3
サーシャとエミィは学生寮で暮らしていた。
専属のお手伝いさんがいて衣食住をきっちりサポートする体制になっているとはいえ、この歳で親元を離れて暮らしているのは偉いなと思う。
ちなみに俺はと言うと、共和国に暮らし始める時に協会が提供してくれた一部屋しかない殺風景なアパート暮らしだ。とはいえ帰宅して寝るだけなら、十二分に役割を果たしてくれている。
問題は働き始めたということで家賃を請求されるようになってしまったことくらいか。
通りを下った関係でサーシャたちの寮まで少し距離があった。
日も暮れてきていて、遅くなりすぎると流石に子供だけでは心配なので送っていく。
ずっと徒歩移動していると、エミィは途中で疲れてしまったようだ。
「ほら、背負ってやるから。……今日はいつもよりはしゃいでたもんな」
遠慮するエミィだったがおんぶしてやると、すぐにすやすやと眠ってしまった。
「サーシャは大丈夫か?」
「大丈夫だ。なぜならエミィよりも一歳お姉さんだからな」
「偉いな、サーシャは」
「もっと褒めてもいいぞ」
「また今度な」
夕暮れの街には、他にも仕事帰りや買い物帰りで急ぐ人たちが多くいた。
夜の飲食店へと入る者も見られる。
角が生えていたり、羽が生えていたり、尻尾やウロコがあったり。
身長も高い者だと俺の二倍近くになり、また低い者だと大人でも俺の半分くらいの者もいる。
背中にいるエミィの体はひんやりと冷たかった。
吐息も少し冷たくて、やっぱり種族が違うんだと感じられる。
「せんせいにお父さんとお母さんはいるのか?」
とぼとぼ歩いている途中、唐突にサーシャが尋ねてきた。
「……いたな、もちろん」
「どんな人だった?」
「どんな……か」
俺の両親はおそらく死んでいる。
おそらく……と濁したくなるのは、死に目にあってないからだ。
もちろん奇跡を信じるような妙な期待はもう、していないけれど。
「普通の親なんじゃないかな」
質問に対してはそうとだけ答えた。
そうこうしているうちに到着した。
「ここだぞ」
「おお、ここが……」
寮を見るのは初めてだった。
敷地は木の柵に囲われていた。二階建ての長方形の建物が二棟あって、学校の校舎を思わせるほど長さがあった。親元を離れて学校に通う者は、そのほとんどが寮に入っているはずだ。学生の間は実質無料で入れてくれるらしいが、卒業と同時に退去となる。
彼らはそれまでに、働き口を見つけなければいけないのた。
「うん……お父様……むにゃむにゃ……」
「起きろ、エミィ。俺はお父様じゃないぞ」
地面に降り立ったエミィは目をしょぼしょぼさせる。
「……あれぇ? せんせ?」
「今日は遅くなって悪かったな」
「はい。あれ? 今日わたくしは……」
突然、エミィはぴたりと動きを止めた。
次の瞬間脂汗をだらだらと流し始める。
「お……お手洗いにいってきます~~~!」
脱兎のごとく走り去ってしまった。
生理現象だからしかたがないのだが、明日エミィが恥ずかしがりそうなネタだった。
「エミィはまだまだ子供だな」
「お前もだろ」
エミィが走っていった先を見つめるサーシャの横顔が、一瞬寂しそうに見えた。
「サーシャのご両親は今なにをしてるんだ?」
そういえば、という軽さで俺は尋ねる。
「わたしにはそんな人いないのだ」
言葉の意味が、自分の中でうまく変換されなかった。
「え?」
「もちろん昔はいたぞ」
俺に横顔を見せたまま、彼女は続ける。
「わたしは一人なのだ」
つまり、それは。
「同じ種族の、聖霊族の者はもう残っていない。わたしの種族は、わたしで途絶える。どこまでいっても、わたしは一人なのだ」
「……少ないとは聞いていたけど」
固く冷たい声での告白に、言葉がうまく出てこない。
「物心がついた時にはもう一人だった」
さらにがつんと頭を殴られた気分になる。
物心がついた時には、だと? じゃあ自分と同じ種族の者を見たことがない?
よくよく考えれば、魔法の使い方のコツについて聞ける者が誰もいない時点でおかしかったのだ。
そして、それはニンゲンという種がこれから迎える終着点でもあった。
最後は誰か一人になる。
それはいったい、どんな気持ちなのか。
七人になったニンゲンですら、こんな寂しさがあるのだ。
本当に最後の、一人になったとすれば――。
「だからわたしは親がどんな人でどんなことをやっていたかも知らない、そしてわたしも……」
進む道がわからず、だから、色んな意味を確かめようと質問を投げかけるのだろうか。年齢のわりに大人びているのも、無邪気な中に時折現れる冷淡な意見も、その境遇の影響があるのだろうか。
もしかしたら俺も、いつか同じように――?
