ハロルド

第42話

 それは、何の変哲もない日だった。

 コミックに起こるファンタジーな出来事のように、トラックに轢かれたり通り魔に刺されるようなことも無く、だから神様を名乗る変な存在との邂逅が起こることも、もちろんなかった。


 その日のハロルドは、ハイスクールの友達と地元の山でハイキングをしていた。

 山と言っても、遭難するような大きなものじゃない。仮に迷っても、そのまま坂道に沿って適当に下山すればすぐに人里に降りられるような、そんな小さなものだ。


「ん。わり。ちょっちおしっこしてくる」

「おいおい、もうちょい慎んだ言い方しろよ……。ほら、女子どもちょっと引いてんぞ。わりーねー、うちの馬鹿が」

「へいへい、馬鹿で悪かったっすねー」


 そう言ってひょこひょこと少しだけ離れた草むらの中まで行き、もよおしていたものを吐き出す。こういうとき男って便利だよな、なんてことを考えながら。


「ふぃー」


 すっきり快調。しっかりとチャックを閉めて、みんなの元に帰ろう。そうきびすを返したときだった。


「んあ……何だ……立ちくらみ?」


 ぐにゃり、と歪んだ視界に一瞬くらくらとした頭を押さえ、思わず瞑った目を再び開いたときには、


「……え?」


 もう、全く知らない場所へと迷い込んでいた。

 それまでのボーボーに生い茂った草でも、茶色になった落ち葉でもない。くるぶしあたりまでの長さの青々とした草が、それこそ辺り一面、視界一杯に広がっている。見渡す限りに広がる草原。間違っても、さっきまでハイキングしていた山だとは思えなかった。


 のちに知ることだが、それこそが、偶然できることがあるらしい世界間を繋ぐ転移門ゲートを、意図せずハロルドが潜った瞬間だった。


 しばらく呆然と草原を眺め、どうしたもんかと混乱するハロルド。

 そんなハロルドの耳が、悲鳴を捉える。


 びくっと肩を跳ねさせながら悲鳴の元へと視線を向けると、横転した馬車の姿――そう、それは間違いなく、馬車だったのだ。ガソリンや電気を一切使っていなさそうな、木造の。

 とにかく、馬車という存在に驚いたのもつかの間、その横転した馬車から這い出してきた女性と、その女性に抱えられた幼女が目に入る。そしてそんな彼女らの脅えた視線の先にて、獰猛な牙を剝き出しに今にも襲い掛かろうとしている、のちに知る『ハウンド』という魔犬の姿も。


 ハロルドは、気が付いたらもう、脚を動かしていた。


 とにかく走り、そしてその勢いのそのままに、ハウンドの横腹に飛び蹴りを食らわす。ゴキリという嫌な音を立て変な曲がり方をしたハウンドが、二、三回のバウンドをしながら吹き飛び、そのまま絶命する。


 このときのハロルドは知らないことだが、この世界には『レベル』という概念が存在する。

 とはいえ、これは勝手に人間が定めた基準であり、その実は生物が備える『意志力』という心の力と、それにより広げられる『生物としての器』の大きさを示している。

 人間が定めた、という通り、このレベルの基準はあくまで人間であり、誕生直後の赤ん坊をレベル1、そして計算上人間が到達可能な『器』の大きさをレベル100とし、それを百等分した大まかな基準により決められている。

 生物は意思により行動を起こし、その行動の如何により格を上げる。すなわち、「こうありたい」という強い思いを行動として示したとき、その意志力は生物としての『器』を押し広げ、そこに更なる望んだ力が満ちるのだ。


 このときのハロルドも、無意識ではあったが、「あの人たちを救いたい」という強い意志とそれを証明するに足る行動により、実は既にレベル30程度まで到達していた。これは通常起こりうるようなレベルの上り幅ではなく、ひとえに、ハウンドに対して全く恐れを抱かず腰が引けていなかった、それゆえに意志も強く、それを証明する行動も思い切りが良かった、という、ハロルドの無鉄砲さが引き起こした奇跡の産物であった。

 仮に、ハロルドがハウンドにびびり、それでも助けたいと向かったところで、ここまでレベルが飛躍的に上がることはなかった。その恐れは、己を信じるという意思が決定的に足りないということに繋がるからだ。


 とはいえ、この時点でハロルドが無意識下で望んでいた力が筋力方面だったこともあり、このときすでにハロルドの脳筋への道が決定されていたことは、どうにも悲しい事実である。

