第41話 かつての英雄

「うぐぐぐぐ……」

「……」

「くぅぅうう。……心配だ。心配だぞ」

「あ、あの……。シルヴィア?」

「何だ!?」

「こ、怖いのですが……」


 苦笑いを浮かべ、冷や汗を一筋流したニコルが、シルヴィアにそうもの申す。

 というのも、そのシルヴィア。さっきから居ても立ってもいられないのだろう。だが出来ることもない。ので、必死に自分を押さえつけるためにキュッキュキュッキュと鬼気迫る表情で窓を磨き、だがその間もずっとブツブツとなにがしかの独り言を唱え続けていたのだ。

 これを怖いと評価するのは、ごく一般的な意見であろう。


「そうは言ってもなぁ! ……いや、すまない。だが、心配なんだ。エリザベス様は、幼きころよりお仕えしてきた御方だから」

「……そう、ですよね」

「確かに、ハロルドの言う通り、あの御方は危ういところがある。したいこと出来ること。したくても出来ないこと。その区別が明確には出来ていない。それは、その通りだ」

「ええ。そうですね」

「だが! それもまた可愛いじゃあないか!!」

「ええ、そうで……ん?」

「あの無垢な瞳。無邪気な笑み。分け隔てなく接する清らかな心。……んんん、まさしく天使だ!!」

「あ、あの……シルヴィア……さん?」

「どう育ったらあのお歳であそこまで清らかな心を持ったままでいられるのか……。それをあの男ぉ!! その無垢さを取り払おうとするばかりか、あげくの果てに泣かせた、だとぉ!? 赦せんッ!!」


 一時落ち着いたかのように見えたシルヴィアが会話の途中で何やらおかしな舵の切り方でヒートアップし、鼻息荒くエリザベスの魅力を語りだす。最終的にはハロルド許すまじという結論に至ったようで、ギラリと怪しい光をその目に宿している。

 ああ、思わぬ地雷を踏んでしまったようだ、と遠い目をしたニコルが思ったときだった。


「ハルがエリザベス様を救出したわ。二人とも怪我ひとつ無い。無事よ」


 突然ドアを開け入ってきたヌレハが、端的にそう告げてくる。


「あ、は、はい。そうですか。良かった」

「ん、それだけ」

「いやいやちょっと待て! ということは、もうすぐここに二人は帰ってくるのか!?」


 突然すぎて何やらよくわかっていないままに反応したニコルと、そのまま出ていこうとしたヌレハを慌てて止めて二人の所在を訊くシルヴィア。


「いいえ。ハルにはムカついてるから、適当に安全そうな農村に送りつけてやったわ」


 その問いに、「やってやったぜ」とばかりにフンスと得意気に答えるヌレハ。


「え……え? エリザベス様も?」

「ええ。……それが?」

「えっと……とばっちりじゃないですか?」

「あの二人の喧嘩が発端だもの。両成敗よ。私って平等主義者なの。まぁ、明日にはここに転移門ゲートを繋げてあげるつもりだから、せいぜい一晩頭を冷やしてくるといいわ」


 言うことだけ言って、そして部屋を出ていってしまう。

 しばし唖然と閉まった扉を見ていた二人だが、


「ま、まぁ。何にせよ、よかった」

「そ、そうですね。よかった……んでしょうか」


 安心感と不思議な感情がない交ぜになった奇妙な感覚に、一晩苛まれる羽目になるのだった。


 ヌレハがハロルドとエリザベスを二人きりで農村へと追いやった理由。そこには言った通り、一晩二人で頭を冷やしてこいという理由も含まれていた。

 が、当然それだけではない。どうせ力や姿をしっかりと見られたならば、良い機会だから全てを話してこい、という理由がその大部分を占めていた。そのために、二人でゆっくりと話す時間を与えたかったのだ。

 そうでもしなければ、あの二人が分かり合える日は永遠にやってこないと、そう確信できたから。

 とはいえ、その理由がついぞヌレハの口から語られることは無く。察しの悪いハロルドは、この後も「あのとき変なことしやがって」と怒り心頭であったわけだが。

 


   ◇ ◇ ◇


「ええよ、ええよ。一晩ぐらい。部屋なんていつでも空いてるんだから、好きに使って頂戴な」

「あ、ありがとうございます」


 農村のなかの、一番目立った位置に建っていた一番目立つ大きな家。大抵こういう小さい村ではこういう家が村長宅のパターンだ、という考えに基づいて尋ねたハロルドとエリザベスを迎えたのは、そんな暖かい言葉だった。

