第三話 Investigation right commission-捜査権委任-

 青空の下。

 乾いた空気の中で僕は中東の某国にある広場でベンチに腰掛けていた。


 広場には、僕以外にも若い男女の仲睦まじい姿や、幼い子供達がそれぞれ親の見守る中で仲良く遊んでいる姿があって、それだけを見れば未だに戦闘が起きている国の風景にはとても見えない。


 しかし、広場の隅や通りに紛れるようにAKを持った兵士たちの姿がちらほらと見え、それがこの国がいまだに緊張状態にあることを伝えていた。


 とは言っても、バラバラで統一性がない服装の兵士たちは、一般人と大差ないので銃を持っていること以外で判別することはできないし、近くの仲間と談笑までしている者もいる。

 まさに混沌から平和に抜け出そうとしてる途中の国の風景だ。


 そんな国で僕たちは輸送の遅れている取引品が届くまでの二週間を過ごすこととなった。

 ブツが届くまでの期間はスレイドと共に一般の観光客を装って国の各地を回ってみたりしていたが、すでに反政府勢力との取引は明日にまで迫っている。


 そんな中で僕がスレイドと別れて単独行動してここにいた。理由はFBIの方からオーグを通して連絡があり、ここで待つように指示されたからだ。


「レッド・リチャードさんですね」


 そうして広場のギシギシと軋むベンチに座っていると、ふと潜入のための偽名で呼ばれ、顔を上げる。

 目の前にはキッチリとスーツをきこなした二十代後半くらいの女性がおり、無言で顔を上げた僕の隣に座った。

 彼女の横顔を一瞥してから僕は呟く。


「あんた、新米だろう。潜入捜査は初めてか?」


 そう切り出すと、彼女は無表情を装いながら、しかし辛うじて読み取れるくらいに不満げに眉を寄せた。


「お言葉ですが、これで三度目です。何か問題でも?」

「そんないかにも捜査官です、みたいなスーツを着てくる時点で大ありだ。どうせ他の潜入捜査はアメリカでの話だろう。言っとくが、ここはアメリカ本土じゃない。捜査官になら国の服装に合わせて周囲に溶け込め。それと余計なことするな。せっかくスレイドの右腕にまで登りつめたのに、あんたたちは横槍を入れて台無しにするつもりか?」

「なんの話です?」


 僕がそう言うと、彼女は本当になんのことか分からないとばかりに怪訝な表情をする。

 とぼけているのかそれとも本当に分かっていないのか、僕は遠回しな言い方はやめて単刀直入に言う。


「取引品のことだ。今回の税関で取引品を止めたのはあんたたちだろう」


 プライベートジェットの機内で反政府勢力との取引品がトラブルで止められたことを聞いた後で詳しく聞くと、なんでも税関で抜き打ちの検査が行われたらしい。


 だが通常抜き打ちの検査なんて、よほど管理の厳しいところでしかやっていないはずで、スレイドはそういった検査の比較的緩い場所を利用して物品の輸送をさせている。今回の輸送に使った場所もそういうところだ。

 なのに、抜き打ちの検査が行われたということは、誰かが裏から手を回している可能性が高かった。


 スレイドを一生刑務所にぶち込める取引なのに、僕たちはその抜き打ち検査によって、二週間もこの国に足止めを喰らった。

 せっかくの逮捕のチャンスを邪魔されてはかなわなかった。

 そこまで言うと、彼女は得心がいったとばかりな顔をする。


「それをしたのは進まない捜査に痺れを切らして成果を出そうとしたFBIです。我々じゃありません」


 それを聞いて今度は僕が眉をひそめて怪訝な表情をする番だった。


「その口ぶりから察すると、あんたはFBIの人間じゃないようだが……」

海軍犯罪捜査局NCIS捜査官のケイトリーです。FBIから捜査権を委任されたことと今後あなたにはNCISの指揮下に入ってもらって捜査を継続してもらうことを報告するために呼び出されてもらいました」


