリーは正論を告げた。

 バンパイア戦争での軍規則では、重体におちいった負傷兵の部隊搬送は禁止されていた。特に作戦行動中は、厳禁とされている。

 中等部1年生入学時から繰り返し教え込まれる軍規だった。

「仲間だ、置いてなどいけないっ!」

 麻衣が一歩前に出てセシリーに言い切った。

 麻衣はセシリーが何者なのか知らない。

 もしも麻衣が、セシリーをモデラーズ兵程度に考えていて、無礼な態度に出てしまったら、それは取り返しの付かない事態になりかねないのかもしれない。

 だが正直なところ、紫音もアキト中隊の恐ろしさを理解していなかった。ただ、強さだけは正確に理解できた。そして、第78女子抜刀中隊隊員たちのウワサに間違いが無ければ、殲滅のセシリーが味方殺しに豹変するのではという不安が脳裏をよぎった。

「戦場での軍規ですよぉ」

 それまでクールだったセシリーの口調が再び変調してきた。

「わ、我々は学生です。軍人ではありませんっ!」

 驚いたことに、麻衣は横柄な態度を見せなかった。セシリーに対する口調は、上官に意見する部下の口調であった。背筋を伸ばし真剣に訴えている。

「お、お願いします」

 紫音は、慌ててセシリーに言った。ケンカなどできない。お願いするしかなかった。

「はぁ? なに我が儘言ってるのぉ?」

 腰にぶら下げた機関銃にセシリーが手を伸ばそうとした。と、その時、脇からモデラーズ兵シモーヌが割って入ってくれた。

「姉様っ」

 落ち着いた口調でシモーヌがセシリーを見ている。

 不機嫌そうな顔をセシリーがあげた。

「な、なに?」

「時間です」

 その機械的な会話に、セシリーが少し肩を落とした。

「ま・・・・・・まあ、いいけど。つらい思いをするのは貴女たちなんだし。好きにすればいいわ」

 視線をそらし、少し拗ねたような口調でセシリーは言った。

 セシリーの言っている意味は分かる。

 仮に前線まで連れて戻れたとしても、担架に乗ったユリを前線守備隊が通してはくれないだろう。

「渋谷2回目を開始するわよっ!」

 シモーヌ他、脇に控えたモデラーズ兵にそう告げると、セシリーは軽やかな足取りで重戦車に駆け上がった。

 それまで補給に駆け回っていたモデラーズ兵も水筒を咥えていた小さな少女たちも、一斉に視線をセシリーに向けた。

「こちらはセシリアっ!」

 セシリーは戦場の彼方に向け、その澄み切った声をあげた。

「渋谷方面軍臨時司令部及び渋谷方面守備隊残存全兵力に通達っ! これより渋谷方面軍指令本部奪還作戦を遂行いたします。侵攻部隊は全軍速やかに進撃を開始。各所で孤立する部隊は進撃する友軍と合流し奪還作戦を支援願います。各自の奮闘を祈るっ!」

 まるで、方面軍総司令官の訓示でもあるような落ち着いた口調で、セシリーは高らかと宣言するように告げた。

 ブロンド少女がそう宣言し終わると同時に、彼女の背後城壁方向から一斉に信号弾が数十発打ち上げられた。

 数十メートル間隔で空高く舞い上がっていく信号弾。

 セシリーの檄に、前線国防軍が一丸となって答えている。信号弾を打ち上げた数だけの部隊が、一斉に進撃を開始したのだと思った。

 見たこともない光景だった。

 カラフルな煙のカーテンが青い空に登っていく。

 人類に反撃する力があるのだと知らされた瞬間だった。何十発も舞い上がった信号弾の壮大な光景に、紫音は胸を打たれてしまった。

 紫音たちが信号弾のカーテンに感動していると、セシリーが新たな指示を戦車のハッチから顔を出したピンク髪のキュートな少女に告げた。

「リナっ。フレンドリービーコンだけはよけて、あとは好きなだけ吹っ飛ばしていいから」

「了解にょっ。ビーコンのチョコッと横にぶっ放すにょっ」

 大きな瞳をパチパチさせて、リナと呼ばれた少女は答えた。

 兵学校正門前で会ったときもそうだが、彼女の先導する戦車の後に従ってきた今でさえ、このキュートな可愛い少女が兵士だということを納得できない。

 アンチマテリアルライフルを使うと、女子抜刀隊員が言っていたが、そんなのは絶対に無理だと断言したくなる見た目だった。

 同級生の救助という大役を何とか達成できた安堵感なのか、それまで気づかなかった違和感が紫音の中で一気に吹き出しつつあった。

 ビアンカとは何なのか? 

 その疑問が頭をもたげてきたところで、戦車上のセシリーが再び前方に向かって声をあげた。

「救援ビーコン操作士官に伝達っ! リナの発信する攻撃ビーコンに同調願います。緊急時砲撃支援はコード08を使用っ! 繰り返す、緊急支援砲撃コード08。ビアンカ第2中隊は、これよりオメガブラボーを発します。みなさん、渋谷方面軍本部でお会いしましょうっ!」

 前方で待っているであろう孤立した友軍への激励だった。

 何人の生き残りにセシリーの声が届いたのか、たんなるパフォーマンスかとも思えたが、一人でも多くの友軍が助けられることを祈らずにはいられなかった。

 そう紫音が感じていると、横に立った麻衣が救難ビーコン発信器を見せてくれた。

「これって、こんな機能があったんだ・・・・」

 麻衣の手のひらに乗った発信器に、たった今、セシリーが告げた言葉が浮かび上がっていた。

 兵学校の授業では全く教わったことのない機能だった。

「みんな、いいことっ!」

 セシリーが戦車上からモデラーズ兵たちに向けて告げた。

「ここからは本気で行きます。2時間で前線を奪還するわ。いいわねっ!」

 セシリーの檄にモデラーズ兵たちが一斉に歓声に近い叫び声を上げた。

 かなり異様な雰囲気だった。

 モデラーズ兵は無表情で感情を持たない存在だと思っていた。しかし、この部隊のモデラーズ兵は、紫音が知るどのモデラーズ兵よりも表情が豊かに見えた。



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


 西村麻衣のターン


  登場人物 西村麻衣 17歳 

       ワンガン兵学校抜刀戦術科3年生

       ワンガン兵学校風紀治安警備委員長

       ワンガン兵学校最強の使い手。

       居合いの達人

    首都圏全兵学校トップ5の実力と評されている

       ワンガン兵学校抜刀隊序列1位


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 セシリアと名乗った美少女の檄に、戦闘部隊のテンションが上昇した。

