第50話

 動作不良を起こしたハロルドの脳みそが再起動するのに、そこまでの時間は必要としなかった。

 ふるふるとゆるく頭を振って戸惑い苛立ちその他もろもろの感情を追い払うと、いつの間にか夜猫から事情説明を受けているヌレハの方を向く。


「……はぁ? このクソバカのヒーロー活動括弧笑かっこわらいの手伝いをして欲しいですって?」

「おい待て。何だ『括弧笑い』って」


 ハロルドの文句はもちろん黙殺された。

 どうやら、この口が悪い女はどうにも自分のことが気に入らないらしい。ということは、さすがのハロルドもこの時点で察していた。


「うん、そ。ヌレハの【千里眼】なら、今現在どこでどいつが悪事をはたらいてるのか、随時調べることができるじゃない?」

「できるかどうかと訊かれたら、余裕ね」

「だから、ヌレハを紹介したのさ」

「なるほどね。お断りよ」


 取りつく島もないとはまさにこのこと。事情を聞いたヌレハから返ってきたのは、にべもない答えであった。


「なははっ。ま、ヌレハならそういうだろうと思ったけどねぇ。……というわけで、はい選手交替」

「は?」

「私は約束通り、キミにヌレハを『紹介』したよ。あとは彼女を取り込めるかどうか。で、それは私じゃなくてキミの仕事さね」


 朗らかな笑みとともに一歩引いた夜猫は、そのまま説得係として兜の下でアホ面をしているハロルドとバトンタッチ。

 突然のことに目を白黒させるハロルドだが、彼女の言い分は正しい。彼女はあくまで『情報屋』。情報そのものこそ商売道具であって、その情報を用いたアレコレは彼女のあずかり知る分野ではない。となれば、情報として受け取ったヌレハという人材をいざスカウトするのは、確かにハロルド本人の仕事である。


「……なるほど。よーし……」


 数秒の空白の後、遅まきながらそのことに気がついたハロルドは、そう意気込んでヌレハの前へと歩み出る。

 そして、半目で睨むヌレハに向かって再び右手を出しながら、


「ヌレハ! お前が俺の『目』になってくれれば、俺はもっとたくさんの人を救える! 俺と一緒に、苦しむ罪無き人を救おうじゃないか!」


 と、本人的には実に誠心誠意のスカウトを行う。


「嫌。ちょっとビックリするぐらい本当に嫌」

「ちょっとビックリするぐらい嫌っ!?」

「なははっ!」


 だが、どうやらその誘い文句はヌレハの琴線には触れなかった様子。本人も驚くほど嫌に感じたようで、自分の肩を抱いて嫌悪感を露にしている。

 その様子に少なくないショックを感じるハロルドに、実に楽しげな笑い声を上げる夜猫。どうやら完全に傍観者に徹するようである。


 ちなみに、二度目の握手も握り返されることはなかった。


「……ちなみに、何が嫌なんだ? 人のための活動だ。確かに金になるわけじゃねぇが、遣り甲斐はあるぞ?」


 これは押すだけ無駄だと判断したハロルドは、ショックから立ち直るとすぐに嫌だと判断した理由を訊ねることにした。

 その問いに対するヌレハからの答えは、


「全部よ」


 という、実にそっけないもの。一瞬の逡巡も見せず、オブラートで包むことすらせず、心のままに答えを返す。


「全部が、嫌。あんたのやってることなんて、所詮は『ヒーローごっこ』でしょ。子供のお遊びのその延長線上。むしろ変に力を持ってる分、余計に厄介だわ。たちが悪い」


 その後に続くはお得意の罵詈雑言。

 小さく「あーあ」という夜猫の声が聞こえる。言っちゃった、とでも言いたいのだろう。


「……ヒーロー……ごっこ?」


 ぽつり、とハロルドが言葉を繰り返す。意図せず溢れたように。噛み締めるように。

 そんな彼の姿を冷ややかな目で見つめるのは、その言葉を良い放ったヌレハだ。

 彼女は知っていた。この手の輩は己の信念を否定されるような言葉を吐かれれば、真っ赤になって怒り狂う。そのことを重々承知の上で、彼女はその言葉をあえて選んで口にしたのだ。

