第52話
「ルルにヒーローって言われてからさ、本当になろうと思って、今にーちゃんはヒーローとして活動してんだ」
「へー!」
すっとぼけることは当然できた。が、それは何となく嫌だと感じたハロルドは、密かにルルだけには正体を打ち明けることにした。
とはいえ、打ち明けるもなにも、初めから可笑しな確信を抱いた眼差しで「にーちゃん」と呼んできていたことから、下手に誤魔化したところで効果があるとも思えなかった。
おまけに、すっとぼけてその場から逃げたあと、ハロルドの知らぬ存ぜぬ場所で「あのヒーローの正体はハロルドであった」などと広められたら、それこそ困る。なので――
「それで悪いんだけど、にーちゃんの正体は誰にも教えないで欲しいんだ。俺とルルだけの秘密。守れるか?」
「……? うん! 守れるよ! 誰にも言わない!」
「よーしよし! 偉いな!」
と、素直に打ち明けて二人だけの秘密とし、直々にその口を塞ぐ方が良いと判断したのだ。
珍しく、冷静で的確な判断である。
正体を隠す理由が、「
とにもかくにも、作戦は成功。
ルルは最初こそ首を傾げていたものの、すぐに笑顔で大きく頷き、ハロルドと秘密を共有することを承諾した。
その答えを受け、よかったとばかりに彼女の頭をぐりぐりと撫でるハロルド。少女の髪の毛はそのせいでボサボサと逆立ってしまうが、当の本人はハロルドに撫でられることが嬉しいのか、気持ち良さげに目を細め、えへへとかわいい笑い声を漏らしていた。
「うちのルルとお知り合い、ですか?」
物陰にてのルルとの話し合いを終わらせ、皆のもとへと帰ったハロルドにかけられた、ルルの母親からの問い。
どうやら、ジャスティスマスクの正体がハロルドであると気付いたのは本当にルル一人であり、その問いを口にした母親も、隣で懐疑的な眼差しを向ける父親も、その正体に感付いてはいないようである。
「んーん、知らない人だった! たった今ともだちになったの!」
そんな両親に、飛びっきりの笑顔で全くの嘘を吐く愛娘。自分が親だったら泣くかもしれない、と心強いながらも戦慄したのは、ハロルドの胸中の秘密である。
「ははっ。実に賢い娘さんだ。将来は立派な魔術師になれるかもしれませんね」
「ほんとーっ!?」
とりあえず、そんな適当な言葉でお茶を濁す。
目をキラキラと輝かせて言葉の真偽を訊ねているルルには悪いが、上手に魔術を操る方法など知らないハロルド。頭が良い方が上手く扱えるかも、なんていう適当な理由で口にした言葉なので、本当かどうかは知らない。むしろ自分が教えてほしい、とすら思う。
「あー……。英雄殿。もうよろしいか?」
適当なことを抜かした後ろめたさから、密かに冷や汗をかくハロルドに、救いの手、もとい声がかけられる。
その声は、すでに散っていった村民や、いまだ警戒した様子でジャスティスマスクを見つめるルルの両親が落ち着くのを黙って待っていた、この村の村長から発せられたものだった。
「ん、ああ。なんだろうか?」
「あなたはこの村の恩人です。ぜひ、何か謝礼を。……とはいっても、僅かな金銭や穀物なんぞしかありませんが」
ジャスティスマスクのモードで、努めて大仰な物言いで訊き返すハロルドに、村長はそんなへりくだった態度を示す。
しかしそれは事実で、(彼らにとっては)たまたまハロルドが駆け付けなければ、村の者おとびその財産が取り返しのつかないことになっていたかもしれないのだ。
それが、村が困らない程度の謝礼を払うことにおさまる。で、あれば、これ以上の波風は立てず、おとなしく目の前の男が望む謝礼を払って、この件は一件落着とするべきだろう。
そんな打算的な考えを笑顔の裏に隠した村長の提案だったが――
「いや、謝礼などいらん」
「…………ほ?」
「どこの世界に、謝礼をもらうために活動するヒーローがいるものか」
まさか、「礼はいらない」などと返されるとは露とも思っておらず、間抜けな顔と声を漏らしてしまった。
「い、いらないのですかな……?」
「ああ」
「ちっとも? なーんにも?」
「いらん。金のために正義を執行しているわけでは無い」
