一章 それじゃあ新しい世界で、意味でも考えてみようか

「あそこが今日からお前の働く場所だ」


 目の前には、一階建ての木造建築物があった。

 住宅が密集する地帯からは離れた、少し山を登ったところにある。

 建物の裏にはグラウンドもくっついている。庭には菜園と花壇もあって、学校と言うには小さいが、家と言うには広々としていた。


「偏屈な老人が死ぬまで一人で暮らしていてな。水汲み場、炉、台所、物置、とまあ一通りの設備がある」


 口調にはトゲがあり、面倒臭そうというか、嫌そうなのを隠そうともしていない。

 男の名はファガールといった。共和国が運営する学校の教師で、立場的には俺の上司にも当たる。

 ファガールは俺より頭二つ分身長が高い。体の厚みも倍はある。白髪頭に立派な顎ひげと口ひげを蓄えた風貌は、かなり威厳がある。姿形はニンゲンのようであるが、やはりニンゲンとは決定的に異なっている。

 なによりファガールに生える耳はドラゴンと同じ形をしていた。

 その上、身にまとう緑の刺繍が施された白いローブからは身長の半分くらいの長さの尾が覗いているのだ。

 ファガールは、竜人族だ。


「ここでニンゲンであるお前がやることはわかっているな?」

「子供たちの教育、ですよね」


「ここは学校とは違う『特別教室』という扱いになっている。そこで我が学校でと見なされた者たちの指導をしてもらう。十分な能力がなく、今後発揮される見通しも立っていない、将来この共和国で暮らしていけない憐れな者たちだ」


「憐れ……」

「フン、我々共和国は実力主義だ。社会に貢献できる実力がなければ、よい仕事を得ることはできない。わかるか、ニンゲンよ」

「もちろん、重々承知しています」

「将来子供たちが食い扶持を得られるよう我々共和国の教師は、彼らの特性に応じた教育を施し、試験で社会貢献の可能性を測定している。お前に任される生徒は、試験で最低ランクの成績を叩き出している者たちだ」