 だが、別にヌレハはハロルドを怒らせるために思ってもいなかった言葉を選んだわけではなく、その言葉は紛れもない本心。嘘偽りは一切なかった。彼女からすればハロルドの行動はただの『ごっこ遊び』であり、ただの自己満足。そのことを棚に置いて、「人のための活動だ」などと、片腹痛いというものだと、心の底から思う。


 ――さぁ、何でも言ってこい。その全てを否定して、こんな間違った活動は辞めさせてやる。


 このときのヌレハが抱く想いは、そんなものだった。

 単純に気に食わない、という理由ももちろんある。

 だがそれよりも、彼女はハロルドを止めたい――否、止めねばならないという、可笑しな使命感に似た感情を抱いていた。


 彼女は身に染みて知っていた。

 自己満足で必要以上に他者へと干渉する、その危険性を。

 歪んだ信念を振りかざし続ける行動の、その結末を。


 自分で勝手に破滅するならば、それはかまわない。勝手にしていろと思う。最も良いパターンというものが、それだろう。

 だが、他者へと干渉してしまった場合、その破滅が自分一人で収まることなど万に一つもあり得ない。そういうやつは、自分の破滅に周囲も巻き込んで、取り返しのつかない事態を盛大に引き起こす――そう相場が決まっているのだと、彼女は確信していた。


 だからこそ、止めるべきだ。彼女はそう強く思う。

 止められるものをあえて止めずに放置するほど、彼女は情に薄い人間ではなかったのだ。


 だが、そんなヌレハでも――


「うん。『ヒーローごっこ』か。確かに確かに。俺の行動はそんな感じだな」

「……は?」


 ハロルドのその返しは、実に予想外なものだった。


 うんうんと頷き、実にしっくり来たとばかりに満足げに返事をするハロルド。

 彼は事も無げに認めたのだ。自分の行動はただの趣味。『ごっこ遊び』であると。


「あ、あんた、そんな気持ちで……そんないい加減な気持ちで、今まで行動してたの?」

「いい加減な気持ちじゃねぇよ。人を助けたいってのは本心だ。でも、あえてこんな格好と設定まで作ってやってるんだ。余所から見て『遊び』だと言われてもおかしくはないだろ」

「……」


 イカれてる。

 実に理性的な返事に。実に見事な自己分析のその答えに、彼女はただただそう思った。なんてものを連れてきてるんだと、夜猫に怒りすら覚えるほどに。


「ん? じゃあ、一緒に遊ぼうぜとでも誘えば良いのかな?」


 何なんだ、この男は。

 とぼけたようにそんな台詞を吐く目の前の男に、ヌレハはふつふつとした怒りが湧いてくる。


「あんた、『助けたいのは本心』って、そう言ったわよね?」

「ん、ああ。言った」

「じゃあその本心とやらを、行動で示して見せなさい」


 だからこそだろう。

 こんな、我ながら後味の悪い提案をしてしまったのは、怒りにより冷静ではなかったのだろうと、後にヌレハは思う。


「いいけど、どうやって?」


 当然、そんなことを言われても困るとばかりにハロルドはそう問い返す。

 そんな彼からの質問に「簡単よ」と答えたヌレハは、ついとある方向を指差す。そして、


「この方向に真っ直ぐ行った先に、小さな小さな村があるわ。とーってものどかな、良い村よ。でもどうやら、その近くの森に隠れ住んでいる盗賊たちが30分後、その村に奇襲を仕掛けるみたい」


 そんな恐ろしい情報を、まるで井戸端会議の話題提供のような自然さで口にする。


「ちなみにだけど、その村までは馬車で2日。早馬でも半日から1日はかかるわ。……どう? この情報を聞いて、あんたは――」


 普通に考えて、無理難題。

 ヌレハの話によると、盗賊が村を襲うのは30分後。だが、ここから村まで普通の移動手段では短くて半日はかかる。

 ヌレハは、「あんたはそれでも助けようと思う?」と訊ねようとした。そんなことは無理だ、という答えを期待して。

 その答えが返ってくれば、その程度の意志で何がヒーローだと、そう言ってやれた。少々無理がある言い種ではあるが、少なくとも、ハロルドのヒーローとしての心を折る機会を得られると思った。