 各部隊の指揮兵が一斉に「出撃っ!」とかん高い声をあげると、それまで止まっていた部隊が進撃を開始した。

 爆音をあげて動き始めた戦車から、セシリアが飛び降りた。

「シモーヌっ!」

 冷静な表情のまま、セシリアは紫音と同行してきたモデラーズ指揮兵に言った。

「荷物が少し増えてるけど、守り切るのよ」

「はっ! 姉様っ! 必ずっ!」

 シモーヌと呼ばれたモデラーズ指揮兵の眼光も鋭い光を放っていた。

「特に、そのおチビさんは彼に用事があるそうだから」

 セシリアがみゆを指さした。

 小さく綺麗な子供の手だった。

「はい。間違いなく連れ帰ります」

 自分よりおチビなセシリアに指を刺され、みゆは少し戸惑った表情を見せたが、高身長のシモーヌに上から睨まれても、物怖じせず冷静な視線を返していた。

 さすがはバンパイアの巣窟から一人だけ生きて帰ってきた女の子といったところなのかと思った。

 部隊が進撃を再開すると、モデラーズ小隊指揮兵シモーヌが麻衣たちに告げた。

「学生抜刀隊っ!」

「は、はい」

 紫音が真顔で答えた。

「このまま、担架とチビを中心にして撤退するっ!」

「了解しました」

「担架の女の面倒は、ちゃんとそっちで見てろよ。あれだけ見得を切ったんだから、こっちは何もしないからな」

「は、はい」

「左右はうちの二個小隊で護る。前方で撃ちそこなったゾンビは自力で排除しろ」

「はい」

「撤退の打ち合わせは3分で済ませろ」

「・・・・・」

 麻衣は、一瞬どういう意味かわからなかった。

 それは、紫音も同じだったらしく少し小首を傾げた。

 そんな紫音をシモーヌが面倒くさそうな顔で見ている。

「救助した連中と救助部隊を引き合わせろという意味だ。仲間なんだろう?」

「は、はい。ありがとうございますっ!」

 麻衣たちが3年次抜刀科部隊に合流すると、みなが静かに集まって彼女たち4人を取り囲んだ。

 全員の目に涙が浮かんでいた。

・・・みんなっ・・・・

 みなが麻衣たちに手を伸ばしてきた。同級生たちの手を握り、触れ合っただけで、気持ちがつながった。

 ただ、みんなの目を見詰め、肩を抱き合った。

 麻衣も他の二人も、ほとんど言葉が出てこなかった。

 ただただ、手を取り合い、抱き合って泣いていた。本当の友達がここにいるのだと思った。

 担架に乗せられ動かないユリに、同級生たちの手が伸びる。みな口々に一緒に帰ろうと言ってくれている。

「みんな撤収するわっ!」

 紫音の通る声が戦場に響いた。

「抜刀科序列上位30人は先頭集団として道を切り開くのよっ! 戦車はもういないわっ! 」

 冷静な表情で声を張る紫音が頼もしく見えた。今さらながら、彼女の行動力に驚きを禁じ得なかった。

 紫音が麻衣に視線を向けてきた。抜刀科最強の使い手として、みなに声を掛けなければならない。

 皆の視線が麻衣に向けられていた。

「みんな、ありがとう。一緒にっ、みんな一緒に兵学校に帰ろうっ!」

「撤収するっ!」

 ブロンドのモデラーズ指揮兵シモーヌの声に、みなが直ぐさま反応した。

 抜刀科3年の序列順4列縦隊となり、後退は開始された。

 両サイドを10名ずつのモデラーズ兵がガードしてくれている。戻る道には戦車に踏みつぶされたゾンビの残骸が、どこまでも続いていた。

 いったいどれだけのゾンビを蹴散らして救出に来たのか、そう思っただけで感謝の気持ちで胸が熱くなった。

「紫音っ・・・ありがとうっ・・・・ありがとう・・・・」

 先頭を並んで進みながら、麻衣は紫音の手に触れた。

 すると紫音もすぐに手を握ってくれた。

「よかった・・・生きてくれてて・・・・」

「でも、ユリが・・・もう駄目かもしれないんだ・・・・」

「百五十三人・・・・」

 紫音は声を落とし、感情の無い声で呟くように言った。

「な、何の数字?」

「今朝の点呼の数字よ」

「ま、マジっ・・・・そんなに帰ってきてないのか・・・」

「ええ、おそらく貴女たち4人を入れて百五十七人。それが三年次抜刀隊・・・・」

「そうか、そんな状態で、私たちの救助作戦を・・・・」

 いったい誰が帰ってきていないのか?

 それを思っただけで、麻衣の胸は苦しくなった。

 ざっと見渡しただけでも、見当たらない友達の顔が浮かびあがり、そして、昨日の記憶と結びつく。

 生体ゾンビに引き裂かれた友達の姿が・・・・

 あの時の、ゾンビ大集団との対決に大きなミスがあったのではないかと、考えずにはいられなかった。

 指揮する麻衣たちに何か判断ミスがあったのではないか?

 そのために、多くの同級生が死んでしまったのではないのか?

