第2話 なぜなら私は……
2...
雪野千愛(ゆきのちあ)は……あたしはコウの部屋を出て一階に降りる。
静かな家。
コウしかいないから当然だ。
お父さんはお仕事中、お母さんは……コウが小学生の頃に自殺した。
男にだらしない人で、だから町内の噂じゃ不倫して捨てられた、とか色々言われている。
あまりご近所付き合いがないからこその酷い噂で、だからこそコウもコウのお父さんも知らないだろうけど。
男二人の家だから? あちこち埃がたまっていたり、空気が淀んでいたりする。
幼なじみのよしみだと言い張って、換気したり掃除したり、たまにはご飯も作ってあげる。
全部、好きだからだ。放っておけないからだ。
お母さんの愛情に疎いコウは、人の好意を信じることがとても下手。
そんなコウに対する気持ちは、最初は恋なのかなんなのかわからなかった。
幼なじみ、長い付き合いだから放っておけないだけかと思っていたら、中学時代に他の女子と話しているのを見て割と本気でいらいらしたし。
卒業式の日に、他の男子に告白されそうになったら割って入って連れ出してくれたコウにすっごくどきどきした。
なので恋と思うことにする。
一度はすごく冷めた。
いつかって? 当然、コウの酷い告白の瞬間だ。
えっちさせてください、はない。どう考えてもない。あり得ない。百回死んで百万回懺悔して百億回謝ってもらわなきゃ気が済まないレベルでない。
でもじゃあ、なんでOKしたかって……遠回しなアプローチが全然効果なくて、我ながら自棄になっていたから。
いくらなんでも。
いくらなんでもさ。
えっちまでOKしたなら、こっちの気持ちに気づいてくれてもいいはずだ。
なのに。なのに。なぜ? どうしてわからないかなあ。
コウの愛はうわべだ。
本当に愛しているなら、えっちさせてはない。
だらだらえっちしながら、愛を語られても信じられないし。
本気で愛してる気持ちをぶつけて欲しい。
それくらい……ほんとは大好きだ。
だから挑戦なんて、もうあってないようなもの。
たった一言いってくれればいいのに。
お前じゃなきゃだめなんだって。
友達に相談したら「屈折しすぎだしめんどくさい女だよ、あんたは」とデコピンされた。
でも、しょうがない。
「……ごほっ、ごほっ」
瞬間的に爆発するような衝動。咳き込んで、深呼吸をしてごまかす。
キッチンへ行き、冷蔵庫の中を確認。
えっちする前に晩ご飯を作っておいたんだ。
コウの好きなオムライスは特に異常なし。サラダもよし。トマトとピーマン苦手だろうとてんこもり。油断するとカップ麺しか食べないから、無理にでも野菜は食べさせたい。
「あとは……いいかな」
湯を注げばすぐ飲めるコンポタとかも山ほどある。
名残惜しいけど今日は帰らなきゃ。
神棚に寄って、コウのお母さんの遺影に手を合わせる。
「またきます」
よし。玄関に置きっ放しのカバンを拾い上げて、扉を開けた。
雲がすごい早さで流れていく。
予報ではそろそろ台風が来るらしい。
夏休みなんだから、天気も無難にしていてくれたらいいのに。
益体のないことを考えながら歩いてすぐに足を止めた。
コウの家の隣にあるあたしんちの前に、
「雪野さん」
うちのクラスのイケメンがいた。待ち伏せだ。
「この前の返事、知りたいんだけど」
「……はあ」
正直スクールカースト的に言えば雲の上の人。あたしにはもったいない人だ。
「おれ、好きって言ったよね。どう? 付き合えない?」
「と、言われましても」
「君じゃなきゃだめなんだ」
世界でただ一人、コウだけに一番言って欲しい台詞。
決してイケメン相手から欲しいわけじゃない。
「なんであたしなんですか」
「な、なんていうか。家庭的で、包容力があって。あんなだめな幼なじみ相手に献身的なとこ、すごいな、というか」
かちんときた。
「でも、そういうの無駄だと思うんだ。あいつ、大して成績よくないし」
事実です。
「運動もそこそこだし」
それも事実。
「性格だって別に特別どうとかじゃないだろ。その点おれは――」
だから言ってやる。
「ごめんなさい!」
「え……」
別に好きな人いなくて、恋愛したくてたまらなくて、それならこれほどちょうどいい人はいないとは思うけど。
「家に待ち伏せされるのやだし、自分を認めてもらうために誰かをけなす神経が信じられないので、絶対無理です」
「……は、え?」
理解できないんだけど、とりあえず怒るとこだよな? みたいに二段階の表情の変化を見せるイケメン。
絵にはなるけど、それだけだ。
それだけなら観賞用で別にいいじゃない。
「もう二度とこないでください。では」
笑顔でばっさり切って、逃げるように家に入った。ちょ、とか、待てよ、とか。なんか聞こえた気がしたけど、どうでもいい。さっさと帰って欲しい。
「はあ、はあ……もう」
逃げたせいか、心臓がやけにうるさい。
耳鳴りがしてきて、たえきれずにへたりこむ。
「ごほっ、ごほっ」
かぁっと顔が熱くなる。
どうしよう。咳が止まらない。
喉がかっと熱くなって、せりあがってきたものを吐き出した。
真っ赤ならまだよかったのに、どす黒い。
咳に気づいて駆けてきた母親に介抱されながら、落ち着いていく身体を抱き締めて思う。
あたしこと雪野千愛がなぜコウの願いを叶えたのか。
それは早い話、あたしが病気だからだ。
中学時代の体育はさぼっている振りして休んでたし、高校でも同じ。
手術はしたけど、それは家族の都合といってごまかした。
両親とあたしだけの秘密だ。
こんなの弱み以外の何物でもない。
そんなのあたしの都合だし、弱みになる都合で誰かを引きずりたくもない。
コウに言ったら……理由にされちゃいそうだし、それはいや。
深くて純粋な愛が欲しい。
純粋に強く愛したい。
だから、どうか。
完全に治るまでは秘密にしておきたい。
キスをしないのも、えっちはするけど避妊を必ずするのも……
実はそのせいだ。
出来ることはなんでもしたい。
だけど、まず……まず。
誰より大事な、大好きでたまらないコウに、全力であたしを愛して欲しい。
めんどくさいし、重たい思いなのは重々承知だ。でもね。
愛か。恋か。
試したい。確かめたい。
手に入るなら全部欲しい。
不安も、喜びも、なにもかも。
コウの全部が欲しい。
コウがあたしを選んでくれるのなら。
コウの心の一番深いところにあたしだけの傷をつけて、大事にしてほしい。
わかってるよ、あたしのわがままだって。
そのために身体を許すのがびっちだっていうなら、びっちでもいい。
それくらいコウのはじめてを全部もらうことに必死になっている。
ばかにされても関係ない。
ただ……コウには嫌われたくない。
それに、ちゃんとあたしを見て欲しい。
他の誰かがあたしになったなら、他の手を取るかもしれない。
そんな仮定に意味はない。
あたしはあたし。
だから、コウにはどうか気づいて欲しい。
こんなあたしでもいいのか。
その答えが、欲しいのだ。
諦めずに挑戦してくれる大好きな男の子の顔を思い浮かべながら呟く。
「はやくきづいてくれないかな……」
つづく。
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