第38話 王女奪還①

「……悪趣味だな」


 向かい合って並んだ計六つの牢のひとつ。そのなかにいる意識不明の女の子が縛られた椅子と、その背後に書かれた真っ赤な壁文字を見た男が、開口一番そう罵る。

 その感想が聞こえたのか、最後尾についてきていたガルス=ガルスが、いつも通り気味の悪い笑い声を発しながら、その男の隣に歩み来る。


「そんで、この子は誰だ? 見たところ、ずいぶんと高貴なお子さんのようだが」

「ヒハッ、ヒハッ。そそ、そんなこと知る必要が、あ、あるのかな?」

「……必要は無いな。ただの俺の好奇心だ」

「なら、そそ、その問いには答えないでおこう、かな」


 この場にいるガルス=ガルス以外の者たちは、かつての戦火の遺物であるこの湖上要塞を勝手に占拠し暮らしている、冒険者崩れの野盗。の、さらにその崩れともいうべき存在である。

 湖の上で暮らし、街に行くこともときどき湖の幸と野菜等とを交換しに行く程度。当然ながら、世間の情報には疎くなる。

 そのせいか、隣国どころかその国境として使われている湖に住みながら、王女様の顔を見てもぴんとくる様子のない男に、ガルス=ガルスはわざわざ答える必要のないことだと問いを切って捨てる。


「……まぁ、いい。報酬はもう貰ってんだ。余計な詮索はしねぇ」


 今回は、ガルス=ガルスがこの占拠者たちを買収し、エリザベス拉致後に匿う場所とその見張りとして雇ったのだ。当然、王女を拐うなどと明らかにヤバい情報は秘匿し、彼らには伝えていない。ただ、破格の報酬を先に与え、黙らしただけだった。


「んで、なんでわざわざここにこの子を置いていくんだ? 自分達の拠点に連れていけばいいだろうに。そんくらいは教えてもらえんだろ?」


 だが、今更ながらも、ここに人質を置いていくメリットがわからない。この後に自分達の拠点にまた移すのならば二度手間だし、ここにそのまま置いていくならば、何のために拐ったのかがわからない。

 流石にその辺りの情報は最低限欲しいと、男はガルス=ガルスに訊ねる。

 その問いに、まずはいつも通りのひきつったような笑い声を発してから、


「そ、そ、そりゃ、この子を取り返しに来る化け物に、まま、まだ拠点を滅ぼされては、困るからだよ」


 不吉きわまりない答えを、平然と言ってのける。

 それはつまり、拠点とやらの規模こそわからないものの、単独でその拠点を破壊せしめるような存在が、目の前で眠る女の子のバックには居るということを意味する。


「へ、へぇ。そりゃあ恐ろしいね。あんたがもってる転移用の魔道具を、保険に一個買っておきたいくらいだ」

「い、一億リルだ。買えるならば、どど、どうぞ」

「……そりゃ、無理だ」

「だ、だろう、ね。まぁ、この魔道具は試作品で、つつ、つ、使い捨てだ。お、おまけに、事前に転移先にマーカーを設置しておかないと、う、動かない。……つまり、ほほ、保険としても、役に立たないよ」


 一瞬でその真意に気がついた男が、ガルス=ガルスの持つ転移魔道具を保険のために買っておこうかと提案する。が、あまりにも高価すぎるその値段に、諦めざるを得ない。

 そのフォローというわけではないが、その魔道具が保険としてすら役に立つようなものではないことを、ガルス=ガルスは説明する。


 日常生活に使われているような魔道具であれば、三世紀以上にわたって魔力供給を行えるような巨大で純度の高い無属性魔晶石を惜しみ無く使用した、転移用魔道具。

 それでもなお使い捨てで、事前に転移ポイントに対となるマーカーを置いておかねば作動せず、またその特性上、マーカー設置地点にしか転移できない欠陥品。超々ハイコストだが、それに見合うほどの働きは期待できない。どこまでいっても、ヌレハのように世界級【千里眼】という裏技と組み合わされない限りは、どうにも使い勝手が悪い転移魔術であった。


「ほ、保険なら、それを渡しただろう?」

「……これか。捕縛用魔道具って言っていたが、そんなに役に立つものなのか?」


 その代わりとばかりに、先に渡していた十字架型の魔道具を指差し、それが保険だと言うガルス=ガルス。

 だが男からしたら、言ってしまえばちゃちに見えるその魔道具がそこまで役に立つとは思えない。市販されている魔道具でも、もう少しいかつく頼りになりそうなものなどたくさんあるものだ。


