第一話 〜霧に浮かぶ大扉〜
──どれくらい時間が経ったのだろう。
気がつくと沈黙の霧の中に悠然とそびえ立つ巨大な門の前に居た。
いや違うか。まずここは沈黙の霧じゃない、と思う。
いつもの雲の中に居るような真っ白い霧ではなく、月明かりさえも届かない深い森の中、漆黒の闇夜から滲み出してきたような真っ黒い霧だ。
それととてつもない大きさだけど、目の前に獅子の飾りノッカーと豪華なドアノブがある。
つまりこれは門ではなく扉だ。
優に5mはありそうな大きなものだけど、本当にこんなドアノブで開くのか些か不安ではあるけど。
ざっと周りを見渡してみたけど、そもそも見渡す必要が全然なかった。
扉の両端に設置されたガス灯の頼りない明かりが照らすごく限られた範囲以外、地面も黒い霧が漂っているせいで足元さえまったく見えない。
まるで月夜の水面を漂う木の葉のように、黒い霧の中に巨大な扉だけが浮かび上がっているような景色。
扉が取り付けられているであろう建物の壁面も、玄関前のスペースを雨から守る屋根も何も見えない。
それどころか一緒に居たはずのみんなの姿がどこにもなかった。
どういうことだ? あの時一緒に吹き飛ばされて、僕だけがここにたどり着いたと?
いやいや、大海原で船が沈没して流れ着いたとか言うならバラバラになるって話も聞いたことがあるけど、暴風とは言え風に吹き飛ばされただけで本当に空を飛んだ訳じゃない。
厳密に言えば風に押されて意図する方向には進めず、風下に流されるということだ。
そんなに長時間風に吹かれていた訳でもないから、あまり広範囲に散らばってしまったとは思えない。
いや、思いたくないだけか……?
大声で仲間を呼ぶべきか、霧の中を探してみるべきか、それともここで待つべきか。
こうしている間にも、はぐれた仲間とどんどん距離が開いてしまうなんてことにはならないだろうか?
もしかして僕のことを探しているかもしれない。
そうなるとやっぱり自分の居場所を伝えるために声を出すべきか?
……とりあえず落ち着こう。こういう時慌ててはいけないと昔から言うじゃないか。
なんて頭ではそう理解しているつもりだけど、いざ自分の身に起こると冷静でいることを難しくさせる。
考え得る選択肢の中で一番最適な判断を探すが、どうしても「もしも間違っていたら」という不安が邪魔をする。
何時だったか、はぐれた時のセオリーについて誰かが話してた気がするんだけど……
まあここで四の五の考えていても埒が明かない。
まずはこの付近を探してからもう一度考えよう。
「おーい! レイナー、シェインー、タオー、ファムー!」
巨大な扉を左手にそこにあるであろう壁を伝って歩きだそうと一歩を踏み出した時、視界の隅を何かが横切った気がした。
「……誰か居るの?」
見渡せる範囲はさほど広くもなく、首をひと捻りするだけでその横切った何かが確実に見えるはずだった。
「!?」
──何も居ない。けどそこに何かが有る。
風に吹かれて黒い霧がさざめき、そこにある見えない何かの存在を示していた。
その何かは黒いというよりむしろ闇の塊と言った方が的確かもしれない。
そのおかげで黒いはずの霧でさえも明暗が生まれて、不確かな存在が浮かび上がっているようだった。
気づくや否や、咄嗟に飛び退き身構える僕に、まるで意志があるかのように虚ろな闇が襲いかかって来た。
速い!
