第49話

「――と、いうわけで。言われた通り、お前を頼りに来てやったぞ」

「なははっ! 傲岸不遜な物言いだぁ」


 翌日突然訪れたハロルドから言われた突然の台詞であった。

 あくまで警戒心全開に、そしてどこまでも上から目線の物言いであっても、夜猫の笑みに気分を害した様子は表れない。

 ちなみにだが、もちろんハロルドは素顔を隠したヒーローフォルムである。


「さぁて。んじゃ、何の情報が欲しい?」

「欲しい情報は人。俺にはない力……街を見渡す『目』を持つ人材が欲しい」

「んん~。具体的で、そしてとぉーってもむつかしい要望だね」


 ギルドにある食堂でテーブル席をひとつ陣取り、そんなやり取りを交わす。

 ゲンガイとともに活動していた頃から、夜猫は常にと言っても過言ではないほど、ギルドの食堂にいた。それを見越して訪れたハロルドは、案の定そこで暇そうにあくびをしていた夜猫を見つけ、本日は自分から接触したのだ。


 ハロルドからの要望を耳にして、夜猫は考えるような素振りと共に『難しい』と口にする。


「……んじゃ、取り越し苦労だったか?」


 だが、その答えを受けたハロルドがそう追求すれば、


「ふふん、まさか。そもそも、そういう人材に心当たりがなきゃ、あんな接触の仕方はしなかったさ」


 やはり、とらえどころのない不敵な笑みを浮かべた夜猫は、少々張り甲斐の無い胸を張ってそう言うと、席を立つ。


「さ、ついてきんしゃい。キミの要望を叶えられる、素敵な人材のもとにつれていってあげよう」


   ◇ ◇ ◇


「あ、そうだ。先に情報料の打ち合わせといこうか」


 るんるんと軽い足取りで先行する夜猫に黙ってついていたハロルドだが、そんな台詞とともに突如足を止めくるりと振り返った夜猫のせいで、なかば強制的に立ち止まる。


「情報をとられたあとに、報酬は払えませんってのは、笑い話にもならないからねぇー」

「……そりゃ確かに。いくらだ?」

「んんー。……単純にお金ってのも、つまらないなーあ」


 夜猫は何か面白いインスピレーションが生まれないかと、顎に指を当て思案しながら、きょろきょろをあたりを見回す。






 夜猫の情報は信用できる。ただし、それに要求される対価は、ときに理不尽なものになることがある。それは、ゲンガイや他の冒険者がかねてより話していたことだ。

 事実、彼女は『情報料』と称していわゆる金品から始まり、ときには依頼者のプライベートに踏み込んだ情報を対価としたり、酷いときには、覚悟を見ると言って凶悪な魔物の討伐など、試練を課すことすらある。

 そしてその難易度は、情報の重要度や秘匿性に応じて上昇する――わけではない。

 完全に、そのときの彼女の気分によって選択・決定されるのだ。


 『迷子の猫ちゃんの居場所を教えてほしい』と頼みに来たマダムがいた。夜猫はその依頼を承諾し、しかし対価として『単独ソロでのドラゴン討伐』を命じた。

 一口にドラゴンと言っても、それは爬虫類のオオトカゲが転魔した存在全般を指す言葉で、その強さはピンキリ。夜猫は、さすがに討伐対象のドラゴンの強さまでは指定しなかった。

 だが、それまで直接的な身の危険とは無縁な仕事をしてきたであろうマダム一人で討伐できるほど、魔物とは甘い存在ではない。

 その結果、当然マダムは怒り心頭に迷子猫の情報を諦めることになる。


 一方で、見るからに歴戦の老兵と言うべき男が、怨嗟のこもった声で『さる貴族が一人で居る時間及び場所』の情報を求めたとき、彼女が求めた対価はたったの『五千リル』であった。その貴族は王都においてもそこそこの権力を有しており、その弱みともいうべき情報は、当然ながらそんな子供の小遣い程度の金額で売られるようなものではない。それこそ、その男であれば、どんな魔物の討伐を試練と課したって死に物狂いでこなしたであろう。それほどまでに、男が情報を求める際の迫力は鬼気迫るものがあった。