 一度広がった器の形は、もう二度と元には戻らない。一度筋力方面の力が注がれた器に、もう二度と他の力が注がれることは無いのである。


 それゆえに、この世界の者たちは口を揃えて言う。「この世界の神は、馬鹿が好きらしい」、と。

 一度広がった器の形は元には戻らない。それゆえ、迷ってはいけない。迷い様々な道に手を出しても、広げられる器の大きさには限界がある。だから、そういう人間はどうしても良く言って器用貧乏、悪く言って取り柄無しな成長をしてしまう。

 それに引き換え、一つの道を愚直に、実直に、そう、まさしく馬鹿のように自分を信じ続けた人間にのみ、一つの方向のみではあれど、この世界の神は絶大な力を与えるのだ。


「な、なんかめっちゃ飛んだぞ……?」


 だが、この時点ではそんな話は知らぬ存ぜぬなハロルド。

 己の身体が引き起こしたびっくりな出来事に、吹き飛んでいったハウンドの死体を眺めながら、しばし呆然とする。


 そんな彼に我を取り戻させたのは、先に馬車から這い出してきた母子、と、いつの間にか続いて出てきていた夫らしき男含む三人が、涙ながらにハロルドに頭を下げ始めた光景だった。


「ああ、いや。ははは。まあ、無事でよかった」


 と、頭を掻き掻き、照れ臭そうに言うハロルド。だが、ここでひとつの大きな問題に直面する。


 すなわち、相手が何を言っているのか、何語を話しているのか、全くわからなかったのである。


「あは、あはは。す、すいません、ちょっと何言ってるか……」


 その安堵の表情と何度も下げられる頭から見てわかる通り感謝をされているのだろうが、それ以上のことは一切わからない。何やらすごい喋りかけられているのだが、その喋りの内容が理解できないのだ。


 冷や汗をだらだらと流し必死にそう伝えるハロルド。どうやらこっちの言葉も相手には伝わらないようで、いよいよもって相手方も首を傾げてどうしたもんかという顔をし始める。


「え。何。くれんの。いやいやいいって、申し訳ないし」


 その後、何やら思い付いた様子の主人が懐から大きな銀貨を取り出し、ハロルドの手に握らす。ハロルドは申し訳なさからそれを返そうとする。その問答を何度か繰り返したのちに折れたハロルドが大人しく銀貨を頂き、ポケットにしまう。


「え、あっち? ……ああ、あれ、街か。わかった、行ってみるよ。ありがとう」


 それから何かを指差して必死に言葉を伝えようとする主人の意思を頑張って勘ぐったハロルド。その指差された先に街があることを発見する。

 その主人に示され、そしてこれからハロルドが向かう街こそが、他でもない、これ以降彼の拠点となる、王都カラリスであった。


 ブンブンと勢いよく手を振る幼女につられるように、こちらも元気に手を振って一家とお別れをしたハロルド。それから一時間ほどの徒歩の後、カラリスの街壁へ到達する。

 だがそこは門などないただの壁だったため、再び壁沿いに歩くこと一時間ほど。合計二時間前後の時間をかけ、日が傾き始めた頃にようやく街の門にたどり着く。それなのに全く疲れていなかったことに、しかしハロルドが気付くことはなかった。


「あ、あのぉ。これ、入っていいんすか……?」


 とにかく門へとたどり着いたハロルドは、そこで暇そうにしている二人の門番にそんな声をかける。しかし当然ながら、言葉は通じない。

 何やら質問をされているような気がするのだが、返せるのは苦笑いのみ。それ以上に有意義なレスポンスを出来ず、何とも微妙な時間が過ぎる。

 そこで、はっと気付き、ポケットから先程もらった銀貨を取り出すハロルド。きっとさっきの人たちは、ここで必要になるからこの金を渡したのだろう。とすれば、この門番たちが言っているのは「通行料を払え」だろう。ハロルドは名推理だと確信した。

 しかし、違うらしく、銀貨を握った手をぐいと押し返される。

 まいったな。詰んだ。ハロルドがそう思ったときだった。


 二人の門番のうち一人が、何やらぽそぽそとハロルドに質問をしているもう一人に耳打ちする。

 それをふむふむと聞き届けた門番、「来い」というジェスチャーと共に、何やら歩き出す。

 その剣呑な雰囲気にもしかして牢にでもぶちこまれるのではと心配になるハロルド。密かに逃げ出そうと画策する。が、その後ろからトンともう一人の門番に背中を押され、安心しろとばかりに笑みとサムズアップを向けられる。

