第54話

 火をふく獣、毛の一本一本が針のようになっている獣、毒を撒き散らす獣。ありとあらゆる能力を備えたハウンドの群れも、あっという間に残り一匹になっていた。

 もう勝ち目などないだろうに、転魔の際に理性を失った残りのハウンドは、果敢にもジャスティスマスクへ向かって唸り、その牙を突き立てんと迫る。

 その攻撃をひょいと躱すと、横を通り過ぎたハウンドに向き直り、拳を構える。


「うおぉぉぉおおおッ!!」


 大気がびりびりと震えていると錯覚するほど迫力に満ちた、ジャスティスマスクの咆哮。もちろん意味も無い演出である。

 咆哮によって、腰だめに構えた拳に煌々と輝く光が溜まっていく。これは照らす以外に何の効果も持たない魔術、【ライト】を極めて強く発光させているだけである。言うまでもなく、演出だ。

 光が溜まりきると、スゥ、と息を吸い、その拳を敵へと叩き込む……


「ジャスティィィイイス……うお、あぶねっ!」


 その前に、大口開けて跳びかかってきたハウンドのせいで、必殺『ジャスティス・ブロー』は不発に終わる。光は霧散し、銀のガントレットが露わになる。

 人間相手であれば、「な、なんだあ!?」と気持ちの良い反応とともに溜めの隙を作ってもらえる技だが、どうやら野生の獣相手にはそんなマナーは望めないようだ。


「こんにゃろっ」


 結局、そんな気の抜ける掛け声でハウンドの脇腹を蹴り飛ばす。どうやら対人戦では無類の強さを誇る必殺技ジャスティス・ブローも、獣相手では改良の余地があるようだ、と、折れ曲がって絶命しているハウンドを眺めながら思うハロルド。


「すす、すごい……」


 そのとき、思案していたハロルドの耳に、心底感動した様子の男の声が届く。


「ヒ、ヒ、ヒーローだ。げげ、現実にい、居るなんて……」


 振り返れば、きらきらと輝く少年のような目をジャスティスマスクに向ける、小汚い中年の男。

 痩せぎすな体躯に落ち窪んだ両目。手入れされていない無精髭と白髪が目立つぼさぼさの黒髪は、『不潔』の二文字を実にわかりやすく体現している。

 そんな男から尊敬の眼差しを向けられても気持ち悪いだけ……とはならず、普通に鼻高々な様子のハロルド、「大した怪我は無さそうだな」なんて声をかける。


「よよ、よく、僕が襲われてるって、わ、わ、わかりましたね」

「……ふっ。そんなの簡単な話さ」

「……?」

「ヒーローの耳は、困っている人の声を聞き取るためについている……つまり、そういうことさ」


 正直、自分でも「何言ってんだ俺」と思うような適当なことを抜かしてしまったハロルド。だのに、その答えを聞いた男はさらに瞳を輝かせて自分を救ったヒーローを見つめた。


 ちなみにだが、ハロルドがこの男を助けられたのは、完全なる偶然と、ヌレハのおかげである。

 偶然このあたりの森を拠点にしている野盗をこらしめていたハロルド。その帰りがてら移動しているところに、『ハウンドの群れに襲われている男が居るわよ』とのヌレハからの【コール】を受信した。

 なにやら見たこともない武器で応戦しようとしたことから、おそらく『ドリフター』だという追加情報を得て、「んじゃ、帰るついでに助けるわ」という、どうせ通るから車で送ってくよとばかりに軽い気持ちで寄ったのだ。


「あ、あ、あの」


 まるで助ける気満々でそのためだけに駆けつけたかのような物言いをしてしまい、若干のバツの悪さをハロルドが感じていると、男がおずおずと話しかけてくる。

 なんだ、と思って向き直ると、


「ごご、ごめんなさい。な、何かお礼をと、お、お思ったのですが……何も持って、い、いなくて」

「いや、何もいらん」

「え?」


 男の言葉にかぶせるように、ハロルドはお礼などいらないということを伝える。

 そんなジャスティスマスクからの返事に、男は呆けた顔をするが、


「当然だ。俺はヒーロー。ヒーローは人を助ける責任がある。つまりは当然のことをしたまでなんだ。だから別に、報酬などいらん」


 対するジャスティスマスクの答えは、あっけらかんとしたものだった。


「お、お、おおお……」


 男にとって、それは革命的な出来事であった。

 『愚図』『気持ち悪い』『ちゃんと喋れ』と言われ続けて幾年月。そんな男が何かをしてもらうとき、相手は必ず対価を求めてきた。こっちから頼んでもいない場合でも、その例外などなかった。

