第53話
第一印象は最悪。
続く第二印象は極悪。
言うなれば、そんな邂逅を果たしたハロルドとヌレハ。
ヌレハは「遊びに付き合う」とは言ったものの、そんな雰囲気の二人で、本当にパートナーとしてやっていけるのかどうか、という話だが――
『そこ。その路地を左』
「っし、了解」
なかなかどうして、うまくやっていた。
【コール】にて届くヌレハからの指示に大人しくしたがい、コートを翻し、闇夜を駆ける。
見つけた悪事は見逃さず、煌めく正義を振りかざす。
相も変わらず、強烈なバックライトとともに名乗りをあげるのも、『ジャスティスブロウ』なるただのよく光るパンチを繰り出すのも忘れない。
これはヒーローごっこ。だが、全力の。
悪人でも殺さず、名乗りは忘れず、光を纏って、技名を叫ぶ。それが、ハロルドが勝手に決めた、『
ハロルドは考える。ヒーローと悪人の差。それは己の行動にルールが存在するか否かだと。
正義はルールを守り、悪はルールを犯す。それこそが、それらのもっとも大きな差であると。
傍から見たらただのごっこ遊びかもしれない。馬鹿馬鹿しいだろうし、むかっ腹が立つ奴さえいるだろう。
ハロルドは確かに馬鹿ではあるが、そんな己を客観視できないほど未熟な精神ではなかった。ヌレハの過去に何があったかはわからない。きっと彼女は過去に起きた何らかの出来事を経て、それ故に、ハロルドのいい加減で出鱈目な動機と行動が許せなかったのだろう。そのことは、ハロルドだってわかっているのだ。
だが、せっかくこんな素晴らしい世界に漂流したのだ。今までできなかったことや、常識からかけ離れたこと。それらを年甲斐もなく無邪気にやったとて、罪にはならないだろう。
もとの世界であれば良くて中二病、悪くて病院送りとなるような空想妄想垂れ流しの設定だって、この世界ならば『魔術』と身体能力向上のお陰で現実とすることができるのだ。
娯楽に溢れ、それと反比例して可能なことは少ない――そんな世界から来たハロルドだからこそ、己のうちより湧き出るロマンを留めることなどできないし、したくもないのだった。たとえそれが、他人の古傷を抉るような結果を伴うのだとしても。
◇ ◇ ◇
「あんた、どうやって生活してんの?」
「どうやって……って?」
それはある日のこと。
本当にふと思ったとばかりに投げかけられた、ヌレハからの問い。
しかし、その疑問も至極真っ当なもの。
ハロルドはヒーロー業なるものを無償で行っている。最初こそ夜間限定な活動だったが、最近はもはや一日通して『ジャスティスマスク』として活動していて、『ハロルド』である時間など極々限られたものとなっているのだ。
ちなみにだが、この会話を行っている現在は、兜を外した『ハロルドモード』である。もはや今更だと、ヌレハと夜猫のみの前では兜を外すことが多くなった。
かたや正体・実力・手段全て不明の『情報屋』。かたや世界を見渡す『監視者』。そんな二人の前で頑なに兜をかぶり続ける者など、人様に見せられる顔を持たない者か、そういう宗教の者だけだろう。隠すだけ無駄というものだ。
それはともかく、ハロルドの収入の話だ。
とにかく無償のヒーロー活動を行うハロルドは、ヒーロー『ジャスティスマスク』である時間を延ばすだけ、元のハロルドとして仕事をする時間が無くなっていく。つまるところ、収入源がないのだ。
彼の言葉を借りるなら、ヒーローでありながら人から謝恩を受け取るのは、ルールに反するのだろう。
しかし、そんなヒーローも人の子。何も食べなければ当然その命に関わるし、何かを食べるためには当然お金が必要となる。
「少なくとも私が監視を始めてから、『遊び』を通して金銭を手に入れてる様子はないし、でも買い物のときに困ってる様子もない。だから、ちょっと気になってね」
「ああ、そゆことね」
