サロゲート〜特別潜入捜査官と言の葉の魔王〜

森川 蓮二

第一話 Blood and orange-血とオレンジ色-

 僕の父は二十九年前に死んだ。

 頭を銃で撃ちぬいての自殺で、その日のことは今でもよく覚えている。


 父は消防士だった。

 明るくてみんなに頼られ、何者にも揺るがない強さを持って常のみんなの先頭に立ち、現場に飛び込んでいくような人で、僕はそんな父を尊敬していたし、父も僕のヒーローであろうと頑張っていた。


 けど、そんな父が国で起こった最大のテロに一週間以上駆り出され、帰ってくると家で塞ぎ込んだ。


 それからの父は自宅で無気力な日々を過ごすようになり、あの明るくて強さのある背中はまるで別人ようで、目はいつも何処か、ここではない世界を見ているようだった。


 ある日のこと。

 母が車で買い物に出ている間、僕は父と広いリビングのソファで並んでテレビを見ていた。


 当時の僕にとってはつまらない洗剤や保険のコマーシャルが朗らかな曲と共に垂れ流されていたが、それが終わると今度は真面目くさったニュースキャスターが淡々と喋り始める。

 父は虚ろな目でそれを眺めていたが、その目が突如として大きく見開かれ、それを見た僕がテレビに目を戻してみると、テレビには幾重にも積み重なった瓦礫の山とあちこちで上がる炎と煙が写っていた。

 そこは父が駆り出され、変わってしまったテロの現場だった。


 放映される映像を父は何かに取り憑かれたかのように食い入るようにずっと見続ける。

 その瞳孔は異様に見開かれて呼吸もおかしい。肌にも冷や汗が流れており、異常な雰囲気を醸し出していた。


「どうしたの?」


 幼い僕はその父の姿が実に気味が悪くて、そっと声をかけてみる。


 すると、父は初めて僕の姿を気づいたとばかりにたじろいでから、落ち着きなくテレビと僕の間で視線を往復させた。

 怯える手負いの獣の如き様子に、僕は続けて何か言おうとしたが、それを拒むように父は立ち上がると、早足でリビングから出て行く。


 そしてすぐに父はリビングに戻ってきたが、その手には何故か護身用に枕元に置いてあるはずの拳銃が握られていた。


「父さん……?」

「……いいか、今から見る光景を忘れるな」


 心配げな僕の手を取って父はそう告げた。



 ―――――



 そして二十九年後。

 目の前には、一丁の拳銃を挟んで二人の男が向かい合っていた。


 僕を含めた三人の人間がいるこの安アパートのボロ部屋には西日が差し込んでおり、安物の家具と古びて所々が破損した壁。そして僕たちの三人をオレンジ色に染めあげている。


 銃を向けられている男の片方はこの部屋を借りている若い男で、いくつもの痣や切り傷を負った顔をこわばらせながら、銃がいつ火を吹くかもしれぬことに戦々恐々としている。


 一方、彼に銃を向ける五十代半ばの紳士風の男は非常にリラックスしており、顔には微笑のようなものすら浮かべていた。


「私は最初の商談で言ったはずだな」


 銃を持つ僕の雇い主であり、行動を共にする男――ラッセル・スレイドは口を開く。


「こちらとのパイプは誰にも言わないし、探らせないこと。それを踏まえた上でなら、これを君にこれを売るのは構わない。そう言ったはずだ」


 スレイドは男に言って、傍に積まれた木箱を無造作に開ける。

 中には何丁もの拳銃が収められており、夕焼けの光を銃身に鈍く反射させていた。


 僕の視界にその銃が入ると、網膜に張り付いた拡張現実表示機器であるオーグが、銃の形を読み取ってその型や口径、装弾数などを表示したが、僕はそれを退けるように手を払って、スレイドの隣を見る。


 他にも木箱は複数、彼の隣にひとまとまりになって置かれており、中には拳銃や弾丸、果ては爆薬など、おおよそ一般が普段手にすることのない銃火器などが眠っていた。


「し、信じてくれ。俺はアンタを裏切ってなんかいない」


 銃を向けられた状態で彼は泣き声でそう訴えかけたが、彼の言葉を聞いたスレイドは、怪訝な表情で首をかしげる。


「なら何故、君の仇である組織から我々に連絡が来た? 私は君とのビジネスを初めてまだ一年も経っていない。近年ここで取引をしていたのは君だけだ」

「それは……」


 スレイドの指摘に男は二の次が言えず、冷や汗を垂らしながらもごもごと口を動かす。


 彼は新興マフィアの元締めで、元からこの場所に居ついていたマフィアと縄張りを争って小競り合いを起こしていた。

 僕とスレイドはそれに目をつけて武器の供給などの援助を申し出て、彼らに武器の供給していたのだが、彼は僕たちとの間で交わしたルールを破り、今のこの状況に至っている。


「約束を破った以上、取引は中止だ」

「いや……ちょっと待ってくれッ、俺は何もやってない。アンタの情報はどうやって漏れたか本当に分からないんだ。少なくとも俺の組織からじゃない。信じてくれ、本当にアンタを裏切ってなんか――」