 言われた通りに階段を上がり、客の宿泊用なのだろう、並んだいくつかの部屋を見たハロルド。


「あー……っと。部屋はどうするかな。一応、別に……」


 先ほどエリザベスがとった恐れの反応と、まだそんな相手と密室で二人は怖いだろうと気を利かせて宿泊は別室にしようと提案すると、


「一部屋でいいでしょう」


 と、かぶせるようなエリザベスの一言に、すかさず切って捨てられる。


「は? いや、俺はいいんだけど、王女様はそれでいいのか?」

「何でですか?」

「……何で、って……」

「そもそも、ハロルド様は私の護衛なのでしょう? こんな見ず知らずの環境で護衛対象の私から目を離すなんて、そんなことはしませんよね?」

「……ああ、確かに」


 言われてみればその通りだと納得し、部屋を見て回って二人部屋なのだろうベッドが二つある部屋を選び、そこに決める。

 どちらともなしに別々のベッドに腰かけ、ため息を吐く。

 ヌレハが何でこんな場所に転移させたのかはわからない。が、どっちにしろ一晩はここで明かすことになりそうだ。何にせよ、宿が難なく見つかってよかった、というところだろう。


「……ハロルド様」

「んあ?」


 そんな思考をしていたとき、ふと、エリザベスが声をかけてくる。


「先ほどは、救って下さって、ありがとうございます」

「……いや。そもそも、王女様をそんな危険な目に遭わせちまった時点で、俺としては護衛失格だ。怖い思いをさせて、すまなかった」

「そ、そんなことは……。いえ。それと、先ほどは失礼な反応をしてしまい、申し訳ありませんでした」


 失礼な反応って? そう惚けようかとも思ったハロルドだが、やめておく。

 この王女様は、見た目や年齢以上にしっかりしている。おそらく言っている失礼な反応とやらはあのとき差し伸べた手に対するものだろうし、こっちが気にしてないとうそぶいたところで、より一層自分を責めるだけだ。


「……ああ。ま、しょうがないだろ」


 結果として、そんな当たり障りのない返答をする。


「それで、差し支えなければ、教えていただけますか? あの、力のこと……」


 おずおずと申し上げられたそのお願いを聞いて、ハロルドはようやくエリザベスが何故自分と相部屋にしようと提案したのか、理解した。

 お礼や謝罪はもちろん、だがなにより、訊きたかったのだ。ハロルドに対して感じた、いろいろについて。


「力って、これのこと?」


 そしてそう訊かれるのならば、ハロルドとしても答えるのはやぶさかではない。

 目の前にかざした掌の上に湧き出るように生成した液状の銀がブニブニと動き、その後すぐさま変形・硬化し一本のナイフを形成する。


「そ、それです。そんな魔術、見たことも聞いたこともありません」

「ああー。そりゃそうだ。これはたぶん、俺しか使えない魔術……みたいなもんだからな」

「ハロルド様しか使えない魔術……『みたいなもの』、とは?」


 疑問は尽きない。可愛らしく小首を傾げたエリザベスが、ハロルドのセリフの気になった点について追及する。


「……ああー。そうだな。そもそも、王女様は『魔物』の生まれ方について、どんくらい知ってる?」

「え? ま、魔物、ですか? そうですね……。その身に満ちる意志力が『器』をいびつに押し広げその身に余る力を得たとき、その生き物は転魔し、理性を無くした魔物になる、と聞いています」

「ん。そう。その通り。俺もそんくらいしか知らん」


 エリザベスが口にした、ハロルド的には百点満点な答えを聞いて、満足げに頷く。


「そもそも、意志力により広げられる『器』ってのは?」

「え、えと。この世界の神により注がれる力を受け止める、その器、と」

「ん。そうだな。その器の大きさで、ギルドなんかじゃ『レベル』なんてものを定めて基準化してる。それは知ってるよな?」

「はい」

「ここらにあるらしい『器』が広がるとき、神とやらからそいつにはあらゆる望んだ力が充填され、より強くなれる。そしてそれは、魔物とは言え例外じゃあない。……いや、むしろ歪になるまで無理矢理押し広げられた巨大な『器』に力が注がれるんだ。その恩恵はより絶大なものになる」


 胸のあたりをトントンと叩きながら、ハロルドはエリザベスも知らないかもしれない情報を教えてゆく。


「その結果、魔物は増えすぎた力を制御するため、ある一定の指向性を持つ力を手に入れる。そうじゃなきゃ、あらゆる方向に増えすぎた力を御しきれないからだ。ちなみに、それはそいつが思い入れがあったり欲しいと思っていた能力であったりするらしいぞ」

「は、はあ……」

「例えば、オオトカゲが転魔したドラゴンであれば属性ブレスや飛行能力。犬が転魔したハウンドだって、牙が大きかったり毒を持ってたり、ときには火を吐く個体だっている。そういうのが、転魔したときに手に入れた固有能力だ」