ゆるゆるとかぶりを振って謝礼を断るハロルド。当の村長は、本当に良いの? とばかりに困惑顔だ。
だが、ハロルドとしても断固としてお礼などは貰うわけにはいかない。何故なら、ヒーローの正義は平等なもので、あくまで慈善活動。見返りなどを求めるものではないだろう、という『ヒーローポリシー』が彼にはあるからだ。
言ってしまえば、相変わらず残念な理由である。
「それでは、私は用事があるのでな。これにて王都に帰らせていただく」
目を白黒とさせて硬直する村長を尻目に、勝手に話を完結させたハロルド。再び駆け出すべく、ぐっと足腰に力を入れる。
が、そのときにふと思い至り、こちらを見つめる小さき女の子を振り返る。
「さらばだ。未来の魔術師よ」
そんな大げさな別れの挨拶を、唇を人差し指で押さえるジェスチャーと共に。もちろん、ヘルムの上からであるが。
「うん、またね!」
そのハロルドからの「秘密だぞ」というサインを敏感に感じ取ったルルは、とびっきりの笑顔で返事をする。
完璧にサインを読み取ったルルの様子に満足げに頷いたハロルドは、今度こそ地面を蹴り、柵を飛び越え、森を駆けてゆく。
三割程度に抑えた力で蹴った地面が破裂するようなことは無く、近くに居たルルたちがその
とはいえ、三割の力でも常人が目で追える速度ではないが。
◇ ◇ ◇
ハロルドが王都カラリスのヌレハの店まで帰って来た頃には、もう日は完全に沈み、夜の帳が下りていた。
それでも、ヌレハはハロルドを待っていたのか、店先にて腕を組み、退屈そうにじっと佇んでいた。
「ふぅ……なに、待っててくれたんだ?」
「アホね。待ってたわけないでしょ。さっきまで店で昼寝してたわよ。夜猫だっていつの間にか帰ったし、自惚れないでくれる? あんたが返ってくる様子を【千里眼】で視てから、今さっき出てきたとこだっての。当たり前でしょ」
「……」
この女はいちいち棘のある言い方しかできないのだろうか。そういう病気なのだろうか。殴ったら治るだろうか。
密かにヘルムの下で青筋を浮かべるハロルド。頭の中をそんな危険な考えで満たす。
「ん。まあ、お疲れ様。まさかあんな限られた時間で、本当に村を救っちゃうとは思わなかったわ」
しかし、次に続く彼女の言葉は、今までに聞いた彼女の台詞の中で、一番人間味のある、素直な賛辞に聞こえた。
「……お前でも人のこと褒めたりするんだ」
「……はあ? 褒めてないでしょ? 事実を言っただけ」
「あっそ。まあ、いいや」
そういうことにしといてやろ。もう面倒になったハロルド、そう言って適当に話を切り上げる。
しばしの沈黙。
俺ももう宿屋に帰ろうかな。ハロルドがそう考えたときだった。
「……なんで殺さなかったの?」
ヌレハが、静かに問うた。
とはいえ、急な質問。いったい何の話だと、ハロルドは首を傾げる。
「あんたが殴り飛ばした五人の賊。そりゃこっぴどくはあったけど、誰一人として死んでいる奴はいなかったわ。殺さないよう手加減をしているようにも視えた。……それは、なんで?」
つまりは、そういうことだった。
ヌレハは、単純に疑問に思ったのだ。
小さな村をただの財布や食料袋としか考えていないような、卑しい山賊。そんなやつらに、ハロルドは殺さないで慈悲を示した。あそこまで隔絶した実力差がある相手だ。本気でやれば簡単に殺せるだろうし、意識しなければうっかり殺してしまうこともあるだろう。
なのに、ハロルドは誰一人として命までは奪わなかった。
それが表すことは、つまり、『ハロルドは意識して相手を殺さないよう努めた』ということ。
それはいったい何故なのか、と。
「……ああ」
その彼女の問いの真意に思い至ったハロルド。
なんだ、そんなことか、とばかりに吐息交じりの声を漏らしたあと、
「あいつらだって、悪人とはいえ人間だ。血迷ったりだってするだろ。だから、一度懲らしめて目を覚まさせてやりゃ、もう悪いことしないで生きてくってもんじゃね?」
その考えを信じて疑わないかのように、あっけらかんと言い放った。