「わかった。わかったからもう黙れ。分からないなら喋るな」


 男の言葉を聞くに耐えないとばかりにスレイドは遮ると、何かを考え込むように数秒ほど男の瞳を覗き込む。


「とにかく、客としての信用を失った君とは今後一切取引はしない……と、言いたいところだが、チャンスをやろう。今から一つのテストをする。それを無事に通過できれば君との再取引を検討してやる」


 そう言うと、彼は木箱の中から拳銃と弾丸を取り出し、弾倉に一発だけ挿入するとスライドを引いて、弾丸を薬室に送り込んだ。


「銃を取れ」


 そう言って差し出された拳銃を男は恐る恐る右手で受け取り、スレイドはそれを確認してから今からゲームでも始めるかのような軽い口調で喋り出す。


「よし。ルールは簡単だ。いまから私が話すから君はそれをただ聞いて、質問には答えてくれればいい。わかったか?」

「あぁ、わかった」


 説明を聞いた男はそんな簡単なテストでいいのかと疑問と安心が混ぜ合わされたような表情を浮かべたが、やがて顔を上げて頷く。


「では始めよう。私の言葉を聞くんだ」


 スレイドがそう呟いた瞬間、僕は全身の毛がゾワっと逆立つような感覚を味わい、いつものが始まったな、と僕は思いながらチラッと男の方を見る。

 だが、男は僕が感じた異変を察知していないようだった。


 この先に起こることを薄々察しながらも、僕はそれをアメリカンフットボールの審判レフェリーの如く、ただ静観する。


「君は人を殺したことはあるか?」

「あぁ、ある」

「初めて殺したのは?」

「十八の時だ」

「仲間を失ったことは?」

「ある」

「それを受けて後悔をしたことは?」

「ない」


 それからいくつもの質問がスレイドと男の間で交わされていく。

 脈絡のない質問ばかりだったが、男はスレイドの真剣な表情を見て、素直に答えていた。

 だが、質問を重ねていくにつれて、男の方がその余りに脈絡のない質問に耐えきれなくなる。


「なぁ、これはなんなんだ? 一体なんのテストだ?」

「私に質問するな。これはただのテストだ」


 上司は男の言葉をぴしゃりと封殺すると、今度は質問ではなく、ひとりでに喋り出す。


「いいか。今の私は自分自身に腹が立っている。君のような二流を信じたばっかりに顧客の信用が第一の仕事に損失を出してしまった。これは由々しきことだ」


 突然責め立ててくるスレイドに男は訳がわからないとばかりな顔をして、控えているこちらをチラチラと視線を向けてくる。

 それに気付きながら、僕はスレイドのなんでもない言葉の羅列を視線と共に受け流す。


「今の社会において他者の信用を失うことは致命的なことだ。裏の社会ではそれはもっと顕著だ。信用を失うというその罪は死をもって償われるべきだ。君はそう思わないか?」

「そんなこと……、わかるわけないだろッ」

「いいや、分かってもらわなければ困る」


 一方的なスレイドの言葉に男は困惑したように彼から目を逸らして視線を泳がせる。

 おそらく男には、スレイドの言葉が脳内を緩やかに跳ね回って幾重にもリフレインしているように聞こえているのだろう。


 本当になんでもない、日常会話で使うような意味伴った言葉という音の羅列。

 しかしそれは重く、聞いた者の耳にこびりついて離れない。まるでゆっくりと肉にナイフを沈み込ませるように染み込んでくる。

 その言葉から逃れる術はない。


「私は苛立たしい。いや、もうそれ以上……もはや自分が憎いくらいだ。憎くて憎くてたまらない。今にも銃口を自分の頭に向けて引き金を引きたいくらいだ。こうしてな」


 そう言って、スレイドは右手に握っていた拳銃を自らのこめかみに当てる。

 すると、それを見ていた男の右手もいつの間にか同じように上がり、銃口をこめかみに当てた。


「な……なんで?」


 まるで鏡合わせのように、互いに銃を持った右手が上げた状態で男は何が起こっているのか分からないとばかりに目を見開く。

 自分の意思とは全く無関係に手が動いたのだから困惑するのは当然だ。


 ひとりだけ状況の飲み込めていない男を置いてけぼりにして、スレイドは銃口を自らのこめかみにグリグリと押し付ける。


「皮膚で銃口の形を味わってみろ。そしてゆっくりと親指で撃鉄が起こしてその感覚を肌で感じるんだ」

