第43話

「ああ? 帰る方法はないのかって?」


 それはある日のこと。

 ふと、ハロルドがゲンガイに「来る方法があるなら帰る方法もあるんじゃないか」と言ったときのことだ。


「そりゃあるさ。極々稀にどっかで開く転移門ゲートに入る。運が良けりゃ帰れる」

「……なんだ、簡単じゃん?」

「そう、簡単だ。転移門ゲートが開くのがいつかわからないうえ、開く場所はこの世界のどっかで予測不能。おまけにその転移門ゲートの先がどの世界に繋がってるかはわからない、ってことに目を瞑ればな」

「……最初から素直に無理って言えよ!」

「無理じゃあない。方法はあるかという話だから、あるにはあると答えただけだ」


 要は、類い稀なる強運の持ち主であれば帰れるかもしれないということだった。

 運よく数秒から数分だけ開く転移門ゲートに巡り会え、さらにその先が自分が帰りたい元の世界であった場合のみ帰れるとのこと。

 

 この世界、〈オルビス〉は、世界線の揺らぎにより稀に他の世界線と接触し、その産物として接触面には世界を行き来する転移門ゲートが発生する。

 それはすなわち、隣り合う世界全てと接触する可能性があるということで、偶然接触した世界がハロルドが元居た世界、〈アース〉であるとは限らないのだ。

 なので、仮に転移門ゲートに入ることが叶ったとしてもその先に望む世界を引き当てる確率なんぞも関与してくると、帰れる可能性としては天文学的な数のゼロが続く、すなわち『限りなくゼロに近い確率』ということになる。


「ま。要は諦めた方がいいって話だ。そんな可能性にすがるよりは、諦めてこの世界で生きていく方法を考えた方が遥かに建設的だろうさ。それとも、向こうに残してきた彼女でもいるってか?」

「いませんね」

「何で真顔に敬語で……。んじゃ、俺から言えることはひとつだ。『諦めろ』。家族だなんだと気にはなるだろうが、気にするだけ無駄だ。あんまし考えすぎて悩むなよ」


 それはいつも通りのぶっきらぼうで投げやりな言葉遣いではあったが。

 そこには確かにハロルドを気遣う優しさが孕まれており、それをしっかりと感じとることができたハロルドは、彼の言う通りにしようと静かに決心した。

 その言葉は、過去に悩み抜いたゲンガイだからこその言葉だったのだと、ハロルドは後に知ることになる。元の世界に残してきた悔恨や恋人や家族や様々な感情。それらを諦めきれずに挑み、この世界を呪い、そして挫折し何度も『死』を考えたことのある彼だからこそ、同じ道を歩んでほしくないと口にした言葉だったのだ。


 この会話以降、ハロルドは過去と決別すべく、残してきたあれこれを思い出さぬよう努めることになる。

 幸い、この世界はからっぽの頭と新鮮な目で眺めれば、非常に魅力に溢れていた。

 明るい人々と豊かな自然。そして『魔術』という不可思議な力。元の世界では願っても出来なかった様々なことを、その力が叶えてくれる。

 それは、とても魅力的で楽しいことだった。


   ◇ ◇ ◇


「ばぁっか野郎が!!」

「ぁいっってぇ!!」


 ゴヂン! という音が響き、木々を揺らすほどの大声が轟く。森のなか。思わず集めた草をばらまきながら頭頂部を押さえうずくまるハロルドと、拳を握りわなわなと震えるゲンガイ爺さん。


「言っただろうが! 薬草で必要なのは葉だけで、根っこからブッコ抜くなってよぉ! ここらを不毛の地にしてぇのか、テメェボケナス!!」

「俺一人の影響で不毛の地になるような根性無しの土地だったら、いっそなってしまえっ!!」

「あぁんだと!? クソ坊主!!」

「いでぇ!!」


 二発目の拳骨が炸裂する。

 このままではこの土地の前に自分の頭頂部が不毛の地になってしまう。そうじゃなくても陥没する。そう確信したハロルドは、これ以上反抗するのは止める。

 そして大人しく目についた草を言われた通り茎の半ばからプチリとちぎると、


「それは根っこに効能があるやつだ! バカ野郎!」

「理不尽だッ!?」


 結局三発目の拳骨をもらうのだった。


 恐怖と痛みを味わえば嫌でも人は本能から学ぶというもので、スパルタ教育の甲斐あり、この一日でここらの薬草採集に関してはある程度コツを掴むハロルド。とはいえ、この教育に感謝するのはもっとかなり後になってからである。このときはただ、このクソ爺ィ……としか思えなかった。