「ヒハッ、ヒハッ。ささ、さぁて。どうだろうね? ま、まぁ。無いよりマシ、って思えば、タダで渡したんだ。わわ、わ、悪い話じゃ、ないだろう?」

「……そりゃ、そうだな」


 問いかけられたガルス=ガルスはその魔道具の効果については言及せず、答えになっていない適当な返答をする。ただ、それはそれとして彼の言う通りで、頼みを聞いてくれたお礼として、その捕縛用魔道具とやらは無料でプレゼントしている。これで大した働きはせずとも、少なくとも懐に対しては痛手にはならない。


「……そ、それじゃあ、僕はそろそろ、い、い、行くよ。くれぐれもそこの餌を、にに、逃がさないように、ね。ヒハッ、ヒハッ」


 そうして会話が一段落したところで、しまいにはエリザベスのことを『餌』呼ばわりしてから、ガルス=ガルスは踵を返す。


「ああ、ああ。楽しみだ。たた、楽しみだなぁ。き、君は、いったいどんな顔で力を振るう? 怒りか? に、に、憎しみか? ……そ、そんなこと、どうでもいいか。ヒハッ、ヒハッ。ただ君は、君自身のために、そ、そそ、その過剰な力を振るうんだろう? ヒヒッ。ヒハッ!」


 その道すがら、ボソボソとそんな独り言を口にしながら歩いているのは、もはやご愛敬と言うものだろう。


「……イカレめ」

「おい、聞こえんぞ?」

「ああ? ……いいんだよ。あの男、俺らのことなんざこれっぽっちも興味を持っちゃいなかった。たぶん、目の前で同じことを言っても、まるで気にしないだろうぜ」


 その背中が見えなくなるかならないかというときに、それまでガルス=ガルスと話していた男がぼそりと呟く。その一言を慌てて諌める仲間の一人だが、男は聞く耳持たず、そんな言い訳をする。

 その男の見る目が確かだったか、それとも単純に聞こえなかったか。とにかく、ガルス=ガルスが陰口を耳ざとく聞きつけて戻ってくることはなかった。


「……おい、警戒網を張っておけ」

「アイツの言うこと、信じるのか?」

「いんや、そうじゃない。ただ、嫌な予感がする。ま、警戒しておいて損はない。そうだろ?」

「……それもそうか。伝達してくる」


 こうして男たちは、念のため、これから来るのであろうその存在に対する警戒として、少し過剰とも言える注意を払うことにする。

 ガルス=ガルスの言うことを鵜呑みにしたわけではない。ただ、どうにも嫌な予感がしたのだ。






「……終わったか?」


 牢屋が並んだ部屋を出たガルス=ガルスにそう声をかけたのは、のっぺりとした白い面で顔を覆った女であった。


「ああ。ほ、本社に戻るぞ」

「……拐った王女様はどうするんだ?」

「ど、ど、どうもしない。あれは……起爆剤だ。ぼぼ、僕の英雄ヒーローが思いのままに力を振るう、その機会を与える他には、な、何の価値もない子供だ」

「……外道め」

「ヒハッ、ヒハッ。何とでも、言えば良い」


 ガルス=ガルスの人命を歯牙にもかけないあんまりな物言いに、表情の見えない面を着けながらも、明らかな不愉快の色が滲み出る声色で避難する女。

 エリザベスをただの餌だと言うのも気にくわない。しかし、それよりなにより、この要塞で暮らしている者に何も詳しい説明をせずに、その命を無惨に散らす方向へ誘導していることが、仮面の女には許しがたかった。

 だがその反応は暖簾に腕押し。一笑にて掃き捨てられてしまう。


 外道と罵った女が思い出すのは、ガルス=ガルスがエリザベスを拉致する手段として用いた、ありとあらゆる準備と莫大な資金であった。


   ◇ ◇ ◇


 ハロルドとの喧嘩を経て、思わず首にかけていたシルバーリングをはずして投げ捨て、寮を飛び出したエリザベスは、止めどなく溢れる涙を抑えられぬまま、行く宛もなくサリバンの街を歩いていた。

 裏切られたという、身勝手な想い。王都や自分の身内に訪れている危機を知りながら、何も打つ手がない、あっても打たせてもらえないという無力感。その無力感は幾度となく経験してきたものだが、今回のものはハロルドやヌレハに対する期待が募っていた分、その落差により、より一層の惨めさをエリザベスに感じさせていた。