だが、ヌレハが監視する限り――少なくともここ最近――ハロルドが金銭に困ってる様子も、しかし働いている様子も見られない。
だからこそ、ヌレハはどうやって生活をしているのか――具体的には、その生活費はどこから来ているのかと問うたのだ。
「普通に金が貯まってたんだよ。ってか、あんまり金を使ってこなかったからな。基本的に自給自足だし、いまだに」
当のハロルドの返答は、そんなあっけらかんとしたもの。
ゲンガイと共に暮らしていた頃から、彼の方針として、なぜか金銭に頼らず自然からの自給自足をしていたハロルド。しかしてゲンガイは国家機関からドリフターの世話を(何故か)頼まれるような立場であり、十分以上の稼ぎはあった。
言ってしまえば、金はあり余るほどある、ということだ。
「……ふぅーん」
ハロルドのその答えを受けて、ヌレハは微妙な表情で返事する。
『それ、あんたの金なの?』『あんたのお遊びのために、故人の遺産を突き崩して、罪悪感も何もないの?』
浮かんでいた、そんな疑問を飲み込んで。
◇ ◇ ◇
「ひいぃいいっ!? な、なんっ! なん、だ、ここはぁっ!?」
コヒュッ、コヒュッ、と不規則で不健康な息を肺から搾り出しながら、脇腹を痛々しげにおさえて男が森を走る。
その顔に浮かぶは焦燥。涙と鼻水とよだれにまみれ、背後から聞こえる獰猛な息づかいに追い付かれぬよう、慣れない足取りで山道を逃げ続ける。
「ヒヒッ、ヒハッ、ヒハッ!! ここ、小型レールガンのじゅッ、充電ドックもない……! い、い、いったい、ここは何処だ!?」
忙しなく辺りを見回し、彼の懐から確かな重みによって存在を主張する『小型レールガン』の充電ドックを探す。
一度に装填できる電力は五発分。すでに三発撃ってしまったため、残りは二発。
ちなみにだが、彼のひょろひょろの腕から放たれた照準ブレブレの三発の弾丸が彼を追い立てる獣を撃ち破ることはなく、単純になけなしの武器を無駄にしただけだったりする。
焦りからなのか、正常の思考力を失っている男は、少し考えればわかるようなことすら思い至らないようだ。
そもそも、こんな森の中に『充電ドック』なるものが存在するような
しかし、彼は周囲を探るのをやめない。そう、まるで、こんな森の中でも電気が通ってて当たり前だとばかりに。
だが、そんな中途半端な逃げ方をしていたら、当然すぐに終わりが来る。遅かれ早かれ、という話ではあるかもしれないが。
「ひぃっ!? うッ、うあぁっいだ!!」
背後から牙を剥き出して飛び掛かってくる、どす黒いモヤをその身から噴き出す獣の一撃をなんとか避けるも、お留守になった足元を木の根にとられ、激しく転倒する。
そのままごろごろと転がると、あちこちに擦り傷をつくってようやく止まる。
ぐるると唸る獣が、ようやく足を止め痛みに喘ぐ獲物ににじり寄る。獲物側の男は、もう逃げの一手が打てぬほど獣に包囲された現状を確認し、生を諦めたようにその目の光を消す。
そして心を満たすは、獣の牙で苦痛をもたらされるならば、いっそのこと自分で頭を撃ち抜こうか、という自決の意思。幸いにも、小型レールガンの残弾はある。
懐から、とても軽い――しかし、確かな金属の重みを持つそれを取り出すと、ぐっ、とこめかみに銃口を突きつけ、引き金に指をかける。
あと、1アクション。かけた人差し指にほんの少しの力を込めれば、こんな悪夢のような、得体の知れない恐怖から解放される。これから訪れるであろう苦痛を、味わうこともなくなる。
「……ヒ……ヒハッ、ヒハッ、ヒハッ」
そこまで来て、不意に開いた男の口から漏れたのは、引き吊ったような、狂ったような笑い声だった。
ぷるぷると震え、いつしか緩んだ手から、自分の頭を撃ち抜くはずだった自殺道具が滑り落ちる。
男が漏らした笑いは、自嘲の笑いであった。
