プロローグ


 世界が変わればいいのにと思っていた。


  +++


 ――だけど変わりすぎだろ、この世界は。


 目覚めた瞬間、まぶしいと感じた。

 目のピントが合っていない。

 何度か強く瞬きをすると視界がはっきりした。

 次に、自分が細長い箱……棺桶のような空間にいると気づく。

 棺桶もどきのフタは開いていた。

 ピーピー、と小さな機械音が鳴り続けている。

 上半身を起こし、棺桶もどきから這い出た。

 冷たくざらりとした床の感触に、思わず足の裏を浮かせ足踏みをする。

 どうやら薄い緑の病衣を身にまとっているようだ。

 視線を巡らせる。

 周囲には自分が今這い出てきたのと同じ棺桶もどきが六つあった。すべてフタは閉じられている。しかし機械音と明滅する光を見ると、もうすぐ開きそうだった。

 この施設はなんだろうか。

 壁や床は近未来的だけど随分と薄汚れていて、まるで朽ちた宇宙船の中にいるようだ。

 天井から光が差し込んでいる。

 ぽっかり穴が空いていた。

 骨組みがひしゃげて露出している。

 どうも朽ちた施設であることは間違いないらしい。

 さらに頭上からはぱらぱらと土が降ってきていて……もしかしてここは地下か?

 そういえば、じめっとしていて空気が冷たい。

 施設の奥は真っ暗でなにがあるか見えなかった。



『おはようございます』



 どこからか声がした。


「だ……誰だ!?」


 俺は周囲を見渡す。

 真上からも真下からも真横からも聞こえた気がした。


『私はシドです。体の調子はどうですか?』

「調子は別に……頭が重いくらいだよ。だから、あんたはどこの誰で」

『私はAI、人工知能です。施設の管理を任されています』


 ああ――そうだった。

 十八歳のある日、俺は混乱する世界の中でコールドスリープの対象に選ばれたと父親に聞かされ、同意書にサインして……その後の記憶が曖昧だが、装置に入って眠りについたんだろうか。

 人間とこれほどスムーズに話せるAIが開発されているのは初耳だが、コールドスリープの技術すら実用化されている世の中だ。そんなものがあったって不思議じゃない。


「……俺はどれくらい寝ていた……コールドスリープされていたんだ?」


 俺は姿の見えないそいつに問いかける。

 どうやらスピーカーから聞こえる機械音のようだった。



『七百年です』



「………………え」


 なんの冗談だ。


「そんなわけないだろ」

『失礼しました。おおよその数値で構わないと思ったのですが、正確には七百五年と九十六日……』

「いやいやそういうつっこみじゃなくて。七百年って……せめて七年とかリアリティのある嘘つけよ。だって七百年遡ったら戦国時代……ですらないのか、鎌倉時代か?」


 俺が生きていた時代から七百年前だと、そんなことになってしまう。


「もう社会構造すら変わってるレベルだぞ。つーか日本という国の存在すら怪しいし、宇宙移民とか始まってませんかって話――」



『人間は滅んでいます』


 冗談にしてはつまらないし、きつい。

 寝起きの俺にはうまく返せるはずもない。


「滅んでるって……だったら俺はなんなんだ?」

『残された、最後の人間です』

「……しょーもな」


 俺が最後の人間? 選ばれた人間?

 バカげてる。

 もう少し面白い作り話なら付き合ってやらなくもなかったのに。


「お前さ、もし七百年も眠りっぱなしの人間がいたら、そいつは起きた瞬間立ち上がることも、たぶん喋ることもできない。数年寝たきりになるだけでどれだけ筋力が衰えるか知ってるか?」


 それくらいは常識だ。


『七百年も経てば、技術も変わります』

「あくまで滅んだって言うんだな……」


 どこの誰のプログラミングかは知らんが、正直呆れた。


「……だったらそんな技術を持つ人間がなんで滅んだ? でもっていったい誰がこの世界を支配してるって言うんだ?」

『それは――』


 急に室内が暗くなった。

 天井……の穴の先にある空を見上げる。

 影が、太陽の光を遮っている。

 その影はだんだんと黒く、濃く、大きくなって、俺の方に迫って――「へ?」

 色が黒ではなくなる。

 それは赤い。口だ。白い。牙だ。巨大すぎる、生物だ。

 どしんと音を立てて施設が揺れた。


「うわあああああああ!?」


 俺は立ってられずにその場に素っ転ぶ。

 その生物は施設の上に着地し、再び飛び立った。

 空を飛んでいる。

 大きなトカゲだ。

 あれを、俺たちは空想の産物として、“ドラゴン”と呼んでいるはずだ。


「ねえよ……絶対ねえだろ……」



 ――ギャアアアス!