 わかっている。自分には、無償で何かをしてあげてもいいと思ってもらえるような魅力や利点は何もないということくらい。もう、嫌というほどわかっている。

 男にとって、世界とは『そういうもの』で、自分以外の人間は『そうなっている』ものなのだった。人間は損得でしか動かないし、その行動原理に『正義』などという不確かな要素が介入する余地など無いのだ、と。


 しかし、だからこそ、ハロルドの何てことはないこの言葉は、男に痺れが残るほどの衝撃を与えるに十分な威力を持っていた。

 とっくに諦めていた――いや、諦めたと思っていた、他人からの優しさや、頼れる相手の存在。何よりも、『ヒーロー』という、絶対的な正義。

 その全てが、自分などという矮小な存在にすら向いたのだ。この、目の前にいるヒーローが持つ『正義』は本物だ。このとき、男は心の底からそう思った。


「あ、あ、あなたは……あなたは、ぼぼ、僕の憧れだ。ほ、本物の、『英雄ヒーロー』だ……!」

「あ、ああ! 応援ありがとう」


 ずずいっと顔を近づけて、鼻息荒く迫ってくる男から若干の距離をとりながら、相も変わらず適当な返事をするハロルド。さすがにちょっと気持ち悪く感じてきている。

 ただ、同時に、ここまで熱烈に好意を持たれて悪い気もしないのであった。


「とりあえず、街まで案内しよう。ちょいと失礼」

「う、うわっ」


 ひょいと男を担ぎ上げる。

 レベル100へと到達しているハロルドの身体能力を以てすれば、成人男性の一人や二人持ち運ぶのはワケない。

 ハロルドは男を肩に担いだまま歩き出すと、徐々に徐々にその速度を上げていく。

 いつもであれば自分の身体能力に任せていきなりトップスピードまで加速するハロルドだが、普通の人間がその速度に耐えられないことくらいは流石に理解している。なので、徐々に速度を上げることで慣れさせようと思ったのだ。もちろん、最高速度もいつもに比べたらかなり落としている。


「すっすごい! はは、速い!」


 男はハロルドの肩の上で大興奮だ。

 なかなか肝が据わってるなあ、とさり気なく感心するハロルドであった。






「『ドリフター』と思わしき男を保護した。街に入れてもいいだろうか?」

「ああ、これはこれは『英雄ヒーロー』殿。ドリフター……ですか……」


 いつもはひょいと街壁を飛び越えているため使用しない門に、見知らぬ男をいきなり中に運ぶのもどうかと思ったハロルドは、今回はちゃんと立ち寄っていた。

 ハロルドに問われた門番はちらとその肩に担がれた男を見る。さすがに少し酔ったように目を回しているその男はかなりみすぼらしく、そしてかなり弱そうな見た目をしていた。こんな雰囲気の男なら、どう頑張っても街に害を与えるようなことは出来ないだろう……と判断すると、「入って良し。ご苦労様であります」とジャスティスマスクに敬礼し、門を通す。


「ああ、ありがとう」

「あ、あ、あの……」

「ん?」

「どど、『ドリフター』って、なんですか……? ぼ、僕は、ど、どどこに連れて行かれるんですか……?」


 相変わらず肩に担がれたままの男からの問い。先ほどのジャスティスマスクと門番のやり取りから、自分がこれからどうなるのか不安になったのだろう。まあ、男からしたら、ジャスティスマスクの言葉しか理解できなかったわけだが。

 そもそもそれ以前から、肩に担がれたままきょろきょろと周りを見遣り、今まで自分が暮らしてきた街並みとあまりにかけ離れたその景観に戸惑っていたのだ。不安も一入ひとしおである。


