三章 生きる意味を考える。それと、幸せの条件について

「よし、街に出よう!」


 教室で学校の宿題をやっていたサーシャとエミィが顔を上げる。

 鏡を見たままのリンは髪型に納得がいっていないらしく、しきりに髪をいじっていた。


「急にどうしたのだ、せんせい?」


 サーシャはきょとんとした表情だ。


「お前たちは社会のことをよくわかっていないんだ」

「共和国にきて短いセンセーの方がよく知らないと思いまーす」


 リンは鏡とにらめっこしたまま言ってくる。


「はいはい、とにかく外で実習にすることに決めました。ってことで準備してくれ」


 どうにも子供たちに危機感がないように思える。

 学生の間は保護されているから、成績が悪くても食べていけなくなることはない。しかしそのままの状態で社会に出るとどうなるか、その事実を身を以て知るべきなのだ。

 外にいけば、なにか成績向上のためのヒントがあるかもしれない。――というのが、シドのアドバイスに従った次の策だった。

 これまでもシドに従って、いくつか授業中に作戦を実施してみた。

 たとえば潜在能力を引き出そうとしてみたり、今ある力で新しい稼ぎ方ができないか考えてみたり、魔力や基礎体力の向上を図ってみたり……。

 しかし今のところ目立った成果は上げられていなかった。


「じゃあいくぞ」

「え~、ちゃんと授業しないと仕事としてマズいんじゃないの~?」

「だから課外授業……遠足だ、これは! ……じゃ、遠足だからおやつも買ってやる」

「本当ですか!?」「やったのだ!」

「反応いいなエミィとサーシャは」

「お菓子で釣るってどうなの~。あたしもお願いね、センセー(ハート)」

「釣られてるじゃねえか」


 現金な奴らだった。




 山を下りて、さらに住宅街を抜ければ大きな通りに出る。


「知っているか? あそこに甘いチェリーたっぷりチェリーパイが売ってるんだぞ?」

「なんでしょう、あのチョコレートは!? 初めてみる大きさです! それにチョコレートなのに人の形をしています!」

「待ってあのプディングの色!? もしかしてベリーを練り込んでる……? え、ヤバくない? しかもトッピングの量もすごいし」

「高そうなのばっか見るんじゃない!」


 目ざとくそういう店だけはすぐに見つける。

 通りは買い物客で賑わっていた。


「せんせい、あの店に入ってみないか?」

「ま、まあもう少し先までいこうか」

「あー、センセーが安い露店の出てる通りまでいこうとしてる~。高い店から逃げようとしてる~」

「さあいこう! みんなで課外授業をしようじゃないか!」


 突き刺さる視線を無視して俺は進んだ。


「そこの旦那、一つどうだい!」


 露店の男に声をかけられた。先端に針のついた尻尾をくねらせている。蠍人族だろう。

 ギラリと光る毒針を見るにつけ、この世界での銃刀法違反の無意味さを感じさせられる(銃を見たことはないが)。

 露店ならそう高くもないだろうと近づいてく。


「新鮮なフルーツ取りそろえてますぜ!」


 見たところリンゴやナシがごろごろと積んである。


「よし、これを買ってやろう」

「「「ぶー」」」


 振り返った俺にブーイングが飛んだ。まさかエミィまでやってくるとは予想外だった。


「リンゴはいつでも食べられるのだ」

「ケチ臭ーい」

「……お菓子と言っていました」

「三人とも旦那のお連れさんですか? なら……三つの値段で四つ提供しますぜ!」

「よし、リンゴにしよう。「えー」待て、まだ別の菓子を食べさせないとは言ってないぞ? ……これで腹を膨らませてもらうがな……。で、いくら?」

「旦那、ただのリンゴだとお嬢さん方が納得しないみたいですぜ? より甘くておいしく食べられる魔法をかけるべきじゃないですか? 当店の売りでして!」

「魔法?」

「おっと蠍人族の調理法をご存じでない?」

「あー……うわさは聞いたことはあるんだけど」

「うわさだけでも耳に入れて頂いているとは嬉しいことで。じゃあ、見ててくださいよ、損はさせませんから……よっと!」


 男はリンゴをぶすりと串に刺し、牙の生えた口を開き、小さな


「はい焼きリンゴお待ち! 旦那、蠍人族の火の魔法は絶妙な火加減調整を体得してますから、リンゴの甘みを最大限引き出してますぜ!」


 一瞬火を通しただけなのに皮は飴色になって、とてもやわらかそうに仕上がっている。


「へえ……。たとえばそうだな、炎人族の火の魔法で料理するのとは違うのか?」

「炎人族だって!? あんなのと一緒にしないでくださいよ! ただぼーぼー燃やすだけしか能のない奴らですぜ? 火力と持続力は認めますけど……それでも、あいつらは炭を焼いてるのがせいぜいお似合いですぜ!」

