第51話
「そこのバカ! 止まれ!」
「うおっ、あぶね!」
明後日の方向へと疾走していたハロルドの目の前に突如現れたヌレハが、制止の声と共に彼の行く手を遮る。
とはいえ、それまでについてしまったスピードは簡単に殺しきれるものではない。どうにか止まるべくガリガリと踵で地面を抉るものの、それでも止まりきれなかったハロルドは、結局こけてゴロゴロと地面を転がるハメになるのだった。
ちなみに、ヌレハはそうなることを想像していたのだろう。転がってきたハロルドを難なく回避していた。
「いってて……。なに、結局来たのかよ? ってか足速ぇな! 俺結構な速度だしてたぞ?」
……馬車で2日の距離を30分で踏破する速度を『結構』とは。
言い方から考えると、もしかして、ハロルドが本気を出したらもっとスピードが出るのかもしれない。
どこまでも呆れた身体能力だと、ヌレハは静かにため息をこぼす。
「私は走ったわけじゃないわよ。転移魔術を使って先回りしたの」
「……へえ。テンイマジュツ……」
小首を傾げ明らかに理解していない様子のハロルド。だがもちろん、わざわざヌレハがそれについて詳しく説明することは無い。
「で、私が来たのはあんたの方向音痴を正すため。それだけよ。村を護る件に関しては一切手は貸さないわ」
「方向音痴?」
「村の方向はあっち。このままあんたが走り続けたところで、先には何もないってことよ。それを伝えるために来ただけ」
「ほぉん。そりゃ、わざわざありがとさん」
それっていわゆる『手を貸す』ってことにはならないのかなあ、なんてことを考えたハロルドだが、口に出したら罵詈雑言が返ってきそうだったので、思いとどまりおざなりな礼だけを口にする。
「……じゃ。私はカラリスに帰るわ」
「おう。さっさと終わらせて、俺も帰るわ」
言うが早いか、再び駆け出す――というか、地面を爆散させて掻き消えるハロルド。常軌を逸したスピードだこと、と嘆息しながら、ヌレハも
◇ ◇ ◇
「この先に村があったはずだ。……確か」
「おいおい、曖昧だな」
「いや、覚えてないくらい小さな村なんだって」
「ほぉん。そんなとこに危険を冒して攻め入る価値はあんのかねえ」
「少なくとも、俺らの今の手持ちよりは、その村の方が潤ってるだろうさ」
「……まぁ、なんてったって無一文だもんなぁ」
ぶつぶつとそんなやり取りを交わしながら、5人の男たちが生い茂る草木をわけ、森を歩く。
薄汚れた服に整えた跡もない伸びきった髭。そのくせやたらと手入れされ鈍く輝く武器がいやに目立つ彼らは、いわゆる山賊という者たちであった。
会話を聞く限り、彼らのなかには上下関係と言うものは無さそうで、まさしく小さなグループで路頭に迷い、賊と成り果てたのだろうと考えられる。もしかしたら、かつては彼らで冒険者パーティでも組んでいたのかもしれない。
そんな彼らがぶつくさと文句を垂れながらも迷い無く進む足取りの先には、どうやら小さな小さな村があるらしい。
手持ちがなくなった彼らはその村を襲い、金品もしくは食料品を奪おうという算段なのだろう。
この世界では、実によくあることだ。
国領なんてものは有って無いようなもので、国同士の国境こそあるものの、大国カラリスのなかにも手付かずの土地など掃いて捨てるほど存在する。その土地に、国からの支援を必要としないならば、自給自足の村を作るのに国への申請などは必要なく、まさしく自由に作り放題なのだ。
故に、地図に載らず、そして人知れず消えて行く村なんてものも実にありきたり。こんな風に、盗賊の良いカモになるのだ。