「いやだ…………。やめてくれ……こんなことやめてくれ! 俺はまだ死にたくない!」


 スレイドと同じように撃鉄を起こしながら、男が涙を流しながら懇願した。

 もはや何が起こっているのかすら分からないのであろうが、ただ自分の意思を離れたように動く体に抗う意志だけは垣間見える。


 そんな男の願いにスレイドは答えることはなかったが、代わりに彼の瞳にも男を後追いするように涙が浮かび、それは頰をこぼれ落ちた。


「恐れるな。死は常に我々と共にある。大事なのはそれを常に意識し、受け入れ続けることだ」


 そう言うとスレイドは目を閉じる。

 男の方は自分の理解の範疇を超えているスレイドから目を逸らそうとし、その目がふとこちらを向く。


「お願いだ……助けて、助けてくれ、頼む……」


 僕はその恐怖に歪んだ男の顔をじっと見ていたが、その末路を予見して静かにスレイド側の壁に移動して寄りかかった。


「引き金に指をかける。少しでも引き絞れば私の頭は吹き飛んで、そこらじゅうにこびりつく。私を構成していた物体たちだ」


 両者が互いに引き金に指をかける。

 死の恐怖に怯える男に対し、スレイドは涼やかで清々しそうな表情をしていた。


「頼む、待ってくれ。謝るから……この先なんでも言うことを聞くからまっ――」

「さよならだ」


 男の言葉を遮ってスレイドは引き金を引くと、直後甲高い発砲音が部屋に響き渡り、男の頭の中身がスイカを火薬で割ったかのように中身が吹っ飛ぶ。

 壁や床のあちこちに彼だった破片を飛散し、体は糸の切れた人形のように床に倒れた。


 倒れた男を見ると、ザクロのような真っ赤な花を咲かせた左の側頭部から赤黒い血とかつて彼という個人を作っていた物体がはみ出している。

 地面広がる赤黒い血だまりの赤と夕日のオレンジがとても映える綺麗だ、とぼんやりと思って顔を上げると、何事もなかったかのようにスレイドはその場に立っており、閉じていた目を開く。


「殺す必要が?」

「どっちにしろ、敵の勢力に我々の存在がバレた時点でここのパワーバランスが崩れてしまった。取引は失敗だ。あとは彼らで殺しあってくれればいい」


 そう言って彼は自らの銃から弾倉を抜き取る。

 彼が持っていた弾倉マガジンには銃弾は装填されていなかった。

 弾丸の入っていない拳銃を手渡してきたスレイドに僕が問いかける。


「なぜ彼に同調を?」

「簡単さ、私の趣味だ」


 部屋のテーブルに置いていた自分の中折れ帽を被って彼は即答した。



 ―――――



 車のクラクションや人々の喧騒にあふれた場所で、あのアパートを出た僕は車のハンドルを握っている。

 適度な温度に調節された車内にはなんの音楽もかかっておらず、代わりに外から聞こえてくる喧騒をBGMにして僕たちは北上していた。


「やはりニューヨークの空気は好きなれない」


 ふとそんな呟きが聞こえてバックミラーを確認すると、スレイドが後尾座席の車窓から景色を眺めている。


 車外には活気に溢れたブロードウェイが広がっており、ただでさえ人が絶えないニューヨークの熱がここに集約されているかのように一層激しさを増していた。

 僕も窓から外の景色を見てみたが、言われてみれば、確かにここの街並みは僕が教科書で見ていた時とさほど変わっていない。


「あなたの生まれ育った場所では?」

「だから嫌いなんだ。何もかもまったく変わりなくて進歩がない。停滞は進歩を妨げ、堕落を生む」


 そう言ってスレイドは苦虫でも噛み潰したかのような表情をする。

 彼のボディガードを務めて三年だが、ここまで露骨な嫌がり方をするのは久しぶりだったので、僕はこれ以上は触れない方がいい気がして話題を切り替えた。


「次はどちらに?」

「空港だ。プライベートジェットで中東の反政府勢力と大きな武器の取引をしにいく」

「大掛かりなものですか?」

「あぁ、そうなるな。頼りにしているぞ」

「……はい」


 そっけないスレイドの言葉に僕は少し間をおいて答える。


 同時に内心で呟く。

 それでいい。信用して頼りにしてもらわなければ困るのだ。

 僕はあなたを捕まえるために組織に潜入し、右腕にまで上り詰めた捜査官なのだから。

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