 空を飛ぶ生物が、咆哮した。

 生きている。

 間違いなく、存在しないはずの生物が生きている。


「なんだよ、なんだよなんでこっち向かってくるんだよ!?」


 再び、ドラゴンが下りてきた。


「うわわわわわ!?」


 着地のタイミングで施設が揺れる。

 さらに今度は、穴が空いた天井からドラゴンの口が突っ込んでくる。



 ――ギャオオオオオ!



 生臭い息が俺の全身に襲いかかる。

 バキバキと壊れた鉄が降ってくる。土も塊でぼとぼとと落ちる。

 俺はその場にへたり込んでいた。


「なんだなんだなんなんだ!?」


 俺は叫んだ。混乱しかなかった。

 状況が整理できない。

 七百年経って、人間が滅んで、ドラゴンが飛んでいる?

 いや、いい。細かいことはどうでもいい。

 とにかく、考えるまでもなく、今は逃げる。それが先決だ。

 腰を抜かしたまま俺は地面を這う。這ってでも先へ先へと……。

 道が埋まっていた。

 さっきまでは奥へ続いていたはずなのに。今の崩壊で道が塞がれた? 土を掘り返しているヒマは、今はない。


「おい……おい……なあ……」


 土を握り締め、手の中の砂を投げ捨てる。投げ捨てる。投げ捨てる。投げ捨てる。


「高性能AI……なんとかできないのかよ? できるだろ? なんかあるだろ、シド!?」

『逃げるのが得策かと』

「んなことはわかってるけど無理だろ!? 隠れてもそのうち施設がぶっ壊れて圧死の未来しかないし……。なんか……いやシド! これだけ人間の技術が発達してるんだ。ヤツをぶっ飛ばす兵器あるだろ!? なあ!」

『それはあの生物を殺し、ここにいる人間は生き残らせたいという希望ですか?』

「そうだよ!」

『レーザー兵器なら、その要求を満たすことが可能です』

「おおっ、マジであんの!? すげえじゃん! シド! やってくれ!」

『ですが、注意点が一つあります。この兵器は一度しか使えません。エネルギー不足のため次の放出が最後になります』

「……最後」


 別の意味で怖くなった。

 たった一度の切り札を今ここで使用してもいいのか、どうか。

 もしこれ以上の恐怖が襲いかかってきたら……。



 ――グワオオオオオオ!



「うああああああ!? いい! 使ってくれ! 俺が許可するからなんとかしてくれ!」

『命令、認識しました』



 その時撃退されたドラゴンが、一帯を支配する主だったと知るのは、あとになってのことだった。



  +++


 かつて栄華を極めた人類は滅びた。

 いや正確に言えば『人間』が滅んだというべきだろう。

 定義を変えて『人類』自体は存続している。

 かつて『人間』は終末戦争を起こし、滅びの道を突き進んだ。

 その時、世界の生態系は完全に壊れた。

 同時に全く予期されなかった変化も起こる。

 新しい種が、数多く生まれたのだ。

 それは突然変異だとも言われたし、正統な進化とも言われたし、一説にはとも言われた。

 特に『人類』の変化は顕著だった。

 世界は『人間』だけではなく、森人エルフ族、吸血族、狼人族、竜人族、水人族、豚鬼オーク族、堀人ドワーフ族……何百ともそれ以上とも言われる多数の――かつては亜人と呼ばれた――種族が生きる場所になった。

 つまり、もう人類はイコール『人間』を表すのではない。

 多数の種族の集合体が人類であり、はその人類の一種族となった。

 そして人類の歴史上、ニンゲンはすでに滅んだと見なされていた。

 だが終末戦争が始まった際、とある巨大企業体コングロマリツトが種の保存のため秘密裏にコールドスリープ計画を発動した。

 計画では何年かに分けていくつものグループが眠りにつき、管理体制にも何度も改良と改善が加えられた。

 多大な労力と資金が投下されたコールドスリープ計画は結局、成功であり、失敗であった。

 確かにニンゲンの若者数名は、七百年の時を超えて生き延びることができた。

 しかし生き延びられたのは、の若者たちであった。

 他の大勢いたはずのコールドスリープ対象者は、装置の故障や施設の倒壊が原因で目覚める前に亡くなっていた。

 ここまでが、七人が目覚めてからAIのシドに聞いた話。


 そして――。


 七百年の時を超えて蘇った七人のニンゲンは、一つの国に出会う。

 それはニンゲン以外の人類が治める『共和国』。

 幾多の戦争を乗り越えて唯一成立している共和国は、どんな種族の誰であろうが受け入れてもらえる場所であった。

 ただそこは、誰もが参加できるが、代わりに誰もが己の力で生きていかなければならない場所であった。

 もちろんニンゲンも例外ではない。

 実力主義。

 結果を出せる者がより多くの対価を得て、結果を出せない者は対価を得られない。

 ここはそんな世界である。

 この国に住み、食べていくためには、働かなければならない。

 そんな世界で生きることになった、ニンゲンである俺の仕事は――。



「せんせい」「せんせっ」「センセー」



 ――教師である。

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