八章 二人之天女、酒を以って和解す。
「さすが姉さんね。酔拳をそこまで習得していたなんて知らなかった」
「華琳、あなたこそ、そこまで符術を使いこなせるようになっていたなんて信じられないわ」
「あたしだって、いつまでも華蓮に負けてばかりじゃいられないからね!」
「アタシだって母さんの言いつけがある以上、この勝負、絶対に負けられないわ!」
「それなら、さっそく二回戦を始める?」
「その前に華琳、ひとつ聞かせてくれる? なぜそこまで意地を張っているの? そんなに母さんに怒られるのが怖いの?」
華蓮が初めて姉らしい顔を浮かべて、妹の華琳を見つめた。
「母さんに怒られるのが怖いのもあるけれど……でも、そんなのは些細なことよ。あたしは、あたしは――」
華琳がゆきるの方に、とろけるような熱い視線を向けてきた。恋焦がれる者だけが持つ、熱い瞳の視線である。
えっ、ひょっとして、もしかして、やっぱり、あるいは……華琳はおれのことが――。
ゆきるは思春期ならではの淡い期待をしたが、それはまったくの的外れに終わった。なぜならば――。
「あたしはもう、ゆきるの家のお酒からは離れられないっ!」
華琳が熱い思いのたけを言葉にのせて、思いっきり叫んだ。
その場に妙に冷たい空気が流れていく。数秒後、低いざわめきが生徒たちの間を走り抜けていく。
「なんか、オレ、この場に似つかわしくない単語を聞いたんだけど、これって空耳だったのか……?」
「き、き、奇遇だなあ……。オレも酒がどうたらって聞こえたけど……。これって幻聴だったのか……?」
「ぐ、ぐ、偶然の一致だな……。オレも、サメでもタケでもハケでもなく、しっかりとこの耳で酒って聞いたぞ。でも、これって耳鳴りだったのか……?」
可愛らしい少女の口から発せられた思いもよらない言葉の力によって、男子生徒たちは異次元の彼方に飛ばされてしまい、茫然自失状態に陥り、上の空のていでつぶやく。
「――そう、お酒ね……」
華琳の言葉を聞いた華蓮は、なぜかまぶしそうにあさっての方向に視線を飛ばした。まるで、見果てぬ先に心揺さぶる何かを見つめるがごとく。
「アタシも分かるわ。だって、この下の世界にあんなに美味しいお酒があるなんて、この口で飲んでみるまで信じられなかったものっ!」
「オレ、またお酒って聞いたんだけど……。耳の調子が悪いのかな? 明日、耳鼻科に行ってこようかな……」
「オレもたしかに聞いたぞ。耳の状態が悪いのかな? 耳掃除をした方がいいかな……」
「オレなんか、両耳を手でふさいでいたのに聞こえちゃったよ。耳の具合いが悪いのかな? 今度こういう場面に出くわしたら、耳栓を用意しておかないとな……」
男子生徒たちは、目の前にいる美少女が自分たちが想像するような美少女とはかけ離れた思考と嗜好の持ち主であると、遅ればせながらようやく悟ったのだった。
男子生徒一同諸君――葬送。
「なんだ、華蓮もこの世界のお酒の味を知ったんだね」
「そうなの。ちょっとした出会いからお酒にたどり着いたんだけどね」
「やっぱり、人と人との出会いって大切にしないとね。あたしもたまたまの出会いが、お酒に結びついたんだから」
「きっと、お酒の神様がアタシたち姉妹に微笑んでくれたのかもしれないわね」
お酒の話になった途端、機嫌が良くなって会話が弾みだす姉妹である。ほんの少し前まで、生死をかけたかのような戦いをしていたのだが……。
「ちょっと二人とも、本当は姉妹仲が良いんじゃない。前世からの因縁みたいな喧嘩をするから、仲が悪いんだとばかり思っちゃった。もう、すごく心配したんだからね」
どう考えても、さっきのあの様子は微塵も心配しているようには見えなかったぞ。ていうか、むしろ、大混乱を期待している目だったけどな。絶対に!