 結果として楽々と手に入れられた情報により、その貴族は暗殺され、王都は一時混乱に飲まれることとなる。

 その結果を生み出した親である夜猫は、しかし何事もなかったかのように笑みを浮かべ、冒険者ギルドで新たな依頼者に情報を売るのだった。


 しかし、それもそのはず。言ってしまえば、夜猫にとって情報などとはただであり、等しく価値が有り、そして等しく価値が無いのだ。

 故に彼女は、気分によってその対価を決定する。ただの思い付きを、どんな無茶振りであっても、どんな理不尽であっても、まるで何でもないかのように要求する。そして、夜猫はその情報と対価を通して、依頼者という一人の人間を観察するのだ。

 夜猫は人間をこよなく愛している。博愛であり、偏愛であり、そして狂愛と呼べるほど、彼女の興味の矛先は人間一つに絞られる。彼女にとって価値があるモノとは金品でも情報でもなく『人間』そのものであり、彼女はその尽きない好奇心を少しでも満たす媒体として、『情報』を用いているに過ぎないのだった。






 キョロキョロと辺りを見回していた夜猫の視線が、ある一つの商店にとまる。

 色とりどりの野菜や果物を店頭に並べ、大きな声で客を集めているその店を見て、「ああ、あれにしよう」と夜猫はなにがしか思いついたように声を出す。

 そして、すっ、と真っ直ぐ商店を指さした夜猫は、後ろに立つハロルドに笑顔を送って、


「あそこの果物、どれでもいいから一つ盗ってきて」


 人道に反した、とんでもない要求をした。


「それがキミが求める情報への対価にしようよ。今ならお客もいっぱいで忙しそうだし、一個くらい拝借したってバレないバレない!」


 なははと笑って、当たり前のように窃盗を促す夜猫。


 そんな彼女の指さす先をつられて見ていたハロルドは、「ああ」と短く小さな声を漏らし、視線を夜猫に戻す。

 さあ、どんな反応を見せてくれるのかな。夜猫がわくわくとした気持ちを抱きながら、ハロルドの次の行動をじっくりと見守る。そんな視線を受け、ハロルドはふと口を開くと、


「なんだ……お前、悪いヤツだったのか」


 知らなかったよ、とばかりにそんな感想を漏らした――瞬間、ゾクゾクとした悪寒が夜猫の背筋をなぞる。

 目の前のハロルドは、声を荒げたわけではない。それどころか、実に平淡な声でその台詞を吐いた。

 しかし、それに込められた威圧感は、これまで数多の依頼者から向けられた怒りの感情よりも、遥かに強く、恐ろしいものだった。


 それは実に長いときを生きてきた夜猫にとっても、生まれて初めて目にした反応であった。

 情報の対価を求めて、ふざけるなと怒鳴られたこともある。殴りかかられたことなどしょっちゅうだ。

 ……だが、これはいったい何だ?

 兜の奥から己に向けられるハロルドの感情に、敵意や憎悪や怒りはない。ただただ、暴力的な圧と、異常な殺意のみが込められている。

 夜猫の頭にはいくつもの疑問符が浮かび、息の仕方を忘れたかのように、不規則な呼吸を漏らす。


 ――目の前にいる夜猫は悪人。ならば、ヒーローの粛清対象だ。


 このときのハロルドの感情をしっかりと言葉にするならば、そういうことだろう。

 故に、害意も敵意も何の否定的な感情も伴わない純粋な殺意という、実に機械的な反応が生まれた。


 冷や汗を流し固まる夜猫。彼女が抱く感情は、まさしく『恐怖』。自称完全な不老不死である彼女からしたら、もっとも縁遠い感情が、その胸中を満たしていた。

 固まる彼女に、ハロルドは一歩一歩と歩み寄る。そして、握り込まれた拳が、濃厚な『死』の気配を纏って、彼女に振るわれる――


「じょ、冗談っ! 冗談ですっ! やぁっだなぁ、そんなこと本気で言うわけないじゃーん!」


 直前に、素早く両手をバンザイした夜猫がひきつった笑みとともにそう弁解したことで、その動きがピタリと止まる。


「……」

「……」

「……ははっ。なぁんだ、冗談かよ。てっきり本気で言ってるんだと思ったぜ。ごめんな、冗談通じなくて」

「なは、なはは。い、いやぁ……ドッキリ大成功……ってね。ほほ、ほぉら! キミが求める人材はもうちょっと向こうだよ! 行こう行こう!」

「おう。……ん? 結局のところ情報料はどうすんだ?」

「あ、ああ~そんなの、たいした情報じゃあないしね! も少し考えてから要求するよ!」

「ああ、そう? わかった」


 くるりとハロルドに背を向けて、るんるんと今まで通り軽い足取りで先行する夜猫。

 その後ろを、これから紹介される人材とやらはいったいどんなヤツなんだろう、などと想像しながら、黙ってついていくハロルド。

 一見して、それまで通りの、普通の光景。


 ――えええぇぇ……。こっ、ここここ、こっわぁー!? 何あれ何あれ!? なんであんな純粋な感情から人のことシコタマ殴ろうと思えんのっ!?