「いや炭焼き以外もあるとは思うけど……」


 妙なプライドを突いてしまったかもしれない。同系統は仕事が似るため、ライバル意識も強いのだ。


「おお、これはおいしそうだぞ」

「……ちょっとそそられるかも」

「わたくしはこんなの食べたことないです……」


 とにかく三人ともちゃんと食いついていた。


「ってことでリンゴが銅貨二枚。で、焼きにする料金も銅貨二枚で銅貨四枚。三個分の料金お願いしますぜ!」


 早速購入したリンゴを歩きながら囓る。

 店頭演説の効果は抜群だった。あれは買いたくなる。さらに「もう焼いたんだからまさか買わないなんて言わないですよね?」という無言の圧力も効いている。


「甘くておいしいぞ!」

「ですです、とろけるおいしさです!」

「蠍人族のおっさんの口から吐いた火じゃなければ……魔法だから変な成分は入ってないんだろうけど……」


 若干歯ごたえを残したやわらかいリンゴの甘みが、口に広がる。悔しいがうまい。

 なんだかただの遠足になりかけていたが、本来の目的へと立ち返る。


「どうだ、社会見学すると色んな特性と稼ぎ方を見られるだろ? でもそれをただ見ているだけじゃダメだぞ。自分に応用できることがないか考えて――」

「ねえセンセー、あれ」


 リンが指差す。

 近くの店の前が騒がしくなっていた。


「あぁあん? 酒が出せないだとぉ?」

「で、ですからお客様。まだ昼間の時間帯なので、酒類のメニューは夜になってからなんです……」

「あるんだろ? あるんだったら持ってこいよ! 別に誰にも迷惑かけてねーだろ!」

「……ヤな感じだよねー」


 どうやら飲食店のテラス席で、客の男が勝手な要求をしているようだ。


「お時間になったら提供しますので……」


 獣耳と尻尾を生やしたウェイトレスは見た目からして猫人族かその類いだろう。

 対する甲冑を着た男は頭部がワニを思わせた。鰐人族か。


「オレ様の職業わかってるのか!?」

「ええ、もちろん……」

「お前らとはワケが違う傭兵なんだぞっ!」


 鰐人族の男は布っぽい紙でできた職業カードを突き出す。

 共和国で職を得るためには、公共福祉全般を取り仕切る『協会』の許可が必要だった。職業カードも協会が発行するもので、ここに仕事やそれに類する様々な情報が載っていて身分証明書としても機能している。

 この共和国で職業カードを失い働けなくなることは、ほとんど都市からの追放を意味していた。


「こっちは命張ってんだぞ!」


 この世界に人と人との戦争はない。明確に禁止されている。

 しかし都市の外には野生動物をもっと凶悪にした魔物が巣くっていて、都市間の移動の際には護衛をする者が必要だった。そのため傭兵には一定の需要がある。

 危険を冒して仕事をする者には尊敬も集まるが、それを勘違いして不遜な振る舞いをする者はどこにでもいるものだ。

 ちらりと見えた男の職業カードはDランクだった。


「な、別にオレ様も仕事の邪魔をしたくないんだよ?」


 通行人の注目が集まっていることに気づいたのか、男も声を小さくする。

 がっ、と男が猫人族のウェイトレスの胸倉をつかんで引き寄せた。


「さっさと仕事しろよ。どうせ誰にでもできるこんな仕事してるってことはFランクなんだろ?」

「せんせい、助けにいった方がよいのではないか?」

「え?」


 サーシャが真面目な顔をして言ってくる。おいおい。


「いくぞ」

「待てよっ」


 臆せず進み始めたサーシャの腕をとる。


「お前がいってどうなるんだよ」

「しかし助けた方がよいだろう?」

「それはそうでもお前になにができるんだ」

「だったらせんせいがいけば解決だな?」


 まっすぐな瞳に思わずたじろぐ。試されているのか、純粋に信じているのか。

 サーシャはいつも意図が読み切れない。

 だが実際俺が出ていってできることなどない。義務もない。

 周囲の者たちも「どうにかした方がいいんじゃないのか?」という顔をしながら、行動は起こさない。


「――なにをしている」


 そうこうしている間に、誰かがそこに割り込んだ。

 遙か上から、鰐人族の男を見下ろしている。割り込んだ男は馬に跨っていた。

 全身を包む鎧の銀色が輝く。鰐人族の安い甲冑の素材とは比べものにならないことが素人目にもよくわかる、磨き上げられた鎧だ。背中にはロングソードが装備されている。

 そして鎧の肩のマーク、頭に被った鎧を見ても、間違いない。


「警備兵だ!」


 見物人の誰かが言った。

 協会に所属し街の治安を一手に担うのが警備兵だ。軍のない国において、軍隊的な役割も果たし魔物相手に街の防衛に当たることもある。


「い、いや別に……」


 鰐人族の男は慌ててウェイトレスから手を離した。


「迷惑行為は連行の対象にもなる」


 言いながら警備兵は身分証明のために職業カードを見せる。あの色は……Bランク。税金から給料が出て権限も大きい職のランクはやはり高い。もちろん支払われる給料もランク相応だろう。