結構距離を取ったはずなのに、あっという間に距離を詰めてそのまま掴みかかろうとしてくる。
あの闇から伸びているのが腕であるなら、だけど。
見た目と動きの速いそのギャップに危うく一撃を喰らいそうになったが、躱しきれないほどではない。
かと言ってこの正体の分からないヴィランを防戦一方で凌ぎきれるほど甘くはなさそうだ。
次々繰り出される攻撃をかいくぐりながら、僕はすかさず導きの栞でヒーローとコネクトした。
まばゆい光に包まれて、僕が召喚したのはまだやんちゃな少年の面影が抜けきれていないけど、手にした曲刀を鮮やかに操る、素早い身のこなしが自慢の人懐っこい笑顔の青年だ。
「やぁエクス。こんなの素早いうちに入らないっすよ」
『ありがとうアラジン! 手強い敵だけど、大丈夫?』
「こんくらいの仕事、ちょろいもんっすよ」
アラジンは言い終わるが早いか一気に間合いを詰めて斬りかかった。
形の定まらない闇の、それでも左肩辺りから一気に切り下ろし、返す刀で胴体と思しき場所への鋭い横一閃を放つ。
ところがこのよく分からないヴィラン(?)はやっぱり見たまんまのようで、斬りつけても全く手応えが無く、その剣撃が全てすり抜けてしまう。
剣先が触れるとぼやけるというか揺らめくように一瞬乱れるが、贔屓目に見ても攻撃が効いてるようにはとても見えなかった。
それでも攻撃の手を休めること無く、攻撃と同時に間合いを取って次の攻撃に備える。
そうでもしないとただでさえ暗くそのうえ周り中黒い霧に囲まれているというのに、襲ってくる敵が闇と見紛うばかりの真っ黒ときている。
背景に溶け込んで油断しなくても見失いかねない状況で、何とかこの窮地を脱しないといけないんだ。
そう、みんなと合流するためにも。
焦る気持ちと逃げ出したくなる気持ちを無理やり押し込め、僕は努めて冷静に思考を巡らせた。
『いったいあれはなんなの? どう見てもただの霧じゃないよね?』
「俺も見たことないっす。ていうかよく見えないね。こうなったら報酬は弾んでくださいっすよ! おっと」
アラジンは見事な剣さばきと踏み込みで、変則的な攻撃を繰り返し相手を撹乱しながら戦っている。
こっちの攻撃が全く効かない敵を相手に迫りくる攻撃を何とかギリギリで避けながらこの絶望的状況を脱して仲間と無事合流して見事脱出する方法なんて、考えつく暇がない。息つく暇までない。
何せまるで雲を掴むような話なんだから。
もとい霧を掴むか。
フォークにも棒にも掛かりそうがないし、剣は絶賛空振り中ときている。
「大丈夫、闇雲に攻撃してる訳じゃないっすよ。攻撃してる相手は正に闇だけどね!」
『何とかなりそう?』
「まあ見ててくださいって!」
アラジンは低く構えを取りギリギリまで敵を引きつけると、繰り出される一撃に合わせて身を翻し、まるで背中合わせにダンスのターンをするように闇の背後に回り込んだ。
あの怪物に果たして前後があるのか甚だ疑問ではあるけど、どうやらアラジンは闇が瞬時に前後を入れ替えることが出来ない事実に気づいたらしい。
「それじゃいっちょ大技行ってみるっすよ! ソードダンス!!」
ものすごい速さで繰り出される連撃──一瞬で突き、切り上げ、切り下ろし攻撃が入り乱れ、塊だった闇が少しずつ綻んでいく。
そして最後に鋭い踏み込みから繰り出される、強烈な突きにより生じた衝撃波が闇の大半を吹き飛ばした。
やったか!?
今まで明かりの下で繰り広げられていた激闘の相手は、照らし出された範囲にその姿を確認できない。
コネクトしているアラジンから伝わってきた手応えは、何とも心許ない軽さではあったけど、見事撃退できたようだった。
しかし喜びもつかの間、黒い霧の中から次第に闇が集まりだし、徐々に元のサイズに戻っている。
若干動きが遅くなったものの、襲ってきたときの質量と見劣りしない状態で、再び僕らの前に立ちはだかった。
「背後からも駄目っすね。行けると思ったんだけどなー」
『でも少し弱ってるみたいだよ。何度も決めれば倒せないかな?』
「そんなに連続で出来ないっすよ! いっそひと思いにぶっ飛ばせれば別だけどね」
『うーん…………そうか!』
一か八か、あまり分の良い賭けとも思えないけど、どのみち他に打つ手がないんだ。
剣を構えたまま一旦闇から距離を取り、僕は導きの栞に想いを託すことにした。
反撃してこない僕らを見てもう観念したと思ったのか、虚ろな闇は念願のトドメとばかりに襲いかかってくる。
僕は構わず精神を集中し、自分のイメージした古のヒーローを念じ続けた。
僕ならできるはずだ。僕の持つ導きの栞の力、ワイルドの紋章の力なら!