 これ、何の話だろう。そんな戸惑いがエリザベスの顔にありありと浮かび始める。

 だが、そんな表情も、


「んで、この銀を生成する能力。そしてその生成した銀に『抗魔』の力を付与する能力が、そのときに俺が手に入れた固有能力ってこと」

「へぇ。そうなん……ん? は!? ええぇっ!?」


 次の瞬間ハロルドから告げられた驚きの事実により、一転驚愕の色へと変化する。


「え、え、え? ちょっと待って下さい? そういうことだと、つまり……ハロルド様は魔物……ということになるのですか?」

「魔物って言われるとちょっち傷付くけどな。まあ、転魔はした」

「転魔はした、けど魔物じゃない……ってことですか? えっと? つまりどういう……」


 目を回し、頭の中を疑問符でいっぱいにするエリザベス。

 そのなんとも良い反応に、思わずハロルドの顔に笑みが浮かぶ。


「どうやら、俺が人間だったからよかったっぽいんだ。普通の生物だと、転魔の際に流れ込む力に耐えきれず暴走し、ただの力の化身になる。けど俺の場合は、転魔したとき、それでも人間で居たいと理性のどっかが働いていたらしくて、ギリギリ……本当にギリッギリのところで踏みとどまることが出来た。らしい」

「そ、そんなことがあるんですか?」

「さあ。この話は俺のことを助けてくれたヌレハから聞いた話だしな。実のところ、それが本当なのかどうかは俺もわからん」


 けど、とハロルドは言葉を紡ぐ。


「転魔して魔物になりかけたときに手に入れたこの能力は、間違いなく化物のそれだ。それに、そのときに歪に広がった『器』も、二度と元に戻ることは無い。たぶん、もう一度折れて迷ったとき、俺は完全に魔物になっちまうんだろうな。それがわかってるから、ヌレハは俺にこの指輪を着けさせてるんだよ」


 己の右手中指にはまるシルバーリングを見て、ハロルドは言う。

 自分が魔物へと堕ちたとき、ヌレハはきっとすぐさま感知して討伐してくれるだろう。ハロルドが口にした言葉の意味は、そういうことだった。

 そのことを告げる表情はどこか寂しげで、そう言ったそばから迷っているような、そんな儚さを感じたエリザベスは、


「……何が、あったんですか?」


 一つの決断をする。


「今までのハロルド様に何があったのか……どうか、私に教えてくださいませんか?」


 ハロルドの身に起きた出来事、その一部始終を訊く勇気を、振り絞る。

 今まで幾度となく、気にはなってきたものだ。

 ひょうきんな物言いと笑みで人懐っこい第一印象を与えるくせに、その実自分のことを未だに「王女様」と呼び、どこか壁を感じる対応をする。

 自分が無茶な行動を起こそうとしたときに、必要以上に必死に止める彼の姿から、どことなく闇の部分を感じる。

 それらを今までは、話してくれるまでは自分からは聞き出しはすまいと、己の好奇心を必死に抑えてきた。しかし今、エリザベスは勇気を振り絞って、それらを全て聞き出す決断を下した。


「……そうだな。ここまで意味わからん醜態を晒してきたんだ。話さなきゃフェアじゃないよな」


 エリザベスが真っ直ぐな――歪んでしまったハロルドには眩しいほどに正義感に満ちた目で、ハロルドを見つめる。

 その意思を受けて、ハロルドもまた決意を固める。

 それからそっとベッドから立ち上がると、広いスペースまで歩いて行き、


「燃える心に決意の拳! 悪を裁くは正義の光! ジャスティスマスク! 参上ッ!!」


 謎のポーズに乗せた謎の言葉を、ノリノリに大声で発する。


「知ってる? このセリフ」


 そしてそのまま、目が点になっているエリザベスに訊ねる。


「は、はい。ちょっと前に巷を騒がせていた冒険者の登場のセリフですよね? えっと、『英雄ヒーロー』って呼ばれてた」

「そうそう。……あれ、俺なんだ。ははっ。今改めてやると恥ずいな」

「えっ、ええっ!!」


 微かに顔を紅潮させたハロルドがガシガシと頭を掻きながらカミングアウトした事実に、再びエリザベスから驚きの声が漏れる。

 『英雄ヒーロー』ジャスティスマスク。その正体を知る者は少なくても、その人柄は有名だ。

 何でも、事件と聞くとすかさず駆け付け、目に入る悪人は許さない。輝く拳と煌めく剣で悪を裁き、しかし決して人を殺すことはしない。そんな、絵に描いたような正義漢。それこそが、そのくだんのジャスティスマスクだったのだ。

 その正体が、実はハロルドだった。

 そう聞いてすぐには納得できないほどには、今のハロルドの人格と話に聞いていたジャスティスマスクの人格に相違がありすぎる。


「ほ、本当……なんですか?」

「ん。やっぱそんな感じの反応になるよな」


 そう感じたエリザベスから、一見失礼にあたるような視線を受ける。が、その反応はもっともだと自分でも思うハロルドは、全く気にしない。


「……話すよ。その辺りも含めて、俺がこの世界に流れ着いてから、今までのこと」


 そうして再びベッドに腰かけたハロルドは、ぽつぽつと語り出す。

 自分がこの世界へと迷い込み、経験してきたこと。その一部始終を、包み隠さず。


 それを知ったその先で、エリザベスがどんな結論を出すのか。

 それを密かに、楽しみにしながら。

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