 さらに警備兵は一人ではなくぞろぞろと四人増えて、一気に五人になった。


「だ、だからなんでもねえよ! ちっ……こんな店二度とくるかっ」


 捨てゼリフを吐いてそそくさと鰐人族の男は席を立った。

 それを見送ってから警備兵はウェイトレスに声をかける。


「またなにかあったら、すぐ通報するように」

「は、はい。ありがとうございます!」


 おー、ぱちぱちと周囲から歓声が上がる。


「皆もトラブルが発生した際や危険を感じることがあれば警備兵に一報を!」


 隊列を組んで警備兵は馬を駆って去っていった。

 騒ぎは大きくならずに決着したようだ。


「何事も適材適所ってやつだな、うんうん」

「しかし今逃げていった傭兵の男は、魔物に会ったときの囮くらいにしか使えなそうだったぞ?」

「なかなか容赦ないな」


 サーシャがとぼけた顔で辛らつなことを言っていた。

 対してリンはフーッと威嚇するように小さく息を吐いた。


「街の中であんな隊列組む必要ある? 見せびらかしたいの?」

「リンは警備兵が好きじゃなさそうだな」

「街の犯罪の取り締まりに大仰すぎない? 外からくる対魔物からの守りのためならわかるけど……。あんな風に隊列組んで、対人を意識した戦闘訓練もして、って禁止されてる戦争の準備をしてるみたいじゃん」


 今の世界は戦争を絶対のタブーとしていた。


「せんせいの時代には、戦争はあったのか?」

「……あったな、割と」

「あ、あの、戦争ですか? おとぎ話以外でははじめて聞きました」


 エミィが少し怯えたように腕をこすり合わせていた。


「どんなものだったのだ?」

「サーシャ。あんまり話すようないいものじゃないのは、わかってるだろ?」


 どうしてかこの子は、退廃的なものへの興味が強いようだ。


「……それもそうだな。今の質問はなかったことにしてくれ」


 戦争への忌避感が強く根付いているのだけは、もしかしたら過去のニンゲンのと言ってよいのかもしれない。


「大量の人への攻撃を目的とした魔法を作ったり、武器……兵器を作るだけですごい重い罪だもんね。昔はそれが自由だったってのも不思議だけど」

「へえ……」


 俺は黒い腕時計をなでる。

 まあ……バレるはずはないんだが。


「それより、ちゃんとした仕事に就くと人からも尊敬されるのがあらためてわかったな。みんなもそんな立派な人になりたいよな?」

「立派かどうかは誰が判断するものなのだ?」

「立派ではなくても一族が生きていたらそれでいいです」

「そういう名声欲ってどうかと思うけどー」

「……うん、俺が悪かった」


 三人には全然響かなかったらしい。

 こう、いい意味でやる気のベクトルが上向いてくれると嬉しかったのだが。

 というわけで今度は方向性を少し変えて。


「じゃあ、あれを見ろ!」


 俺は通りの向こうにある、周囲の家からでんと飛び出た塔の部分を指した。


「あの家……たぶん家だと思うんだが、でかくないか? ていうか城に見えるだろ」


 住宅密集地にあるので家だと思うが、とんでもない豪邸だった。


「大きいですね……」

「な、すごいだろうエミィ。あんな家に住みたいとは思わないか!?」

「一族みんなで住みたいです……!」

「そう、あそこにたどり着く金持ちになるためには……稼がなきゃならないんだ!」

「はい、でもわたくしは、一族全員が普通の暮らしをできるようになればいいのです」

「……おう、子供らしい欲と無縁のとてもいい心がけだな」


 素晴らしいと思うのだが、一族への奉仕精神が少し異常なほどだ。


「お金持ちになるのはいいことだが……」

「そうだサーシャ、やる気が出るだろ!」

「でもその先になにがあるのかと言えば……」

「……すぐ疑問に思うというか、哲学になっちゃうな」


 意味を考えようとすることはいいことだと思う。しかしサーシャは正しい答えを求めすぎてなにもできなくなっているようでもあった。

 なぜそんな風に疑問を持つようになったのか。生い立ちがよくわかっていないことも関係しているのか。

 サーシャの疑問に俺が答えることができれば、進展はあるかもしれないが……。


「……あんまり言いたくないんだけど」

「どうしたリン? やっぱり金持ちになりたいのか? そうだろ?」

「あれ……あたしの家」


「一番どうしようもないやつだった!」

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