 もっとも、先を歩く夜猫のハロルドから見えないその表情が、冷や汗をだらだらと流し、驚愕にヒクついていたことを除けば、であるが。


 夜猫の提案から彼女のことを悪人と判断。だから殴って成敗する。先ほどハロルドの脳内で行われた処理は、その2ステップしかなかった。故に即刻殺意を飛ばし、拳を握り、それを振りかざすべく歩み寄った。

 それは、夜猫からしたら――否。誰からしても、実に異常な思考回路であった。


 通常であれば、よほどの極悪人やもともと理解不能な犯罪をおかしたような者が相手ではない限り、人間はその犯罪者の背景――すなわち、『何故そこに至ったのか』を考える。

 何故なら、相手が一人の人間であると理解しているからだ。人間であるならば、理性を有し、思考し、そしてその人だけの人生を歩んでいて、それ故に犯罪をおかさねばならないほどの事情があったのだろうと真っ先に考えるからだ。

 事実、一例として『殺人』という犯罪ひとつとっても、当然ながらその動機は多岐にわたり、それの如何によっては罰が軽くなることも十分にあり得る話である。

 殺人は犯罪――すなわち、悪いことだ。それは間違いはないだろう。だが、そうだとしても、それをおかした人間が必ずしも『悪人』であるとは限らない。

 つまりは、そもそも善悪というものは、かっちりとした基準によって境界を作れるようなものではないのだ。


 であれば、先ほどの夜猫からの要求に対する正常な反応というものは、「何故?」と問い返すことだ。「『買う』ではなく『盗る』であることの、その真意は?」と。そしてその問いに対する答えを吟味して、夜猫のことを『善か悪か』と判断するのである。

 それがハロルドの場合は、頭のなかに、犯罪をおかす、イコール悪人、という単純明快な式が出来上がっていて、その式に基づいてヒーローとしての鉄槌を下している。そしてそこに、余計な思考は挟まれない。つまりは、「悪の道を促すコイツは悪いヤツだ。よし、殴ろう」である。


 そんな『普通』から大きく逸脱したハロルドの思考回路を目の当たりにして、それどころかその脅威の矛先を向けられて、しかし夜猫は気付けば笑みを浮かべていた。

 それはいつもの、商談をする際のとらえどころのない笑みではない。

 単純に純粋な、歓喜の笑顔であった。


 ――ほぉんと、人間って面白いなぁ。


 何故ならば、その外見上は普通に見えて、しかしその実、掘り下げてみれば完璧にブッ壊れているハロルドの思考回路は、まさしく彼女が愛する人間ならではのバグであったからだ。

