第2話 Blood and orange-血とオレンジ色- 2/2

「では始めよう。私の言葉を聞くんだ」


 スレイドがそう呟いた瞬間、僕は全身の毛がゾワっと逆立つような感覚を味わい、いつものが始まったな、と僕は思いながらチラッと男の方を見る。

 だが、男は僕が感じた異変を察知していないようだった。


 この先に起こることを薄々察しながらも、僕はそれをアメリカンフットボールの審判レフェリーの如く、ただ静観する。


「君は人を殺したことはあるか?」

「あぁ、ある」

「初めて殺したのは?」

「十八の時だ」

「仲間を失ったことは?」

「ある」

「それを受けて後悔をしたことは?」

「ない」


 それからいくつもの質問がスレイドと男の間で交わされていく。

 脈絡のない質問ばかりだったが、男はスレイドの真剣な表情を見て、素直に答えていた。

 だが、質問を重ねていくにつれて、男の方がその余りに脈絡のない質問に耐えきれなくなる。


「なぁ、これはなんなんだ? 一体なんのテストだ?」

「私に質問するな。これはただのテストだ」


 上司は男の言葉をぴしゃりと封殺すると、今度は質問ではなく、ひとりでに喋り出す。


「いいか。今の私は自分自身に腹が立っている。君のような二流を信じたばっかりに顧客の信用が第一の仕事に損失を出してしまった。これは由々しきことだ」


 突然責め立ててくるスレイドに男は訳がわからないとばかりな顔をして、控えているこちらをチラチラと視線を向けてくる。

 それに気付きながら、僕はスレイドのなんでもない言葉の羅列を視線と共に受け流す。


「今の社会において他者の信用を失うことは致命的なことだ。裏の社会ではそれはもっと顕著だ。信用を失うというその罪は死をもって償われるべきだ。君はそう思わないか?」

「そんなこと……、わかるわけないだろッ」

「いいや、分かってもらわなければ困る」


 一方的なスレイドの言葉に男は困惑したように彼から目を逸らして視線を泳がせる。

 おそらく男には、スレイドの言葉が脳内を緩やかに跳ね回って幾重にもリフレインしているように聞こえているのだろう。


 本当になんでもない、日常会話で使うような意味伴った言葉という音の羅列。

 しかしそれは重く、聞いた者の耳にこびりついて離れない。まるでゆっくりと肉にナイフを沈み込ませるように染み込んでくる。

 その言葉から逃れる術はない。


「私は苛立たしい。いや、もうそれ以上……もはや自分が憎いくらいだ。憎くて憎くてたまらない。今にも銃口を自分の頭に向けて引き金を引きたいくらいだ。こうしてな」


 そう言って、スレイドは右手に握っていた拳銃を自らのこめかみに当てる。

 すると、それを見ていた男の右手もいつの間にか同じように上がり、銃口をこめかみに当てた。


「な……なんで?」


 まるで鏡合わせのように、互いに銃を持った右手が上げた状態で男は何が起こっているのか分からないとばかりに目を見開く。

 自分の意思とは全く無関係に手が動いたのだから困惑するのは当然だ。


 ひとりだけ状況の飲み込めていない男を置いてけぼりにして、スレイドは銃口を自らのこめかみにグリグリと押し付ける。


「皮膚で銃口の形を味わってみろ。そしてゆっくりと親指で撃鉄が起こしてその感覚を肌で感じるんだ」

「いやだ…………。やめてくれ……こんなことやめてくれ! 俺はまだ死にたくない!」


 スレイドと同じように撃鉄を起こしながら、男が涙を流しながら懇願した。

 もはや何が起こっているのかすら分からないのであろうが、ただ自分の意思を離れたように動く体に抗う意志だけは垣間見える。


 そんな男の願いにスレイドは答えることはなかったが、代わりに彼の瞳にも男を後追いするように涙が浮かび、それは頰をこぼれ落ちた。


