第4話
彰人が階下へ到達すると、なにやらサーラが忙しなく動き回っている。手に握られたハタキを見るに、どうやら掃除中のようだ。関わるのも面倒な彰人はそのまま素通りしようと試みる。
「あ、お客さん!」
……まあ目の前を気付かれずに歩くなんてのはどだい無理な話である訳で。耳に響く特徴的な声が彼の事を呼び止める。が、それでも強引に通り抜けようとしたのか、彰人は聞こえなかったふりをして彼女の前を通りすぎようとする。
「ちょ、ちょっと!? おきゃくさーん!!」
慌ててコートの袖口をつかむサーラ。思惑通りにいかなかったことに彰人は舌打ちする。
「んもー、なんで無視するのさ!! まだお客さんの名前も知らないのに!!」
「そうか。なら知り合いじゃないし、名前を教える必要もないな」
「なんでよー!!」
彰人としては必要以上に馴れ馴れしくしてほしくなかった為、なんとかトラブルにならない程度に追い払おうとしているのだが、そんな細かな嫌みが彼女には通じない。しつこく袖を引っ張ってくるサーラに対し軽く溜め息をつき、腕を軽く振ることで彼女の戒めを振り払うと、再び出口へと歩き出す。
「あっ!! 待ってよー!!」
「掃除はいいのか?」
「うっ、それは……」
再び呼び止めようとしたサーラであるが、彰人の言葉によりその顔を顰めさせる。母親から頼まれた仕事か、はたまた罰か。いずれにしても、ここで投げ出すのは問題があるのだろう。箒を握りしめたまま、なにやらもじもじとし始める彼女。
まあ彰人はそんな彼女を見ることもなく既に歩き始めているのだが。
「せ、せめていつ帰ってくるかくらいは……」
「……」
扉を開けたとき、背後から聞こえた弱々しい声。彰人はフンと鼻を鳴らすと、そのまま彼女に声を掛けることもなく扉の外へと歩き出……そうとするが、その足を一旦止めて、サーラへと振り返る。
「……おい」
「!! な、何々!? 何でも聞いてよ!!」
「……この街に図書館はあんのか?」
目に見えるほどにテンションを上げたサーラを、若干辟易とした目で見る彰人。まあいくら最強の炎使いであったとしても、初めての土地で目的地の場所がわかる筈もなく。かといってそこらの見知らぬ奴から教えてもらおうと思うほどコミュニケーション力豊富でもない。結果サーラに話し掛ける羽目になるのは自明の理であったようだ。
いつも通りに、いや、いつも以上に明るい声を出したサーラは、喜んで図書館までの道筋を案内し始める。
「いい? この辺りは治安が悪いから通っちゃだめよ!」
「……」
まるで初めてのお使いに出す子供に向けての解説だ。謎の屈辱感に苛まれた彰人であるが、この拷問があと三十分程は続くことを彼は知らない。
◆◇◆
一般の人であれば、外を出歩く時にわざわざ暗い路地裏へ足を運ぶ人は少ないだろう。辛気くさいだとか色々と理由はあるだろうが、おそらく最も多いであろう理由は治安の悪さであるといえる。路地裏というのはその特性上、どうしても人目につきにくい。そのため、悪事が密かに行われていたとしても気付く人間はほとんどいないのだ。
では彰人の場合はどうなのか。彼の場合治安など関係ない、というかむしろ治安を乱している側と言えなくもないので、そんなことお構いなしに路地裏を通ったり、大通りを通ったり。要するに最短経路を常に選んで歩いている訳だ。ではそれでトラブルになっていたのかというとそうでもない。彼の元いた世界では曲がりなりにも治安は保たれていたので、路地裏に行ったところでゴミが落ちているか時たま変な集団に絡まれたりするだけだったからだ。
とはいえ、元いた世界とこの世界では治安も大きく違う訳で。
「へっへっへ、ここを通りたくば通行料でも払っていってもらおうか兄ちゃんよぉ」
よくもまあそこまで大きくなれたものだ、と目の前で舌なめずりをする二メートルほどの大男を見上げながら、彰人は心の中でそう評価する。
当然というべきかお約束というべきか、彰人は路地裏にて不良に絡まれていた。といってもただの不良ではないようで、彼の握っている得物、モーニングスターには所々赤黒いものが付着している。少なくとも一人や二人、殺した経験があるということか。取り巻きの男たちもにやにやと笑っていることから、慣れた手口であると思われる。
「お、こいつの血に気付いたか? その通り、俺は今までにテメェのような奴を何人も殺してきた!! 今なら土下座して、身ぐるみ全部置いていくなら許してやってもいいぞ? 俺は寛大だからな!!」