 それから、籠に積んだ薬草をハロルドが背負ってえっちらおっちらと街に戻る。

 そして街門を潜ろうとしたとき、


「……あ、このマーク」

「ん? ああ。これはこの国の国章だ」


 その上部にわかりやすく掲げられたマーク――かつて自分にとんでもない頭痛をもたらした判子のマークを発見する。

 すでに潜ったことがある門ではあったが、それはこの世界に流れ着いてから初めてこの街に入ったときのことだ。あのときは言葉すら通じず、とてもじゃないが周りに気を配る余裕などなかった。

 それが、今は鬼教官ではあるが面倒を見てくれる人も見つかり、なんとか穏やかに生活できている。ただただ門に掲げられた国章に気が付いた、というだけだが、それはハロルドの心に余裕が生まれつつあるとこを明確に表す一つの出来事であった。


「結局、これは何がモチーフになってんだ? 鷹とか鷲とか、そのへん?」

「んっんー。これはね、翼が生えた蛇だよ」

「え、マジで? それ、一番最初に候補から消した可能性だわ」

「あらら。んじゃ、惜しいところまでいってたんだねえ。残念、残念」

「くそー。悔しいな。ちょっとだけだけど」


 どうやらそのマークのモチーフになったものは翼の生えた蛇らしい。それに見えなくもなかったが、しかしそんな謎生物なわけがないだろうと可能性の一つから即刻排除していたハロルド。言葉の通り、少しだけ悔しそうである。


「……何でお前ら、当たり前のように会話してんだ?」


 そしてそんなハロルドを半目で睨むゲンガイの疑問。

 しかし、それもそのはず。

 なにせ――


「よお、夜猫」

「やっほ、ゲン爺。相変わらず、眉間に皺がよってんねぇ!」


 その会話の相手は、初対面なはずの存在。その名も情報屋〈夜猫〉だったのだから。


「ほっとけ。……んで? 何でお前がここに? 珍しいじゃねぇか、ギルドの外に居るなんて」

「私にも二本の脚があるもの。そりゃあフラフラするときもあるよねえ。で、私がここにいるワケだけどね。ゲン爺が何やら面白い拾い物をしたみたいじゃない? これはしかとこの目で見なきゃならんっ! ってね!」


 ゲンガイからの問いに、普段から笑みの形に細まっている両目を親指と人差し指でぐいと開きながら、そんな答えを返す夜猫。


「……ああ~」

「ん? なに、俺のこと?」


 その答えを受けて、黙って二人の会話を聞いていたハロルドに視線を向けるゲンガイと、どうやら自分の話らしいと勘づいたハロルド。


「そうそ、君のこと。ハロルドくんって言うんでしょ?」

「おう、ハルって呼んでいいぜ! ん? 何で俺のこと知ってんだ?」

「なははっ! なーんででしょうね?」


 ごもっともなハロルドの疑問。彼がこの世界に流れ着き、そして今日この日まで、まだ三日しか経っていない。

 その間は家事手伝いばかりしていたため、周囲との関わりもまだ少ない。名前を知っているのは、ゲンガイとあの神父くらいだろう。なのに、この目の前の奇妙な女は当たり前のように名前を言ってのけたのだ。当然、情報の出所が気になる。

 だが、そんな問いを受けてもケラケラと笑って適当に誤魔化す夜猫。どうやら、答える気はないようだ。


 余談だが、この頃の夜猫の笑い方はわりと普通の「なはは」であった。それがより猫らしく「にゃはは」という笑い方に変わったのは、これよりもかなり後のこと。「お前って『夜猫』なのに猫要素皆無だよな」というハロルドの指摘にショックを受けてからになる。

 ちなみに、その指摘以降しばらく言葉にある全ての「な」を「にゃ」に変えて話していた時期もあったが、「すごいわ。本当に気持ち悪い。見てこれ、鳥肌」というヌレハの罵倒という名の指摘によりショックを受け、やめた。

 結果として、笑い方が「にゃはは」、返事が「はいにゃ」で、それ以外は普通に話すというささやかな猫要素を残すこととなる。


「……そいつは情報屋〈夜猫ヨルネコ〉だ。仕入れる情報は最多最速、おまけに精度もピカイチときてる。手段はわからんが、情報を隠すだけ無駄だ。どっかから絶対に嗅ぎ付けてきやがるからな」