ハロルドの無垢な答えを聞いて、しかしヌレハは、息を呑むかのように驚いたあと、鋭く彼を睨みつけた。
「……それは、あんたの本心からの答えなのよね……?」
「……? ああ」
再びの問い。
つまるところ、ハロルドはこう言ったのだ。「人間はみんなもともと良いヤツ。今悪いことしてるヤツだって、目を覚まさせれば善人になるさ」、と。
「なにそれ……」
それはヌレハからして、信じられない答えだったのだろう。
意図せず口から漏れたとばかりに、小さな戸惑いの声が発せられる。
「……っ。くっだらない……!」
ぎりり、と歯を食いしばって。
心底くだらないとばかりに。心底腹立たしいとばかりに。そのハロルドの考えを一言で掃き捨てるヌレハ。
ただ、その声はそれはそれは小さく。食いしばった歯の隙間から漏れる吐息に交じって、ハロルドの鼓膜を揺らすには至らなかった。
「はあ。いいわ。あんたのお遊びに参加してあげる」
「……え、いいのか?」
「ええ。もともと、大した手間じゃないもの」
いやににっこりとした笑みを浮かべて、ヌレハは言う。
「それじゃ、【コール】を使うために魔力合わせをしましょう。ほら、手を出して」
「あ、ああ……」
そして、いやに協力的になったヌレハの態度。
流石に鈍ちんのハロルドも、このころにはなんだか不気味に思い始めていた。
しかしこの機を逃すのはかなり惜しい。ここは不気味だと思う気持ちを抑えて、素直にガントレットを脱いだ右手を差し出す。
その手をぐっと掴まれ、なにをされるのかと、思わず身が強張る。……だが、
「はい、終わり」
特にハロルドから何かのアクションをすることもなく。手慣れた様子のヌレハがそう宣言することで、『魔力合わせ』は終わった。
なんだ。ただ単に本心から付き合ってくれようとしてるだけか。ハロルドがそう判断し、ほっと息をついた瞬間――
「いっ!?」
ぎりりぃ、と手が搾り上げられる。
あまりの痛みになんだと思うと、ヌレハの細腕が、しかしその見た目とは裏腹にまるで万力のような力でハロルドの手を握り潰さんとしていた。
「な、なん……っ!」
「これでもう、あんたは私の監視から逃れられないわけだ」
なおもぎりぎりと締め付けられるハロルドの右手。思い切り振り払えばもしかしなくても振り払えるだろうが、何故こんなことをやられてるのかわからないという混乱が、その判断を遅らせる。
「言っとくけど、一度覚えた魔力の波長を探して『視る』のに、私は一秒も必要ない。もうあんたは、私の【千里眼】からは逃げられない。ずっと見張ってやるわ。あんたがそのふざけた考えで、自爆して、破滅して、死んでいく様をね!」
「ぅっ……くっ!」
爛々と怪しく輝くヌレハの目と、全く穏やかでないセリフ。その間も、ハロルドの手を締め上げる力は増していくばかり。
とはいえ、言いたいことは言ったのか、ようやくヌレハの手の力が緩んだその瞬間に、ハロルドは素早くヌレハから距離を取る。
久々に血が通ってびりびりと痺れる右手をさすり、何のつもりだとヌレハをヘルム越しに睨む。
「親切心から、警告しておくわ」
しかし、そんなハロルドの威嚇など何のその。
ヌレハは全く動じた様子も無しに、続く口撃を放つ。
その口調は、先ほどまでと打って変わって穏やかなもので、今まで通りに冷ややかな落ち着きを取り戻したものではあったが。
「あんたはいつか、その身勝手で不用意な行動のしっぺ返しを、絶対に受けることになる。……いや、あんただけじゃない。周りの人も巻き込んで、その全員を不幸にする。そうなってから後悔したいの?」
「……どういう意味だ」
「……わからないなら、いいわ」
もう話は無いとばかりに、ヌレハはハロルドに背を向け、自分の店へと消えてゆく。
変色した右手と、沸々とした怒りを胸に残したハロルド。
「トイレと風呂のときくらいは、監視はやめてくれよな」
苦し紛れに、暗闇に消えてゆく彼女の背中に向かい、そんな小言を言い放つことしかできないのだった。
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