 単純だが、その笑みにいくらか安心感を得たハロルドが前に目を向ければ、数歩先で立ち止まり、こちらを振り返っている門番がいる。

 ……まぁ、これ以上に悪いようにはならんだろ。そう考えたハロルドは、悩むのも面倒になってその背中についていくことに決めた。






 それから歩くことしばらく。つれてこられたのは、なにやらちょっと古くさい、木造の一軒家であった。その扉をノックする門番。しばし、住人が出てくるまで待つ。


 ギィ……という不安になる音を立てて開かれた扉の向こうから現れたのは、一人の老人であった。老人とはいえ、その骨格はかなりがっしりとしており、見えている二の腕など、いったい何歳だと問い詰めたいほどには筋骨隆々としている。そんな体格の立派な白髭を生やしたお爺さんなのだ。正直、ハロルドはその威圧感にビビっていた。


 そんなハロルドの目の前でなにがしかを喋る門番と、半目でぶつくさと文句を言っている様子の老人。いくらかのやり取りの後、話はついたようで、ビシッとキレの良い敬礼を残し、ぽんとハロルドの肩を叩いてから去って行く門番。後に残されるのは、ポカンと呆けるハロルドと面倒そうに頭を掻く老人のみ。


「おい」


 ふと、老人がハロルドにそう声をかける。どうやらここらの言語でも不躾な声かけは「おい」と発音するようで、それだけははっきりと理解できた。

 しかし、それ以降の言葉は理解できず、頭のなかを疑問符でいっぱいにするハロルド。


「あ、あの。何言ってるのか全然わかんないんすけど……」


 しょうがないので、苦し紛れにそう声を出す。

 どうせこっちの言葉も伝わらないのだから、そう言ったところで余計ややこしくなれど解決などしないとは思っていたが。

 しかし、そんなハロルドの予想とは裏腹に、


「……ああ、英語……か? チッ。あんまり、得意じゃあ無いが……」


 返ってきたのは、よく見知った言語での返事であった。


「あ、お、おお? 爺さん、英語喋れんのか!? なあ、ここどこなんだよ! 俺、地元の山でハイキングしてたはずなんだが、目眩がしたらいつの間にかここに居たんだ! あれ、もしかしてこれって夢か!?」


 その瞬間、言葉が通じたという歓喜とそれまで気になっていたこと、そして感じていた不安が爆発し、ぺらぺらと次から次へ飛び出してくるハロルドの疑問。

 しかし、当の老人は面食らったように眉を顰めたあと、


「わからん。わからん。英語は得意じゃあ、ないんだ」


 手を振ってよくわからないと伝える。確かに不得意というだけあって、その英語はカタコト。変な訛りもあれば、文法もめちゃくちゃであった。

 なんだ。ぬか喜びか。ハロルドが密かにそう落ち込んだときだった。


「おい。ついて来い」


 手短にそう言い、歩き出す老人。

 言葉は満足には伝わらない。だが、不満足には伝わるのだ。とにかくその老人から離れるのは得策ではない。その程度のことは理解しているハロルド、大人しく老人の背中について行く。


 連れてこられたのは、大聖堂であった。教会、というよりはさらに厳かな雰囲気を醸し出す建物。これ、一般人が入っていいとこなの? というハロルドの不安など関係無しに、その大聖堂の中をずかずかと進んでいく老人。

 慌ててハロルドもキョロキョロと忙しなく周りを見回しながらついていく。そのなかに居た修道服に身を包んだ者たちは、皆一様に穏やかな表情で会釈をし、老人の歩みを止めなどはしない。どうやら、別にこの建物は特殊な人しか入れない建物、というわけではないらしい。それか、目の前を歩く老人がとりわけ特別なのか。


「ここだ」


 結局誰からも案内などされること無しにひとつの扉の前まで迷い無く進んだ老人。ノックもそこそこに、扉を開く。

 開かれた扉のその向こうには、まさしく神父、という格好の一人の男と、たったひとつの机。見るものが見れば、まるで執務室だ、と思っただろう。ハロルドは単に、スペースの無駄だろ、と思っただけだが。