「うん? 褒められてる? 貶されてる?」

「もちろん、貶しているつもりだ」

「なははっ! ひっどーいね!」


 ローテンションのゲンガイとハイテンションの夜猫。二人の会話の応酬に、


「……へぇ。凄いな」


 ぼそりと呟かれたハロルドの言葉が差し込まれる。

 その声を耳にして、ハロルドに目を向けて、それから夜猫は、密かにゾッとした。


 自分のことを見つめるハロルドのその瞳に曇りはない。もちろん見下すような蔑みの色も、そして尊敬の色も。

 そこにはただただ、『良いものを見つけた』ときのような、高揚感に満ちた瞳があった。『凄い存在に出会った』でも、『頼れる存在を見つけた』でもない。ただただ、『便利なモノを発見した』ような、おおよそ他者に向けるようなものではない、だが無邪気で純粋な色を、その瞳は孕んでいた。


 その瞳に真っ正面から見つめられ、背筋をなぞる悪寒を感じて、しかし夜猫はその顔に浮かぶ笑みをより一層濃くする。


「いいね、君。私の話を聞いて、そこまで単純に『凄い』って感想を抱くヤツはあんまし居ないよ」

「え、そうなん?」

「そりゃそうさ。なんたって、そいつの全ての行動が私には筒抜けなんだからね。『凄い』、けど『気味が悪い』。それが普通の感性ってもんだと、私も思うね」

「へぇー。……ま、そういうヤツはきっと後ろ暗い何かがあるんだろうな」


 あっけらかんとそう答えるハロルドを見て、夜猫はこの時点で確信した。

 ――これは、間違いなく大当たりだと。


 そしてそれと同時に、ゲンガイもまたハロルドの異常性に気がついた。

 それ故に、


「おい、ハル。そろそろ行くぞ」

「あ、ああ。何だいきなり。ちょっと待ってくれよ!」


 率先して動き、この場からの素早い離脱を試みる。

 その計画はどうやらうまくいったようで、ハロルドは慌ててその背中を追いかけるべく小走りになり、夜猫のもとを去って行く。


「じゃねー、二人とも」


 その背中に、にこやかに手を振る夜猫。


「……良~いオモチャを見つけてくれたじゃないの、ゲン爺」


 誰にも聞かれぬ、そんな呟きを残して。






「おい、ちょっ、歩くの速ぇよ!!」


 すたすたといつも通り、むしろいつもより速く歩くゲンガイに、野草がたっぷり積まれた籠をえっちらおっちらと運ぶハロルドはたまらないとばかりにそう文句を言う。


「うわっと」


 その瞬間ピタリと歩みを止めるゲンガイ。

 後ろに必死についていたハロルドはその背中にぶつかりそうになり、慌てて止まる。


「おい、ハル。忠告しておく。あいつとは深く関わるな」

「……はあ? あいつって?」

「夜猫のことだ」


 そして、突然のそんな忠告。

 ワケもわからず首を傾げるハロルドに、ゲンガイは後押しするように言葉を紡ぐ。


「俺があいつと初めて会ったのは、この世界に流れ着いてすぐ。つまり、50年以上前のことだ」

「ごじゅっ……!?」

「あいつはそれから一切の容姿の変化無く、このカラリスで情報屋として暮らしてる。話を訊きゃ、それよりもっともっと前から、あいつはここで暮らしていたらしい」

「……は? んじゃあいつ、何歳よ?」

「知るか。ただ一つ、言えることはな」


 そこまで言うと、振り返ってハロルドの胸ぐらをぐいと掴み、


「あいつは間違いなく、妖怪かその類いのものだ。深く関わっても良いことなんざ一個も無ぇ」


 と、凄みを利かせて言う。

 そのあまりの迫力に冷や汗をたらしてごくりと唾を飲み込むハロルド。


「よ、ヨーカイって?」

「化物とか、そういうモンだ」

「な、なるほど。モンスターってことね」

「ああ、そういうことだ。……あいつは情報屋。情報を売り買いする関係。それ以上にも、それ以下にもなるな。わかったな?」


 コクコクと何度も頷くハロルドに「よし」と言い、胸ぐらから手を離す。

 そして今度はゆっくりと。重い荷物を背負ったハロルドを気遣う速度で歩き出す。

 その背を再び追いながら、


「……それ以上の関係になるなってのは、まぁわかった。でも、それ以下にもなるなってのは何で?」


 と気になったことを訊ねる。


「簡単な話だ」


 その問いを受けてから、フン、と鼻を鳴らしたゲンガイは、そう前置きをして、


「敵に回したらもっとまずい。そんだけの話だよ。……ま、この会話もあいつにゃ筒抜けなんだろうがな」


 と、実に不吉極まりない言葉を以て答える。


 短い付き合いだが、ゲンガイの並々ならぬ実力はその佇まいやら何やらから薄々と察していたハロルド。これがただの爺の妄言とも思えず、彼が言っていることは間違いなく真実なのだと確信する。

 そして、言う通りに、夜猫との付き合い方を表面上のふわっとしたものに留めておこうと決心した。






 そう。このときは。

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