 麻衣の心は乱れていた。

 そして、その揺れる気持ちをギリギリ正常に保つため、麻衣は現状確認をすることで現実逃避をはかった。

「もしかしたら、この救助作戦やこの救援部隊は、君や魔術師の?」

 この圧倒的な戦闘力を持った部隊は国防軍の戦力とは異質のものだった。紫音が伏せられた身分を使って部隊を動員し、魔術師が作戦を立案したのではないかと思ったのだ。

「えっ? ま、まさか・・・」

「だって、こんな凄い作戦は誰にだって考えられないだろう」

「彼は無関係よ。そもそも私たちに戦力なんて無いわけだし」

「この部隊は紫音が動かしたんじゃ・・・」

「ま、まさか。でも、ごめん、軍事機密であまり話せないの」

「軍事機密・・・・」

「ええ。そもそも、私の身分が元のままであっても、呼べるとしたら華族殲滅騎士団くらいだけど・・・」

「あれ、騎士団じゃないよね・・・・」

「ビアンカ主力の特殊作戦部隊。何もかも特別な部隊だから」

「ビアンカ・・・あの旧式のクローン兵か・・・」

「ああ、やっぱり、あなたも同じ反応するわね」

 麻衣の発言に、紫音はため息交じりに呟くように言った。

「えっ? どういう意味?」

「私もね、彼女たちのことを同じような表現で口走ってしまって、それで、前線抜刀隊の副隊長さんたちに凄く叱られたの」

「・・・・・」

「前線で長く戦ってる人ほど、彼女たちに恩義を感じてるみたいだから、変なことは言わないことね」

「へ、変なことは言わないさ。そもそも、私なんてたった今、生体ゾンビの集団に襲われたところを助けられたばかりなんだ」

 中等学校や兵学校で教えられた旧式クローン兵ビアンカと呼ばれる少女たちの評価は、それはひどいものだった。

 実物のビアンカを見たのは、紫音も麻衣も今日が初めてなのだ。学校で習ったことしか知らない2人にとって、旧式クローン兵は使い物にならないダメダメな存在でしかなかった。

 しかし、英雄であるはずの騎士団が逃げ出した現実と、130センタ程度の小さな女の子に助けられた事実。麻衣の中で世界感が一変しつつあった。

「凄いわよね、あの子たち。生体ゾンビが大挙して突撃してきても、平気な顔をして機関銃でなぎ倒してしまうんだの・・・」

 兵学校部隊の先頭を早足で進みつつ、紫音は少し遠い目で前方を見ていた。

「私たちが教わってきたことって、何なんだろうって思うわ」

 紫音のつぶやきに、麻衣もうなずいた。

「そうだな・・・」

 華族騎士団に詳しい紫音でさえ、そう疑問に感じているということに、麻衣は少なからず驚いた。

 紫音に近い人間の中でも、彼女の真実を知る友人は数えるほどだった。

 今回の忌まわしいゾンビとの遭遇戦以前。華族殲滅騎士団が、ただの飾りだと確信していたのは紫音だけだった。

 その彼女でさえ、ビアンカのことを知らなかったのだ。

 この世界は、どれほどの嘘と偽りで塗り固められているのかと思った。

 人類が滅亡の縁に追い詰められているというのに、それなのに嘘で塗り固められた世界で彼女たちは生きているのだ。

 幼少時からの「幸せ教育」と偽物の英雄を崇拝させられてきたことが、麻衣たちの思考をフリーズさせていた。

 城壁の中と外の現実のギャップについていけない。

 聴きたいことがあった。

 話さなければならないことがあった。

 みなに伝えなければならないこともあった。

 消化できない現実が目の前に続いている。

 ゾンビの残骸が道になっていた。

「前方にゾンビの集団、数およそ200っ!」

 学生たちの右翼先頭を進むシモーヌが声を上げた。

 ゆるやかなカーブの先にゾンビの集団がいた。

 群れをなし、うめき声をあげ麻衣たちに向かってくる。

 距離は100メートルほどだ。

「止まるなよっ!」

 シモーヌの声に、紫音が答えるように日本刀を引き抜いて抜刀指示を出した。

「全員っ! 抜刀っ!」

 数は互角だった。

 モデラーズ兵の火力を考えれば、こちらの方が有利に思えた。

 麻衣たちを援護してくれているモデラーズ兵の実力は不明だった。だが、やらなければならなかった。これ以上、友達を失いたくはなかった。

 麻衣は日本刀を引き抜くと、数歩前に駆けだした。

「よしっ! やるよっ!」

 少しでも、一体でも多く、ゾンビを止めたいと気持ちが先走っていた。

 ワンガン兵学校抜刀科序列1位として、その務めを果たさなければならなかった。

 昨日の遭遇戦とは違う。モデラーズ兵の援護もある。一人も死なせたくないという気持ちが、麻衣を前傾姿勢にさせていた。

「だ、大丈夫よっ。麻衣っ!」

 飛び出した麻衣の腕を紫音が後ろから掴んできた。

 麻衣を引き留めた紫音は、予想外の言葉を告げた。

「私たちは、たぶん、そんなに頑張らなくても大丈夫っ・・・」

「はぁ?・・・・」

 それまで、ゆっくりとした早足で進んでいた左右のモデラーズ小隊が、困惑の表情を浮かべた麻衣と紫音の横を駆けて行くと、シモーヌが命令した。

「迎撃っ!」

 左右5名ずつ、10名のモデラーズ兵が自動小銃を一斉に発砲した。

 ダダダダッ・・・・

 フルオートでの一斉射撃だ。

 わずか数秒の射撃だった。

 発砲した10名が弾倉を交換するころには、麻衣たちに立ちはだかろうとしていたゾンビは、ほとんど地面に崩れ落ちていた。

 わずかに撃ちもらしたゾンビ2体を、シモーヌがハンドガンで頭部を撃ち抜いて振り向いた。

「第一波クリアー! 前進っ!」

「なっ・・・何だっ・・・・瞬殺っ?・・・・」

「前線まで、あと少しよ」

「あ、ああっ・・・」

 みんなを護らなければと高ぶっていた気持ちが、すっと消えていった。

 後ろの同級生たちに、驚きの表情はなかった。

・・・・このモデラーズ兵も、さっきの女の子たちと同レベルの戦闘能力なのか?・・・

 たった今、殲滅されたゾンビの上をまたぎながら駆けていく。

 わずかに動くゾンビの頭を、先頭を駆けるシモーヌがハンドガンで吹き飛ばしていた。ブロンドの美少女は、クールな表情で前方に視線を向けている。なのに、それなのに、銃弾は的確に地面に倒れたゾンビの頭を撃ち抜いていく。