無感動に観察している彰人を怯えていると勘違いしたのか、大男は口を侮蔑の形に歪めると大きな声でさらにがなり立てる。取り巻きもそれを煽るように下手な口笛を吹き、自分の得物をカンカンと打ち鳴らした。
耳障りな騒音に思わず顔を顰める彰人。これならいつだったかに聞いた蛙の合唱の方が幾億倍も上手かった。そんな感情が言葉となって思わず口からあふれ出す。
「・・・・・・うるせぇな。まだ蛙の方がマシだわ」
ピシリ、と固まるその場の空気。一瞬固まった不良たちは、次の瞬間何を言われたのか理解し、その顔を怒りで真っ赤にさせる。
「この野郎、生意気な・・・・・・!!」
「アニキ!! こいつとっととやっちまおうぜ!! どうやら自分の立場がわかってないみたいだからな!!」
蛙というワードでここまで顔を真っ赤にさせるということは、この世界にも蛙はいるということか。それとも自分の言葉が勝手に翻訳されているだけなのか。彼らの怒りをよそに、怒りを買った張本人である彰人はそんなことを考えていた。
「まあそうだなぁ・・・・・・結局金を取るか命を取るか。どちらが早いかの違いでしかねぇしなぁ?」
そんなことをいいながら徐々に彰人へ近づいていく大男。もはや先ほど自分の言った台詞すら忘れているようで、言外に見逃すつもりはないと宣言する。そんな彼を前に、仲間たちは再び口笛をふく。
「だからうるせぇっつってんだろ。一歩も歩かないうちに忘れるとか、おまえらの頭は鳥頭以下か?」
反論をする彰人にはブーイングが飛んでくる。呆れたような彰人は、肩を竦めるだけでそれ以上何も言わない。
やがて大男が彰人の目の前に立つ。二メートル越えの男と、百七十センチほどの彰人とでは大きな差があった。体格の違いも含めると、正に大人と赤子。これでは勝負など目に見えている。
「そんじゃ、覚悟はいいか?」
そう。
「死ねェェェェェ!!」
目に見えている範囲では。
◆◇◆
「……あん?」
振り切ったモーニングスターを片手に、男は奇妙な声を出す。
それもその筈、本来あるべき骨を砕いた手応えが全くなかったのだから。
奇妙に思った男は、バッと顔を上げ、回りを見渡す。
そこには口をあんぐりと開けた手下達と――――
「……あー、もう終わりか?」
――――無傷の彰人が立っていた。
「なっ……テメェ!!」
「ったく、あいつから治安が悪いと聞いた時にはどんくらい危険かと期待したんだがな。正直期待外れだ」
でもまぁ、と彰人は続け、コートのポケットから入れっぱなしにしていた右手を抜く。
「俺の実験台位にはなってくれよ?」
右手から炎を出しつつ、薄ら笑いを浮かべる彰人。
大男は即座に感じた。ああ、これは関わってはいけない奴だったと。こいつを一度相手にしてしまえば、必ず殺されると。
彼は右手の鉄球が無くなったモーニングスターを落とし、取り巻きに呼び掛ける。
「て、撤退だ!! こいつはヤバイ、マジでヤバイ!!」
その言葉によって、固まっていた取り巻き達は弾かれたように動きだし、一斉に路地裏を抜けようと画策する。成程、強者を相手に逃げようとするのは弱者の培った知恵の一つだ。
「おいおい、そう簡単に逃がしやしねぇよ」
――――最も、彼の前では無意味な行動であったが。
突如路地裏の出入り口に、出入りを遮るかのように炎の壁が出現する。勿論彰人の起こした炎だ。
逃げようとした集団の中でもやや逃げ遅れた者は触れずに済んだが、一番早くに飛び出した者はそうもいかない。慌てて急ブレーキを掛けたが、後ろからの圧力に押されて抵抗虚しく炎の壁へと突っ込んでしまう。
「あ」
ジュッ、と肉の焼ける音。それを最後に、その者の人生は終わりを告げる。断末魔も、灰すらも残らずに、この地上から完璧に消え去った。
「ひぃ!?」
それを間近に見た取り巻き達が悲鳴を上げる。確かに自分達は悪事を行ってきた。だから、だからといってこんな残酷な――――
「これでわかっただろ? こっからは逃げられねぇって」
恐怖に顔を歪めた男達が恐る恐る彰人の方を振り向く。彼は灰色の髪をクシャッと握りしめ、相変わらず怠そうな顔をしていた。
そう、相変わらずだ。これから人を殺そうというのに、何一つ先程と様子が変わらない。明らかに異常だ。狂っている。そんな感想が思わず出てしまうほど、彼らは追い詰められていた。
「そんじゃ、証拠隠滅しますか……」
そう呟きながら、左手もコートのポケットから抜き出し、炎を点火させる。
さあ、阿鼻叫喚の始まりだ。
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