 このあと、どうしようか。

 宛もなくさ迷い歩いたエリザベスがふと足を止めた瞬間、そんな、家出をした子供のような不安感が彼女を襲う。

 自分には何かを解決できるような力はない。そんなことは重々承知だ。だからこそ、絶大な力を持つハロルドを頼っていたのだ。

 しかし、そのハロルドからの明確な拒絶。そして、その拒絶により頭に血がのぼった自分の、彼に対する身勝手な物言い。これから戻って謝って、そしてやっぱり協力してください、なんて恥知らずなことは、とてもじゃないが出来はしない。出来たとしても、まかり通りはしないだろう。

 じゃあ、諦めるか。王都のことも家族のことも、すっぱりきっぱり諦めて、自分だけ助かって、それでいいのか。

 否。有り得ない。それが一番、エリザベスにとっては有り得なかった。


 でも、じゃあ、どうすれば。

 答えの出ない問いがまた一巡し、頭をめぐる。

 時ばかりが刻一刻と過ぎ、それがまた焦りを生む。


 ――詰んだ。


 その言葉が頭をよぎった瞬間、止まりかけていた涙が再び溢れ出す。


「どうして……」


 どうして、誰も私に協力してくれない。

 王都が心配じゃないのか。家族が、主が、友達が、仲間が、心配じゃないのか。

 ……いや、心配じゃないわけがない。

 だが、それよりも優先すべき命が、決して失ってはいけない対象が、近くにいるのだ。


 みんなの足を引っ張っているのは、自分だ。


 私が自分の身を護れる程度の力を最低限持っていたら。我を貫くだけの力を持っていたら。もっと事態は動いていただろう。


「どうして、私は何も出来ないの……」


 そのことに思い至ったエリザベスからぽろぽろと流れる涙にのせられて、ふとそんな言葉がこぼれた。

 ――そんなときだった。


「……エリー?」


 自分の名を呼ぶ声を、エリザベスの耳が確かにキャッチする。

 それは、もしかしたら、そのとき一番聞きたいと感じていた声だったのかもしれない。

 この一年で聞き慣れるほどに耳にしてきた優しい声。たくさんの苦楽を共に経験した、そしてこれからもしていくだろう、親友の声。

 そう。聞き違えるはずがない。エリザベスの耳が拾ったその声は、間違いなくクロエの声だった。


「エリー、な、泣いてるの?」

「……クロエ? そこに、居るんですか?」


 クロエの声が聞こえてきたのは、エリザベスが立つ位置からのびる脇道からだった。いや、日の光も届かぬほど細く暗いその道は、裏道と呼ぶのが正しいだろうか。

 普段であれば、入るどころか近づきもしないそんな道に、エリザベスはふらふらと導かれるように入っていく。


 堂々巡りの思考に磨耗した心。すでに疲れきっていた彼女の精神は、無意識のうちに頼れる存在を求めていた。気の置けない、甘えられるような存在を欲していた。


「クロエ、あのね……っ!」


 そんな状態だからこそ、エリザベスはその闇の向こうにクロエが居るのだと疑わず、裏道に迷いなく足を踏み入れた。

 少しでも冷静ならば、気付けたはずだ。そんな物騒で不気味な場所に、クロエが一人で居るはずがないと。そしてその闇に、間違っても自分から足を踏み入れるなんて無用心なことは、決してしなかったはずだ。


「……あ、あなたは、誰ですか?」


 そして、そうしておけば、少なくともこんな最悪な形で、その存在との邂逅を果たしはしなかっただろう。


「や、や、やぁ。お姫様」


 闇の向こうに居たのは、一人の男。目が隠れるほどに白髪混じりのボサボサ頭を伸ばし、よれよれの服を着た、初めて出会ったときのハロルドを遥かに凌ぐ不潔感を醸し出す男。

 その男、ガルス=ガルスが、口を覆っていたマスクのような魔道具を取り外しながら、不気味ににこやかに、エリザベスに挨拶をする。


「く、クロエは? あの、女の子がここに居ませんでしたか? これくらいの背の、可愛らしい女の子です」

「……みみ、見てないな」

「あ、そ、そう、ですか。ごめんなさい。気のせいだったみたいです」


 何故だかはよくわからない。

 ただ、エリザベスの本能が、目の前で立つひょろひょろな男に、全力の警戒音を鳴らしていた。脅されてもいないのに、凄まれてもいないのに、ぞくぞくと背筋をなぜる恐怖、嫌悪感、その他様々な負の感情。