「第二波接近っ! 生体ゾンビ多数っ! 守りを固めろっ!」

 シモーヌの指示に、先行していた左右モデラーズ小隊が抜刀隊左右に並んできた。

「左右前方から生体ゾンビ接近っ!」

 紫音が慌てて後ろの同級生たちに声をかけた。

「多すぎだろ・・・」

 早足で進みながら日本刀をギュッと握りしめる。生体ゾンビの数は、ザッと見た感じでも二十体以上はいる。

 瓦礫の上や倒壊したビルの上を、生体ゾンビは空でも飛ぶような勢いで麻衣たちの方に向かってくる。

・・・どういうことだ?・・・

 ただ、人を襲い人を喰らう存在だと思っていた生体ゾンビ。その集団は、左右に散らばって抜刀隊の横をすり抜けようとしているように見えた。

「構うなっ! 向かってくる奴だけに集中しろっ!」

 シモーヌが抜刀隊を落ち着かせようと声をあげたが、その声は少女たちの不安な心にまでは届かなかった。

 逆進する生体ゾンビが真横に接近し、抜刀隊の隊列は大きく乱れてしまった。立ち止まって刀を構える者、全力で駆け出す者、通りすぎる生体ゾンビをただ見詰める者。間近に迫った生体ゾンビの集団に、抜刀隊は部隊として完全に混乱してしまっていた。

「生体ゾンビ・・・こいつら撤退してるのか?」

 相当数の生体ゾンビが、麻衣たち兵学校抜刀隊やモデラーズ兵に目もくれず瓦礫の上を駆け抜けていった。

 襲ってこない生体ゾンビを、モデラーズ兵たちも視線で追うだけで反応しなかった。

 なぜ、銃撃しないのだと麻衣は思った。まとまった数の生体ゾンビに背後を突かれれば、さっきの本隊が危険なのではないかと考えずにはいられない。

 妙な時間が過ぎていった。駆け足で進む視界の端を生体ゾンビが数十体反対方向に駆け抜けていったのだ。それも、生体ゾンビの表情が分かるほどの距離でだ。

 真剣な顔の生体ゾンビもいれはば、麻衣と視線が交差して微笑んだ生体ゾンビもいた。

 麻衣も紫音も抜刀隊生徒全員が、交差し駆け抜けていく生体ゾンビの集団を、息をのんで見送った。

 一斉に襲われれば、大惨事になりかねない状況だった。

 だが、生体ゾンビたちは彼女たちには目もくれず駆け抜けていった。

 最後の生体ゾンビが横をすり抜けていく。わずか数メートル先を駆け抜けたその後ろ姿を生徒全員が目で追っていた。

 四列縦隊は間延びしてバラバラに広がっていた。

 最後の生体ゾンビが視界から消え去ると、緊張感から解放され肩の力が抜けていった。

 しかし、後方に去って行った生体ゾンビに気を取られていた麻衣たちの前方から声があがった。

「第三波来るぞっ! こいつらが本隊だっ!」

 シモーヌの声に、学生全員が一斉に反応した。

 麻衣たちの進む道路は途切れていた。

 厳密に言うと道はあるのだろうが、道路一面をゾンビが埋め尽くしていたのである。

「数およそ1500、生体ゾンビ50。迎撃部隊前進っ!」

 シモーヌの1500という声に、麻衣は恐怖を感じてしまった。

「このまま突っ込むと、ヤバいぞ」

 ゾンビの密度が凄すぎた。

 この恐ろしい集団に生体ゾンビがまぎれているのだ。

 日本刀を持った手に汗がにじんできた。

 突破など不可能に思えた。

 しかし、麻衣の緊張した口調に反比例するように、紫音は妙に落ち着いた声で答えた。

「大丈夫、たぶん大した数じゃないわ」

 二十メートルほど先に迫った集団を前に、紫音は冷静だった。

 左右のモデラーズ兵が彼女たちの前に駆けてきた。

「蹴散らすぞっ!」

 麻衣たちの前に、大口径重機関銃を両手で抱えたモデラーズ兵四人と特殊複合小銃の六名が進み出た。

 密集して突き進んでくるゾンビの大集団に向け、一斉射撃を開始した。

 重機関銃の弾丸は一発でゾンビ数体を吹き飛ばし、凄まじい射撃の硝煙で前方には白い霞が立ちのぼっていた。

 その霞んだ視界の先では、ゾンビの大群が頭を吹き飛ばされて次々と道路に崩れ落ちていく。

 もはや戦いではなかった。

 圧倒的な火力が、ゾンビの大群をなぎ倒していく。ただ、それだけの作業だった。

 ゾンビの集団から飛び出してくる生体ゾンビも、その目にも止まらぬ動きがまるで無駄だと言わんばかりに、あまりにも簡単に自動小銃の弾幕に捕らえられ殲滅されていった。

「なっ、何だ・・・・これは・・・・」

 ゾンビが殲滅されていく様を前に、麻衣は言葉を失った。

 圧倒的な火力と、その精密射撃に圧倒されてしまう。

「さっき前線を突破した時、少し大げさかも知れないけどこの数十倍の大群に突っ込んできたのよ。でも、結局私たちは何もしなかったわ」

「モデラーズ兵って、こんなに凄いのか・・・・・」

 ものの3分程度で、重圧なゾンビの壁がまるで紙切れのように吹き飛ばされ、体が道路に崩れ落ちていった。

「ええ、でも私たちが知ってるモデラーズの子たちとは、あきらかにレベルが違うみたい」

「違うとか、そういう次元じゃないだろう。前線で時々見かける最強とか言われてるAタイプより凄くないか?」

「たぶんね。ここの部隊は全てが特別な部隊みたい」

「そうだな。戦車使う部隊なんて・・・・」

 そう口に出したところで、麻衣は閃いた。最前線で戦車を使う部隊の存在を。

 渋谷迎撃戦で、ゾンビの大群に包囲され孤立していた渋谷方面軍本部を解放した戦車中隊の存在が頭に浮かんだ。

 ネットニュースでは重装殲滅騎士団が、敗北寸前の国防軍を救い出したと伝えられていたが、前線やその後方にいた人間は誰もそんなニュースを信じてはいなかった。

 しかし、ヨコハマナンバーワン鬼月ルナに先導されたガナフ戦車中隊の強襲作戦によって、渋谷方面軍本部は解放されたというのが前線兵士達のほとんどが信じているウワサだった。

