第55話

 それはハロルドがガルス=ガルスと出会ってから、少ししてのこと。


「あんたってさ」

「いい加減、『あんた』じゃなくて『ハロルド』もしくは『ハル』って呼べよ」

「あんたって、剣みたいな武器は使わないの?」

「無視かよ」


 ハロルドの要求を華麗に無視した、ふとしたヌレハの疑問だった。

 無視され一瞬だけふて腐れたような顔をしたハロルドだが、まあいいかとすぐに切りかえ、質問に答える。


「なんか、剣って使いにくいんだよな。やっぱり拳の方が戦いやすいっていうか」

「不便じゃない? リーチも短いし」

「リーチの話を出されりゃ、そりゃそうなんだけど。……実際に見せた方が早いか。いらない剣とかあるか?」

「剣って、ここは占い屋なんだけど……。ま、あるけど。はいこれ。なんかすごい錆びてるけど、こんなんでもいいでしょ」

「うっわ。ひっでぇなこれは」


 なんでも、この店を構えるときすでに放置され倉庫の肥やしになっていた剣らしい。ある意味殺傷力の高そうなほど錆びた剣を渡される。


「とりあえず、これでいいや。俺の場合、剣の使い方が下手なうえ馬鹿力だから、こんな感じにどっかにぶつけるとすぐ……」


 と言って、自分のガントレットに剣を振ってぶつけるハロルド。

 ぶつけられた剣は少しだけガントレットに傷をつけ、すぐに折れてしまった。


「……まあ、折れたのは多分この剣が悪かっただけだけど、普通の剣でもめちゃめちゃ刃こぼれしてすぐ駄目になるんだよ。大抵の剣じゃ使い捨てになっちまう」

「ああ、なるほどね。刃こぼれしにくい、もっと良い剣では試したことないの?」

「怖くてやったことない。面倒見てくれた爺ちゃんから貰った刀があるけど、もはや観賞用になってるな。あとはまぁ、殺傷力が高すぎるからかな。手加減しやすい拳と違って、相手のことを殺しちゃうかもだし」

「へぇ。ちゃんと理由はあんのね」

「しかし、なんでまた急に?」


 今回が初めてのことではないが、それにしたって急なヌレハの問い。普段はビジネストークしか交わさないハロルド相手に、一体どんな真意があってその質問をしたのか、ハロルドは気になるところ。


「一番の理由はなんとなくだけど、強いて言えば……光る剣とか持ってたら、ヒーローっぽさがもっと出るんじゃないって思ったから、かしら」


 まあ、使う気がないのなら関係ない話ね。そう締めくくろうとしたヌレハだが、


「その案、採用っ!」


 ズビシッ! と勢い良くヌレハを指さして即決するハロルドは、彼女の想像を超えて馬鹿っぽかった。


   ◇ ◇ ◇


 そんなこんなで剣も使い始めたハロルド。

 とはいえ彼の言うとおり、そこそこ値の張る剣でも怪力ですぐに使い潰してしまうため、基本的に最低価格の安剣を買い溜めしておくことにした。

 あとは演出。もちろん剣も拳と同様に正義の光を纏わせたいところだが、拳に比べたらはるかに魔術制御の難易度が高かった。しかし演出に関しては並々ならぬ執着心を燃やすハロルド。寝る間も惜しんだ訓練により、輝く剣と、それを振った軌道を描く残光という難しい魔術をマスターした。もちろんこれも【ライト】を応用したもので、まぶしい以外には何の効果もない。


 とにかく、そんなこんなで新たなヒーロー要素を加えた新生ジャスティスマスク。やることと言えば、相も変わらず街やその周囲の巡回、及び見かけた悪人の成敗である。

 使い始めた剣も基本的に腹の部分を使い、殺傷は負わせないよう最大限に気を使い、己のルールを破らないように気を付けている。


 だが、ある日のこと。

 その日は、少しだけイレギュラーなことが起きた。


「これに懲りたら、もう悪事になど手を染めぬことだ! はっはっは!」


 夜中。王都の路地裏にて。

 すでに気を失いのびているチンピラに、口上を述べるジャスティスマスク。

 ちなみに、そのチンピラに肩をぶつけて脅されていた酔っ払いのおっちゃん二人は既に逃げている。ジャスティスマスクが現れチンピラの注意がそれた瞬間、とてつもない速度での逃避であった。助ける必要などなかったかもしれないほどに。