当然だが、国からの保証を受けてない小さな村々とはいえ、強盗は罪だし、殺人などもっての他。村を襲ったことがバレさえすれば、国からのお尋ね者に顔を連ねることは避けられない。
そう。バレさえすれば。
言い換えれば、バレさえしなければ、国からの補助を受けていない小さな村々をいくら襲おうと、国から追われることは無い。
そして、いちいち広い国土の端から端までを監視・管理するほど、カラリス王国は暇でも人手が有り余っているわけではない。王国全土――すなわち国領を護っている『王国近衛師団』が存在するとはいえ、ただでさえ選りすぐりの師団員がそんな村に居ることなど極々稀。『リスク』と呼ぶには値しない。
つまり、言ってしまえば、このような村を襲うのはいい商売なのだ。
ローリスクでハイリターン。人攫いやなんやら、他の犯罪に手を染めるよりもよっぽど割がいい。
だからこそ、今現在そんな村を襲おうと考えている彼らも、『襲う価値があるのかどうか』の議論はすれど、『襲えるかどうか』『成功するかどうか』の心配は全くしない。
それはそうだ。消えてもばれないような小さな村。農夫や狩人に、対人戦に特化した山賊が遅れをとることなどないのだから。
「そろそろ着く……と思うんだがなあ」
「んお? アレじゃね?」
目的の村。その存在を知らせる簡素な柵を目にした彼らの顔が、歓喜に歪む。
彼らの脳に浮かぶは、これから起こる虐殺の光景。
そこに、返り討ちにあうかもなどという弱気な想いはこれっぽっちも浮かばない。
誰ともなしに、武器を手に取る。
ぎらつく双眸にぎらつく刃。明らかに穏やかでない様子の五人組の男たちに、高見
それじゃあ駄目なんだよなあ。
男たちは笑みを深める。
「止まれ! 何者だ?」
別にその気になれば昇って越えられそうな柵ではあったが、律儀に門まで足を運んだ男たちに、門番替わりの壮年の男性が問いを飛ばす。
「ありゃ。警戒されてるや」
「お前の髭面が怪しすぎるんじゃねえ?」
「お前も似たようなもんだろうがっ」
そんな警戒心たっぷりの問いを投げかけられても、へらへらと笑ってそんなやり取りを交わす男たち。
困ったようにその光景を見つめていた門番だが、
「とにかく、武器を下ろしてくれないか」
目の前の男たちが武器をいつまでも手に持っているものだから、警戒を解こうにも解けない。とにかくどんな者たちなのかを判断するためにも、武器は下ろしてもらって対話を試みる。
「ああ、こりゃ失敬。門番さん。……まあ、見ての通り俺たちゃァ――」
その門番の言葉に、おどけるように肩を竦めた男の一人がそんな返事をしながらふらりと一歩を踏み出す。そして、
「怪しい山賊さんたちなモンでねっ!!」
「なっ!?」
そのまま駆け出し、手に持った手斧を振りかぶって、門番を始末しようとする。
突然の攻撃。警戒こそすれ、武器を構えてはいなかった門番は、対処が遅れてしまう。
まずひとり。このまま村の中に入って行って、邪魔な奴らは
だが――
「そこまでだ」
「ぶへッ!!」
突如現れた謎の男から繰り出された裏拳で吹き飛び、強かに頭を打ち付けた男は、そのまま本当の夢の世界へ旅立った。
「へ……へ?」
事態が呑み込めないのは、山賊たちだけではなく、殺されかけた門番も同様であった。
殺されかけた。嫌な笑みを浮かべた男が手斧を振りかぶって自分に迫ってきた……そこまではわかる。
その後、いつの間にか目の前に暗色のコートを翻すフルフェイスヘルムの男が現れ、自分に迫っていた男が倒れ伏して頭の上に星を浮かべている。
……自分は長い瞬きでもしていたのだろうか?