 ここに居てはいけない。逃げなければ。


 無礼ではあるが、即座に目の前の男に『関わってはいけない』というレッテルを張ったエリザベスは、確認すべきことだけ確認して、すぐにその場を離れようとする。

 しかし、


「ああ、ああ。ちょっと、ま、まってくれ。すす、少しだけ、話をしようじゃあ、ないか」


 その背にかけられたそんなガルス=ガルスの声を無視できるほど、無情に徹しきれないエリザベス。反射的に、足を止める。


「な、なんですか? あの、私……」

「い、いや、ぼぼ、僕もね。こんなにうまくことが運ぶとは、お、お、思って、いなかったんだよ」

「はい?」


 忙しいのですけど。足を止めてからはっと気付いたエリザベスがやんわりとそう言って断ろうとしたとき、それに被せるように、ひとりでにガルス=ガルスが語りだす。


「ぼ、僕一人じゃあ、あの二人組には、ぜぜ、絶対に勝てない。だ、だから、機会が訪れるまでは何日でも粘ろうって、かか、か、考えてたんだ」

「……あの、何の話を……」

「それが、蓋を開けてみたら、なな、何だ? 勝手に喧嘩して、た、単独で飛び出して……それどころか、あ、あ、あの女に渡された探知機すら、わざわざ捨てて来てくれた」

「そ、それって……」

「ヒヒッ……ヒハッ! ヒハッ!」


 何かに感付いたらしいエリザベスな様子に、ついに堪えきれなくなったガルス=ガルスの、気味の悪い笑い声が漏れ出す。


「ああ、ああ……。ほほ、本当に、君が間抜けで良かったなぁ……!」

「ひっ!」


 この男がしているのは、さっきから今までの自分達の話だ。

 遅まきながらそのことに気が付いたエリザベスが、慌てて逃げようとする。が、遅かった。遅すぎた。

 心臓は早鐘を打ち、呼吸は乱れ、下半身には力が入らなくなる。それは恐怖だった。得体の知れないモノに遭遇したことによる、今まで感じたことがないほどの恐怖で、その場から一歩たりとも動くことが叶わないエリザベス。


「た、助け……きゃっ!」


 辛うじて出る声で助けを求めようとしたものの、それよりも素早くガルス=ガルスが取り出した懐中電灯に照らされ、ふっと意識を失う。


 先の変声用魔道具や転移用魔道具と同様、この懐中電灯型の、光を直視した者の意識を昏睡させる魔道具もまた、彼の自作である。

 この時代には時代錯誤オーパーツとも言えるほど精巧によく動く彼の義手も、彼の自作。生身では弱くとも、それら道具を駆使して実力者と渡り合う。彼の武器はまさしくそこにあった。

 誰よりも人道から外れた思考回路を持つ悪魔は、しかし誰よりも人間にとっての唯一絶対の武器、つまり脳のことを愛していた。そのちぐはぐさがまた、ガルス=ガルスの気味の悪さに拍車をかけているのだ。


 意識を失ったエリザベスが倒れる直前、素早く現れた仮面の女がエリザベスと地面との間に滑り込み、倒れて怪我をするのを防ぐ。

 ちなみにだが、これはガルス=ガルスからの指示ではない。彼はそこまでエリザベスのことを大切だとは思っていないし、また興味も関心もない。仮に頭を地面に打ち付け後遺症が残ったとしても、そんなことは知らぬ存ぜぬである。

 そんな彼の対応を、きっとそうであろう、という程度であれ予測していた仮面の女の自主的かつ人道に基づく行動。エリザベスの関係者からすれば、言うまでもなくファインプレーであった。


 その後、ガルス=ガルス曰く一億リル相当の転移用魔道具を起動、事前にマーカーを設置していた湖上要塞に飛び、そのまま牢の椅子にエリザベスを縛り付けた。

 そしてドリフターである仲間から事前に教わっていた英語を暗赤色のインクで壁に書き、満足げに見張りを任す湖上要塞の者たちを呼びに行った。


 ヌレハが【千里眼】にて異常に気付き、エリザベスの現状を知ったのはまさにこのときであった。


 もしもエリザベスが感情的にシルバーリングをはずしたりしなければ、もっと早い段階で彼女の危機を一同が知ることはできただろう。

 しかし、危機を知ってから実際の救助までにまごつくその刹那に、ガルス=ガルスは湖上要塞までの転移を終わらせられる自信があった。エリザベスがセンサーであるシルバーリングを捨てたのは、彼にとってはあくまでただの嬉しい誤算であって、それが計画続行に値するマストな条件ではなかったのだ。