 しかし。


「っ!!」


 その言葉を言いきるよりもさらに早く、突如目の前に石礫いしつぶてが飛来する。

 ヌレハはそれを防ぐために一瞬だけ視界を塞ぎ、しかしその刹那の間に、目の前に居たはずのハロルドの姿が消えていた。

 その彼がもともと居た足元の石畳がえぐれていることから、石礫はその欠片が飛来したのだと、すぐに理解した。


「は、あいつは……?」

「なーんかすっ飛んでったよ? 屋根越えてぴゅーんって」


 ぽつりと口にしたハロルドの行方を答えてくれたのは、一部始終を黙って見ていた夜猫。

 どうやら彼女いわく、ヌレハから話を聞いたその瞬間から、ハロルドは思考を挟むこともせずに現場に向かったらしい。が、


「な、なに、走っていく気!?」


 当然、そんな突っ込みに帰結する。間に合うはずもない。常識的に考えて、そんな人間はいるはずもない。

 そうは思っても、ヌレハは自分が撒いた種だと【千里眼】でハロルドの行方を追う。


「なはは。イカれてるよねぇ」

「あんたにそれ言われたら終わりだわ」

「うーん。言えてる」


 夜猫とそんな会話をしながら。


「見つけた……! はっ、うそ。はやっ!」


 そうして見つけたハロルドの動向は、彼女の想像を、そして理解を超えていた。

 とうに街の外へ出ているハロルドが駆けるは木々の隙間やときどきその上空。街の外に出る速度やその他もろもろを考慮すれば、おそらく彼は街壁を跳び越えて外へと出たのだろう。

 そう。あの巨大で厚い石の壁を。

 しかしそうでなければ説明がつかない。各門に存在する関所で許可をもらっていたのならば、この速度は有り得ない。


 なんだ。


 何なんだ。コイツは。


「……興味出てきたかな?」


 驚愕するヌレハに、不敵な笑みを浮かべた夜猫が訊ねる。


「……イカれてるわ。私が培ってきた常識が通じない。……まぁ確かにあんたなら、それを『面白い』って評価するんでしょうね」

「そう、その通り。あの子は面白いんだよ。今まで見てきた誰よりも。もちろん、ヌレハよりもね」

「そ。それは光栄だわ」


 にべもない返答。

 すんと凛々しい表情から放たれたその言葉にどうやら偽りはないようで、本心から夜猫の興味がハロルドに移ったことは光栄だと思っているらしい。


「――あっ!」


 ややあって、ヌレハが驚いたような声を上げる。


「変な方向に向かってるねぇ」

「あいつ……もうっ!」

「なに、行くんだ?」


 夜猫も把握していたらしい、ハロルドの迷子。超速であらぬ方向に向かい始めた彼の様子に、このままでは村に辿り着けないと業を煮やしたヌレハはその場に転移門ゲートを作成する。

 邪悪な黒々とした魔力。重みがかったようなそれがモヤとして集まり作られた転移門ゲートを見て、夜猫はそんな声をかける。

 が、その顔に予想外な出来事に出くわした驚きの表情はなく、どうやら夜猫からしたら、ヌレハがハロルドのもとに向かうことは予想の範疇を出なかったらしい。


「方向を正すだけよ。そっから先の村を救うまではあのクソバカの仕事よ。『英雄ヒーロー』なんでしょ、あいつは? ……はっ、虫酸が走るわ」


 ついでとばかりに蔑みの目でここにはいないハロルドを罵倒して、ヌレハは転移門ゲートに足を踏み入れこの場から消える。


「……素直じゃないなぁ。……ん、いや、あれもあれで一種の素直なのかな?」


 残された夜猫は、誰にとなしに呟く。


「どうせ、『視た』からには放っておけないだけのくせに」


 どことなく嬉しそうな、そんな笑みを携えて。

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