そんな疑問を持ってしまうほどには、ほんの一瞬で状況が逆転していた。
「てっ、てめぇ! 何モンだこらぁ!! ひでぇことしやがって!!」
一足先に我に返った山賊の一人からの、自分らを棚に上げたそんなヤジ。
その声に得たりとヘルムの奥で笑みを浮かべたハロルド。
「俺か? 俺は……」
ゆっくりと手をかかげ、
「燃える心に決意の拳! 悪を裁くは正義の光! ジャスティスマスク! 参上ッ!!」
ジェスチャーと共に、毎度恒例、ジャスティスマスク登場の口上を述べる。もちろん、極光【
そのまま、眩しそうに目を細めつつポカンと口を半開いて呆ける山賊らに指を突きつけると、
「さあ、武器を下ろし、投降しろ。お前らの敗北はすでに決定している。それでも立ち向かい、村を襲うのを諦めないというのなら……」
グッと固く両の拳を握り、ファイティングポーズをとり、
「――お前らを、このジャスティスマスクが成敗するッ!」
ビリビリと、空間そのものに響くような迫力ある啖呵を切った。
「……なんか、ヤベェのが来やがった」
山賊の一人がポツリとこぼしたそんな感想が、まさしく一同の気持ちを代弁していたのだった。
◇ ◇ ◇
「あ、ありがとう、ございました……」
ひくひくと引きつる表情のままお礼を口にする門番。彼の視線の先には、一仕事終えた様子のフルフェイスヘルムの男。と、そこらに転がる五人の薄汚い男たち。
結局男たちがジャスティスマスクの制止を聞き入れて武器を下ろすことはなく、これで遠慮はなくなったとばかりに、その後は戦闘という名の蹂躙タイム。見事ハロルドは男たちをボコボコに殴り飛ばしたのだった。
そこかしこに転がる男たちからは痛みに悶える唸り声が聞こえることから、死んではいないのだろう。体が変に曲がってる者もいるが。
「当たり前のことをしたまでだ。世に蔓延る悪党は許さない。なんたって、俺はヒーローなのだからな」
「は、はあ……」
そんな状況を作り出しておいて、誇らしげな台詞をはく兜の男。
助かったには助かった。だが、これはやりすぎでは? 口には出さなかったものの、門番の男はついそう思ってしまった。
賊の男たちは誰ひとり死んでいない。だが、このまま回復しても少なくない後遺症が残りそうな怪我をしている者もいる。
これでは生き地獄だ、と思う。
不殺であることが、逆にむごたらしく目に映るのだ。
だが。と、軽くかぶりを振って、恩人に対するそんな無礼な想いを追い出した門番は、目の前の正体不明の男に向かって、
「なにか、お礼を。ぜひ村に寄っていって下さい」
と申し出る。
そんな門番からの申し出に、ふむ、とあごを押さえて考える様子のジャスティスマスク。少なくとも、礼などは要らない。どこの世界に、見返りを求めて正義を執行するヒーローがいるだろうか。
ただまぁ、ちょっとくらい休憩に寄るのもいいかもしれないな、という程度の迷い。ほぼまったく疲れてなどいないものの、ここまでずっと走ってきたのだ。ちょっと休憩しても、バチはあたらないだろう。
でも、夜猫とヌレハを待たせてるしなあ……、いやそもそもあいつら待ってるのか……? と唸り悩むジャスティスマスクを見た門番は、
「無理にとは言いません。もしよろしければ、ですので。……ひとまず、賊どもをふん縛って牢にぶちこんでおきましょう。おーい! 誰か、縄を持ってきてくれー!」
と、ひとまず悩むハロルドを放置し、そこらに転がる男たちを縛って牢にいれておくべく、門を開け放ち村の中へ声をかける。
その声に「おーう!」という返事がどこかから聞こえて来たその直後に、縄を持った男が小走りでやって来た。おそらく、衛兵やそれに近しい役割を持つ村人なのだろう。実に迅速な対応である。
とはいえ、そこまで大々的に村の中へ呼び掛けてしまった手前。それに「縄」という穏やかでない単語。いったい何があったのだと、少なくない村民が住まいから出て様子を見に来てしまうのも無理からぬ話であった。
高見櫓から周囲を警戒していた村民が、村の中に賊たちが侵入することはなさそうだと判断し、他の村民に知らせはしなかったがため、ここで彼らはようやく村のすぐ目の前で起きていた異常事態を知ることになった。
「……あー。せっかくなのだが……」
と、そこらがざわついてきてようやく考えが固まったハロルドは、コホンと咳払いをひとつ。大した時間にもならないしこのまま走って帰ることにする、と伝えようと口を開く。
その瞬間。
「おにーちゃん?」
野次馬の中から、明らかに他とは違う。明確に自分へとかけられた、そんな言葉を耳が捉える。
何だと声の方を見れば、うんしょうんしょと一生懸命に人垣を掻き分け、ようやく現れる小さな存在。
「……ああ、そうか。近くの森の中にある小さな村って言ってたもんな……」
ぽつりと、独りごちる。誰にも届きはしなかっただろう彼の独り言は、こんな偶然ってあるもんなんだなぁ、という感動の気持ちと、ただ一つの記憶を思い出すためだけのもの。
『ねー、ヒーローのおにーちゃん!』
それはハロルドが、初めて『
初めてこの世界に流れ着き、そのときに偶然救った家族の一人。そしてあの寒い冬の日にまたも偶然再会し、ハロルドの『これから』に一つの指標をくれた、小さな女の子。
「ねえ、おにーちゃん、だよね……?」
恐る恐ると。しかし確信をもって兜を被るハロルドにそう訊ねるのは、間違いなく、ルルその人であった。
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