 そして転移を終わらせたその時点で、彼の一連の計画は完遂されたも同然であった。

 今回の計画の要であるエリザベスの拉致。その目的は、彼女の身柄と引き換えに何かを要求することではない。

 彼女の身柄と、そして拉致を行った自分という存在により、ある人物を引きずり出し、存分に力を振るう――いや、振るわざるを得ない状況を作り出す、というその一点にのみ、計画の目的はあったからだ。


   ◇ ◇ ◇


 今計画の要旨は事前に説明されていた仮面の女だが、実際に何の迷いも感慨もなく淡々と実行しているガルス=ガルスを見て、ほとほと嫌気がさしてきていた。


 彼らの拠点を単騎で壊滅せしめる存在を引きずり出し、暴れさせる。その舞台ステージにこの湖上要塞を選んだ時点で、ここで暮らしていた野盗崩れの一団の運命は破滅の一途を辿ることが決定した。

 それを、大した説明もなく面倒だからと金によって黙らせるガルス=ガルス。彼らはこれから自分達に起こるだろう悲劇を、迎えるだろう結末を、何も知らない。ガルス=ガルスにねじ曲げられた自分達の運命に気がついていない。


 何故、これほどまでに『命』に対して無頓着でいられるのだろうか……。

 仮面の女が抱くのは、そんな疑問。


 どんな悪人であれ、大なり小なり、『命』というものには何かしらの特別性を感じているものだ。どんな狂人や殺人鬼でも、背徳感であったり快感であったり、方向性の違いはあれど『命』に何かしらの価値を見出だしているからこそ、それを刈り取ることに固執する。

 だが、ガルス=ガルスにはそれがない。

 正確には、ただ一人のみ、彼が関心を向ける人物がいる。が、それだけだ。

 それ以外の人命に関して彼の興味はなく、生きていようが死んでいようが、至極どうでもいい。故に、彼は安易にそれを使い潰し、捨てる。まるでそこらにありふれた、消耗品の道具のように。


 そして彼のそれは、他人の命に限ったことではなかった。自分自身の『命』にすら、彼は何の関心も抱いていないのである。

 本来であれば、ヌレハなどというインチキ極まりない存在と組んでいる時点で、エリザベスの拉致など不可能となる。彼女の存在を知っていて、その上でエリザベスに手をかけようなどと考える者は、まず居ないだろう。

 何故なら、そんなことをすれば即座に身元を特定され、地の果てまでも追いかけられ、粛清される結末が目に見えているからだ。

 それ故に普通であれば、エリザベスにちょっかいをかけようにも、まずは保身に走る。どうにかしてヌレハに身バレしない計画を立てようと躍起になり、そしてそのうち、そんなことは不可能であると気付くこととなる。自身の安全という前提条件のもとに計画するならば、ヌレハという存在が介入してくる時点で、その条件が満たされることがまず無くなるからだ。

 それは、自分の命を大切に思う人間であれば、ごく自然の思考回路である。


 しかしガルス=ガルスに限れば、それがなかった。

 目指すのは計画の完遂。そこに、自分の生死は条件として組み込まれてはいない。

 だからこそ綿密に組んだ計画を、大胆に遂行していける。足踏みをすることがない。絶対に機を逃さない。

 ヌレハの存在とその能力をよく知ったうえで、それでも自分が犯人だとバレることを恐れない。否、どうしてもバレるならば、バレなければいけない計画を立てる。そういう男だからこそ、やられる側は対処のしようがないのだ。


 イカれてる。誰もが一目ガルス=ガルスを見て、そう評価する。それは、目立つ彼の言動や挙動を見た評価だ。

 だが、誰よりも間近に彼を見てきた仮面の女は、そんな言動や挙動ではなく『命』に対する思想にこそ、彼の異常性というものがよく表れていると評価する。


「ま、マキナ。転移用魔道具を起動しろ」

「……ああ」


 表情の見えぬ仮面の奥からじっとガルス=ガルスを睨んでいた女、マキナは、それでもなお彼からの命令に従う。

 彼女は一身上の都合により、彼から離れることは選択できない。いや、選択しない。それがわかっているからこそ、ガルス=ガルスも反抗心がありありと浮かぶ彼女を側に置き、行動を共にしているのだ。


 結局、計画以上にうまくいったガルス=ガルスの計画により、ハロルドたちは彼らの逃亡をみすみすと許してしまう。ハロルドたちの優先順位で言えば、まず最優先すべきはエリザベスの奪還、及び安全の確保。

 故に、犯人であるとバレても、すぐには追ってこれなくなる。それがわかっているガルス=ガルスは転移により旧モルネイア領に飛び、そして悠々と次の計画を立てるのだ。


 すべては己の英雄ヒーロー、ハロルドの帰還のために。

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