 十万を超えるゾンビに包囲された渋谷本部を解放したガナフ戦車中隊なら、この凄まじい戦闘能力も理解できると思えた。

「なぁ、もしかしたら、この部隊はガナフ戦車中隊なのか?」

 凄いことだと思った。紫音は、こんな凄い部隊を動かしてくれたのだと思っただけで、なぜか気持ちが高揚していた。

 だが、そんな麻衣の気持ちとは反対に、紫音の表情はクールなままだった。

「ああ、そう思うのも無理ないけど、全くの別部隊みたい・・・・ごめんね。ちゃんと話してあげられなくて。ただ正直なところ、私もちゃんと理解できてないと思うの・・・」

 紫音の貌にも困惑が浮かんでいた。

「生体ゾンビも、出る幕なしか・・・・」

 重機関銃の射撃音が途切れた。硝煙の煙が風に流され前方がクリアになる。

 そこに立っているゾンビは一体も見られなかった。

 移動再開と思われたところで、乱れた隊列の端に立っていた序列5位が声をあげた。

「会長っ! モデラーズの指揮兵が何か言ってます。後ろの女は大丈夫なのかって」

「ゆ、ユリのことか?」

 二人が顔を見合わせ、シモーヌに視線を向けた時には、既に美貌のモデラーズ指揮兵は、その長いブロンドをなびかせ兵学校生徒の隊列の中に分け入っていた。

 紫音と麻衣が後ろを振り向いた時には、既に学生の隊列の中心は大きく混乱していた。

 その混乱の中心には、担架から落ちたユリと彼女に手を掴まれた北条みゆがいた。

「ゆっ、ユリがあぁぁぁぁっ!」

 担架を持っていた同級生たちが後ずさる。

 恐ろしい者を見るように、彼女たちの顔はみな恐怖に引きつっていた。

 遠目に見ても、彼女は、あの優しく気高い魂を持った友人のユリは、ゾンビ化しているように見えた。

「押さえつけろっ!」

 叫び声に近い音量で声を張りながら、麻衣は駆けだした。

「なっ、何してるのっ! その子を助けてっ!」

 紫音も反射的に麻衣と並んで走り出した。

 しかし、その場で抜刀科3年生たちは完全にフリーズしてしまっていた。

 北条みゆの細い腕を、ユリは離さなかった

 違う人間だった。

 優しく笑うユリとは全く別人の、恐ろしい表情の女が、掴んだ少女の腕に食らいつこうとしていた。

「やめろおーっ!」

 何も考えられず、ただ叫ぶことしか麻衣にはできなかった。

 視界の端にモデラーズ指揮兵の姿が飛び込んできた。

 自動小銃を構え一直線にユリに突き進んでいく。

・・・そんなっ・・・

 心の中に怯えが広がっていった。

 ユリが射殺される。そう感じ、血の気が引いた。

 だが、モデラーズ指揮兵は構えた小銃を発砲しなかった。

 逃げ惑う学生たちが彼女の邪魔をしていたのかもしれない。

 間一髪だった。

 北条みゆの腕を掴んで離さないゾンビ化したユリの手を、シモーヌが掴んだ。

 ユリは、目の前に現れたモデラーズ兵の腕に噛みついた。

 一瞬の出来事だった。

 その光景を前にして、麻衣も紫音もその場に立ち尽くしてしまった。

 ユリがモデラーズ兵の真っ白なシャツ越しに噛みついた。

 歯が肉に食い込みシャツが一瞬で鮮血に染まった。恐ろしい瞬間だった。ゾンビに噛まれた人間はゾンビ化する定めだ。モデラーズ兵も例外ではないはずだ。

 それでも、彼女は北条みゆを助けるため自分の身を挺したのだ。

 ゾンビ化したユリがモデラーズ兵の腕に噛みついた瞬間、みゆの背後から近づいていた別のモデラーズ兵が、みゆをユリの腕から引き離した。

「目標確保っ! クリアーっ!」

 みゆを抱きかかえるようにして後ずさったモデラーズ兵が叫ぶと、腕を噛まれたモデラーズ指揮兵シモーヌは、自動小銃を高く掲げて大きく息を吸った。

「ゾンビは排除するっ!」

 シモーヌは、自分の腕に噛みついたゾンビ化したユリの頭部に小銃の銃口を向け、紫音や麻衣に宣言でもするように言うと、即座に発砲した。

 ユリの頭部が吹き飛び、同級生たちの悲鳴が響き渡った。

・・・どうして・・・

 ユリの体がスローモーションで地面に落ちていく。

 信じられない、信じたくない画像が心に刻まれた。

「ぜっ・・・全周囲警戒っ! 各自持ち場を確保っ!」

 崩れ落ちたユリを前に、シモーヌは気丈にも指揮兵としての責務を果たそうと指示を出していた。

 彼女の真っ白だったシャツは真っ赤に染まっていた。

 シモーヌにもゾンビ化という死が訪れようとしていた。

「爆炸するから、離れろっ!」

 美貌のモデラーズ指揮兵は冷静な表情のまま、自動小銃を振って、周囲の学生を後退させた。

 爆炸と聞き麻衣は驚くと共に、自分の成すべき事を悟った。

 爆炸とは、ゾンビに手足を噛まれてしまった場合の緊急避難的作業であった。

 ゾンビウイルスに汚染された手足を爆薬で吹き飛ばすという、恐ろしい救命術なのだ。

 しかし、この爆炸という作業は、ゾンビ戦争初期に使われたものの、その残酷性と爆薬自体の不足により、自然消滅してしまった救命術である。