『お兄ちゃん、わたしにまかせて!』
強烈な一撃が今にも届こうというその刹那、まばゆい光が溢れ出したかと思うと、巨大な火球が現れ一瞬で虚ろな闇を霧散させた。
「おしおき〜!」
その背丈に不釣り合いな長い杖をブンブンと振り回し、ぴょんぴょん飛び跳ねながらはしゃぐ少女。
腕に下げたカゴには美味しそうなパンと赤ワイン。真っ赤なずきんから覗く愛らしい笑顔。
僕は炎の魔法を操る赤ずきんの召喚に成功したのだ。
「よい子は勝つんだもん♪」
えっへん、と胸を張ってみせるその幼い顔に似合わず、赤ずきんが放った炎は強烈な熱と光と爆風を生み出し、剣では全く歯が立たなかった闇をあっさりと退けてしまった。
『ありがとう、赤ずきんちゃん。おかげで助かったよ』
「えへへ〜でもお兄ちゃん、そうはフトン屋がよこさないみたいだよ。……あれ? ぶどう屋さん?」
『え?』
赤ずきんが何を言ってるのか分からなかったけど、どうやら手放しで喜べない事態ということは理解できた。
周囲の霧がまるで水面のように激しく波打ち、次第に闇が集まってきている。
あの攻撃でも倒せないのか?
『赤ずきんちゃん、さっきのやつ後何回くらい使える?』
「んーと、あと2回か3回かな〜」
『そっか。あまり無理出来ないね』
「ごめんね、お兄ちゃん。赤ずきんがもっと強ければ……」
『そんな、十分助かってるよ』
『……ちょっと俺に考えがあるけど、乗るっすか?』
闇は次第にローブを纏った人のような形に纏まり、はっきりとした敵意をこちらに向けている。
見ると別の場所にも次々と闇が集まっているのが見え、このままだと消耗戦になることは確実。
徐々に距離を詰めてくる虚ろな闇達。
恐怖に慄きジリジリと後ずさる赤ずきん。
やがてその小さな背中が扉にぶつかり、もう逃げ場がないことを告げる。
それを合図に虚ろな闇が一斉に襲いかかってきた。
『今だ! 赤ずきんちゃん!』
「え〜〜〜い、れんぞくおしおき〜〜! それとバトンタ〜ッチ!」
「アチッ! 後は任せるっすよ」
迫りくる闇の中心──つまり自分の真上に火球を降らせ、その爆炎で闇を一気に霧散させる。
そして素早く巨大な扉の中に逃げ込む、という連係プレーで見事に窮地を脱することに成功した。
まぁ端的に言えば、目くらましをしてその隙に逃げただけなんだけどね。
ものすごい勢いで巨大な扉の開け閉めをこなし、肩で息をしながらへたり込む発案者のアラジンに、赤ずきんが遠慮がちに声をかけた。
『ねぇねぇ。フツーにドアを開けて、おそってきたらおしおきして、そのすきにへやの中に逃げ込めばよかったんじゃないの?』
「えっ……!? いやいやそんなことないっすよ!? ほ、ほら、まとめて吹き飛ばさなくちゃいけなかったし、それにお譲ちゃんじゃこの扉動かせないっしょ? ね?」
『う〜〜ん……まあいっか。それじゃーお兄ちゃん、またね〜』
「かわいい顔してツッコミに容赦ないっす……。それじゃ俺もそろそろ……」
空白の書から導きの栞を引き抜くと、アラジンと赤ずきんは光に包まれ還って行った。
「二人共、ありがとう」
僕はようやっとひと息つき、水筒の水を一口飲みながら周りを見渡す。
「随分立派な建物みたいだ……」
玄関先は薄暗く、ある種不気味な雰囲気を醸し出していたのに比べ、建物の中は明るくとても趣きのある佇まいをしていた。
天井から下がる見事なシャンデリアが玄関ホールの隅々まで照らし、細やかな手入れが行き届いてることが見て取れる。
サイドボードに置かれた花瓶には、見たこともない綺麗な花が生けてあり、上品な香りが漂っていた。
まずは勝手に入ってきた訳だし、ここの住人に挨拶をして、それから仲間のことを聞いてみるか。
残念なことに、僕は今までこういった建物に正式な訪れ方をしたことは一度もない。
いつもカオステラーを倒すためズカズカと乗り込むだけだから、いったいどう振る舞えばいいのか分からないけど、大丈夫だろうか?