それ以上想像するのが怖くて俺は顔を上げた。
しかし同時に気づく。
その恐怖に、隣にいる少女はずっと晒されているのだ。
「どうかしたのか、せんせい?」
サーシャは俺に向かって、微笑んでみせる。
なぜ今笑うのか、笑えるのか、俺にはまったくわからない。
ただその笑みは神秘的で、美しいものだった。
+++
俺とメイコがいるのは、いつもの酒場のいつもの定位置だ。
「あ、おかわりお願いしまーす!」
「……前から思ってたんだけどさ、ワリカンっておかしくね? 明らかにお前が俺の二倍は飲んでるんだから」
「気にしない気にしない」
気にしたいところだったが、今は放っておこう……と思うから改善しないのだろうが。
「しかしアンタが真面目になっちゃってるのも、子供たちに触れてるからなのかね。ほら、さっきの重い話の子とかさ」
「最後の一人、か」
メイコは空のジョッキを見つめたままつぶやいた。
「気になってちょっと調べてみたんだよ、種族が途絶えることはよくあるのかって」
「へえ、アンタにしては珍しく動きいいね。やっぱ自分と重なるから?」
その質問にはあえて答えなかった。
「種族が多いから、そりゃ種が途絶えるってことはあるらしい。でもそういうのは都市ではなくて辺境の地に住んでいる種族がいつの間にか、ってパターンが多いみたいだ。都市に根付いている種族は、ある程度しっかり地盤を築いてるらしい」
「つまり?」
「はっきりと『最後の一人だ』とわかっているケースは珍しい」
ふーん、とメイコは気のない返事だ。
「その一人になるのってさー、超イヤだよねー。だってちゃんと生きなきゃいけない感じがするじゃん。ご先祖様への申し訳なさもあるし、『あの種族の最後の奴は~』って語られるでしょ」
「気になるのはそこかよ」
「最後のニンゲンは飲みすぎで死にました……じゃ先祖がやりきれなくない?」
「それは嫌だな……。つーか自覚あるなら飲みすぎるなよ」
「絶対にアタシは他のニンゲンより先に死ぬからだいじょうブイ!」
どこまで冗談なのか本気なのか、メイコの真意はわからない。
「はい、おかわりお待ち!」
「どーも」
メイコは受けとったジョッキを早速あおる。
「まあ、アタシたちニンゲンもどうせ滅びるんだし、種族としては余生みたいなもんなんだけどね」
余生という言い方は、持続に終わりが見えたニンゲンにぴったりな表現だった。
「とはいえ、その余生をただの余生として終わらせないために、ニンゲンの最終兵器として俺がいるわけだがな」
「いつからアンタが最終兵器になったのよ……」
酔っ払いに呆れられてしまった。
「まあ最後なのは認めるけどさ。最終……確かに、兵器か……」
にやりと笑ったメイコの顔がいつもより暗く、黒く見えた。
「あ……いや、そういうリアルな兵器という意味に引っかけたんじゃなく、最後の切り札って言いたかっただけなんだが……」
わかってるって、とメイコは再びジョッキを傾ける。
「ほんと、アタシたちの生きる意味はなんなんだろうねぇ」
今日のメイコはいやに語る。それが俺を不安にさせる。
「真面目な話、生物の目的って究極的には子孫を残すことだよね」
くるっとクビを回して、メイコは俺の正面から見た。
「アタシとユージで子作りしてみる?」
「ぶっ!? またお前は……」
飲みかけのエールを吹き出してしまった。
「でもどうせすぐ続かなくなると思うと意味感じないよねー」
メイコは特になにも思わないみたいに話し続ける。
「まあ、アタシたちが頑張って生きてればそれでいいのかもしれないけど、余生の割にはしんどいし、色々迷っちゃうよねー」
メイコはジョッキをぐいと傾ける。
「ま、そうなると飲むしかないっつーかさ」
それがメイコの選んだ道なんだろう。それもまた一つの正解である気はしていた。
己の可能性を信じるか、それとも諦めて今を楽しく生きることだけに注力するか。
たぶん選択肢はいつもぶら下がっていて、俺は選択を迫られている。
だが今は、メイコのやさしい悟ったような笑顔に、とかく不安をかき立てられた。
「おいメイコ、お前。仕事先で……なにかあったか?」
そういえば今日はまだメイコの仕事先の話を一つも聞いていない。妙だと思った。
メイコはいつもトレードマークのポニーテールを解く。
ふわりと舞ったロングヘアーの姿が、なぜかサーシャと重なって見えた。
「うん。ちょっと仕事クビになるかも」
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