 彼女は呟くと同時に、僕だけに見えるようにバッジを見せる。確かにそれは本物のNCISのバッジだ。

 だが、それを聞いて僕は一層訳がわからなくなる。


 NCIS――海軍犯罪捜査局Naval Criminal Investigative Serviceはアメリカ海軍やアメリカ海兵隊の将兵などが関わる事件を扱う組織であるはずだ。そのNCISがどうして無関係のはずの事件に首を突っ込んでくるのだろう。


「どうしてFBIに代わってNCISが出張ってくるんだ」

「奴が反政府勢力との取引のために持ち出したのが海軍が開発中の最新鋭のミサイルだからですよ」


 さらっと答えた彼女は指を横にスライドさせるような動作をすると、僕のオーグに一つのデータファイルが飛び込んできた。

 手でそれを展開してみると、中にはミサイルの設計図や飛距離や攻撃可能範囲の記された性能表があり、そのデータを見る限りではこれが現行の技術の粋を凝らして作られた最新鋭のミサイルであることが分かった。

 そのデータと言葉から僕はやっと納得がいく。


 そんなミサイルが持ち出されたとなれば、NCISがFBIに代わって捜査を引き継ぐのも理解できなくはない。


「ついでに、これはもう知っているかもしれませんが、スレイドは元NCIS捜査官です」


 そう言うと、彼女は無造作にもうひとつのデータを僕のオーグに送ってくる。


 こっちは人事ファイルのようで名前はラッセル・スレイドとなっていた。

 僕は驚きながらも渡された資料を食い入るように見つめる。これはFBIの資料にはなかったものだ。


「彼は犯罪コンダクターとして活動する直前に自ら、データベース上にある自分の情報をウイルスを送り込んで全て破壊しましたが、これは紙の資料として残っていたものです。元々彼はアメリカ海兵隊に六年所属していましたが、突如海兵隊を辞め、そこをNCISがスカウトしたんです。しかし彼はしばらくして行方をくらまし、二年後に犯罪コンダクターとして表舞台に」

「なるほどな。参考になった」


 そういって僕はデータファイルを閉じてから再び口を開く。


「とにかく、奴はどんな時も手を抜かない。外から横槍を入れたところでスレイドはそこまで織り込み済みで巧妙に取引品を隠して輸送してる。奴の尻尾を掴むには取引の現場を押さえるしかない」

