沈黙の霧奇譚

御氏 神音

〜調律の巫女一行旅行記・壱〜

〜プロローグ〜

 沈黙の霧──想区の外に広がる果てしない霧。

 ストーリーテラーによって語られることのない、

 想区と想区の隙間の世界であり、

 温度も、匂いも、音も、存在し得ない、

 ストーリーテラーの力さえも及ばない世界。

 想区の住民達は他の想区の存在と同様に、沈黙の霧の存在も知らない。

 もし迷い込んでしまうと、一部の例外を除いて霧の中を彷徨い続け、

 やがて死を迎えると言う。



 その例外のはずの者、調律の巫女一行は何故か今迷っていた。

 カオステラーの気配を頼りに、沈黙の霧の中を進んでいたレイナ達一行は、

 何をやらかしたのかドツボにはまってさあ大変。

 旅はこのまま終わってしまうのか? 一行の運命や如何に!

 次回、戦いの果てに。

 見てくれないと、調律しちゃうぞ♡ ムフフ


「シェイン、変なナレーションつけないでくれる?」

 予想外の長旅で、くたくたになっているレイナもたまらず抗議する。

 シェインは涼しい顔でまったく意に介さない。

 僕達はもう長いことこんな感じで一言二言交わしては再び静まり返り、黙々と沈黙の霧の中を歩き続けていた。


 確かにレイナの方向音痴はひどい。だけどそれはあくまで想区の中だけのことだ。

 一本道のはずなのに深い森に迷い込んだり、街の中央広場で待ち合わせをしたのに、何故か裏通りの闇市で客引きに絡まれていたりする。

 それでも一旦沈黙の霧に入れば、どっちにカオステラーがいる想区があるのか、決して見逃すことがない。

 それにもしレイナの案内なしに想区から想区へと旅をしようとしても、どっちに進めばいいのか分からずものすごく時間がかかるらしい。

 そんな訳で僕達は、カオステラーを調律する度にレイナの示す方へと舵を切り、新たなるカオステラーの待つ想区を目指し、いつも通り沈黙の霧の中を旅してきた。


 ただ今回はちょっとだけ問題が発生している。

 さっき言った通り、普段僕達はカオステラーの気配を追って想区から想区へと移動を繰り返すので、結構多めに食料を用意している。

 想区間の移動は大体半日〜一日程度といったことが多いけど、立ち寄った想区ですぐに食料が調達できないこともあるので、いつも多めに見積もって保存食を中心にあれこれ支度しているのだ。

 定番のチーズにバケットに干し肉なんてのは言うに及ばず、他にも魚の塩漬けやパスタにソーセージ、それに調味料なんかもある程度揃っている。

 そういえばピクルスとはちょっと違うけど、歯ごたえがあって結構美味しい保存用付け合せ野菜で、シェイン秘伝のたしか「ヌーカズッケ」っていうのもあったっけ。あれは不思議と癖になる味だ。

 流石に豪勢な料理は出来ないけど、バリエーションも考えつつ栄養バランスにも気を使って選んでいるので、種類も量もかなり多く、買い出しだけでも結構大変だったりする。

 とはいえ実際はレイナの持つ魔法の本、箱庭の王国の食料庫に保管して持ち歩いてるので、買い出しさえ終われば僕達は身一つで旅をしているようなものなんだけどね。


 つい先日もカオステラーの気配を見つけ沈黙の霧の移動をはじめたんだけど、途中立ち寄ったいくつもの想区で貯蔵用の保存食が補給できず、それどころかまともな食料すら手に入らないような場所が何箇所も続いた。

 挙句最後に立ち寄った想区を出てから、何日も経ってるのにどこにも辿り着かないせいで、結果的に備蓄が底を突き今に到るという訳。

 沈黙の霧へ入った当初は、カオステラー討伐の興奮からか平和を取り戻せたことへの満足感か、ある意味テンションも高く賑やかに歩みを進めているのだけど、如何せんこの無限に広がる濃い霧の中では景色が代わり映えするはずもなく、無論小鳥のさえずりや川のせせらぎなど望むべくもない。

 長時間の移動ともなると次第に退屈が募り、いつしかみんな無口になってしまうのだ。


 こうしたいつもの無言タイムが訪れると、重苦しい空気を察してか、必ずと言っていいほどシェインがからかい、レイナが怒り、タオが追い打ちをかけて僕がなだめる。

 そしてみんなの様子をファムがニヤニヤしながら眺めているというのが、僕達のお決まりのパターンになっていた。

 特段険悪な雰囲気になるという事はないけど、今回ばかりはちょっといつものようにいかないかも知れない。

 何せ普段ならそろそろ晩ご飯という頃合いなのに、今朝のささやかな朝食を最後に食料が尽きた為に、かれこれ半日以上りんごと水筒の水しか口にしていないので無理もないけど。

