第7話 Investigation right commission-捜査権委任- 3/3

 その日の夜。

 別のホテルに移動した僕とスレイドはホテルの最上階にある部屋で飲んでいた。


 高くも低くもないビルだが、最上階ということもあって広い町並みを望むことができる場所で、見た目やサービスは中流階級が使いそうなごく一般的なものだが、内部は私服の警備員が常に配置され、警報装置や監視カメラなどが整えられた知る人ぞ知る警備の厳重なホテルである。


 そんなホテルの部屋で目の前に置かれたグラスの中の液体を見ながら、僕はポツリと口を開く。


「何故、突然酒を飲もうなんて言い出したんです?」


 スレイドはグラスを片手に持ちながらこちらに視線を向ける。

 そのグラスの色が、あのニューヨークで死んだマフィアの男の血と夕日のオレンジを僕に一瞬思い出させた。


「単なる気まぐれだよ」


 さらりと彼は言ってのけたが、僕はあまり信じることができない。

 これまでスレイドから僕のプライベートで積極的に関わってくることはなかった。

 それが突然、彼の方から誘ってきたのだ。警戒もするだろう。


 内心で心構えしつつも、明日の取引場所などの有益な情報を引き出そうと思った時、ふとあることを訊いてみる。


「そういえば、あなたが昔はNCISに所属していたという話を聞いたのですが」


 そう言った途端、スレイドの目つきが少しばかり変わり、鋭くなる。

 僕はその視線に耐えながら、他意はないことを示すように飄々とした顔をしていると、彼はゆっくりと僕から視線を外す。


「あぁ、いたよ。犯罪コンダクターを始める前に。その前は海兵隊だ」

「すごいですね。ご両親はさぞ鼻が高かったんじゃないですか」

「いいや。両方とも私が海兵隊員になる前に死んだよ。彼女も早くに逝ってしまった」

「彼女?」

「婚約者だった女性だ」


 僕は彼の言葉に目を細める。

 今日、ケイトリー捜査官から貰った人事の資料には彼に妻がいたという記述はなかったはずだが。

 そんな僕の考えを読み取ったようにスレイドは呟く。


「死んだんだよ、9.11の時にな。私はその時海兵隊の任務で海外に出ていてね、その任務が終われば結婚するつもりだったが遅かった。私が事件のことを知って戻った時には何もかもが瓦礫の山に押しつぶされていた。彼女の死に寄り添うことも出来なかったよ」


 スレイドは自嘲げな笑みを浮かべてそう告げ、僕はやっとそこで理解する。

 二〇〇一年のあの日――ニューヨークで二つののっぽな塔が堕ちた時、スレイドの妻はあそこにいたのだ。

 そして帰らぬ人となった。


 彼がNCISに所属したのは二〇〇三年のことで彼女の記録がないのは当然のことだ。

 スレイドは気を取り直すように僕に訊ねる。


「君のご両親どうなんだ?」

「僕も同じようなもんですよ。母は列車事故で死にましたし、父は自殺しました。9.11の後に」

「あの現場にいたのか」

「消防士だったんです。何があったのかは詳しく聞いたことはありませんけどね」


 苦笑交じりに僕はそう言う。


 父があの現場でどんなものを見て、どんな体験をしたのか僕は知らない。

 ただ僕が知っているのは、それが自分の命を殺められるほど酷いものであったということくらいだ。


「……そうか」


 短く呟いて、スレイドは肩を落とす。

 それから彼は僕と様々な話をしてグラスの液体をちびちびと口に運んだ。


 酒のおかげか今日のスレイドは饒舌で、明日の取引場所に関しても少し問い方を工夫して聞いてみれば素直に答えてくれた。

 明日になれば伝えられることだが、そんなことを聞いたのはもちろん、彼を逮捕するためにこの国に潜伏しているケイトリー捜査官達に伝えるためだ。


 怪しまれないように目的の情報を聞き出してから、時間を少し置いて彼の部屋を出る。

 そのまま自室として割り当てられた部屋に戻ってきた僕はすぐさまオーグで彼女に連絡を取った。



―――――



 その日、僕は夢を見た。

 父が自殺したあの日の夢の続きだ。


「いいか、今から見る光景を忘れるな」


 そう言って銃を片手に手を取った父は、僕をガレージへと引っ張った。

 手には痛いくらいに力が込められていたけど、僕はそれを拒んではならないような気がして何も言わない。

 この手を拒めば、父は人でないものになってしまうような気がして。


 家の通路や部屋を横切ってガレージに着くと、父はいまは母が使っている車一台分の空白に壁に立てかけてあった折りたたみ椅子を二つ広げると、その片方を指差した。


「そこに座りなさい」


 低く脅すような父の声。

 それに少し怯えながら僕はおずおずとそこに座る。

 椅子のクッションは硬くて座高も合っていなかったので、僕は地面から浮いた足を所在なさげにプラプラとさせた。


 その間に父は、右手のリボルバー拳銃に弾丸が入っていることを確認し、右手の震えを抑えようと左手で跡がはっきりと残るくらい強く自分の腕を握って僕はそれを不安な気持ちで見る。


「ねぇ、父さん。何をするの? 銃なんかしまってよ」

「お前は黙っていろ!」


 僕が父の様子が本当に気味悪くて、そう口を開くと、父は血走った目で僕を一喝した。


「お前は、黙って、ただ私のすることを見ていればいい」


 ビクッと体を震わせた僕を見て、爆発する感情を息と共に吐いて、少し落ち着いた調子で父は同じことを言う。

 そして空いていたもう片方の椅子に座ると、額に玉の汗が浮かべ、自分自身を落ち着けるように何度も深呼吸すると銃の撃鉄を起こす。


「お前はいい子だ。たぶんそれはこの先も変わらない。でも世界はいい子ってだけじゃ生き残れないんだ」

「…………なにを言ってるの、父さん?」

「世界には人の身には余ることがたくさんある。それをお父さんは知ってほしい」


 そう僕に向けて呟いてから、父は拳銃を顎の真下に押し当てる。

 僕は何が起こるか分からないという顔をしていただろうが、多分、心の奥底では分かっていた。この先に何が起こるのかを。

 そして、父は僕の予想を裏切らなかった。


「いいか。これが死というものだ」


 最後の一言にしてはあっけない言葉を呟いて父は引き金を引く。

 瞬間乾いた音と共に父の頭の中身が弾け飛んで壁や天井に飛び散って、僕は目の前の光景をただじっと見つめた。


 そのまま硬直したように僕は動けず、しばらく父の遺体を相対し続けた。

 やがて自身と一体化したように思えた椅子から離されたのは、買い物から帰ってきた母がガレージを開けた時だ。


 あの時、父が僕に自分の自殺を見せて何を伝えたかったのかは分からない。

 ただその時の僕が分かったのは、父はこの世から旅立ったことと狂っていたという二点だけだった。

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