 ユリの頭部が吹き飛ばされ、麻衣の中で何かが壊れた。

 言い知れぬ怒りが授業で習ったアドレナリンという物質を大量に分泌したのか、親友の完全なる死を前にして、麻衣は泣き叫びたい感情を何か違うモノに変換していた。

 モデラーズ指揮兵シモーヌの行動は完璧だった。

 北条みゆの腕を掴んだユリは、少女の細い腕に噛みつこうとして一瞬ためらうように止まった。麻衣には、そう見えた。

 その一瞬の隙を突いて、シモーヌは自身の右手をユリの前に差し出す格好となりながらも、少女の細い腕を引き離した。

 北条みゆを確保して引き離すと同時に、すかさず発砲してその場の混乱を終わらせた。

 シモーヌは自分の身を挺してみゆを救ったのだ。

 たとえ、それがモデラーズ兵の任務であったとしても、麻衣たちが下してしまった愚かな判断のフォローをしてくれたのだ。

 親友の・・・いつも一緒に居てくれたユリの頭部が吹き飛ばされ、崩れ落ちていく姿を瞳に焼き付けながら、麻衣は自分の判断を悔いた。

 一瞬、フリーズしてしまった体に力がわき上がってきた。

 シモーヌに引きはがされるように引っ張られた北条みゆは、その美貌を青ざめ硬直させていた。

 無理もない。危うくゾンビに噛まれるところだったのだ。

 ゾンビに噛まれるというのは、ゾンビになるということだ。

「みゆっ!」

 麻衣はよろめく北条みゆを背中から抱き取った。華奢な、本当にまだ子供に近い細さだった。

 ガッチリとみゆを抱き取った麻衣は、脇まで駆け寄って来ていた響子に視線を合わせ、少女の細い身体を託した。

「みゆを頼むっ!」

 そう響子に言いながら、麻衣はみゆが胸に抱いていた日本刀に手を伸ばした。

「その刀っ! 貸してっ!」

「は、はいっ」

 北条みゆは、その幼さとは対照的に麻衣の意図を即座に察してくれた。鞘を小さな両手でつかみ、柄を麻衣に差し出した。

 柄を握りしめ引き抜く。スッと音もなくその少し短めの日本刀は姿を現した。

・・・いけるっ・・・

 予想していたとおり、みゆの持っていた日本刀は真っさらで、ゾンビの血で汚染されていなかった。

 兵学校最上級生序列上位者数名だけが密かに練習していた技を使う時だと麻衣は決心し、日本刀を握りしめてシモーヌに向き合った。

「待てっ! 私が切り落とすっ!」

 弾薬ベルトの端から黒い紐を抜き出していたシモーヌに、麻衣はみゆから受け取った日本刀を抜き放って上段に身構えた。

「はぁ? ・・・・・・」 

 ゾンビに噛まれてもなお、クールな表情を崩さなかったシモーヌが、麻衣を見て一瞬だけ目が点になったような表情を浮かべ、そして叫んだ。

「はぁっ!? バカ言うなぁっ!」

 美貌を引きつらせたシモーヌは、それでも緊急マニュアルに従って噛まれた腕を極力動かさず、ゾンビウイルスが体中に回るのを防ぐため腕をダラリと下に向けていた。

 真っ白なワイシャツ風ワンピースは、噛まれた部分が鮮血で真っ赤に染まっていた。

・・・ひと太刀で切り落とす・・・

 本来なら腕を水平に上げろと、指示したかった。しかし、そんなコンマ何秒かの動作さえ待てなかった。

 切る、と決意した瞬間から麻衣の神経は研ぎ澄まされ、シモーヌの腕だけに集中していた。

・・・上に10センチ・・・

 イケると閃いた瞬間、麻衣は上段から下ろした剣先で、剣道で言うところの胴を打つようにして日本刀を振り抜いた。

「きゃーぁっ!」

 少女の悲鳴が背後から聞こえた。

 シモーヌではなく、みゆの声だった。

 手応えは充分だった。

「ばっ! ばかぁぁぁぁぁっ!」

 振り返ると、肘から先を切り落とされたシモーヌが怒りの表情で麻衣を睨みつけていた。

 その切り落とされた腕からは鮮血が吹き出し、彼女の手は地面を埋めるゾンビの死体の上に転がっていた。

 切られた腕をシモーヌが掴もうとして、それまで手にしていた黒い紐を自分の血だまりに落としてしまった。

「ばっ、爆炸ライン落としたぁぁぁぁぁっ!」

 その慌てようと引きつった表情を見せたシモーヌの周りに、数名のモデラーズ兵が集まってきて、妙に淡々と会話を始めた。

「ま、マジか?」

「あららっ・・・」

「どうすんだよ?」

「つーか、何で手を引っ込めなかったんだ?」

 切り落とされた手を前に、緊張感に欠ける会話だった。

 最後の問い掛けに、シモーヌは少し照れた顔で言った。

「いや、爆炸より痛くなさそうだったから・・・」

「あほか?」

「子供か?」

「アキトかよ?」

「最後の最後で笑わせてくれるじゃん。シモーヌっ」

 集まったモデラーズ兵たちは穏やかな笑みを浮かべていた。

 しかし、一方で、学生たちはフリーズしてしまっていた。

 ユリのゾンビ化という悪夢を目撃し、その友達の暴走を止められず、挙げ句は目の前で彼女の頭部が吹き飛んだのである。

 前日の悪夢に続くおぞましく受け入れがたい光景だった。