「恐れるな。死は常に我々と共にある。大事なのはそれを常に意識し、受け入れ続けることだ」


 そう言うとスレイドは目を閉じる。

 男の方は自分の理解の範疇を超えているスレイドから目を逸らそうとし、その目がふとこちらを向く。


「お願いだ……助けて、助けてくれ、頼む……」


 僕はその恐怖に歪んだ男の顔をじっと見ていたが、その末路を予見して静かにスレイド側の壁に移動して寄りかかった。


「引き金に指をかける。少しでも引き絞れば私の頭は吹き飛んで、そこらじゅうにこびりつく。私を構成していた物体たちだ」


 両者が互いに引き金に指をかける。

 死の恐怖に怯える男に対し、スレイドは涼やかで清々しそうな表情をしていた。


「頼む、待ってくれ。謝るから……この先なんでも言うことを聞くからまっ――」

「さよならだ」


 男の言葉を遮ってスレイドは引き金を引くと、直後甲高い発砲音が部屋に響き渡り、男の頭の中身がスイカを火薬で割ったかのように吹っ飛ぶ。

 壁や床のあちこちに彼だった破片が飛散し、体は糸の切れた人形のように床に倒れた。


 倒れた男を見ると、ザクロのような真っ赤な花を咲かせた側頭部から赤黒い血とかつて彼という個人を作っていた物体がはみ出している。

 地面に広がる赤黒い血だまりの赤と夕日のオレンジがとても映える綺麗だ、とぼんやりと思って顔を上げると、何事もなかったかのようにスレイドは閉じていた目を開く。


「殺す必要が?」

「どっちにしろ、敵の勢力に我々の存在がバレた時点でここのパワーバランスが崩れてしまった。取引は失敗だ。あとは彼らで殺しあってくれればいい」


 そう言って彼は自らの銃から弾倉を抜き取る。

 彼が持っていた弾倉マガジンには銃弾は装填されていなかった。

 弾丸の入っていない拳銃を手渡してきたスレイドに僕が問いかける。


「なぜ彼に同調を?」

「簡単さ、私の趣味だ」


 部屋のテーブルに置いていた自分の中折れ帽を被って彼は即答した。



―――――



 車のクラクションや人々の喧騒にあふれた場所で、あのアパートを出た僕は車のハンドルを握っている。

 適度な温度に調節された車内にはなんの音楽もかかっておらず、代わりに外から聞こえてくる喧騒をBGMにして僕たちは北上していた。


「やはりニューヨークの空気は好きなれない」


 ふとそんな呟きが聞こえてバックミラーを確認すると、スレイドが後尾座席の車窓から景色を眺めている。


 車外には活気に溢れたブロードウェイが広がっており、ただでさえ人が絶えないニューヨークの熱がここに集約されているかのように一層激しさを増していた。

 僕も窓から外の景色を見てみたが、言われてみれば、確かにここの街並みは僕が教科書で見ていた時とさほど変わっていない。


「あなたの生まれ育った場所では?」

「だから嫌いなんだ。何もかもまったく変わりなくて進歩がない。停滞は進歩を妨げ、堕落を生む」


 そう言ってスレイドは苦虫でも噛み潰したかのような表情をする。

 彼のボディガードを務めて三年だが、ここまで露骨な嫌がり方をするのは久しぶりだったので、僕はこれ以上は触れない方がいい気がして話題を切り替えた。


「次はどちらに?」

「空港だ。プライベートジェットで中東の反政府勢力と大きな武器の取引をしにいく」

「大掛かりなものですか?」

「あぁ、そうなるな。頼りにしているぞ」

「……はい」


 そっけないスレイドの言葉に僕は少し間をおいて答える。


 同時に内心で呟く。

 それでいい。信用して頼りにしてもらわなければ困るのだ。

 僕はあなたを捕まえるために組織に潜入し、右腕にまで上り詰めた捜査官なのだから。

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