 口上を述べてご満悦のハロルド。今日はこのくらいにすっかな、と帰路につこうとした、そのときであった。

 ヒュッという、かすかな風を切る音が、ハロルドの鼓膜を揺らす。


『危ないわよ』

「うおっ」


 どうせ要らないだろうけど、申し訳程度にでもしておくか、とばかりに遅すぎるヌレハからの警告通り、それまでジャスティスマスクがいた地面に深々と突き刺さる鉄の矢。先端、つまりやじりの部分が鉄なのではなく、なにからなにまで鉄で出来ている。もはや、細長い杭であった。


「警告がおせえし、むしろ反応が遅れたわ……」


 ぽつりと漏れる、ハロルドの不満。

 かすかでも音がするのであればハロルドの反射神経で避けられるし、今回も普通に飛んでくる矢の位置は捉えられていた。

 しかし、いざ避けるぞというときにヌレハから【コール】の声が届いたせいで、反応が遅れそうになり、あわや当たりかけたのだ。それもそうだ。距離感無視でいきなり耳元で話しかけられる感覚の【コール】が、集中した状況下で使用されると、不意を突かれてびっくりするのだ。一応、ジジッ、というお互いの魔力の波長が合わさる音(と言われている)がその直前にするが、それでもびっくりするものはびっくりする。


「こりゃ、ボウガンのボルトか?」

「正解だ」


 地面に突き刺さる矢が弓で扱う矢にしては短く、そして独特の形状をしていることから、その正体はボウガンのボルトであると予想したハロルドの呟きに、肯定を示す男の声が返される。


「あんたがこれを放ったのか? いったい、どんなつもりだ?」

「質問が多いぜ、英雄ヒーローさんよ。俺はお前の敵だ。それだけわかってりゃ、十分だろッ!」


 暗い路地に現れた、右手に抜き身の剣と左手に比較的大きな弩を持った男に、ジャスティスマスクは質問を飛ばす。だが、男はその質問を一蹴すると、右手に持つ剣を構えてジャスティスマスクへと肉薄した。

 だが、難なくその一撃を躱し、


「ふむ、つまり、あんたは悪人……ということだな」

「ははっ、短絡的だねえ!」


 場にそぐわない短い会話を交わすと、男から一歩距離を取って、こちらも腰に下げた剣を抜く。


「ふん。悪人ならば、この光の聖剣にて、悪に染まった心を浄化してやろう!」


 そんなセリフと共に、街の武器屋にて最安値で購入した光の聖剣とやらに【ライト】の魔術で光を纏わせる。


「なるほど、噂通りのイカれポンチだな。ま、やれるもんならやってみやがれってんだッ!」


 そんなふざけたジャスティスマスクに怯んだりイラつくような様子もなく、先ほどと同じように剣を振るう男。それを避けつつ弾きつつ凌ぎ、こちらも光の聖剣とやらを振るうジャスティスマスク。


「ぴかぴかと鬱陶しいことこの上無ぇ……な!」


 その合間合間に、男の左に持たれた弩から放たれる、鉄のボルト。

 しかし、予備動作が一瞬でもあれば簡単にとらえられるハロルドの並外れた動体視力により、決定打にも不意打ちにもなり得ない。


「ちっ。はあ、なんだ、こいつ……。全然こっちの攻撃が届かねえ。噂通り、化けものみてぇだな」

「噂というものがいったいどんなものか気になるところだがな」

「はっ! 自分で市場をうろついてご婦人たちの井戸端会議に耳を傾けな!」


 いったんジャスティスマスクから距離を取り、少し乱れた息を整えながら、腰から取り出したボルトを弩にセットする男。ヒーローとは悠長に構え、そして勝利するものという信条を持つハロルドは、もちろん追撃なんて野暮なことはしない。


 そして再び繰り返される、高速の斬撃とときどきボルト。

 ハロルドは密かに感心していた。

 向こうの攻撃は熾烈極まるものの、避けたり受けるのに難は無い。しかし、その鋭さや狙いが今まで出会い、戦ったどんな人物よりも飛びぬけているのは事実だ。

 そしてなによりも、こちらの攻撃も当たらない。

 刃を向けない、なにより剣などまともに使ったことなどない、という手加減染みたことはしているものの、力という面で出し惜しみなどしていないハロルドの剣を、片手の剣で防ぎきっているのだ。それも、男よりも勝っているだろうハロルドの力をうまく分散させて、剣を握る手が痺れないように気を配りながら。