 シモーヌの腕を切り落とした麻衣も、その場でフリーズしたように動けなかった。

 抜刀科生たちの視線は、ほぼ全員が射殺されてしまったユリに向けられていた。

 みな突然の悪夢を受け入れられずにいたのだ。

 だが、一人だけ冷静に素早く動き出した少女が、シモーヌを囲んだモデラーズ兵を押しのけ輪の中に入った。北条みゆだった。

「どいてっ! 止血っ! 止血しますっ!」

 みゆが血の気を失った顔でシモーヌに駆け寄った。

「ご、ごめんなさいっ・・・わたしが、のろまだったからっ・・・」

 みゆは広げたハンカチで傷口をおおったが、すぐに鮮血で真っ赤に染まった。

「仕方ないさ。お前、あの女を助け起こそうとしたんだろ。前線で、人に優しくしてると早死にしてしまうから・・・今度から気をつけろよな・・・」

 ゾンビに噛まれ右腕を失ったというのに、美貌のモデラーズ指揮兵は妙にサッパリとした表情で、みゆを見下ろしていた。

 そんな二人の前に、別のモデラーズ兵が救急処置キットを差し出した。

「私が手当します」

 切り落とされた傷口に、応急処置をほどこしていく。

 大型止血パットを手早く取り出し小さな手のひらに乗せると、みゆは切り落とされたシモーヌの腕を掴んだ。

「痛いけど、我慢してくださいっ!」

 そう言うが早いか、止血パットを傷口に押しつけた。

「うわっ、神経に当たってる・・・」

 切断された腕の断面を、みゆは小さな手で一生懸命押している。失神するほどの激痛が襲っているはずだが、シモーヌは少し美貌をゆがめただけだった。

 麻衣の目にも、みゆの手際は完璧に見えた。止血パットも兵学校で使われている物とは全く違っていて、ものの2分ほどで完全に止血することに成功していた。

「何か手慣れてるな。お前、衛生兵か?」

 耐久性でも確かめるように、シモーヌは切断された手を2.3度振りながらみゆに尋ねた。

 ゾンビに噛まれ、手を失ったばかりというのに、表情は冷静なままだ。

「いえ、予備兵です。でも、救命処置はマスターしています」

「そうか、ありがとう。ていうか、お前に何かあると一番困るんだ。何か大切な物を預かってきてるんだろ?」

 シモーヌの問い掛けに、みゆの表情が一瞬で固まった。

 そのパッチリとしたキュートな瞳が、麻衣に向けられた。

 麻衣も視線が交差した瞬間、地下三階で立花ゆきとみゆの会話を思い返した。

「えっ! あっ・・・・あのうっ・・・・」

「お、おい、なぜ視線をそらす?」

 銃を持った反対の手で、みゆの肩に触れようとしたが、当然ながら切断されていて空振りに終わった。

 ゾンビの大群にも動じず、自分の手をゾンビに噛ませるという荒技まで繰り出したモデラーズ指揮兵だったが、なぜか動揺している。

「預かってきたのは・・・・」

「な、何だよ?」

 物凄い目力でシモーヌが上から小柄な少女を睨んでいる。

 みゆは、その視線から逃れるように、麻衣に視線を向けた。

「預かってきたのは・・・あの刀なんです」

「わっ、私のぉ・・・手を切り落としたぁ?」

 声が裏返っていた。

「はい・・・」

 申し訳なさそうに、みゆはコクリと小さくうなずいた。

「ま、まじかぁ・・・・」

「す、すみません・・・」

 シモーヌの呆然とした視線が、麻衣の握った日本刀に向けられた。数秒呆然として、大きくため息を吐いて彼女は悲しげな表情でみゆに言った。

「あとで、洗っておいて・よ・・・ね・・・・」

 何が彼女をそれほど落ち込ませているのか、麻衣には理解不能だったが、口調が柔らかくなったところで、みゆが泣きそうな顔でシモーヌの顔を見た。

「は、はい。あのっ・・・・さっきは助けてくれてありがとう」

 瞳を潤ませた少女の言葉に、シモーヌは軽く答えた。

「ああ、それが任務だ。しかし、困ったな・・・・」

 小首を傾げると長いブロンドの髪が揺れた。その髪を直そうとしたが、当然空いた方の手は無い。

 失った手よりも、任務の方が大事なのか? それがモデラーズ兵なのかと驚かずにはいられなかった。

 今にも泣き出しそうな表情で、北条みゆがシモーヌを見詰めている。

 痛々しく、麻衣は声を掛けられなかった。

 麻衣の視界の端に紫音が映った。

 紫音は学生服の上着を脱ぎ、ユリの顔にかぶせていた。

 同級生たちの視線は、動かなくなったユリに向けられていた。

 驚き戸惑う同級生たちの中には、明らかに敵意の視線をシモーヌに向けている者が数名いた。

 逆恨み以外の何物でもない視線に、麻衣は驚き困惑した。

 全ての原因は麻衣や紫音の愚かさにあった。

 重傷の負傷兵を運ぶことが固く禁じられているのは、ゾンビ戦争での鉄則だった。

 それを、麻衣も紫音も無視して、あのブロンド少女の忠告を兵学校生徒という立場で言い繕った挙げ句、ゾンビ化したユリを前に抜刀科生でありながら、皆その場から逃げてしまったのだ。