 そのまま二、三言。ハロルドが理解できない言語で話し始めた二人。それからふと振り返った老人が、


「手、出せ」


 と、ぶっきらぼうな、今度は英語で指図する。

 器用なもんだなぁ、と素直に感心したハロルドは言われた通りに片手を差し出す――とその瞬間、力ずくで手を取られ、机の上に置かれ、あれよあれよという間に神父が取り出した判子のようなものをポンと、手の甲に押される。


「び、ビビった……。何これ、はんこぉぉおおお!? 頭いぃっってええぇぇ!!」


 その直後頭に襲い来る、経験したことの無いような激痛。セミの幼虫が脳みそをほじくり返して巣食っていると言われれば素直に納得できるほどの痛みに、思わずごろごろと床を転がり回るハロルド。

 その光景を見て心配そうに眉を歪める神父と、ゲラゲラと愉快そうに笑う老人が実に対照的だ。が、それを確認して文句を言える余裕は、このときのハロルドにはなかった。






「はぁ……はぁ……。くっそ。何なんだ、マジで……」


 それから落ち着いたのは、体感にして数時間、だが実際は数分間の苦痛に耐え続けたその後だった。

 嘘のようにすぅっと消えた痛みにそんな声を出すハロルド。まるで一時の夢であったかのように消え去った頭痛だが、流した汗と涙と、残る身体の怠慢感がそれまで悶え苦しんだ疲れをしっかりと表していて、さっきまでの経験は決して夢ではなかったと確信できる。


「落ち着いたようですね。毎度毎度ですが、この処理をするときはあまりの苦しみ方にヒヤヒヤしますよ」

「いい加減慣れろってんだ」

「あなたは慣れるどころが楽しんでますもんね」


 ふらふらと立ち上がったハロルドの耳に飛び込んできたのは、そんな二人の会話。

 さっきまでの老人のたどたどしい英語とは違う。それどころか、神父が口にしている言葉すらはっきりと理解できる。


「あ、あんた……。英語喋れたのか?」

「え、エイゴですか? いえ、喋れませんが」

「は? でもあんた、確かに……」


 そのことを疑問に思ったハロルドが神父に詰め寄りそう問う、が、帰ってきた答えは否であった。

 そんなはずはないと戸惑うハロルドだが、ふと、横からニヤニヤと見ていた老人がチョイチョイと手の甲を指差し示しているのが目に入る。


「あ……。何これ。この判子が何かあるわけ?」

「そうだ。その判子が頭痛の種でもあり、そして俺らの言語を伝えあっている裏技でもある」

「……は? どゆこと?」


 示された手の甲を見ると、鷹なのか羽が生えた蛇なのか、見方によれば竜にも見えるような、変なマークがついている。

 老人いわく、どうやらそれが先の頭痛を引き起こした元凶であり、そして言語を繋げているからくりでもあるらしい。


 完全に話を理解できていない様子のハロルドを見て、やれやれとため息を溢した老人が、説明してくれる。

 何でも、この世界にはときどき、別の世界の住人が意図せず流れ着くことがあるのだと。

 そこに意思は挟まれず、そしてまさしく偶然の結果であることから、そんな者たちのことをこの世界の者たちは転移者とはあえて呼ばず、漂流者――すなわち『ドリフター』と呼んでいること。

 昔の頭の良い学者様が、そんなドリフターの研究のため、無理矢理の処置ではあるが言語を伝達可能にする儀式魔術を生み出したこと。それこそが、さっきの判子であるらしいこと。


「その関係で、最初の一発だけ、ドカンととんでもない痛みを伴って脳みそをちょっくら弄くるんだ。その結果、いつも通りの言葉を話しているつもりでも、その口から出るのはこの世界の公用語になる。……気味が悪いったらありゃしねぇが、助かってんのは事実だぞ」


 老人の説明に何とも言えない顔を浮かべていたのだろう。最終的には苦笑いを浮かべてハロルドを説得してくれる。どうやら、強面で無愛想でぶっきらぼうではあるが、悪い人間ではないようだ。