「『ドリフター』ってのは、異世界からここに流れ着いた者の総称だ」

「いい、異世界……?」

「ああ。その様子を見る限り、ここはいままで君が暮らしてきた街と明らかに違う雰囲気なのだろう?」

「は、は、はい。なな、なんていうか……その、げ、げげ、原始的といいますか……その……」

「原始的、か。君の元いた世界はここよりはるかに発展していたんだな。ちなみに、この街はこの国の中でも随一の発展度だぞ。なんてったって、王都だからな」

「ええっ!」


 これでも随一の発展度、という情報に驚きを隠せない男。改めて街を見渡す。

 動物が牽くことで前進する車。手で開ける扉。目に入るどれもが、男にとっては信じられないものばかりだった。


「異世界だって、信じてもらえたかな?」


 ジャスティスマスクの言葉に、ぶんぶんと首を振って肯定を示す男。


「ははっ。ま、信じるしかないか。言葉だって通じないだろうしな」

「え、で、でも、じゃ、ジャスティスマスクの言葉は、しし、しっかりと……」

「ああ、そのへんはほら、あれだから……。ヒーローはちょっと例外っていうか……」


 適当な理論でお茶を濁すハロルド。本当のところは、言語伝達の儀式魔術によって、ハロルドが聞いた言語および発した言語は全て聞き手の母国語へと脳が自動変換するお陰だったりする。なので、ハロルドの言葉は理解できても、もともとこの世界に住む門番の言葉は理解できなかったのだ。

 だが、そんな重要情報を教えてしまうと、「自分も『ドリフター』で、言語伝達の儀式魔術をしたんですよ」と自己紹介することに繋がってしまう。ドリフターなど絶対数自体が少ないのだから、その情報から正体がばれることに繋がるだろう。

 とはいえ、誤魔化し方が下手すぎる感は否めない。


「な、なるほど……ささ、さすがはヒ、ヒーローだ……」


 相手がこの男じゃなければ、間違いなく怪しまれただろう。


「そして、今向かっている場所だが……。とりあえず、言語に関する問題を解決できる場所……だな」


 と伝えて間もなく、ハロルドは大聖堂へとたどり着く。ゲンガイとニコ神父から脳みそをいじられた思い出の場所である。

 ゲンガイに倣って、ずんずんと足を進めるハロルド。修道服に身を包んだ大聖堂の者たちが、異常なその存在の迷いない足取りに、ギョっとした顔で足を止めじっとジャスティスマスクの動向を見つめるが、意に介さない。あのゲンガイの顔パスは、ゲンガイならではであったことに思い至らないのだった。

 そして一つの扉にたどり着くと、ノックをする。


「……はい?」


 そんな返事とともに扉の中から現れたのは、ニコ神父そのひとであった。

 目の前のフルフェイスヘルムの男を見て、目を剥き驚いた様子を見せる神父。だが、何かに納得した様子を見せると、「入ってください」と中へ通す。

 後にハロルドは知るが、この時点ですでにニコ神父は、ジャスティスマスクの正体がハロルドであることを見破っていたらしい。だが何やら正体を隠している様子だったので、気付いていないふりをしたのだと。


「『ドリフター』だ。森の中でハウンドに襲われていたのを保護した。あの魔術を頼む」

「言語伝達の魔術ですね。わかりました」

「……それと、終わったら宿屋なり冒険者ギルドなりに連れて行ってやってくれ」

「それはもちろんいいですが、あなたは?」

「俺が出る幕はもう終わったんでね。それにやることだってある。ここいらで退散させてもらう」


 そう手短に伝えると、ロングコートを翻し、扉へと向かうジャスティスマスク。


「あ、ああ、あの」


 その背中へ待ったをかけたのは、もちろんドリフターの男だ。


「あ、え、えと。こ、ここまで、あ、あ、ありがとうございました。まま、ま、また、会えますかね……?」


 本当は、もう少し一緒にいてくれと言いたかったのだろう男は、しかしその言葉をぐっと飲み込み、そんなことを言うに収める。


「ああ。君がこの街で暮らすのならば、いずれ会うこともあるだろう。……そうだ、名前を訊いておこうか」

「え、な、名前?」

「ああ、君の名前だ」


 いつもはこんなことはしないが、自分がこの世界に流れ着いた日のこと――あのときの決して小さくなかった不安や、そのなかでも頼ることができたゲンガイの存在とその安心感――を思い出したハロルドは、これくらいはいいだろうと、男の名を訊く。

 そのハロルドの問いに、男はしばし悩み、そして名乗る。


「が、ガルス=ガルス……です。にに、鶏って意味で、ぎ、ぎ、偽名なんですけど……どうせ異世界なのだから、あ、あ新しい自分ってことで……」

「ふむ、ガルス=ガルスか。覚えておこう」


 そうして、ハロルドは今度こそ部屋を後にする。

 その後すぐに、部屋の中から痛みにもがく叫び声が聞こえたとか、聞こえなかったとか。

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