ここまで追い込まれて、生を諦めて、それでもなお、死を受け入れる勇気は出ない。そんな自分を心底見下した、乾いた笑い。
「い、嫌だっ! しし、し、死にっ、たくないッ!!」
意味も益体も品も無く、男は喚く。口から飛び出た言葉が「生きたい」ではなく「死にたくない」であることが、実に悲しいところだ。その言葉は、生の希望に縋りついているのではなく、死の絶望から逃れたいだけの喚き声を表しているからだ。
おまけに、そんな苦し紛れの抵抗は、なんとも皮肉に逆効果を示した。
それまでは、追い込んだ獲物に勝ち誇る己を見せつけるかのように、のしのしとゆっくり歩み寄ってきていた獣たちが、突然の男の咆哮に驚く。
そうなれば、なまじ力を持った理性のない獣の行動など実に単純なもので――『死に際の獲物の反撃が己を傷つける前に、確実に殺さなければ』という生存本能に従い、男に向かって牙を剥いて跳びかかったのだ。
「ひぁっ――!!」
男が出来たのは、情けなく短い悲鳴を漏らし、腕で顔を覆い、瞼を強く閉じて迫りくる苦痛を迎えることだけであった。
だが、次の瞬間に男の耳に聞こえてきたのは、痛みに呻く己の声――ではなく、ギャインという獣の甲高い悲鳴と、重たいものが草と土の上を転がっていく音であった。
「どうやら、間に合ったみたいだな」
次いで耳に届くは、実に淡々とした、どこかこもった男の声。
「……あ、な、なに……が……?」
自分以外の人間の声に、思わず男は目を開き、現状を確かめるべく前方にその目を向ける。
あまりに強く瞑っていた目が視力を取り戻す前に、飛び込んできたのはたなびく布のシルエット。そして、徐々に視力が戻るにつれ、自分と獣の間に立ちはだかる者の正体が明らかとなる。
「よく耐えたな。俺が来たからにはもう安心だ」
努めて大仰な語り口でそう宣うのは、銀のフルフェイスヘルムに、暗色のロングコートをたなびかせる謎の男。
その男――ジャスティスマスクは、後ろで震えて腰を抜かしている男に背中を向けたまま、銀のガントレットをはめた手を横に出し、サムズアップして見せる。もちろん、不自然なライトアップによる過剰演出も忘れない。
「さあ、悪いワンちゃんたちに、躾をしてきてやる」
――これは決まった。
その光景と台詞を【千里眼】で視ていたヌレハが「ぶふっ」とふきだしたのを知らないハロルドは、今の自分のカッコよさに痺れながら、そう確信した。
そのまま親指をたたみ、拳を強く握ると、
「あんたはそこで……まあ、見てろ」
そんな言葉を残して地を蹴ると、ぐるると威嚇している獣――ハウンド――の群れへと向かうのだった。
◇ ◇ ◇
エリザベスの前ですらすらと言葉を紡いでいたハロルドが、ふいに黙る。
そうして、しばしの逡巡を見せたあと、意を決したように、表情を悲痛に歪めて口を開く。
「……今なら言えるよ」
「……」
「あんなヤツ、助けなきゃよかった。あのままハウンドの餌にしちまうのが、一番よかったんだ、って」
「……その、男の人って、もしかして……?」
あんまりと言えばあんまりなハロルドの物言いに、嫌な予感がしたエリザベスは、確信を持っている答えを濁すような問いを口にする。
「ああ」
ハロルドは、そのエリザベスの予想を、その通りだと短く、しかし確かに肯定する。
「そのとき助けたヤツが、あの男……ガルス=ガルスで……そんで、俺がこんなんになっちまった物語の始まりだよ」
そう言って悲し気に微笑むハロルドが、その『物語』とやらの続きを紡ぎ出すまで、エリザベスはただただ、かける言葉を見つけられないまま、黙って見つめるしかできないのだった。
そうして、ようやくエリザベスは、念願であったハロルドという人物の
自分勝手な『
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