備え付けの大きな姿見で自分の身なりを確かめてみた。
鏡の中にはそこそこ小奇麗な自分が映っている。
それもそのはずつい先日、箱庭の妖精に誂えなおしてもらったばかりなので、綻びなども特に無く、とりあえずいきなり追い出される心配だけはしなくても良さそうだった。
「すいませーん、どなたかいらっしゃいませんか……?」
建物の雰囲気に圧倒されて、自分でも情けなくなるほどの弱々しい声しか出ていない。
これでは玄関ホールに敷かれたとても高価そうな毛足の長い絨毯に吸い込まれてしまい、近くに居る人でも聞こえない可能性がある。
つくづく庶民が染み付いてると苦笑いし、改めて思い切り胸に空気を取り込んだ。
「すいません。旅の者ですが、どなたかいらっしゃいませんか?」
よし。今度はちゃんと声が出た。
なんだか訳もなくドキドキしたけど、とりあえず誰か来るまで待つことにしよう。
──結局あれって何だったんだろう?
ヴィランにもいろんな種類がいるし、カオステラーが操る魔物も今までにたくさん見てきた。
だけどあれはそういった類のものより、どちらかというと幽霊とか悪霊に近い気がした。
そりゃ僕だってそんなの見たことも遭ったこともないから確証はないけど、姿形が朧げで、生ある人間に悪意を持って襲いかかると伝え聞く通りだ。
もう少し良く見えていればまた違ったかもしれないけど、おかげで建物の周りは探しに行けなかった。
とはいえあの暗闇の中、明かりも持たずに探し回るのは無謀以外の何者でもないし、ましてやあんな化物が居たのでは尚更だ。
でもまあ考えようによっては、他のみんなも早々に避難するだろうことは想像に難くない。
特にレイナはまっさきに逃げるだろうし、そうなればみんなはぐれないようにレイナを追うだろう。
そんな訳でもしも先に来ているなら話は早いし、まだ来ていないようならしばらく待たせもらうことにしよう。
それにしてもだいぶ待っているのに誰も来ない。
こういう時って「どなたですか」とか言って召使いとか使用人が出てくるものだけど。
……よく分からないけど昔読んだ本にそう書いてあった。
みんなのことも気になるし、ちょっとだけ上がらせてもらうことにしよう。
僕は玄関ホールの正面にある扉を開けてみることにした。
荘厳なイメージの玄関扉もすごかったけど、建物の奥へと続くこの扉も重厚で、意匠を凝らした彫刻で飾られた見事なものだった。
金色の把手を引くと見たとおりの重さがちゃんと手に伝わってくるのに、まるで軋むこと無く静かに開く。
昔僕が暮らしていた部屋なんて、薄い板一枚で出来てるんじゃないかってほど軽々動くのに、開閉の度にドラゴンの歯軋りみたいな音がしたもんだ。
お金持ちの住む所って扉ひとつとってもこんなにすごいんだね……
扉の向こうを覗き込むと、僕は更に驚かずにはいられなかった。
玄関ホールよりは小ぶりだけど、これまた豪華なシャンデリアが目につく。
床に敷かれた高級そうな絨毯も、壁に飾られた風景画も、廊下の向こうまでずっと続いて──
ずっと!?
そこには目を凝らしても先が見えないほどの長い廊下が続いていた。
「これじゃ僕の声が聞こえてなくてもしょうがないか」
考えるまでもなく、この様子じゃここにいても何もならなかっただろう。
僕は住人の姿を探し、この長い廊下を歩きはじめた。
遠くで鳴り響く、鐘の音を聞きながら──
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