 達人。その単語が、ハロルドの胸中をかすめる。

 そしてその事実は、直後、男が手ずから証明した。


「はっ! 力も反応速度も化物じみてやがるが、剣の腕はずぶの素人みてぇだな! 避けるのになんの苦労もねぇぞ!」


 この高速戦闘の中で、ハロルドが剣のど素人であることを見抜くと、


「それに、んな手心加えて適当な振り方してたらよぉ……おめえさんより先に、武器の方が参っちまうんじゃねえか!? こんな風によ!」


 ハロルドの持つ光の聖剣とやらの、ある一か所だけに力が加わるよう剣を交わしていた男のとどめの一撃により、ついに聖剣が折れた。

 そりゃ、聖剣などハロルドの自称で、その実は大量生産の安物の剣だ。男が手に持っている、それこそ良い剣であろう逸品と何度でも打ち合えば、こうなるのは自明の理というものだ。

 しかし、それを短時間で狙って行うなど、並の技術では不可能というものだ。

 一度の戦闘で使い潰す気は満々でも、まさかポッキリいくとは予想外だったハロルド。さすがに一瞬だけ狼狽えてしまう。


「そら、自慢の聖剣が折れっちまったな! んで、とどめだっ!」


 剣が折れて若干の隙が生じたジャスティスマスクの首に、狙い違わず振るわれる男の剣。普通の者であれば防ぐどころか目視することすらかなわないだろう高速の一撃。だが男にとっては残念なことに、対するハロルドは”普通”ではなかった。

 一瞬のうちに素早く折れた剣を振り上げ、横一文字に振るわれた男の剣の、その腹に向け、真下から柄頭を叩きつけたのだ。

 ガインッという嫌な音とともに、男の手から剣もろともかち上げられ、その手から離れた剣がカラカラと石畳の上を転がっていく。剣の腹に真下から、という予想だにしていなかった角度からの一撃に、柄頭という力を加えやすい部位での殴打。加えてハロルドの馬鹿力となれば、剣を握る男の右手が痺れてしまうのも無理からぬ話であった。


「なっ!? あ、っぐ。くそッ!」


 びりびりと痺れて上手く握れない右手はひとまず放っておき、苦肉の策として左手の弩からボルトを発射する男。しかし、これもハロルドはひょいと避ける。当然だ。高速の斬撃と合わせて発射されても楽々と避けるのだ、単体で撃たれて避けられない道理などない。


 だが、その一瞬だけで良かった。

 男は左手に持っていた弩を放り捨て、素早く落ちた剣を左手で拾うと、その切っ先をジャスティスマスクへと向けた。両手が使えないとリロードできないボウガンより、片手でも扱える剣を優先したのだ。その判断速度から、男がこれまで潜り抜けてきた修羅場の数がうかがえるというものだ。

 右手は相変わらず痺れているものの、剣は左手でも扱う訓練をしている。仕切り直し、という場面。

 だが、剣の切っ先を向けている男は、そのこめかみにピクピクと痙攣する青筋を浮かべていた。


「はあ、はあ……。てんッめえ! 俺が剣を拾うのを待っていやがったなッ!? 舐めてンのか! アアッ!?」


 口角泡を飛ばし、恫喝する男。それほどまでに、屈辱であった。

 だが、対するハロルドは実に飄々としたもの。

 男の恫喝にこれっぽっちも怯えた様子もなく、淡々と返答をする。


「舐めちゃいない。ただ、あんたはかなり強いんでな。ちょっとばかし、本気で戦いたくなった」

「……わっけわかんねぇこと、言ってんじゃねぇぞぉ!!」


 ぽい、と刃の半ばで折れた自称聖剣を放り捨て、拳を握り、ファイティングポーズをとるハロルドに、男は立ち向かう。


 先ほどまで剣を握っていた右手と遜色ないほどに、卓越した剣技。高速の斬撃に、舞にも似た連撃。だが、目にもとまらぬそれらを、ハロルドは軽々と避け、ガントレットで弾き、逸らし、反撃する。