「できるんですか? 奴の右腕になったこの三年、あなたから事後報告ばかりで犯罪を防ぐための有益な情報が回ってこなかったとFBIからは聞いていますが」

「信用を得るための三年だ。それだけの価値はあった。この捜査を任されているのは僕だ。余計なことをするなよ」


 僕がそう忠告すると彼女はスクッとベンチから立ち上がり、ちらりとこちらを一瞥した。


「とにかく、これで捕まえられなければ捜査から手を引くことをFBI長官は考えてましたし、NCISうちの局長も同じことを考えてます」

「分かってる、この取引で奴を捕まえるつもりだ。取引の現場がわかったら伝える。準備しておけよ」

「そっちこそ、失敗しないでくださいよ」


 そう言って彼女はスタスタと広場を後にしていく。


「言われなくても、この一件でケリつけてやるさ」


 彼女の後ろ姿を視界に捉えながら、ポツリと僕はそう呟いて立ち上がる。

 そのまま公園を抜けて大通りの方へと歩こうとしたが、ふと足を止め、車の通れない人の密集した市場の通りへ入っていく。


 市場で買い物をする人々に紛れて道を歩くと、狭い通りを包み込んでいる香のような独特の香りと人から発せられる熱気が僕に襲いかかる。

 そのルートではまっすぐにホテルに帰れる道ではないが、僕は引き返すこともなく、奥の方へと進んでいく。


 わざわざそんな道を通っている理由はひとつ。僕が先程からつけられているからだ。


 彼女に接触する以前からちょくちょく視線のようなものを感じていたが、今は明確にそれを感じることができる。


 試しに露店の商品を見るフリをしてさりげなく周囲を確認してみると、背後に二人、それと思しき男たちが確認できた。


 奇妙な帽子を売っている露店の店主に愛想笑いを浮かべて、その場を後にして歩く。

 しばらくあてもなく歩いてみたが、背後の追手はしっかりと一定の距離を保ちながらついてきている。


 なんの目的で僕をつけてきているのかは不明だが、このままホテルに帰るまでつけられるのは面倒だ。

 そう思った僕は、曲がり角に差し掛かったところで走り出し、その場から逃げ出した。


 当然、つけてきていた二人も僕の後を追って走ってくる。

 追っ手の気配を感じながら、僕は暗くて曲がりくねった裏道をある程度走り回ったところでちょうどいい物陰に身を隠す。


 しばらくすると追っ手が現れ、姿の消えた僕を探してあちこちの方向に目を向けながら目の前を通り過ぎていく。

 僕は静かに物陰から出ると、片方の男にそっと近づき、その首にすばやく手を回して捻ってやると、ゴキッと骨が折れる音がして、男が倒れる前に僕は拳銃を取り出してこちらを振り向いたもう一方の男に向けた。


「騒ぐなよ。少しでも動いたら容赦しないからな」


 両手をあげた男に僕ははっきりとそう告げた。



 それから一時間後。

 スレイドと共に泊まっているホテルに帰ってきて部屋に向かうと、部屋から五人の救急隊員が出てきて、二つの担架をちょうど運び出すところだった。


 彼らの運ぶ担架には白い布が掛けれられており、布は人型に盛り上がって、その下からは血にまみれた男の手がはみ出している。


「やっと帰ってきたか」


 扉の前でその光景を見送ってから視線を開け放たれた部屋の中に移すと、スレイドが湯気の立つカップ片手に立っていた。

 部屋に入ってドアを閉めてから、僕はスレイドに問いかける。


「いまのは?」

「私を殺そうとした不届き者だ。君のところにも来ただろう」


 ソファに座った彼にそう言われて、さっき自分をつけてきた奴らがそれであると気づき、僕は肩をすくめる。


「えぇ、二人来ましたよ。とっくに始末しましたけど」

「こっちも、さっき見ての通りだ」


 無表情にスレイドは呟いて、カップの中の赤茶色の液体を口に含む。香りからして紅茶のようだった。


「で、誰です。あいつら」

「調べさせてみたが、どうやら取引相手の敵勢力の人間らしい。二人の刺客で殺せるとは随分と甘くみられたものだな」


 スレイドはデータファイルを片手で投げてよこしオーグに表示された仮想データは僕の足元に転がってくる。僕がそれを拾ってオーグ内で展開してみると、投げられたデータの中には複数の免許証があり、顔写真のところにはアラブ系の男が写っていた。

 恐らくはスレイドを襲撃した男たちのものだろう。


「マズイじゃないんですか。ここを襲ってきたということは、居場所がバレてるということですし、武器取引の情報を知っていることになる。取引場所がバレている可能性も」


 素直な意見を述べて僕はデータファイルをクシャッとまとめると、スレイドに投げ返す。


 敵が僕たちを襲ってくる理由は、今回の取引の情報がどこからか情報が漏れ、それを阻止したいからに違いない。

 ここでの襲撃が失敗したとしても彼らはまた仕掛けてくるはずだ。もし敵が取引の場所まで知っていればそれは格好の的である。


「分かっている。すでに先方に取引場所の変更は伝えた。我々も別のホテルに移るぞ」


 投げられたデータファイルを受け取り、スレイドは立ち上がると、上着と中折れ帽を手にとった。



 ―――――



 その日の夜。

 別のホテルに移動した僕とスレイドはホテルの最上階にある部屋で飲んでいた。


 高くも低くもないビルだが、最上階ということもあって広い町並みを望むことができる場所で、見た目やサービスは中流階級が使いそうなごく一般的なものだが、内部は私服の警備員が常に配置され、警報装置や監視カメラなどが整えられた知る人ぞ知る警備の厳重なホテルである。