 これが現実なのかと、麻衣の気持ちはさらに落ち込んだ。

 そんな麻衣の前で、モデラーズ兵が小首を傾げながらシモーヌに尋ねた。

「なぁ? シモーヌ大丈夫か?」

「ああ、私の血で汚れたくらいだから大丈夫だろ?」

 そう言ったシモーヌの視線が麻衣の持った日本刀に向けられたが、質問したモデラーズ兵が突っ込んだ。

「ちげーよ。腕の方だよ」

「ああ・・・・」

 ため息をもらすような表情で、シモーヌは失った手を見た。

「え、うーん。ちょっと微妙?」

「おまえ、爆炸しなかったってことは、ヤバくね?」

「ああ、かなりヤバいかも。つーか、たぶん終わってるかな?」

 モデラーズ2人の会話が気になり、麻衣は尋ねた。特別講義で教えられた通りにできたはずだった。

「な、何が問題なんだ?」

「ああ、切り落とした場所が傷口に近かったからな。基本的には肩の先から吹っ飛ばして処置するように教えられている」

 シモーヌは落ち着いた表情で、そう言った。

「・・・・・・」

 言葉が出なかった。

「実際、爆炸をヤッた奴なんて、うちの中隊じゃいないんでな」

「つーか、そもそも規則違反だからなぁ。今から爆炸やっとくか?」

「いや、もういいよ。何か、ちょっと気が抜けた。もうセシリー姉様たちに会えないかもなぁ」

 シモーヌは前線に視線を向けた。爆音と銃撃音が響く彼方に別れでも告げるかのように、柔らかな顔で見詰めていた。

 混乱を極めた女子抜刀隊前方からモデラーズ兵の声が響いた。

「ゾンビの排除確認っ!」

「全周囲クリアーっ!」

「最終ラインまであと数百メートルだ。もう、ゾンビの大群に出会うこともないが、気を抜かずに前進するぞ」

 片手を失ったシモーヌが、周囲のモデラーズ兵に告げた。

 そして、シモーヌから撤退再開の目配せを受けた紫音が、少し言いづらそうな表情で横たわったユリに視線を向けて言った。

「す、すみません。彼女を連れて行っても・・・・」

 まだ我が儘を言うのかと怒鳴られても仕方ないだろう。だが、麻衣も同じ気持ちだった。

 完全な死体となったユリを、せめて弔ってやりたかった。友達として当然の思いだったが、拒否されれば従うしかない。

 だが、シモーヌは簡単に答えてくれた。

「ああ、構わない」

 皮肉なことに、負傷者は最終防衛ラインを超えられなくても、頭を吹き飛ばされた完全な死者は、兵士として弔われるため防衛ライン内側に戻ることが許されていた。

 動かなくなったユリを担架に乗せ、再び歩き始めた。

 同級生の何人かは泣いていた。

 屈折した怒りを露骨にモデラーズ兵に向けている者もいた。

 借りた日本刀を返すと、麻衣は先頭集団には戻らず北条みゆと並んで歩いた。

 みゆの視線はシモーヌの後ろ姿をずっと追っている。この幼さいっぱいの美少女は、いったいどれほどの精神的苦痛をこの一日で受けたのだろう。

 第一戦略級予備兵育成所訓練生、中等部2年生と言っていた。式典に出ていた同級生や先輩全員がゾンビやバンパイアに喰われたのだ。

 それだけでも精神崩壊が起きてもおかしくないだろう。

 立花ゆきという少女に託された女の子、北条みゆを守らなければならなかった。彼女のそばから離れたことは間違いだったと、麻衣はやっと気づいたのだ。

 雰囲気が一変した状態で撤収を再開して数分たったころ、先頭の生徒たちがザワつき、そして声を上げた。

「友軍よっ! 前方から友軍が来たわっ!」

 その声に、わーっ、と歓声が上がった。

 鉄パイプや金属バットを肩に乗せ、精悍な表情の兵士がモデラーズ兵を従え、前方から続々と進んでくる。

 モデラーズ兵以外の武装は、一部をのぞき鉄パイプと金属バットが主体であった。

 あのビアンカ部隊を見た後では、酷く弱々しい装備に思える。

 彼等が従えるモデラーズ兵にしても、軍服姿で凜々しく見えるが、手にした銃は正規軍歩兵用自動小銃であった。麻衣たちをエスコートしてくれているモデラーズ兵の強力装備に重火器を見てしまった後では、見劣りしてしまう。

 しかし、これが、国防軍正規兵であり、首都圏防衛主力部隊なのだ。

 部隊先頭を進む将校が、シモーヌに駆け寄ってきた。

 ハンドガンと木刀を握った少尉に、シモーヌたちが一斉に銃口を向けた。

・・・モデラーズ兵が・・・人に・・・・銃口を向ける?・・・

 麻衣は驚いたが、学生全員も同じだった。緊張が走った。

「渋谷方面軍第八遊撃大隊の新見です。臨時防衛ラインからこちらまでの掃討は、ほぼ完了しています」

 シモーヌの前で、新見少尉は真顔で敬礼した。

 敬意が感じられる態度と口調だった。というよりモデラーズ兵に敬礼をする将校など聞いた事がない。

 モデラーズ兵に銃口を向けられていながら、新見少尉はその事実を完全に無視している。

 また、彼の後ろに続いた国防軍兵士たちも、自分たちに向けられた銃口に全く無反応だった。

 無反応というより、彼等の瞳は妙にまっすぐでキラキラと純粋な子供のような目をしていた。

「首都圏防衛軍第2特殊攻撃中隊っす」

 銃口を下ろしながらシモーヌが告げると、予想通りの答えが返ってきたのか、少尉に随行していた兵士たちがあらためて真顔で敬礼した。

・・・だい2特殊攻撃中隊・・・

 兵士達は、彼女たちを知っているのだろう。続いて到着する兵士が、みなかしこまって敬礼し立ち止まってしまう。

「何か必要な物はありませんか?」

 麻衣たち学生を見渡した少尉が、柔らかな口調でシモーヌに尋ねたが、彼女は少し面倒臭そうに言った。

「いや、必要ない。サッサと進撃しないと、そろそろ渋谷防衛軍本部にリナ姉様がバンカークラッシャー撃ち込みますよ」

 そのシモーヌの言葉に、少尉は再び慌てて敬礼した。

「情報感謝します。小隊、駆け足前えっ!」

 撤収する麻衣たち兵学校抜刀隊の横を、国防軍部隊が次々と渋谷方面軍本部に向かって進軍していく。

・・・反攻作戦・・・

 麻衣はゾンビ化してしまったユリのことが頭から離れなかったが、目の前の光景にも驚きを禁じ得なかった。

 重装殲滅騎士団さえ逃げ出したゾンビの大群を蹴散らし、国防軍が進撃しているのだ。

 まさに「渋谷迎撃戦」の再現ではないかと麻衣は思った。

 ヨコハマナンバーワンと呼ばれた元トップアイドル鬼月ルナにひきいられたガナフ戦車中隊による電撃作戦・・・・それを再現するように、ブロンド美少女ひきいる重戦車が突破口を開いて、今まさに全軍が渋谷本部を目指して進撃しているのだ。

 何か熱い気持ちが胸にあふれてきていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る