「な、何にせよ、これで会話には困らないわけだ?」

「そういうことだな」

「ああ、でも、書き言葉はどうしても読めませんので、そこはおいおい勉強する必要がありますよ」

「……なるほど」


 どうやら、何もかも楽できるというわけではないらしい。

 変換できるのは口から出る言葉と耳に入ってくる言葉のみ。目から入ってくる文字までは、さすがに新しく学ぶ必要があるようだ。


「……このマークは消えねぇの?」

「儀式魔術がしっかり身体に馴染んだらいつの間にか消える。ま、数日ってところだ」


 手の甲にいまだ残る判子の跡を指して訊ねると、そんな答えが老人から返ってくる。

 どうやら、数日間はそのマークと相棒で居続ける必要があるらしい。ダサいマークでも目立つ場所でもないからまだ良かったが。


「……質問はそんなとこか?」


 ふと沈黙が降りた拍子に、老人がそう問うてくる。


「あ、ああ……まぁ、今のとこは」


 本当のことを言えば、魔術とか異世界とか脳みそを弄るとか訊きたいことなど山積みであったが、いくつも聞いたところで処理できるほど、ハロルドは自分の頭の出来を良いものと思っちゃいない。ただでさえ、現状かなり混乱気味なのだ。

 なので、またいずれ訊けばいいと、今のところは質問を取り止める。


「そうか。んじゃ、俺はこの辺で。じゃあな、達者で生きろよ。またどこかで会えればいいな」

「ああ……え!? ん? ちょっと待って!! それは無くない!?」


 だが、まさかその直後ひらひらと手を振った老人が挨拶の通り自分のもとを去っていくとは思っていなかったため、思わずおろおろと狼狽えながらも、必死に老人にしがみつき止める。


「ああ? んだよ。もう質問はないんだろう」

「い、いや、質問とかそういうんじゃなくて、置いてかないでくれよ! めちゃめちゃ不安なんだぞこっちは!」

「知るか、離せこのクソガキ! グギギ……謎の腕力でしがみつきおってぇ……!」


 鬱陶しそうにハロルドをひっぺがそうとする老人だが、急成長した腕力でしがみつくハロルドは諦めない。

 謎の力で言葉は通じるようになったとはいえ、ここがどんな場所なのか、どんな人たちがいるのか、そんなことは一切わからない。

 いっそのこと、これが夢ならば良い。夢ならば良いが、夢じゃないならば。この老人とのコネクションは、ぜひ大切に残しておくべきだろう。少なくとも、彼は悪人ではなさそうだから。


「……面倒を見てあげたらどうですか? もう独り身なわけですし、突然現れたお孫さん、ということで」

「こんな明るい髪でみどりの目をした孫なんぞいらんわ!!」

「いや、そういう話ではなくて……」


 介入してきた神父の言葉に謎の反論をする老人。神父もたじたじである。そもそも、ハロルドの髪はくすんだ茶髪であり、そこまで明るい色ではない。


 だが、それからもしばらくすったもんだのやりとりをした結果、


「……ああ! わかった! もうわかった! 面倒見てやるよ、しょうがねぇな!」


 老人の方が先に折れることになる。


「取り合えず、テメェが一人立ちできる程度にはこの世界に慣れるまで。それまでは面倒見てやる。感謝しろ」

「ま、マジか爺ちゃん! うおぉ、ありがとう!」

「けっ。くそ。こんなめんどくせぇドリフターは始めてだ」

「……なんだかんだ面倒見良いですよね、あなた」


 ぼそりと呟かれた神父の言葉は聞こえなかったか黙殺されたか、とにかく、老人の返事を得ることはなかった。


「おい、ガキ。名前は?」

「ガキ? 俺? 俺はハロルド。ハロルド・ロックウェル。大抵は縮めてハルって呼ばれてる」

「そうか、ハル。いいか。この世界じゃあ家名は貴族様しか持てねぇ高級品だ。だから、テメェはこれからただのハロルド。家名は捨てろ」

「あ、ああ……」


 早速この世界のことを一つ教えてもらったハロルド。不承不承と納得した様子の彼をを見て老人は、


「俺の名前はゲンガイ。家名は捨てた、ただのゲンガイだ。いいか。この名前を聞くだけで震え上がるようになるまでしごいてやる。そうなってからせいぜい後悔しろ、ハル」


 と、泣く子も黙るような自己紹介を、不敵な笑みに乗せて、冷や汗をかくハロルドを真っ直ぐ見ながらするのだった。


 こうして、ハロルドはしばらくこの世界での生活を指導してくれるゲンガイ爺さん――元日本人の津村元凱――との邂逅を果たした。




 余談だが、手の甲のマークはちょうど7日で消えた。

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