 そんなホテルの部屋で目の前に置かれたグラスの中の液体を見ながら、僕はポツリと口を開く。


「何故、突然酒を飲もうなんて言い出したんです?」


 スレイドはグラスを片手に持ちながらこちらに視線を向ける。

 そのグラスの色が、あのニューヨークで死んだマフィアの男の血と夕日のオレンジを僕に一瞬思い出させた。


「単なる気まぐれだよ」


 さらりと彼はそう言ってのけたが、僕はあまり信じることができない。

 これまで、スレイドから僕のプライベートで積極的に関わってくることはなかった。

 それが突然、彼の方から誘ってきたのだ。警戒もするだろう。


 内心で心構えしつつも、明日の取引場所などの有益な情報を引き出そうと思った時、ふとあることを訊いてみる。


「そういえば、あなたが昔はNCISに所属していたという話を聞いたのですが」


 そう言った途端、スレイドの目つきが少しばかり変わり、鋭くなる。

 僕はその視線に耐えながら、他意はないことを示すように飄々とした顔をしていると、彼はゆっくりと僕から視線を外す。


「あぁ、いたよ。犯罪コンダクターを始める前に。その前は海兵隊だ」

「すごいですね。ご両親はさぞ鼻が高かったんじゃないですか」

「いいや。両方とも私が海兵隊員になる前に死んだよ。彼女も早くに逝ってしまった」

「彼女?」

「婚約者だった女性だ」


 僕は彼の言葉に目を細める。

 今日、ケイトリー捜査官から貰った人事の資料には彼に妻がいたという記述はなかったはずだが。

 そんな僕の考えを読み取ったようにスレイドは呟く。


「死んだよ、9.11の時にな。私はその時海兵隊の任務で海外に出ていてね、その任務が終われば結婚するつもりだったが、遅かった。私が事件のことを知って戻った時には何もかもが瓦礫の山に押しつぶされていた。彼女の死に寄り添うことも出来なかったよ」


 スレイドは自嘲げな笑みを浮かべてそう告げ、僕はやっとそこで理解する。

 二〇〇一年のあの日――ニューヨークで二つののっぽな塔が堕ちた時、スレイドの妻はあそこにいたのだ。

 そして帰らぬ人となった。


 彼がNCISに所属したのは二〇〇三年のことで彼女の記録がないのは当然のことだ。

 スレイドは気を取り直すように僕に訊ねる。


「君のご両親どうなんだ?」

「僕も同じようなもんですよ。母は列車事故で死にましたし、父は自殺しました。9.11の後に」

「あの現場にいたのか」

「消防士だったんです。何があったのかは詳しく聞いたことはありませんけどね」


 苦笑交じりに僕はそう言う。


 父があの現場でどんなものを見て、どんな体験をしたのか僕は知らない。

 ただ僕が知っているのは、それが自分の命を殺められるほど酷いものであったということくらいだ。


「……そうか」


 短く呟いて、スレイドは肩を落とす。

 それから彼は僕と様々な話をしてグラスの液体をちびちびと口に運んだ。


 酒のおかげか今日のスレイドは饒舌で、明日の取引場所に関しても少し問い方を工夫して聞いてみれば素直に答えてくれた。

 明日になれば伝えられることだが、そんなことを聞いたのはもちろん、彼を逮捕するためにこの国に潜伏しているケイトリー捜査官達に伝えるためだ。


 怪しまれないように目的の情報を聞き出してから、時間を少し置いて彼の部屋を出る。

 そのまま自室として割り当てられた部屋に戻ってきた僕はすぐさまオーグで彼女に連絡を取った。

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