普通の教師あなたたちがどうにもできなかった生徒をなんとかしろっていう……」

「……我を舐めているのか?」


 金色の瞳に、じろりと睨まれた。


「す、すいません」


 ファガールは竜人族としてはまだ若い方らしいが、それでもニンゲンの基準からすれば立派な顎ひげと口ひげを蓄えている。

 年齢も俺の三倍はいってたはず……。


「試験で成果を出せ。それがお前自身の評価にもなる。……我はまだ貴様がこの仕事にふさわしいと思っているわけではない」


 数百年前に生きていたニンゲンは知識が豊富だろうと期待されて、俺はこの職を得た。

 普通は、ちゃんと自身の実力を示してから仕事に就くシステムになっている。ただ状況があまりに特殊だったという理由で、ニンゲンには特例が適用された。

 だからファガールの虫の居所が悪いのも理解はできた。


「なんなら今すぐお前用の試験を用意してやりたいのだがな」

「い、いやぁ……でも今の共和国式じゃ、俺達ニンゲンの知るロストテクノロジーの真の力は測れない。それに遊ばせておくのももったいないから、即実戦投入なんでしょ?」

「フン、ならば早く示してもらおう。他の者は誤魔化せても、我は甘くないぞ」

「……了解です」


 視殺したいのかと思うほど睨みを利かせてくる。爬虫類のそれに近いならざる金色の目が、根源的な恐怖を呼び起こす。

 嫌な汗をかいた俺は、自分の左腕につけた黒い腕時計ものに触れた。

 ――ひとまず心は落ち着いた。


「フン、では落ちこぼれの生徒たちに相応の実力をつけて見せよ、ニンゲンよ」


 それこそが、一度も働いたことのない俺に課された初めての仕事であり、ミッションであった。

 ファガールは両手を広げ、にやりと俺の前で初めて笑みを見せる。


「せいぜいクビにならぬよう努めるのだな」


     *


 俺は教室、というか一軒家に入る。


「ここが俺の城か」


 そう思うとちょっとした高揚感はあった。

 板張りの廊下は掃除も行き届いていて小綺麗だ。

 右には二つの部屋がありそれぞれ職員室、炊事場と木のプレートに記されている。思ったよりちゃんと学校として作られていた。

 廊下の左側には教室がある。生徒たちはここで俺を待っているはずだ。

 人の気配はあったが、話し声は聞こえない。

 教室の扉の前で、一度、二度と深呼吸をする。

 これから大事な仕事が始まるのだと思っても、まだふわふわと浮ついた感覚は抜けきらない。


 一年前のあの日、眠りから目覚めると、まるで異世界だった。


 転生したのかとすら思ったが、そうではない。

 七百年の時が経過し、ファンタジーのような世界に激変していたのだ。

 この世界の仕組みや社会常識、言語についてはAIのシドの力も借りつつ、学んでいった。今では共和国で誰の手も借りず日常生活を送れるくらいには馴染んだ。

 だが、いつまでも保護してもらう立場で甘えてもいられない。

 俺たちも他の共和国民と同じように、働く必要があった。

 どんな仕事をすればよいか。

 悩む俺に、AIシドは『教師』という職業を提示する。

 相手は自分より幼い子供である。実年齢も俺より下だ。シドもいるし、教えられることは十分あるはずだ。そう信じて腹をくくった。

 俺の真の実力を見せてやろうじゃないか。


 そして迎えた、本番。


 ファーストコンタクトは重要だ。これは『旧』人類でも『現』人類でも変わらない。

 いきなり舐められるわけにはいかないのだ。たとえ驚くような外見であっても、ビビっているなどと悟られてはならない。

 共和国の人々は俺の基準からすればかなり奇異には映るが、それでも尻尾や羽があったり、爪や耳が長く特殊な形だったりするで『人』の形から大きく逸脱してはいない。

 授業中に炎を吐いたり、異形の姿に変身して暴れたりするような奴は勘弁してもらいたいが……。

 そんなとんでもない奴らではないと信じる。……信じるしかない。

 本日二度目の嫌な汗をかきはじめた俺は、もう一度精神を落ち着かせるため左手首に手を――。



 がちゃりと扉が開いた。


 少女が立っている。

 輝く綺麗な黒髪が、ちょうど俺の胸あたりの位置にある。

 少女が顔を持ち上げ、俺を見上げる。

 ――美人だった。

 透き通った肌、宝石のような瞳、鼻も耳の形も美しく滑らかに整っている。

 しかし幼さを残したままでもある。華奢な体つきも年相応の子供だ。身体的特徴もさほどニンゲンと変わらない。

 だが佇まいが、違う。

 神々しく映るほどだ。

 傷み一つなさそうな黒髪は背中まで伸びている。

 その立ち姿は一点の曇りもなく光り輝いていた。


「せんせいか?」


 不意打ちで問われ、こくんと首を縦に動かす。

 ばたん。

 扉が閉じられた。

 あれ?


「……えーと、入っていいですか?」


 今度は声をかけつつ、自らそろりと扉を開ける。


「待つのだ! 準備が整っていないのだ!」と先ほどの女の子の声が聞こえた。


「あ、はい」


 扉を閉じた。

 しばし待つ。

 ……って、なんだこれ。


「もういいぞ!」


 一応三つ数えてから、扉に手をかけた。


「お、おじゃましま~す」

「せんせい!」「せんせっ!」「センセー」


 正面左右から囲まれた。かと思ったら急に飛びかかられた。


「な、なにごとだ!?」


 さっきの黒髪の女の子が、正面から抱きついて俺の腰に手を回し、にへっと笑って見上げてくる。華奢な体が密着する。


「大好きだぞ、せんせい」

「ふへっ!?」


 さらに右側。

 銀髪をおさげにした女子が、俺の右腕にぎゅっとしがみつき、手を握ろうとしてくる。なんだか拒否するのも申し訳なくなる保護欲をそそる子で、なすがままに小さくて冷たい手に絡めとられる。


「あの……ずっと一緒にいてくださいますか?」

「そ、それはどういう意味!?」


 さらに左側。

 金髪ショートカットの切れ長の目をした少女が恥ずかしそうに俺の左腕を掴んでいた。身長は三人の中で一番高い。体の発達具合も子供にしては相当進んでいる……いや、進みすぎている。体だけはもう子供とは思えない大人びたセクシーさだ。


「……責任とってよね」

「な、なんの!?」


「せんせい」「せんせっ」「センセー」


 三人がずいっと体を寄せてくる。

 いったい自分はなにをしたのだ? どっちを向いても女の子のいい匂いがするし、正面の女子がぎゅっと抱きついたまま離してくれないから動けないし、右側の銀髪の子の手は可哀想で振り解けないし、左側の金髪の子は胸が……!

 いや別に、変な意識はしていない。相手は子供だ。でも、とはいえ、女の子は女の子である。そもそも特別教室の教師として働きにきたはずなのにどうしてこんな――。

 建物の出入り口が開く音がした。

 誰かが、入ってきた。

 ちょっと待て。この場面を客観的に見ると……マズい気がするぞ……!


「そういえばニンゲンよ、この建物の鍵を渡すのを失念していた――」


「あ、ああ、ファガール先生。ちょうど今ニンゲンに古来から伝わるあいさつを生徒たちとおこなっていたところで嘘ですすみません顔が超怖いんですけど……!?」


 竜人族のファガールは口から火を噴いた(かと思うくらいに怒った)。


  *


「教師という立場を自覚し、生徒との距離感には……」「大人としての威厳を……」「間違った道にいかないように我らが……」などとガミガミ一時間ほどファガールに説教を喰らい、俺は解放された。

 生徒から「わたしたちからやったんです」という発言が出なかったら牢屋に入れられていたかもしれない。

 俺がこってり絞られている間、外で遊んでいた生徒たちを再び教室に呼び戻し、仕切り直して。


「……ということで、今日からみんなの先生をすることになったニンゲンの……ユージと言います。よろしく」


 教卓に手を乗せて俺は言った。

 七百年前は名字と名前もあったけれど、この世界では『種族名+名前』で話が済む。

 それだけ種族が多様化しており、一種族の人数も多くはないのだ。


「どうだ? わたしたちの出迎えは嬉しかったか、せんせい?」


 黒髪の少女が聞いてきた。


「あと一歩で社会的に殺されるというスリルを味わえたよ」

「つまり、嬉しかったのだな?」

「どっちでもいいけど二度とやらないでくれ!」


 楽しい会話を繰り出してくれる彼女に反省の様子はない。


「で、えーとまず、名前から、確認します」

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