第3話 The tuning language-同調言語- 1/2

 僕が彼の元に潜入したのは、もう六年も前のことだ。


 当時の僕は五年間、籍を置いていたネイビーシールズを除隊した直後で、しばらく殺伐とした現場から離れたいと思っていた。

 しかし、ちょうどその頃。FBI長官となったかつての父の友人から頼まれたのである。


 その人は昔はよく遊んでもらい、父が死んだ後もちょくちょく僕の面倒を見てくれた人でもあったから、僕は自分の欲求を抑えて、その依頼を引き受けることにした。


 早速、彼の指揮下に入った僕は画像荒く不鮮明な一枚の写真を渡される。

 そこにはかろうじて目鼻立ちがわかるくらいの一人の男の姿が映っていた。


「ラッセル・スレイド。世界各国を渡り歩きながら裏社会で二十年以上、様々な犯罪をプロデュースしてきた犯罪コンダクターを名乗る男だ」


 僕が潜入対象である彼の顔を見たのは、それが初めてだった。


 捜査を命じられた僕は彼に関する資料を集めたが、公的な資料はFBIの中でも非常に少なく、数えるほどしか存在していなかった。

 まるでそんな人間など存在していないかのように記録は消えていたのである。


 そんな中で集められるだけの資料を集めて参照し、彼の現れそうな場所や国、さらには歩き方までをプロファイルしながら、偽造IDを作成し、僕は元特殊部隊員から軍を不名誉除隊となった犯罪者崩れとなり、それからはひたすらに彼に繋がるものを探して裏社会を嗅ぎまわった。


 犯罪者や薬の売人などに紛れて生活していると、時々、柄の悪い連中と争いごとになることもあったが、その時は喋れなくなるまで殴って黙らせる。

 そんな生活が十カ月ほど続けた頃だ。


「君は言葉の力というものを信じるかい?」


 ふと立ち寄ったバーでたまたま隣に座った客にそう問われて、視線をそちらに向けると、そこには琥珀色の液体が注がれたグラスの横に中折れ帽を置いた五十代前半の男がいた。


「ペンは剣より強し、というが君はそれを信じるか? 言葉も同じように銃に勝てると思うか?」

「さぁな、知ったことじゃない。言葉でダメなら武器を取るだけだ」

「なるほど。気に入ったよ」


 問い掛けに対して僕が答えると、彼はそう言って手を差し出す。


「なぁ、一緒に仕事をして見る気はないか?」


 これが僕とスレイドの誓約の瞬間であり、最初の接触コンタクトだった。



―――――



 アメリカのニューヨークから飛び立った僕たちは、いまは太平洋の上空を飛行している。


 プライベートジェットの機内は、見事なツヤのある机に適度な反発を返してくるソファのような座席など、最高級の素材が使われており、飛行機としてくつろぐには贅を尽くした最高の場所だった。


 そんな飛行機のビジネスクラスとは破格の機内には僕とスレイドしかいない。

 あのバーで出会い、僕が彼のボディガードとして付き従うようになってもう三年が経つ。


 ここ最近は武器を与えることでマフィアの抗争を煽ったり、麻薬の密輸入など、チマチマとした仕事ばかりだった。


 もちろんそれだけでも現行犯の逮捕ができるが、それをしても彼の仲間が裏から手をまわし、スレイドは何事もなかったかのように出所してしまう。当局は刑務所から死ぬまで出てこれないような確実で弁護のしようもない証拠を求めていた。


 そこに舞い込んだこの中東での反政府勢力との大きな取引。

 ここまで大規模なものは僕が潜入してから初めてだが、これを押さえることができればスレイドを確実に刑務所に送ることができるはずだ。


「趣味にしては最近多くありませんか?」


 そう考えながら僕が唐突にそう口にすると、座席に座って優雅にくつろいでいたスレイドが顔を上げる。


「なんだ、同調のことか?」

「最近は殺す前に随分と同調の数が増えたみたいなので」


 僕がそう言うと、彼はニヒルな笑みを一瞬顔に浮かべた。


「ただの気まぐれさ。いちいち噛み付くな。たまには同調言語を使っておかないといざという時に使えないと不便だろう。銃を撃つ感覚を忘れないように君が練習するのと同じだ」


 そっけなく言って顔を逸らすスレイドをじっと見つめる。


 同調言語――ニューヨークのアパートで、あの若い男がスレイドの動作に合わせるように自らのこめかみに拳銃を突きつけさせ、彼と同じようにスレイドの目から涙を流させた、彼だけが持つ魔法の言葉。


 相手の感情を自らに同調させたり、逆に自分の感情を相手に同調させる言葉――それが彼自身が自らつけた呪いともいえる言葉の本質だった。


 理論的には通常の言葉と違って、脳の奥にある深い無意識に働きかける言葉だそうだが、彼も理論についてはなんとなくしか把握していない。


 だが彼の言葉に逆らえた者を僕は知らなかった。

 僕はその威力を体験したことはなかったけど、彼が同調言語を使った時だけは肌を通して分かる。

 彼によると、他にもそのような相手を洗脳できるような言葉を持つ人間が複数いるそうだが、僕が知っているのはスレイドひとりだけだった。


「気まぐれにしては最近の頻度は高すぎると思いますが」


 彼が話を終わらせようとするのに対して、僕は同じ藪をつつく。


 この三年間をぼんやりと思い出してみると、半年ほど前から彼の同調言語の使用率は増しており、最近では殺す相手に対してはほぼ使用している。

 そのことを指摘した僕をスレイドは目だけを動かしてじっと凝視してきたが、やがて居住いを正して口を開く。


「まぁ、強いて言うなら、選定といったところか」

「選定?」


 復唱した僕の言葉に彼は頷いた。


「言葉というのは言い方や聞き方、聞き手の心情次第で毒にも薬にもなる。書籍やネットに溢れた言葉だけでもそういった影響を受ける人がいるが、私の言葉はそれらと同じだが遥かに別格だ。もはや洗脳――いや、明確な形を持たない拘束具に等しい。私は、そんな私の言葉に抗って自分自身であり続けられる人間が見てみたいだけさ」

「抗える人間、ですか……?」

「言葉を一種の伝染病だと見てくれればいい。ちゃんとした道徳や倫理という名の抗体を持っていれば、他人の言葉の影響を受けながらも自分の意思決定ができる。だが、抗体が無ければ、言葉はその人を蝕み、やがてあらゆる思考や考えがその言葉に染まってゆく。それは時に良い結果をもたらすこともあるが、悪い結果をもたらすこともある。私はそれを制御できるし、相手の脳に押し付けることもできる。でもそれに抗える人間がいたら面白いだろう」


 そう言って上質な座席に身を横たえつつスレイドは肩をすくめる。

 僕はそんな彼をじっと見たが、正直それが彼の本心から出た言葉なのか、それとも僕を煙に巻こうとしているのかは判断できない。

 彼の真意が分からずにいると、今度はスレイドの方から僕に話しかけてくる。

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