ゆきるは平然と姉妹に声をかけるえみるに、我が姉ながら薄ら寒いものを感じた。そして、この姉には生涯逆らわないと誓うのだった。
「それで華蓮さんと言ったかしら。華蓮さんが飲んだお酒って、どこのお酒だったの?」
えみるはゆきるの胸中などお構いなしに、話を続けていく。
「アタシが飲んだお酒は、えーと……丞福酒造っていうところのお酒よ」
「はあ? なんだって!」
「すごい! これは間違いなく運命よ!」」
えみるはその場で派手なガッツポーズをした。
「ねえ華蓮さん、その酒造所って、わたしの家なのよ」
「えっ、そうなの? アタシは華琳を捜しに寄ったんだけど、そうしたら、そこの人たちが親切にもお酒をご馳走してくれたの」
「うちの両親は酒好きの人を見抜く力が人一倍あるから。それで華蓮さんを誘ったのかもしれないわ」
「ねえ、華蓮姉さん。あたし今、そこのお家でお世話になっているんだよ」
「えっ、なんてうらやましいの! 華琳ばっか、ずるいじゃない!」
「ふふふ。どうやらわたしたちって、こうして出会うのが運命だったみたいね」
えみるが自分に都合よく物事を解釈していく。
うっ、なんか、非常に嫌な展開になりつつあるような気がしないでもないけど……。
ゆきるは三人の世にも危険な美少女たちを横目で見ながら、暗澹たる思いを感じていた。そして残念なことに、ゆきるのこの手の思いは、いまだ外れたことがないのである。
「そういうことならば、華蓮さんもわたしの家に食客として招待しますよ」
「えーっ、良いの?」
「もちろん! だって華琳の大事なお姉さんなんだから、断る理由なんてないし」
「それじゃ、ご厄介になろうかな」
「そうだよ、姉さん。久しぶりに二人で朝まで飲み明かそうよ」
「それじゃ、決まりってことでいいかしら?」
「はい、ぜひお願いします」
華蓮が丁寧に頭を下げる。
「ふふふ。今夜は宴会――じゃなくて、歓迎会を盛大に開かないとね」
ほらね、やっぱりこうなると思ったよ……。
ゆきるは人知れず嘆息した。えみるがこうと決めた以上、それを覆すことは出来ない。
「それじゃ、さっそく家に案内するわね」
えみるは華琳と華蓮の腕を取ると、仲良く三人で腕を組みながら、校門に向かって歩いていく。
「あっ、そうだ。おまえも一緒に連れて行ってあげるわ。ここまで案内してくれたお礼よ」
死人のごとくまいっている一樹の首根っこを軽々とつかむと、一樹の体をずるずると引きずりながら歩いていく華蓮。まことに可憐な姿である。
「おい、えみる。まだ授業中だぞ」
無駄とは思いつつも、えみるに声をかけた。
「今日は早退よ。これから異文化交流をしないと。ほら、ゆきるも早く来なさい!」
「そう言うと思ったけどさ……」
ゆきるは助けを求めるように周囲に目を向けた。
あれほどいた野次馬の群れはいつの間にかいなくなっており、周囲は何事もなかったかのように静まり返っている。
「おまえもこれから大変だな」
唯一残っていた比呂夢が慰めてくれた。
「なんだったら、一緒に来てもいいんだぜ?」
「いや、丁重にお断りさせてもらうよ。一応言っておくが、未成年者の飲酒は法律で固く禁止されています」
「誰に言ってんだよ?」
「なんとなく言っただけだから気にするな。――とりあえず、担任にはおれがちゃんと言っておいてやるからな。心おきなく早退出来るぞ」
「ははは……アツい友情を感じるよ……。もしも明日おれが登校しなかったら、なにかあったと思ってくれ」
「死出の旅にでも行くような言い方だな」
「世の中には酒地獄っていう、それはそれは恐ろしい地獄があるんだよ」
「それって酒好きの人間にとっては、ただの極楽じゃないか。しかもあんな可愛い美少女が三人もいて、まさに酒池肉林の世界だな」
「酒の池に肉の林か……。おれにとってみれば、血の池と鬼の林にしか見えないけどな……」
「ゆきる、いつまでそこにいるの? 早く来なさい! それとも、来ないつもりならば――」
「は、は、はーい! 今、参りまーす!」
ゆきるはその場から一目散に走りだした。
「だから、ゆきる、その性格は治した方がいいぞ」
親友のありがたい忠告はゆきるの足音のせいで掻き消えてしまって、ゆきるの耳には届かなかった。
その晩――丞福家では華蓮の歓迎会が盛大にとり行われた。もちろん、その歓迎会が三十分後には、宴会という名の修羅場と化したのは言うまでもない。
そして、ゆきると一樹はどうなったかというと――。
推して知るべしというものである。
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