 本能に打ち勝つほどの理性を有し、そこから生まれる信念を尊重し、それ故に、ときに常識をねじ曲げるほどの異常性をみせる。そんな人間ならではの『歪み』であったからだ。


 悠久のときを過ごし、死とは無縁の命を持ち、なによりも誰よりも『常識』というものの退屈さを知っている夜猫。

 そんな彼女の感情を動かし生を実感させるものは、後にも先にも『ヒトが持つ歪み』だけであった。


 ――ハルは、まさしく大当たりだよ。


 彼女の心は歓喜に震える。

 自身の心に芽生えた『恐怖』や『戸惑い』の感情。彼女はそれすらも愛おしい。


 この出来事から、ハロルドは夜猫にとっての、まさしく彼女の感情を揺れ動かすための『エンターテイメント発生装置』となったのだった。


   ◇ ◇ ◇


 しばらく歩き、まさしく人気のないと言える、犯罪の匂いすらしないほど寂れた路地をいくつも通り、ようやく夜猫はその足を止める。


「ついたよー」


 そして彼女がハロルドを振り返りながら指で指し示した一軒の建物は――


「……占い屋?」


 何やら怪しげな、寂れた景色に不気味な色を添えているかのようにたたずむ建物であった。


「……いや、俺そういう風水とか興味無いんで」

「なはは! 奇遇だねえ、私も興味無いよー……って、なに帰ろうとしてんのさっ!?」


 もしかして一杯食わされて謎の宗教や怪しい団体に引きずり込まれるのではないかと考えたハロルド。即座に撤退しようと試みる。が、夜猫の制止のせいであえなく失敗。

 諦めて話を聞いてみようと訝しげに顔を顰めながらも、足を止め振り返る。


「ここにいるヤツがハルの要望を叶える人材まさにその人なんだってば!」

「……ほんとかよ。建物の見た目だけならヤベェ匂いしかしねえけど。俺、あんまし占いとかそういうスピリチュアルなの信じない質だぞ」

「その点はダイジョブさ! そもそもここ、占い屋じゃないからね」

「えっ、違ぇの?」


 どうやらその怪しい建物は、占い屋ではなかったらしい。


「ハルの要望は、都市を見渡す『目』を持つ人材、だったよね?」

「ああ」

「むっふっふ。ここの店主はねえ、まさしくその『目』を使って、他の店には到底出来ないような唯一無二の商売をしているのさ!!」

「な、なんだって!?」

「そう、それこそ! 『知る人ぞ知る。異常によく当たる! 探し物相談所』さ!」

「……何そのすごい能力の無駄遣い感」

「だよねえ」


 実際、その店はペット・モノ・人などありとあらゆる探し物の場所を安価で教えることを商売としており、その精度は驚きの百発百中。とはいえ、寂れた道で看板も無く、口コミでしか情報が広がらないため、稼ぎとしては微々たるものだが。


 しばし店の前でギャースカと言い合うハロルドと夜猫。ハロルド的には、夜猫の情報に対する信用云々の話ではなく、単純に気味の悪い建物に足を踏み入れたくないという想いが胸を満たす。帰りに何かが憑いて来そうだ。

 そして運の神様はどうやらハロルドに微笑んだようで――


「ねえ。店の前でうるさいんだけど」


 店に入ることなく、その店主との邂逅を果たす。


 露骨な苛立ちを隠そうともしてないそんな声の方に目を向ければ、艶がかった真っ黒な髪を結ばず垂らし、そして何故か着物を着ている女が店内から姿を現した。


「おおっ。丁度良かった! ねぇヌレハ。前に言ったじゃん? 面白いヤツ見つけたかもって。それがここに居る――」

「知ってる。。あんた、今まで見たことないくらい楽しそうだったわね」

「なははっ! そう?」

「ええ」


 『ヌレハ』。

 夜猫が口にしたそれが、その女の名前なのだろう。

 何やら親しげに会話を繰り広げる二人の女性に、一人ぽつねんと取り残されるハロルド。

 しかしすぐにそんな彼を見てにんまり笑みを浮かべた夜猫は、


「こちら、ヌレハ。キミに紹介しようとしてた、要望通りの能力を持つ人材だよ」


 と、手短に紹介を終える。


「あ、ああ……」


 突然の紹介に面食らうハロルドだが、そんな彼を冷ややかな目で眺めるヌレハに気付き、咳払いひとつで平常心を取り戻すと、


「ええと。よろしく」


 握手のため、手を差し出す。


「……はあ。よろしく」


 本当に嫌々仕方なく、という態度――具体的には露骨なため息――とともに返事が来る。

 ちなみに、差し出した手が握られることはなかった。


 握手が成功しなかったことに言い様のない悲しさを覚えるハロルド。

 だが、凹むんじゃない! と心のなかで己を鼓舞し、へこたれない。自己紹介をすべく、行き場を失った手を握り、親指で己の胸を指し、声高らかに――


「俺の名前は――」

「知ってるわ。見たことあるもの。ジャスティスマスク……でしょ? くっっっだらない名前ね。自分で自分のこと正義の味方って名乗るのって、どんな気分なの? 楽しい? 楽しいのよね。恥ずかしかったら出来ないものね。少なくとも、私だったら死ぬほど恥ずかしくて出来ないわ。軽く自殺モノの自己嫌悪に陥りそう。ちなみに、今なお元気良く自信満々に生き恥を晒してるっていう自覚はあるの? ああごめんなさい。無いわよね。だって有ったら……」

「ま、まぁまぁ、落ち着いて」


 名乗りを上げようとした瞬間に出るわ出るわ罵詈雑言。夜猫のストップが入らなかったら、まだまだ飛び出したであろう。制止させられたヌレハの顔には、ありありと『言い足りない』と書いてあった。

 ちなみにハロルドはその間、親指で自身の胸を指差したままのポーズでフリーズしていた。





 これが、後に相棒として行動することになるハロルドとヌレハの初対面であった。

 ハロルド側の第一印象はもちろん「なにこのクソアマ?」であったのは、言うまでもないだろう。

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