 今回こんな事態になったのはあくまで偶然であって、別に誰かの責任ってことはないし、もちろんレイナが迷ったせいって訳でもない。

 何にしても、旅慣れてるはずのみんなですら想定外のことが起こってるのは間違いない。


 レイナ曰く、確かにカオステラーの気配はするが、その距離や方角が不明瞭で掴みどころがないイメージなんだとか。

 断じて迷ったのではない──少なくとも今までこんな気配の感じ方は経験したことがないとのこと。

「そうは言うけどお姫様ぁ〜、本当にカオステラーの気配を追ってるんだよねぇ? もう三日は経ってるよ〜」

「そんなこと言ってもしょうがないじゃない。こんなの初めてなんだから」

「まぁレイナの迷子癖は筋金入りだけどね〜」

 わざとらしく疲れたアピールで絡んでくるファムをいなし、平静を装い知らん顔を決め込むレイナ。

 ならばとファムが繰り出す伝家の宝刀、いじり攻撃も華麗にスルー。

 傍から見てるとジャレてるようにしか見えないけど、ホントに仲悪い訳じゃないんだよね?

 こっちでも二人のやり取りを見なかったフリして、シェインとタオが勝手に話を進めている。

「歩き過ぎてお腹減りました」

「そうだなー、こうなったら水汲みついでに箱庭の王国で釣りでもしてくるか!」

「ではシェインは木の実でも集めてきますかね。新入りさんは薪拾いで」

「も〜〜! 私が迷った訳じゃないんだからね!?」

 案の定と言うかいつも通りと言うか……。

 あまりやりすぎるとレイナが拗ねちゃうんだから、みんなもうちょっと手加減してくれないかな。

 仕方ない、ここはやっぱり僕がフォローするしかないか。

「まぁまぁ……ほら、レイナも調子悪いだけなんだよきっと」


 …………


 みんなの重い足取りが、軽口を叩いていた口が、全てが一斉に止まり、まるで僕との間を隔てるように冷たい風が吹き抜けた。

あれ……? 僕なにかマズイこと言った?

「フム調子が良くない……。もしかして姉御、また拾い食いでもしたんですか?」

「ちょっと、またって何よ。私は一度も拾い食いなんてしたことないってば!」

「ハハハー! ここはやっぱりリーダーのオレ様が何とかしないとな!」

「もう、おふざけは禁止! とにかく急ぐわよ!」

 うん、これはやってしまったようだ。場を収めるつもりがかえって裏目に出てしまった。

 やれやれといった様子のファムに苦笑いで応え、ズンズンと歩いていくレイナの後を慌てて追うことにした。

 これは次の想区についたら忘れずに、何か美味しいものご馳走してあげなくちゃだね、うん。


 一人で先に行こうとするレイナを何とか宥めつつ、僕は失態を誤魔化すように今向かっている想区のことをあれこれと考えてみた。

 実際に行ってみるまでどんなところなのか分からない。

 だけど退屈極まりない霧の中の移動中だからこそ、どんな物語の世界なのか、どんな人達と出会えるのか、それこそ後どれぐらいで着くのか、想像するのはとても楽しかった。

 とはいえ考えているのが僕だから、そんなに予想を巡らせられるほど知識も経験もなくて、いざ辿り着けば見るもの全てが目新しい驚きに満ちているのは言うまでもない。

 そんな未熟な僕だけど、実は目的の想区に近づいている予感的な何かの的中率について、密かに自信があったりする。

 想区の気配を感じられるとか匂いを感じられるとか、もちろんそういったことじゃないけど、どちらかといえば直感みたいなものなのかもしれない。

 なんと今のところ的中率は7割以上を誇る。

 当てずっぽうとか言われるかもしれないからみんなには黙ってるけどね。

 今回はいつもと違うからちょっと自信がないけど、それでもなんとなく、ささやかな直感がもうすぐどこかに辿り着く──と、その時僕は感じていた。


 だからいつもよりふてくされてるレイナの気を紛らわせようとして、僕は嘘くさいほど白々しく、満面の笑みで駆け寄り声をかける。

「ねえ、もうそろそろ着くんじゃないかな? だってほら、さっきから風を感じるし」

「え、風?」

「おーホントですね。でかしました新入りさん」

「ほら、やっぱり迷った訳じゃなかったでしょ?」

「よっしゃー! 気合入れていくぜー!!」

「ほらほら、そんなに慌てて走ると転ぶよ〜」

 先ほどまで疲れ切っていたのがまるで嘘のように、風の吹いてくる方へと駆け出した僕達は、待ちわびた次の想区へと期待に胸を膨らませ、次第に強くなる風の中を嬉々として走り続けた。

 ある者は美味しい食事を求めて、またある者はふかふかの寝床を求めて、そしてある者は平和のために。

 何はなくとも早々にこの退屈な霧の中から抜け出したい、そう思った瞬間、突然吹き荒れた黒い強風に──と言うより、あれは荒れ狂う嵐が巻き起こす暴風といったほうが正解かもしれない。

 その吹き荒ぶ黒い風に為すすべもないまま、あっという間に僕達は散り散りになっていった。 

 はぐれそうになるレイナやみんなに、手を伸ばす暇もないままに……



 出口が近い、そんな勘違いにみんなが油断していた。


 でももっと早く気づくべきだったんだ。

 沈黙の霧の中で、風が吹くことなんて有り得ないんだから──

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