「っちぃ!!」


 痺れのとれた右手も使って、本気の剣技。それでも届かない。

 このままでは埒が明かない。業を煮やした男は、一つの奇襲に賭けることにした。


 斬撃を放ち防がれて、ジャスティスマスクの拳を避けて、苦戦している振りをして、男はある場所へとジャスティスマスクを誘導する。

 そこは、さきほど男が放り捨てた弩が落ちている場所だった。


 男はそこに落ちていた弩を、器用に足のつま先を使ってジャスティスマスクの顔へと蹴り上げる。

 剣と拳の応酬のさなか、いきなり眼前に現れる障害物。

 これがダメージになることなど、男ははなっから期待していない。

 ただ、隙が作れれば充分であった。己の自慢の斬撃を届かせるに足る、一瞬の隙が。


 だが……


「狙いは悪くないなっ!」


 男の奇襲を短くそう評価したハロルドは、迷いなく飛んできた弩を拳で殴る。

 いったいどれほどの力で殴ったらそうなるのか。

 弩を構成していた金属部品はひしゃげ、木製部品は砕け散り、礫となって、逆に男へと降り注ぐ。


「ぐぁ、くそっ!」


 びしびしと当たる大きな木の破片に、思わず男は目をつむってしまう。

 脳を介さない反射だ。抗えるはずもない。


「うおおおおおぉぉっ! ジャスティイイイス……」


 礫が収まり、ようやく開けた男の両目を次いで襲うは、眩い閃光であった。そして鼓膜を震わす、奇妙な掛け声。


「しまッ……!」


 話に聞いている。ジャスティスマスクの必殺技。

 直視できぬほどの輝きを拳に宿し、どんな大男をも一撃で昏倒させるほどの一撃を叩き込む――


「ブロゥッッ!!」

「ぶおあっ!?」


 そう、ジャスティスブローである。

 その技を編み出した本人が意図したものではないものの、立派な目くらましとして働く拳の輝きにより判断が遅れた男の鳩尾みぞおちにめり込む、ジャスティスマスクの拳。

 そのまま数メートル吹き飛び、ごろごろと石畳の上を転がると、胃の内容物を吐き出してなお咳き込みながら、男は意識を朦朧とさせていた。なんと、気を失うことは防いだのだ。とはいえ、もう指一本も動かせなさそうで、いっそのこと意識を手放した方が幸せなほど重症だが。


「ほう。やっぱり、あんたは強いな」

「げほっ、はっ……ほざけ……軽く、あしらわれたじゃねえか」


 ジャスティスマスクからしたら、素直な賛辞。だが、男からしたらただの皮肉であった。


「……俺様に勝った褒美に、ひとつ、教えてやる」


 焦点の定まらぬ目でジャスティスマスクを睨む男から、そんな声が届く。

 いったいなんだ、と耳を傾けるハロルド。


「俺は、ただの傭兵だ。金さえ払えば、げほっ、どんな依頼だって受ける、ごろつきの味方さ……。今回受けた依頼は、英雄ヒーロー、あんたの殺害だ」


 少し咳き込んだ後、「気を付けな」。男はそう言って、言葉を続ける。


「あんたはな、目立ち過ぎたんだ……。この街はよ、何だかんだでうまく回ってたんだぜ。あんたがしっちゃかめっちゃかに、掻き乱すまではよ。あんたに助けられた人だって、そりゃごまんと居るさ。だがそりゃあ逆に、それと同じくらい、あんたを邪魔に思うヤツだっているってことだ」


 壁に手を付きながらも、ふらりふらりと男は立ち上がる。

 喋りながらも、そこまでは回復したらしい。


「これは、年長者の忠告だ。あんたの実年齢なんて知らねえけどな」


 男は血混じりのたんをペッと吐き出して、落ちていた剣を拾いながら言葉を紡いだ。


「あんたは伊達や酔狂でそんな行動をしているのかも知れねぇ。他人の事情だ、そこまでは突っ込まねえよ。だが、あんたの行動は少なくない人を動かしかねない影響力を持つに至った。……そうなっちまったらもう本人の動機なんて関係ねえ。責任が出来ちまうのさ」

「……」


 男がいったい何を言ってるのか、ハロルドは理解できなかった。もしかしたら、理解する気すらなかったのかもしれない。

 自分に刃を向ける悪人。その悪人の言うこと。

 実に独善的で自己中心的な英雄ヒーローにとって、それは言葉を軽く聞き流すに足る、十分以上の理由になり得た。


「そんなの関係ねえって知らぬ存ぜぬで通すのもアリだ。だがよ、あんたの行動で捻じ曲げられちまったヤツは、思いもよらない悲劇を巻き起こすかもしれねえ」


 その言葉は、いつしかヌレハがハロルドにかけた言葉に類似していた。


「……そうなって後悔はしないよう、せいぜい気を付けるこった。信じ切っていた自分への突然の不信心は、心を折るに十分な威力を持つからなぁ」


 はっはっは。

 ひゅーひゅーと苦しそうな呼吸混じりに、皮肉気に嗤いながら、男は路地の闇へと消えていく。

 何が言いたかったのだと、首を傾げるハロルドを残して。

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